かなえしん様 700Hitありがとうござました!!
「CCA After in白い人とひよっこ・浣腸+赤いの」
お送りします!
時間軸的にはCCA後半年くらいでお願いします。

「こんにちはー! アムロー!!」
「コウ、久しぶりー! まあ上がってよ。少佐に昇進したって? おめでとう!」
「ありがとう。本当はアムロの方が二階級特進ものなのにな…………って、何処に上がるんだよ、この部屋……」
 玄関を開けたものの、入り口で立ち止まってコウは顔を引き攣らせた。
 妻が居ない間でも、自分の家はこれ程酷いことにはならない。
 床が見えないだとか、足の踏み場がないだとか言う表現は、まだまだ甘かった。
「気にするな。ここにいる限り、シャアは来ないんだから。その辺だったら踏んでも大丈夫だからさ」
 奥の部屋から顔を覗かせたアムロは、ひどくラフな格好をしていた。
 ラフ……という表現で許されるなら、だが。
 何処か薄汚れたランニングに縞の入ったトランクスのみである。服装という言い方すら適当ではないだろう。
 コウは呆れたが、ここで溜息を吐くだけの空気を吸うのも厭で曖昧な笑みを返す。
 指で示された辺りには、得体の知れない布の固まりが落ちていた。
「……いや、遠慮しとく」
「そう? いきなり連絡してくるから、掃除する時間なくて」
「二週間前って、いきなりかな……」
「掃除苦手なんだよ」
「料理以外全部苦手じゃん。…………だけど自炊もしてないだろ、このキッチンだと」
「一日一食サプリと固形食料食ってれば死なないって。今は動く様な仕事殆どしてないんだし」
「燃費はいいよな、アムロって」
「凝り始めるときりがないし。丁度いいんだよ、これで」
「ハウスキーパー紹介しようか?」
「要らない。下手に触られても困るし。一応隠れてるんだよ、僕は」
「…………隠れすぎだよ、これじゃあ」
 ゴミに埋もれて死にそうだ。
「で? 何だっけ? コウの長期休暇と奥さんの月に単身赴任が重なってて、その上奥さんの仕事が忙しくて月に付いて行っても仕方なくて暇だから来る、って所まではメールで聞いたけど」

 0093年3月12日。アクシズが地球に最も近付き、そして離れていったその後。
 どうにかして生き延びたアムロとシャアは地球へと逃れていた。
 状況から、二人で力を合わせるしかなく、セイラを頼り旧ヨーロッパ地区まで逃れ、住む場所をとりあえず確保した後、アムロは田舎の町の片隅でひっそりと、ジャンク屋兼電気工をして生計を立てていた。
 腰を落ち着いけて直ぐに、コウやブライトなどへ秘密裏に連絡を取ったのは言うまでもない。
 必要以上に悲しませるのは厭だったし、彼らの口が硬いことは分かっていた。
 地上はシャアのお陰でひどく混乱しており、アムロの様な人間には却って動きやすかったこともある。
 シャアと違い、アムロの顔は一年戦争終結当時に流布した以外にはあまり知られていないことも、幸いしていた。

「何処か行こう、アムロ。こんな所に籠もってたら絶対病気になるって」
「……陽に当たると灰になる病気なんだよ、僕」
「何処の吸血鬼だよ、それ」
「たまには外にも出てるよ。買い出しとか、配線の仕事があった時とか」
「不健康だって」
「コウは健康的でいいな。……ああ、そういえば、結局二日に一回は出てるよ。シャア食わせてやらないと。あいつの所も今は人なんて雇ってないから」
「まあ……世紀の大犯罪者だし。あんな人じゃなくて、アムロが側に居るって知らなかったら通報してるよ」
「今から通報してもいいよ。どうせ気付く人は気付いてる」
 ごそごそと床を漁り始める。
 何かを引っ張り出して、思い切り叩いた。埃が舞う。
「奥の部屋、PCとか置いてないのか?」
「あんまり置いてないよ。こんな小さなアパートメントじゃ、直ぐに落ちる」
「あんまり、って……こんな埃じゃ、機械に悪いだろ」
「どっちかって言うと湿気が勝ってるから舞わないよ」
「そういう問題じゃない!」
 引っ張り出したものはシャツの様で、簡単に袖を通すと、また床を漁る。再び、今度はジーンズらしきものを出して足を突っ込んだ。
「それで、何処に行くんだ?」
「…………この部屋片付けたいよ、僕は」
「あははははは〜。無駄だと思うよ。どうせまた同じ事だ」
 その辺りに転がっていた靴に素足を突っ込み、コウの前まで来る。
 姿はやはり、何処か薄汚れていた。
「…………アムロ、洗濯してる? 風呂は?」
「服も下着もシャアの所に綺麗なの転がってるし、風呂もあいつの所で入るから……適当。ここ、幾ら直してもお湯の出が悪いんだよ」
「アムロだったら、もっといい所住めるんじゃないのか?」
「今で十分満足してるしな」
「…………そっか」

 これ以上何を言っても無駄だろう。
 コウは漸く諦めて、アムロの手を引き廊下へ引っ張り出した。
「うわ…………」
 目の上へ手を翳す。
 天気はいい。直射日光が当たらなくても、暗い室内からいきなり外へ出ては目が付いて行かなかった。
「……ぐらぐらする……」
「アムロってそこまでインドア派だったのか?」
「ああー……そっか、コウとは長い気でいたけど、言ってなかったっけ? 子供の頃から用事がないと家から出なかったよ。父親は仕事忙しくてあんまり家にいなかったし、母親はそんな父に愛想尽かして俺が五歳の時に別居でさ。親いないから好き放題だったし、だから趣味にあかせて学校も半分も行ってない。ジュニアハイ出たと思ったらもう戦争だったし」
「……それでよく生きてられたな」
「まあね。昔から、何だかんだ言いつつ面倒見てくれる子いたし」
「何となく、分かる気はする。ほっとけないんだよな。アムロ、結構もてるだろ」
「どうかな……あんまり長続きはしないけど。振りも振られもしないけど、自然に消えてくのが多いな」
「それも、分かる気がする」
 髪に絡んでいた糸屑を払い、シャツの襟を整えてやる。
 こんな適当な様を見ていれば、世話を焼きたくなる女は後を絶たないだろう。
 だが、ずっとこれでは次第に距離を置きたくなるものなのかも知れない。
 アムロは軽く肩を竦めた。
「コウと何処か行くなら、ちょっとシャワーでも浴びようかな。シャアの家まで付き合ってよ。あそこ、なるべく一人で行くの厭だから」
「生きてるとは聞いてたけど……近所なのか?」
「一応ね。あんまり離れた所だと、あいつがまた碌でもないこと始めた時に対処が遅くなるから」
「ああ、そういうこと」
 要するに、側に居たいのだろう。
 アムロも一筋縄ではいかない程に素直ではない。
 納得した様子のコウに、アムロはもう一度肩を竦めた。
 感情は、もう整理出来ているつもりでいる。
「そういうこと。……行こうか。何で来た?」
「タクシー」
「じゃあ後ろに乗れよ。二輪で行くから」
「うん」

 大型の、チューンされ尽くした自動二輪はいかにもアムロらしい代物だった。
 軽く手を回した身体は、コウが知っていた頃のものより幾分がっしりとしていた。軍人であることを自分で選んで、アムロなりに鍛えたのだろう。
 シャアと、戦う為に。
 しかし今、その戦った相手の家でシャワーを浴びようとしていることが不思議であり、また嬉しくもあった。
 こんな風になれた。自分が、辿り着けなかった世界に行ってくれた。
 その事に安堵する。

 シャアの住む場所は、アムロの家のある街中より少し離れた郊外にあった。
 大きな古い屋敷だ。一目で旧世紀のものと知れる。
 シャアらしいが、こんな場所は却って目立つ様にも思える。
「近所ではお化け屋敷って言われてるらしいよ。たまに明かりがつくから」
「へ……へぇ……そう……」
 本当に何か出そうだ。
 テーマパークのホラーハウスは嫌いではないが、リアルで見るのは少し気が進まない。
 アムロは躊躇いもなくノブに手を掛けた。
 難なく開く。
「指紋認証?」
「いや、指静脈と声紋」
「ああ」
 セキュリティはさすがにそれなりらしい。
「本当は網膜も入れた方がいいとは思うんだけどね。僕もあいつも面倒臭がりだから。声紋はこんな雑談でいいし、静脈はノブ握るだけでいいし。指紋は静脈より反応しにくいからさ。結構潰れちゃってるから」
 自分の手をひらりと見せる。かさついて、オイルが染みていた。
 家の中の仕事だけではなく、外でもいろいろと弄っているのが分かる。
 ソフトだけではなく元々アムロはハードの方が好きだ。機械弄りを続けているのはそういうことなのだろう。
 やっと好きなことをして生活しているのだ。
「退役したらアムロと一緒に働こうかな」
「奥さんが許さないだろー。月に一緒にいて欲しいんじゃないのか?」
「多分ね。だけど……どうかな。月はあんまり、僕の性に合いそうな気がしないから」
「僕も大概だけど、コウも落ち着かないよなぁ」
 笑いながら屋敷の中に踏み込む。
 中の空気は何処かひんやりとしていた。ホールの様子から外観程寂れた様子はなくある程度手入れされているのが分かった。
 二人が中へ入ると、扉は自然に閉まる。本当にホラーハウスの様だ。
 アムロはいかにも勝手知ったると言う風に、階段を駆け上がった。

「シャア、いるー?」
 ゆっくりと階段を上るコウとは対照的に、アムロは二階の一室へと首を突っ込んだ。
「シャワー借りに来たんだけど」
「………………珍しいな、君がこんな時間に……昨日来たから今日は来ないかと思っていたよ」
 追いついて肩越しに部屋を覗く。
 豪奢なベッドの半分が見え、足だけが覗いていた。
「おや……誰かな」
 コウの気配を感じたのだろう。聞き覚えのある、耳馴染みのいい声がする。
「アムロが人を連れてくるとは……本当に珍しい」
「あ、あの……お邪魔、します」
「…………聞いた声だな」
「話し相手してやっててよ、ちゃちゃっとシャワー浴びちゃうから」
「ああ。失礼します」
 扉から入って直ぐの小部屋へアムロはさっさと入ってしまう。
 コウは奥へと進んだ。

 ベッドはリクライニングになっていて、上半身を起こした姿で男は横たわっていた。乱入するまで読んでいたのだろう。胸の上に本を伏せている。
 コウの顔を見て、穏やかな微笑みを浮かべた。
 昔会った頃より更に、落ち着いた大人の男の風情を漂わせている。
「久しぶりだな、コウ・ウラキ君。君は未だ軍属だったか」
「はい。休暇で、アムロに会いに来ました。そうしたら、服もシャワーもこっちだって言うから」
「彼があそこまで杜撰だとは、私もこうなるまで知らなかったよ。お茶でも飲むかい?」
「いえ、お構いなく」
 最後に見た総帥演説の時より、随分窶れてほっそりとしている様に見える。
 ゆっくりと起き上がりベッドから降りようとするシャアを制し、コウはベッドの脇に椅子を寄せてそこへ座った。
「こんな身体だというのにね……何故か洗濯は私がする羽目になっている」
「世話好きなんですね」
「それはアムロだろう。食事は、美味しいものを作ってくれる。後片づけは私がするが」
「動くことは出来るんですか? 怪我をしていたってアムロから聞いてましたけど」
「リハビリは進んでいるし、それなりに鍛えているからね。回復は早い様だ。医者が驚いている」
「さすが、赤い彗星だ」
 湯が流れる音と共に、ソープの香りが漂い始める。
 シャアは口を噤み、その水音に耳を傾け始めた。
 この男には言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。だが、嬉しそうな顔でアムロの様子を伺われては、コウも苦笑する他なかった。
 アムロが身を持って受け止めたからこそ、今の彼らがある。
 シャアはそれを本当によく分かっているのだろう。
「一緒には、住まないんですね」
「アムロが厭がるのだよ。残念なことに」
「バジーナ……じゃない、シャアさんも、アレじゃ同居は困るでしょ?」
 惨状を思い出す。
 ある意味、何処かの戦場の様だった。
「呼びたいように呼んでくれていい。今はエドワウと名乗っている。エドワウ・マスだ。…………君も、アレを見てしまったのか…………いや、だから私は一緒に住んで欲しいと言っているのだがね。あの部屋では、幾らアムロが健康である意味頑強だったとしても何時か病気になってしまう。私の食事は作る癖に、自分は食べないしな」
「どれくらい動けるんですか? シャアさんも一緒に行きます?」
「何処へだね? 生憎、遠出は難しいが」
「まだ決めてないんです。でも、とにかくアムロを連れ出さないと!」
 拳を握って気合いを入れる様子のコウに、シャアは苦笑する。
 相変わらず前向きだ。

「君も……変わらないな。まだ人の手を借りずに階下に降りるのは難しい。それに……ああ……」
 少し視線を彷徨わせ、枕元のランプシェードを見る。何やら付箋が幾つか貼ってあった。
 サイドテーブルへと手を伸ばす。覚束ない手付きに、コウは先んじて引き出しを開けた。
「これですか?」
「ああ。ありがとう」
 中に入っていたやけに分厚い手帳を取りだして渡す。
 受け取って、シャアはゆっくりと指で辿りながらページを捲った。
 側の時計に表示された日付とスケジュールのページを見比べる。
「うん……今日、来客があるな…………アムロに伝えていなかった様だ。アムロが知っていれば、シャワーなどと言う理由ではなく君をここに連れてきただろうから」
 何処か言い方がおかしい。しかし、コウは深く考えなかった。
「アムロも知っている人なんですか?」
「私や君より余程アムロを知っている人間だよ」
「じゃあ、ここにいた方がいいかな」
「君も会うといい。君より上官になるかな。エゥーゴで会ったことがあるかも知れない」
「まさか……ブライト・ノア大佐ですか!?」
 そこまでヒントを出されたら厭でも分かる。
 自分がアムロやシャアの生死を知っているくらいだ。もっとずっと深い繋がりを持っているブライトに、繋ぎをつけていない筈はないだろう。
「ああ。……手伝って貰おうかな、君に。今からでは、アムロも用意が整わないだろう」
「何時です? 貴方が動けないなら、部屋はここでいいんですよね?」
「そうだな。……茶葉が切れかけているのと、茶菓子と……後は、少し大きいテーブルをここへ運んで貰えばいいか」
「買出しは後でアムロと行くとして……テーブル、何処ですか?」
 手帳を捲る。
「一階の……東、突き当たりが倉庫になっているから、その中から探してくれ。一人では難しいかも知れないが、アムロはもう上がるだろう」
「はい」
 そう言ううちに、本当にアムロがシャワーを終えて出てくる。
 まだ髪からぽたぽたと水を滴らせながら下着だけ着けた状態に、シャアは微笑み、それから眉を顰めた。

「アムロ……ウラキ君がいるのに、その格好で出てくるのは感心しない」
「いいじゃないか。別に珍しくもないだろ?」
 半端に濡れたランニングとトランクスが身体に一部張り付いている。
 コウはその姿に、初めてアムロと会った時のことを思い出していた。あの時は酷く暑く、上半身は裸か下着一丁、キースも含め三人で水を被ったものだ。
「君は、もう少し自覚を持った方がいい。そんな艶めいた姿、私以外の前に晒すものではない」
「…………そんな馬鹿みたいなこと言うのは貴方だけだろ」
「服を着たまえ。…………そう、ブライトが来るのだ。それでウラキ君に今テーブルの用意を頼んでいたのだよ」
「ブライトが!? 何しに」
 アムロの顔色が変わる。
 手帳を捲り直して、シャアは確認した。
「休暇だとかで……うん。ひと月前に、連絡があった様だ」
「……忘れる前に言えって何度言えば! ヤバい。……本気でヤバい。何時に来るって? 僕の部屋まで来るかな」
「午後になっているな。未だ間に合うだろう、多分」
 何処か飄々としていたアムロが取り乱し始めるのを見て、コウは首を傾げる。
 ブライトには幾度か会ったことがあるが、兄の様に、父親の様に、優しく温かくアムロのことを案じていた記憶しかない。
「ブライト大佐って、怖いの?」
「怖いっていうか……鬱陶しい、かな。口うるさいし。……せめてもうちょっと片付いてる時なら良かったのに」
「だから、ブライトは君ではなく私に連絡を取ったのだろう。君は、取り繕うから。……そうか、私はそれで、君に伝え忘れていたのか」
「そういう知恵だけ戻ってきてどうするんだよ!」
 アムロは部屋まで駆け込んで、チェストを開けるや簡単なシャツとスラックスを引っ張り出した。
 まだ濡れている身体を適当に服へと押し込むと、コウの腕を引っ張る。
「準備! テーブル運ぶんだろ」
「ああ、うん。何焦ってるんだ?」
「小言が面倒なんだよ。ブライトの趣味みたいなものだから。放っておくと一晩中食らう」

 テーブルに椅子も、男二人で運べば一度で済む。
 シャアの寝室へ運び込み、布を掛けて体裁を整えた。
「ブライト、紅茶党なんだよな。そんな所だけイギリス系気取らなくてもいいのに。……茶葉残ってたっけ」
「ないと思う。紅茶の香りを暫く思い出せない。茶請けもないのではないか? いつもは君が作ってくれるから」
「買うよ。今からじゃ面倒だ。コウ、付き合って。街まで戻って買い出しだ」
 棚に顔を突っ込んでいるが、目当てのものは見つけられないらしい。
「うん。でもシャアさん、一人で大丈夫か?」
「普段一人で暮らしてるんだから」
「そっか」
 仲良く連れ立って部屋を出て行こうとする二人に、シャアは眉を吊り上げた。
「待ちたまえ! 何故連れ立って行く!? ウラキ君が行ってくれればいいだろう」
 大体、この二人は仲が良過ぎるように見える。
 二十九にもなって、何故未だに手を繋ぐのか理解出来ない。
「……はぁ? コウはこの街初めてなんだから、店なんか分からないだろ」
 剣呑な視線でシャアを睨むが、シャアは引き下がらない。
「二人で行くことはないだろう、二人で。何をどれだけ買うつもりだ!」
「馬鹿には付き合ってられないな」
「せめて、君が一人で行きたまえよ」
 だだをこねる様子はとても三十四歳の元ネオ・ジオン総帥には見えない。
 アムロはこれ見よがしに大きな溜息を吐いた。
「コウ、行くよ。……他にないものなかったっけ? ま、気付いた時に買い出し行けばいいか。残りのセッティング、出来るか?」
「だから、どちらかが残ってくれればいいと」
「出来る所までやってろよ。リハビリのうちだ。……コウ、行こう」
「え? あ、ああ、うん。じゃあ、シャアさん、気をつけて」
「アムロ、ウラキ君! こんな身体の私一人を置いていくのか!? アムロ!!」
 アムロはコウの手を引っ張って部屋の外に連れ出すと、勢いよくドアを閉めた。
 中からは、それでも未だ泣き言が聞こえていた。

「ねえ、アムロ。何か、シ……じゃなくて、えっと、エドワウさんに冷たくない?」
 往来であの名前を口にするわけにはいかないことくらいは分かる。
 小さな街に相応しい小さな商店で簡単な菓子と、適当な茶葉を選びながら、コウはアムロに囁いた。
「そうかな。優しくしてやってると思うけど」
「でも、まだあんまり動けないんだろ、あの人」
 昔から、アムロは何処かシャアに対して突き放した物言いをする。
 自分自身のことよりももっといろいろと考えている癖に、素直ではない。コウが心配する程だから余程である。シャアも勿論気付いているのだろう。
 アムロは小さく首を傾けて、心配げなコウを見た。
 自覚は、ない。シャアのことなどどうでもいいと思っている。しかしそれと同じ程、放っておけなくもあった。
「そりゃあ……一時は植物状態から戻れないかもって言われてたし。それでも、今はトイレくらい一人で行ける様になったから、大丈夫」
 籠に箱菓子を幾つか放り込み、レジまで運ぶ。
「コウ、何か食べたいものある?」
「いや、お菓子はいいかな」
「昼は作るよ。あいつのはもう、作って置いてあるけど。コウは栄養補助食とかじゃ駄目だろ?」
 レジ横の箱を取って軽く振ってみせる。
「いや、手間だろ。いいよ、こういうので」
 コウはそれを取ってレジに置いた。財布を出そうとすると、アムロは商品を籠に放り込んでしまう。
「払うよ」
「いいって。面倒だから。コウ、どうせこんなのじゃ足りないだろ。食えるものは作れるから。シャイアンにいる間暇でいろいろやったから、腕はそれなりだと思うよ」
 支払いを済ませると、空かさず荷物はコウが持つ。
「少し野菜とかも買っていくから、付き合ってよ。午後から来るって事は、今晩泊まる気だろうし。コウも、泊まっていくだろ?」
「良ければ少し一緒にいようかと思ってるんだけど」
「歓迎するよ、って言いたい所だけど、シャアの家じゃないと泊まれないな。街に小さなインならあるけど」
「そうだなー……アムロの所じゃ無理だもんな」
 それ以前に、上がりたい気がしない。素直なコウは、素直に顔を引き攣らせた。
 表情に気付き、アムロは吹き出す。
「ベッドの上だけは空いてるよ」
「いや、それでもなー……」
「だろうな。僕もたまに、ドアを溶接して出て行こうかと思う」
 一度車に荷物を積み込み、隣の店へと入る。

 野菜や魚、肉に果物等まで買い込んで、シャアの家まで戻る。
 さすがにコウ一人に持ちきれるものではなく、半々に携える。やはり、二人で行って正解だったろう。
 一階の厨房に生鮮品を運んで、残りはシャアの部屋まで持って上がる。
「生きてるか?」
「…………生憎な」
 四人分のティーセットが美しく設えられていた。
 深みがありながらも鮮やかなセーヴルブルーに精緻な金の縁取り。アムロにはその価値など分からないが、コウはそれを見て感心した。どう見てもシャアの趣味である。
 ただ、椅子がまだ並べられてはおらず、テーブルクロスも少し歪んで皺が入っていた。ナプキンの折り方も何処かおざなりで、まだあまりセッティング出来ていない様に見える。
 しかしアムロは満足そうに微笑んでシャアの手と肩に軽く触れた。ただそれだけでシャアの顔に喜色が満ちる。
「貴方にしては上出来だな」
「そうかな。少しは動ける様になってきただろう?」
「ああ。じゃあ次の仕事。向こうの台で、皿に買ってきたお菓子を並べてくれよ。貴方、そういうのは得意だろ? コウは一階で買ってきたものの仕分け。生ものは冷蔵庫」
 まるで犬の調教師だ。的確に指示を与えて仕事を振り分ける。
 そして自分は、シャアが背を向けて菓子を開けている間にさっとテーブルクロスやナプキンを整えた。
 体調が完全でないばかりか手も足も、今は未だシャア自身の思う様に動かないことは知っていた。出来るだけのことをさせ、出来れば褒めてやる、それくらいの気遣いはあるし、シャアはアムロに褒められると本当に嬉しそうな顔をする。悪い気分にはならなかった。
 どれ程のことをしても、それがさも当然であると受け取られ、また自身でもその様に振る舞い続けてきたシャアは、単純な褒め言葉や憧憬に対して妙に弱い。
 案外上手く行っている様子にほっとしながら、コウは階下に降りた。

 人の目に触れる所は綺麗に掃除されている。
 アムロがしたとも思えないが、シャアも屋敷の掃除が出来る程動けはしないだろう。アムロだけではなく、シャアも普通に生活する上ではいろいろ能力に欠けていそうだ。
 業者でも入れているのだろうが、それはそれで不用心である。
 厨房も、手入れが良かった。絶対に、アムロではない。確信が持てる程に。
 とは言えコウもその辺りはそこそこ適当な性格をしている。魚も肉も野菜も買い物袋から取りだして大雑把に冷蔵庫へと突っ込む。
 親元から士官学校の寮生活、そして軍隊生活へ、と、身の回りの整理や私服の洗濯の他は範疇外である。料理も、野戦食ならともかく丁寧に厨房で調理する様なものは作れない。
 厨房を出て軽く一階を見て回る。
 ホール、厨房、階段、と、直ぐに目の付く辺りや普段使うらしい辺りはよく掃除されているが、他は大雑把にも見えた。
 ただ、幾部屋もある大きな屋敷にたった一人で暮らしている割りには、あまり冷たい印象はない。
 何となく……説明し難いながら何処か温かみのある空気があった。
 シャアが落ち着いているということなのだろう。そして、アムロも。
 友人がやっと手に入れた安定が、素直に嬉しい。自分に比べて、アムロはあまりにこれまでが不安定だった。

「やったよー、アムロ」
 階段を駆け上がってシャアの部屋にノックもせずに入る。
 中ではシャアとアムロが密着して立っていた。と、急にアムロはシャアを突き放す。シャアは堪えることも出来ず蹌踉めいて、ベッドへ倒れ込んだ。
「…………酷いな、アムロ」
「どっちがだ! 馬鹿っ!」
 アムロは酷く険のある……しかし何処か赤い顔で思い切りシャアを睨む。
「どうしたんだ? アムロ?」
「何でもないっ!」
 頬を膨らませる様子はとても今年三十路を迎えるとは思えない。
 テーブルのセッティングは完璧に終わっていた。
 菓子は丁寧に、これもまたセーヴルのプレートに並べられ、プレートに合わせた金細工のスタンドに三段にして掛けられている。
 その上へナプキンを広げ、アムロはコウに駆け寄り腕を取った。
「貴方は昨日用意してやったのを適当に食べてろ! 行こう、コウ。とびきり美味しいの、作ってやるから。簡単にパスタでいい?」
「いいけど……シャアさんは? 作り置きより、折角だから作ってあげればいいのに」
「あんなの放っておけ!!」

 勢いよくコウを廊下へ引っ張り出してドアを閉める。
 ドアを背にして、アムロはがっしりとコウの腕を掴んだ。
 顔が怖い。
「コウ、何も見なかったな?」
「何も……って、何?」
 今現在の自分とアムロ程の距離で二人が寄り添っていたのは見たが、取り立てて違和感を覚えてもいない。アムロが何を言いたいのか分からずに首を傾げる。
 本当に何も分かっていないコウの表情に、アムロは大きく息を吐いた。
 鈍感な友人というものは、こういう場合非常に助かる。
「……見てなかったならいい。……面倒だから、ペペロンチーノでいいか?」
 アムロはコウから手を離し、さっさと階段へ向けて歩き始めてしまう。
「何でもいいよ。アムロの手料理なんて初めてだし。手伝う」
「いいよ。手伝わせる程のことなんてないから」
「でも」
「パスタ茹でて、炒めるだけだぜ?」
「まあ……そっか」
 広い階段は大人の男二人が並んで降りても窮屈ですらない。
 二階から見れば、ホールのシャンデリアの大きさが痛感出来る。
「凄い家だなー……昔行ったことのあるお祖父様のお家みたいだ」
「……良くこんな所で落ち着いて暮らせると思うよ。僕は、身の回りのものは全部手の届く所にないと厭だ」
「維持するだけでも大変だもんな……うちは、相続した後は売りに出した」
「こんな物件、わざわざ選んで買うんだぜ。隠れ住んでる犯罪者だって自覚がないんだよ、あの馬鹿」
「でも、広いっていいよね。何か懐かしいな……」
 階段の手すりに半ば乗り上げる。そのまま滑り降りたそうな気配に、アムロは苦笑した。コウらしい。
「コウって……いいところのお坊ちゃんなんだっけ?」
「そうでもないよ。だけど……お祖父様もお祖母様も、こういうの好きだったから。古いお屋敷とか庭の薔薇には妖精が住んでるとか、子供の頃はいっぱい話聞かされて……信じてた」
「コウらしいな。うちの親父だとあり得なかったよ、そんなの。似てるんだろうな、僕は、多分親父に。お袋は、妖精とか……そういうタイプだった様な気がするけど……覚えてないし」
「今でも、居る気はするよ」
「どうかな…………コウが信じるなら、コウにはいるんだ。そういうものなんだって、最近分かる気がする」
「ああ……」

 ホールの毛足の長い絨毯に足の裏が付く。
 アムロは少し乱暴にそれを踏み荒らした。
「馬鹿だろ、シャアって。シャアも信じてたんだよ。妖精とか、そういう類のものを。僕以上に……何処までも現実主義者の癖に」
「……馬鹿じゃないよ。理想を叶える為に、現実を見て行動した人だ。その手段までは絶対に認めてはしまえないけど」
「馬鹿だよ。僕が理想に見えるか?」
「……見えるよ。少なくとも、僕には」
「じゃあ、コウも馬鹿だ」
「否定は出来ないなけどなー」
 コウには未だ、シャアの気持ちの方が近しい。手段は当然認められないし、シャアを止める為に動き、アムロを助けもしたが、それとこれとは少しばかり話が違う。
 アムロが手に入れた揺るぎなさには、夢を見たくもなるだろう。
 コウの知らない感覚とやらを、シャアが僅かにでも感じることが出来るのなら尚更だ。
「何もかも知ってる癖に、僕に夢を見てるから鬱陶しいんだよ、あいつは」
 吐き捨てる様に言うアムロに、コウは小首を傾げた。

「シャアさん、アムロのことが好きなんだよ、きっと」

「っ!!?」
 アムロは絨毯を蹴り踏み躙るのをやめ、目を丸く見開いてコウを凝視した。
 唇が震えている。呼吸が、止まっていた。
「……アムロ?」
 頬の色が青褪め、赤くなり、再び青褪めていく。
「どうした?」
「………………っ…………コウ……何……言ってるんだ……?」
「え? 違うのかな。僕もアムロのこと大好きだけど、それよりもっと好きなのかと思ったんだけど。そういうのって、NTの方が分かるんじゃなかったっけ」
 のほほんとした台詞に、きりきりと眉が吊り上がる。
「分かるかっ!! 分かって堪るかよ!!」
「えー?」
「何? コウ、昼飯抜かれたいのか!?」
「え、厭だ!」
「なら黙ってろ!」
 首根を掴んでコウを厨房へと引き摺っていく。
 と。

 突然破鐘が響く様な音が屋敷中に鳴り渡った。
「なっ、何!?」
「あー…………来た」
 コウは思わず耳を塞ぐ。
 アムロは音の理由を知っているらしく、軽く眉を顰めた。
 音は直ぐに止んだが、何処か耳の奥に残った。
「シャアー!! 開けるよー!!」
 二階へ怒鳴る。アムロの声は案外響きがよく、反響を超えて二階へと届いていく。
「何、今の凄い音」
「玄関チャイム」
「……え?」
「シャアの趣味。鐘楼があるんだよ、ここ。一階の奥が礼拝堂になってて、その上にあるらしくてさ……鳴る様に配線したのは僕だけど、酷いよな、やっぱり」
 玄関ドアに駆け寄る。
 覗き穴から外を覗き、小さく息を吐くと、鍵を開けた。

「久しぶり、なんだよな、そう言えば」
「お前、少し縮んだんじゃないか?」
 頭に手を置かれ、アムロは口を尖らせて相手を睨む。
「うるさいな……ちょっと痩せたけどそれだけだ」
 開けた扉から現れた姿に、コウは少しばかり気後れして立ち止まった。
 アムロやシャアより少し近寄りがたい気がするのは、二人以上に接したことがないからだろうとは思う。だがそれ以上に、落ち着いた雰囲気とアムロですら一目置いている男だという部分が大きい。
 品のいいスーツに身を包んで、酒と思しき箱を手にしている。ブライトはアムロの肩を抱いて屋敷の中に入ってくる。
 アムロも口では厭がる様なことを言う割りに、満更ではなさそうな表情だ。
「シャアは、未だ生きているのか?」
「生憎ね。しぶといったらないよ」
「お前も相変わらずだな。…………ん?」
 アムロの後ろにいたコウと目が合う。意外そうな表情を一瞬見せたが、それは直ぐに柔らかい笑みに変わった。
「コウ・ウラキ少佐、久しぶりだ」
「ご無沙汰しています」
 プライベートだ。敬礼ではなく、軽く頭を下げる。
 軽く頷いて、ブライトはコウに手を差し出した。固く握って握手をする。
 三月にあった戦いの後、会う機会などなかった。互いの労を労う。
「本当に……友人だったんだな」
「何? 疑ってたのか?」
「当たり前だ。お前みたいに屈折した扱いづらい人間、ウラキ少佐が気の毒だろうが」
「何だよ、それ」
 頬を膨らませる様な仕草はシャアに対した時とも、コウに対した時とも違う。
 コウは笑みを抑えきれなかった。確かにアムロの家族なのだ、ブライトは。

 その顔を見て、アムロは首を傾ける。
「何だよ、にやにやして」
「え? いや、良かったなーって思って」
「何が?」
「アムロにも、ちゃんと家族がいるんだなって」
「家族?」
 アムロとブライトは顔を見合わせた。お互いに少し困惑した表情だ。
「俺はこんな身内は要らんな」
「俺だって要らないよ、ブライトみたいな親父とか兄貴とか、鬱陶しい!!」
「何だと?」
「口うるさいし、頑固だしー」
「お前がちゃんとしないからだろうが。大体、相変わらず何だ、そのだらしのない格好は。シャツは入れるなら入れる、出すなら出す。……また濡れたまま着たんだろう? 皺も酷いし、髪ももう少し何とかしないか。まったく、そういう所は本当に十四年も成長しないんだからなお前は」
 シャツの裾をスラックスの中に入れ込もうとする手から逃れ、アムロはむくれてコウへと言わんことはないという視線を送った。
「親父がブライトみたいじゃなくてホントに良かった」
「……ブライト大佐みたいなお父さんだったら、アムロ、もう少し片づけできるようになってたんじゃないか?」
「ブライトが親父でも、どうせ側にはいないじゃないか。んー……ミライさんみたいなお母さんはいいなって思うけどさ」
「人の妻を狙うな。子供は二人で十分だ」
「取られるか心配なんだろ」
「馬鹿を言え。お前にやれるか」
 降ってくる拳骨を躱して、アムロはコウの腕を引いた。
「ブライト、昼飯は? 俺とコウはこれからなんだけど」
「食ってきた。もういい時間だぞ。まったく……お前はだから不摂生だと、」
「シャアに言えよ。あいつ、ブライトが来ること俺に言わなかったんだぜ。慌てて準備してたら飯なんて遅くなるのは当たり前だろ」
「……俺はひと月前には連絡を入れたぞ」
「何で俺に直接連絡しなかったんだよ。それなら忘れなかったのに」
「お前に直接言えば、いろいろと誤魔化すだろうが。この間は何だったか……部屋をもう一つ借りて俺をそっちへ入れたんだったか?」
 アムロより一回り大きな手が伸び、首根を掴む。アムロは咄嗟に首を竦めた。
 コウは呆れて素直にアムロを差し出した。
「コウ! 薄情者!!」
「ブライト大佐だって心配するよ、アレじゃあ……」
「君は見たのか、アムロの部屋を……」
「はい。見てしまいました」
 見なくていいなら別にわざわざ見たいものでもなかった。出来ることなら見なかったことにしたい。
 引き攣った顔に、ブライトも全てを悟る。
「戦艦内だけは殆ど散らかしたことないだろ!」
「それは持ち込めるモノが少なかったからだろうが!!」

「何を騒いでいる!」
 怒声が、響いた。

「……ブライト、その手を離して貰おうか」
 声音に怒りが充ち満ちている。
 二階の段上で、シャアが手すりとステッキに縋りながら階下を見下ろしていた。
「久しいな、ブライト。元気そうで何よりだ」
「ああ。……無事で何よりだ、貴方も」
 逃れようと藻掻いていたアムロが、ふと動きを止め、反対にブライトに縋る様な仕草を見せる。
 シャアの眉が吊り上がった。
「アムロ、食事はどうした。ウラキ君に食べさせてやるのではなかったか?」
「ブライトも来いよ。美味しいよ」
「俺は食ってきたと言っただろう」
「ほら、アムロ」
「コウと二人なのはいいのか? 馬鹿だろ、貴方」
 ブライトに腕を絡める。ブライトは複雑な表情で、階上のシャアを見上げた。
 憤死しそうだ。
 呆れて視線を彷徨わせると、同じく呆れているコウと目が合った。苦笑し合う。
 半年程前のことが、夢の様だ。
 こんな、平和な言い争いなど。

「アムロ、シャアの相手は俺がしているから、さっさと昼飯を食ってこい。お前が食べる気になってるだけでも珍しいんだからな」
「ああ。頼むよ。その鬱陶しいの、どうにかしといて。行こ、コウ」
 首から手を離して貰い、アムロは空かさずコウの手を取った。
 それはそれで、苛立つ。
 シャアは思わず、反射的に一歩を踏み出そうとした。
 しかし。

「シャアっ!!」
 アムロが叫ぶ。
 シャア自身が自覚するより早かった。
 コウの手を振り払い、階段を一気に駆け上がる。
「っ、く!」
 僅かに遅く、シャアの息を呑む音がした。
 踏み出した先には、地面がない。段差に足がついていかない。咄嗟にステッキで支えようとしたが、段の角を滑る。
 コウもブライトも直ぐに続いたが、間に合わない。
「つ、っ……まったく!」

 アムロがただ一人、何とか間に合ってシャアを支えていた。
「何考えてるんだ! 自分の身体のことくらい、弁えろ!!」
 片手は手すりに縋り、もう片手はアムロに縋っている。
 落ちるのは、さすがに無事では済まない。
「馬鹿か、貴方は!」
「…………そう怒鳴ってくれるな……身に染みている。だが……ふふ。嬉しいものだな、アムロ」
 アムロに縋っている手が、そっとアムロの腰を抱く。
「君はやはり素晴らしいよ。誰より、何より早く私に気付いてくれる」
「事故なんかで死なせて堪るか。寿命でもないのに」
「ああ…………」
「だから、触るな」
「っ……痛いな……」
 妖しい手の甲を思い切り抓る。
 そして、追いついて来たブライトに、無理矢理引き渡した。
「シャアの部屋に行っててよ。本当に、鬱陶しいから」
「アムロ、もう少し優しくしてやれ。またあんなものを落とされたのでは敵わん」
「優しくしてやりたくないんじゃない! シャアが悪いんだろ!!」
 シャアをブライトへと押しつけ、自分は階段を駆け下りる。
「コウ、飯食べたけりゃ厨房に来いよ!」
「ああ、うん!」
 駆け去るアムロを尻目に、コウはブライトを手伝ってシャアを二階へ上げた。

「愛らしいな、アムロは」
 手すりとブライトの肩に支えられて人心地つき、シャアは全くのんびりとした口調でそう宣った。
 ブライトは頭痛を覚えて思わずこめかみへ手を遣る。
「アレがか? 貴方の頭の中も、余程めでたいらしいな」
「可愛いものだろう? アムロは私を全て分かってくれている」
「私から見ても貴方は分かり易いんだがなぁ……。ああ、ウラキ少佐、もう構わない。アムロの所へ行ってやってくれ」
 部屋まで付いて行こうとするコウを制し、ブライトは微笑む。
「私もこの男の事は鬱陶しいから、早く戻ってくれると助かるが」
「……アムロも、大佐も、シャアさんには何となく冷たいんですね」
「優しくなれる方がどうかしているだろう?」
「それは、そうなんですけど……僕は、この人の事嫌いになれなくて」
「私達もそうだ。完全に嫌い、憎んでしまえるなら、どれ程楽だろうな。地球連邦に通報してしまえるのだから」
 軽く肩を竦める。
 シャアは、さり気なく二人から視線を外した。
 自身のしでかした事は勿論理解している。この生活が、彼らの好意の上に成り立っている事も分からぬ程愚かではないつもりでも、いた。
「シャアさんを捕らえて処刑してしまったら、アムロが苦しむんだろうって分かります。だから、通報なんて出来ない」
「ああ……君の様な友人がアムロに出来て、本当に良かったと思っている」
「じゃあ、お昼ご飯、貰ってきます」
「あいつが待っているだろう。行ってやってくれ」
「はい!」

 さっと作られたペペロンチーノは、しかし、店で出しても通用する程の味わいだった。
「シャアさんいいよなー。こんなの毎日食べられるんだ」
「作りたては二日に一回だよ。後は作り置き」
「そんなに遠くないんだから、毎日作ってあげればいいのに」
「厭だよ。そんなに頻繁にここに来るのなんて。一日置きでも苦痛なのに」
「アムロってさー……シャアさんの事、嫌い?」
「えっ?」
 思いがけない問いかけに、一瞬戸惑う。
「嫌い……嫌いだよ、あんな奴。エゴイストが過ぎる」
 答えのトーンは、何処か沈んでいる。
「アムロ……だけど、あの人がいなくなっちゃうのは、もっと厭なんだろ?」
 アムロは答えない。
 食べ終わった食器をシンクに置き、コウはアムロの顔を覗き込んだ。
「……行こう。待ってるよ」
「ああ……ブライトが可哀相か」
 折良く、茶を入れる為に沸かしていたケトルが沸騰を告げた。

 茶会は、コウの存在もあってそれなりに和やかに進められた。
 シャアの隣にはコウが、向かいにはブライトが座る。
 アムロは主に真正面か横を向いて話した。露骨にシャアを避ける。
 ブライトはその様に呆れ、コウは少しばかり悲しむ。仲良くして欲しいのだ。それが、ただの理想の押しつけだと分かるから口には出せないが、そう願う。
「ブライト、手土産は何?」
「お前にじゃないぞ、これは」
「いいじゃないか。どうせみんなで開けるんだし」
「大したものじゃない。お前達の口に合うかは知らないぞ」
「いいよ。好みじゃなかったら料理に使う」
 包みの包装を適当に破り、中の酒瓶を取り出す。
 緑の瓶に中は黒々と見えるワインだった。
「ボルドーか。悪くない」
「一世紀もののシャトー・ラフィット・ロートシルトとはいかんがな。薄給なんだ、許してくれ」
「俺、あんまり古過ぎるの好きじゃないし。……へぇ。ブライトにしては気が利いてるじゃないか。0079年ものって。シャトー・ラトゥールなんて言ったら、大奮発だろ。夕食は手を抜けないな」
「お前達に半端なものは持って来られんだろうが。ミライが知っていて良かったよ」
「持つべきものはお嬢様な奥さんか」
 一年戦争で父親を失ったとは言え、ミライは一人っ子の上に実家は名家中の名家である。
 昔の屋敷の地下には立派なワインセラーがあった。殆どは手放していたが、それなりの知識は持っている。
 瓶を見ているうちに、シャアは昔を思い出していた。
「ウラキ君は、赤ワインは飲める様になったか?」
「飲めますよ。……ああ、そういえば、昔、一緒に飲んだんでしたっけ。あの頃は少し苦手だったけど」
「こんなのと飲んだのか? 何もされなかった?」
「えー? 何かあったっけ…………クリスマスプディングとアムロにあげた指輪と……えっと……ターキーと……ああ、そう言えば、何か凄い間近でシャアさんの顔を見た気がする。結構酔ってたし夜も遅くて眠かったからあんまり覚えてないんだけど。その節はたくさん奢って貰ってありがとうございました!」
 ぎろり、とアムロは射殺せそうな視線をシャアに向ける。
 シャアは微かに青褪めて、視線を逸らせた。0085年のクリスマスのことは、覚えては、いる。
 コウがあまりに可愛らしかったので、軽く触れた。それだけの事ではあるが、ただの親愛と言うだけではない口付けだ。
 その表情にアムロは大体を悟り、益々シャアをきつく睨んだ。

「コウが何か可愛いのは分かるんだけどさ。最低だよな」
「何を言う。愛らしいのは君だ」
「……皿投げつけられたい?」
「貴重な品だ。大事にして貰いたいな」
 セーヴルブルーの美しいソーサーを掴んで投げつけようとするアムロを何とか引き留める。
「400年ほど前の美術品だぞ、それは。取り戻せない美しいものは、大切にして貰いたいな」
「そんな芸術品、使わない方がいいんじゃないか?」
 ブライトは至極まっとうな事を言ったが、NT二人には通じない。
 本当に、仲がいいのか悪いのかよく分からないが、あまりに下らない内容だ。平和な事だけはよく分かる。
「程々にしておけよ。今日俺は、胃薬も頭痛薬も持ってきてないんだ」
「こいつに言えよ」
「お前もだ、アムロ。下らない事で言い合うな。ウラキ少佐が呆れているだろう?」
「いやー……仲良く喧嘩出来ていいですよね」
「何だよそれ。仲良く喧嘩って」
「小さい頃、そんな事言ってる古いアニメフィルム見た事がある。平和だって事だ」
 敵だった二人が、果てしなく下らない事で口論できる程には。
 にこにこと楽しげなコウに毒気を抜かれ、アムロはソーサーをテーブルに置いてカップを乗せる。

「……敵わないな。ウラキ君には」
「コウが言うなら、仕方ないよな」
「………………ウラキ少佐は、本当にこんな奴らと知り合いでいいのか?」
「えー? 何でですか?」
「分からないから、いいんだよ、コウは」
「えー?」
 コウは承服しかねたが、自分以外の三人が納得した風な様子を見て首を傾げながらもそこで引き下がる。
 その顔を見て、アムロは思い出した事があった。
「そうだ。今日、コウをここに泊めてやってよ。ブライトも泊まるんだろ?」
「そのつもりだったが……用意がないなら別に構わないぞ。そこの町にインくらいあるんだろう?」
「今晩はどうせ寝ないよ。飲むだろ。シャア以外は」
「シャアさん酒強いんじゃなかったっけ」
「この身体で飲ませられるか。指銜えて見てろ」
「せっかくのブライトの土産だ、一口は貰いたいな」
「ブライトは、引き続きシャアの相手しててよ。コウ、寝床どうにかするから手伝って」
「うん。……アムロの家は絶対無理だもんな」
「言うなよ」
「…………後で見せて貰うぞ、アムロ。ミライが気にしているんだ。フラウもな」
 げんなりした顔で、アムロは恨めしそうにブライトを睨んだ。冷たく睨み返されて、思わず怯む。
 ロンド・ベル全艦を指揮していたブライトの迫力は、シャアに勝るとも劣らない。それどころか、エゥーゴ時代の実績を考えればシャアを凌ぐものですらある。
 アムロは身を竦ませ、ブライトの隣から逃げる様に席を立ってコウの後ろへ隠れる様に寄った。
「時間ないな」
「もう十分に飲み食いしたし。やろうか」
「じゃあ、ブライト、頼む」
「分かっている。任せておけ。子守は得意だ」
「私は子供か、ブライト」
「うちの娘の方が余程聞き分けがいいぞ」
「くっ……」
 分が悪い。
 不満げな表情を見せながら、連れだって部屋を出て行くアムロとコウを恨めしげに見送る。

「ブライト、君は大体アムロに過保護過ぎはしないか」
「それは貴方でしょう。アムロも貴方を甘やかせるが、貴方もアムロを甘やかせ過ぎる」
「……アムロは私に優しい。そのお返しをしたいだけだ」
「…………止めはしないがな。今の状況を。アムロにも、貴方にも……少しばかり甘える程の休養は必要なのだろう?」
「それを分かって貰えると助かる。……私はね、今、幸せなのだと思うのだよ。きっと……そう感じては、いけないのかも知れないが」
「いや。……そうしていてくれた方が、私達も平和だ」
「出来れば、ずっとこうしていたい……罪深いな」
「相変わらず、考えすぎるな、貴方は」
「アムロといて、話をしている時だけは、それを止める事が出来るのだよ」
 シャアは微笑み、紅茶の入ったカップを両手で持って口を付けた。
「罪はみんなで分かち合っているものだ。貴方一人ではない。貴方を差し出さない、私も、アムロも……同じ事だ」
「ああ…………私の足下には、数多くのものが積み重なって、私を支えている。君達も、その一部なのだと……分かっているよ」
 ドアを振り返る。
 まだ微かにアムロの気配が残っている気がして、シャアは満ちていく笑みを抑えられなかった。

「シャアさん、柔らかくなったよな。本当に」
「柔らかい……か。そうかな」
「そうだよ!」
 倉庫にしている部屋から古く簡素なベッドを引っ張り出す。
 シャアの部屋に設えられている様な天蓋付きの大きなものは二人で運べないが、昔どうやら使用人が使っていたらしい簡素なものなら男、それも軍人二人の腕力なら十分に運べる。
「幸せそうでいいよな。アムロもだけど」
「幸せ? 僕達が?」
「そうだよ。ホントに、良かった!」
「コウがそう言うなら、そうなのかな……」
「そうだよ。ありがとう!」
「何が?」
「アムロに理想を押しつけたくはないんだけど……それでも、シャアさんとアムロが仲良くできるって、知る事が出来たから。僕になかった時間は、アムロ達にはちゃんとあったから。良かったなって思うし、僕が見られなかった世界を見せてくれて、ありがとうって!」
 ベッドを二階まで運ぶ。
 広い屋敷だが、電気の通っている部屋は限られていた。配線はアムロがしたので使える部屋は分かる。
「まだ……これからだけどな。半年じゃ、いろいろ整理もつかないし」
「これからなんて、尚更たくさん時間はある!!」
 部屋の一つへベッドを運び込み、もう一度一階の倉庫へ戻る。
 階段を駆け下りるコウの勢いに、アムロは目を細めた。
「いいよな、コウって」
「えー? 何が?」
「そういう、前向きな所がさ」
 階段を下りきった所でコウはまだ階段の半ばにいるアムロを見上げた。
 アムロと友人で良かった。先の世界を見る事が出来た。
 アムロに手を差し出す。
「アムロも、いいよ! 僕はアムロが好きだ! 楽しいし、アムロといると嬉しいから!」
 階段を下りる途中で、思わずアムロは立ち止まった。
 自分に向けて伸ばされた手を眺める。
 自分より少しばかり大きな手。
 この手に引っ張られ、僅かにでも前に進んだ幾度かの経験がひどく懐かしい。

「もう一つ、早く運んで戻ろう」
「ああ。…………ああ!」
 残りの階段を駆け下りて、コウの手を掴む。
 繋ぎ合った手は、もう離さなくていいのだ。
 アムロはやっと、満面の笑みを浮かべた。


作  蒼下 綸

戻る