シャア・アズナブルが行った血の粛清とでも言うべき愚行から、一年。
感慨深く降り立った地球は、まだ大地が騒いでいる様だった。
一度だけ会ったその人は、自分と約束してくれたというのに……結局、守ってくれなかった。
生きているのか、死んでしまったのかも分からない。
地球圏に戻ってきて直ぐにニュースのデータベースを攫えたが、戦死もしくは行方不明。どうなったのか分からないのが現状なのだろう。
ブライトに聞けば何か分かるのかも知れない。
しかし、未だ軍籍にあるブライトに連絡を取る気にも何となくなれず、まずは妹の所へ向かうことにしていた。
付き合っていたルー・ルカとは、地球に降りるや別れてしまった。衝突と、別れ、そして縒りを戻し……それを繰り返しているから気にもならない。完全に纏まってしまう様な関係ではいられないと言うことは、分かっていた。
「お兄ちゃん!」
エアポートまで迎えに来てくれた妹は、また一層レディらしく育っていた。
傍らには、美しい女性。木星へ行く前に一度会ったことがある。リィナを助けてくれて、今日まで面倒をみてくれた人だ。
「良かったぁ、無事に帰ってきてくれて」
木星はまだまだ未知の場所だ。リィナは溢れる涙もそのままに、兄に飛びつく。
「一緒に暮らせるのよね。そうでしょう?」
「ああ……暫くはね」
「暫くって」
「未来のことは分からない。……心配すんなって」
妹の目元を手で拭ってやって、肩を抱く。
十六歳になった妹は、記憶にあるよりずっと大人びた。美しくなった。
生まれがシャングリラだとは思えない程、淑やかで、上品に育ってくれた。
側の女性に向き直って、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました! リィナの面倒を見てくれて」
「いいのよ。私も楽しかったから。本当の妹が出来たみたいで」
微笑んでくれる顔は、何処かで見た気がする。その、木星へ旅立つ日よりも、その前に。大体、あの時はリィナのことで一杯で、この女性の顔まであまり覚えてはいなかった。精々その美しい白金髪くらいのものである。
気になって、思いつくままに尋ねる。
「セイラさん、お仕事なんだって言ってましたっけ」
「福祉関係を中心に、いろいろ手広くさせて貰ってるわ。だからリィナのお手伝いも出来るの。言っていなかったかしら」
「ううん。何となくは聞いてます。そういうのじゃなくて……何か、誰かに似てるなぁ、って思って」
「似ている?」
顔色が僅かに変わる。
「あ……と、済みません。その……笑い方とか、綺麗なとことか。目の色とか、プラチナブロンドとか……えっと……」
誰に似ているのか……何処が似ているのかを考えていくと、一つの顔に行き当たる。
「その人は…………男の方かしら」
微笑みが消えている。
妙に怖い声に聞こえて、ジュドーは首を竦めた。
「そう……です」
「…………そう…………その事は、あまり言って欲しくないわね」
思い浮かんだものがものだっただけに、ジュドーは素直に頷いた。それはそうだろう。世紀の大犯罪者に似ているだなどと……他の人にも言われたのかも知れない。
だが、そういうことではない様にも思えた。
地球圏に戻ってきてから、自分の知覚の幅がやはりどうも普通の人間と違うらしいのは分かっている。その感覚がそれを告げている。
「もう! お兄ちゃんったら! ごめんなさい、セイラさん。お兄ちゃん、全然子供のままで」
「そういう言い方はないだろ、リィナ。まだ慣れてないだけだよ」
「いいわね。仲のいい兄妹って。……ここで立ち話もどうかと思うわ。屋敷に招待しましょう。そこでなら、長話も出来るから」
郊外の一等地に建つ壮麗な屋敷に案内され、ジュドーは目を丸くした。
地に足をつけているだけでも不思議な感じがするというのに、こんな見たこともない様な屋敷の中に踏み込むなんて論外だと思う。
リィナはここで暮らしているらしく、何の戸惑いもないのが分かり、ジュドーは本当に感動した。
本当に、立派な淑女だ。
通された応接室で綺麗なカップに注がれた紅茶を出されても、ジュドーではどうすればいいのか分からない。
「……ホントにもう……貧乏性なんだから」
「しょうがないだろ。ずっと宇宙船の中にいたんだから」
「本当に、仲が良いのねぇ…………羨ましいわ。とてもいいお兄さんで」
「セイラさん…………そういえば、セイラさんにもお兄さんがいらっしゃるって」
セイラの顔が強張る。
リィナは慌てて自分の口を覆った。
「ごめんなさい!」
「…………いいのよ。ここなら」
儚い、寂しそうな微笑み。
しかし直ぐにそれは掻き消え、瞳に鋭い光が射す。
その鋭いままに視線を送られ、ジュドーは微かに身を竦ませた。
「ジュドー、貴方、さっき私がある男の人に似ているって言ったわね。貴方は、その人を知っているの?」
優雅な指がカップの柄を摘み、口元に運ぶ。
洗練された動きの一つ一つも、威圧感に似た雰囲気も、どこか似ている様に見えてジュドーはこくりと頷いた。
「もの凄く綺麗な人です。貴女も、勿論綺麗だけど…………怖いくらい、綺麗な人。一回だけ会って、話をしました。こっちに戻ってきてからニュースを探したけど……死んじゃったみたいで。……残念だなって思います。これ、返さなくちゃいけなかったのに」
荷物の中から一つの黒いスクリーングラスを取り出す。
どうしても手放せなかった、男との唯一の繋がりだった。
セイラは、深く長い溜息を吐いた。
「綺麗……ね。本当。馬鹿みたいに綺麗だわ、兄さんは」
ソファの背に凭れ、セイラは淑やかさを崩さないままに足を組んだ。
何処か凄味のある目でジュドーを見詰める。
「あの、それって」
また、儚すぎる微笑みを浮かべる。
ややあって、セイラは口を開いた。
「シャア・アズナブルは、私の兄。貴方みたいに、いいお兄さんなら良かったのだけど」
「ああ…………」
驚くというより、納得した。
確認してから顔を見ると、やはりとてもよく似ている。
「じゃあ、これ……貴女に。お墓にでも供えて下さい。約束守れなくてごめんなさい。だけど、守れなかったのはお互い様、って」
「……お墓は、ないのよ」
「…………ああ、そっか…………宇宙で死んだんだもんな……でも、じゃあ、それ、貴女が持ってて下さい」
「そういうことではないの。…………そうね。貴方は兄に巻き込まれてしまった人の一人だから…………あの人を殺すくらいの権利はあるわね」
側に控えていたメイドに目配せをすると、セイラの前にペンと紙が差し出される。
さらさらと何かをしたため、ジュドーの手に握らせた。
「そのスクリーングラスを持って、そこへ行ってご覧なさい」
「え? これ……」
「でも、その前に十分リィナと過ごして頂戴ね。この六年、もの凄く寂しそうだったのだから」
取り敢えず三日程をだらだらと、それなりに楽しくリィナの側で過ごし、セイラからも地球の近況をつぶさに聞いた。
木星行きというのは自分と世界の可能性の為ではあったし当時はまだずっと子供でよく分かっては居なかったのだが、リィナに預けた通帳の中身はとんでもないことになっていた。
リィナに家をくれたり、保証人だとか親代わりだとかになってくれていたセイラだが、ジュドーが自分の稼いだ金でリィナをいい学校へやれていたことに気付いたのはこの時だった。
危険を伴う長期の仕事だ。欲のないジュドーにセイラは微笑んだ。
地球で帰る家はここだと思って欲しい、そう言われて、出来る限りの言葉で感謝する。
こんな屋敷がそうだとは思えないが、リィナの居る所なら何処でも自分の家になる。
しかし、楽しくはあったが根が貧乏性なもので、怠惰な日を過ごすのは三日が限度だった。
会った初日にセイラに渡されたメモに記された住所は、車を飛ばして一日ほどの場所だった。
一台をセイラに借りて、舗装が十分でない道を行く。
何があるのか、詳しくは聞かなかった。
行けば分かるだろうし、それも無駄足ではないだろう。その程度にはセイラを信じている。
リィナを連れて行こうかとも思ったが、学校がある。休ませるのは厭だった。
薄曇りの空の下、車はひた走る。
辿り着いたのはもうすっかり暗くなってからだった。
古びた大きな屋敷だ。セイラの屋敷と同じ程だが、明かりがついて居なければ廃墟だと思ったことだろう。
庭は荒れ放題で、屋敷の壁も所々壊れている。
「ごめんくださーーい!」
玄関にも廊下にも灯っている。誰かはいるだろう。
「ごめん下さいってば! 誰か居るんでしょー!?」
視線に似たものを感じて見上げれば、監視カメラが付いている。
その真ん前に立って、じっとレンズを見た。
「セイラ・マスさんから教えて貰ってきました! 入れて下さいよー」
頬をぷぅっと膨らませる。
「夜分遅くすいませんってば! ねぇー」
ノブに手をかけがちゃがちゃと……鳴らす前に、かちりと小さな音がした。
鍵が開いたのが分かる。
半ば諦め駆けていたジュドーは少し驚き、それでも気を取り直してドアを開ける。
中に入ると、ドアが独りでに閉まり、再び鍵が閉まる。
「うわっ…………びっくりさせるよなぁ……」
あまりにクラシカルな家なので、どうも自動式なのが馴染めない。
玄関ホールはそれなりに明るかったが、蛍光灯ではなく白熱球が殆どで何処かほの暗い。
「お邪魔しまーす」
誰か居るのは分かった。
取り敢えず声をかけて奥へ入る。探検気分だった。ジャンクの山を漁るのと変わらない。
「出てきてくれないと、一つ一つ部屋を荒らすぜー!」
取り敢えず宣言する。
じじっと電球が音を立てた。
「……何だよ……もう…………」
機械仕掛けの家なのは分かる。何処かで常に歯車が動いている様な、そんな音がする。
ホールに置かれた時計もまた古そうで、振り子式の大きな置き時計だ。かちりかちりと秒針の進む音が規則正しく響く。
お化け屋敷の様だ。
人の気配はしないでもない。ジュドーはそういったものに敏い。
取り敢えず一回から見て回ろう、そう思って階段横を擦り抜けようとした、その時、
「そちらではないよ」
声が、掛かった。
弾かれた様に階上を見上げる。
二階へ続く階段の上へ、背の高い男が立っていた。
「あ…………っあ、あんた……やっぱり!!」
背が高い、と言っても、今のジュドーとはそう変わらない。むしろ、少しジュドーの方が高くさえある様だ。
白金の髪に整った顔立ち。年相応に落ち着きのある風情。
ガウンを着て、片手にはステッキを持っていた。
記憶の中にある姿よりは幾分年輪を刻んだ様子はあるが、たかが六年。十分に想起できる。
「……よく来たものだな…………アルテイシアから聞いたとか」
「誰それ。俺は、セイラさんから教えて貰ったんだ」
片足を引きながら下りようとする男の下へ、急いで階段を駆け上がる。
「セイラ・マスだろう? 私、エドワウ・マスの妹だ。彼女は。元の名はアルテイシア。そう……前に会った時に言った様に思うが」
「ああ…………ああ!!」
足が悪いのは分かったが、飛びつかずには居られなかった。
生きていてくれた。
その事が、こんなに嬉しいとは思わなかった。
「…………済まないな……君を待てなかった」
「俺だって……あんなに大きなこと言ったのに……可能性はいっぱいある所だったけど、あんたを幸せにする方法は見つけられなかった」
抱き止めてくれた腕は、記憶にあるよりずっと細い気がした。身体もだ。何処か、頼りない。
自分が育ったこともあるだろうが、男も窶れたのだろう。
「これ、返しに来たんだ。前の時、忘れてたから」
ポケットからスクリーングラスを取り出して、男の顔に無理矢理かける。
それなりに似合いはするが、やはりその綺麗な顔を隠してしまうのは勿体ない。
「うーん……やっぱない方がいいな。せっかく綺麗なんだから」
「私を覚えていたとはな」
「俺、美人には弱いんだよ。あんた程強烈なら尚更」
「大した口説き文句だ」
男は微笑んだ。
「それにしても、よく生きてたなー……死んだとか行方不明とかは調べてみたんだけど」
私室に通され、目の前に酒とグラスが置かれる。
ジュドーももう大人だ。そういうもてなしが嬉しかった。
「死んだよ、シャア・アズナブルは」
「そうじゃないと……あんた、何回死刑になったって足りないし」
「それはそうだな」
ジュドーに向けられたグラスには酒が満たされる。
反対に、シャアのグラスにはほんの僅か、唇を湿らせる程度に注がれた。
「飲めないの? 何か強そうに見えるんだけど」
「医者から禁じられている。過ごすと……あちこち痛むしな。まあもう暫くの辛抱だろう」
「怪我、酷かったんだ」
「まあ……そうだな……。生き残ったのが奇跡だと言われた。アムロが守ってくれたから、私は生きているのだろう」
「アムロさん……あの?」
「知っているのか?」
「そりゃあ、名前くらいはね。ブライトさんとかに言われたし」
「ほう……そうか。そういえば、ハマーンと戦ったと言っていたな。アムロの名くらいは、聞くか」
シャアは嬉しそうに微笑んで、微かにグラスへ口を付けた。
前に会った時は、その張り詰めた様な美しさが怖かった。それが、今は解けている。アムロの名前を口に出来るだけで嬉しいとでも言わんばかりだった。
ジュドーもグラスを口にする。
「美味い!」
「……そうか。それは良かった。アムロはこれがあまり好きではない様でね」
「そっかー…………って……えっ? アムロさんも、生きてるのか? アクシズに最後まで残ったシャア・アズナブル、アムロ・レイ、共に行方不明、または戦死って読んだけど」
「……彼が死んで、私が生き残ることなど、ないよ」
アムロが生きていることが嬉しくて仕方がない様な顔で笑う。
失敗して良かったのだ。ジュドーはその顔を見てほっとした。
シャアからは、血の匂いが消えている。納得したのだろう。自分一人の力では変えられないということに。
「だが、まさか君が来てくれるとは思わなかった。希に君のことを思い出さないではなかったのだよ。私を案じて、口付けまでくれたからな。君との約束を違えることに、全く躊躇わなかったわけではないのだ。だから……アクシズを落とそうと思った。個人的感情もあったが……それだけではなくてね」
「もう……いいんだ。あんたは失敗したけど、ここで生きて……もう一回立とうなんて気、失くしてるから。死んでいた人達のことさえ分かっていれば……」
「優しいことを言う。アルテイシアもアムロも、未だに許してくれんぞ」
「許してるよ。あんたが分かってないだけだ。…………あんたを裁いた所で何になる。地球で過ごしてる、それだけで、十分にあんたにとっては罰だろ?」
殺す権利はある、だなどという言い方をしていたが、セイラにそんなつもりはないのは瞭然としている。
「……随分と……優しい罰だな」
「朽ちていく地球を見せつけられること。それから同じくらい、あんたが潰せなかった美しいモノを見せつけられること。あんたみたいな人には、よっぽど堪えると思うけど。殺されるなんて、あんたどうでもいいだろ?」
シャアは微笑む。
やはり、本当に綺麗に微笑む男だった。
その顔は、ジュドーの考えを否定していない。
「……おめおめと生き残るとは、考えていなかったよ。何の為に膳立てをしたのだかな」
再び唇を湿らせ、椅子に縋りながら立ち上がろうとする。
ジュドーはそれを制して自分が先に立った。
「何が要るの?」
「ああ…………いや、つまみを忘れていたと思ってな」
「何処?」
「そこのサイドボードの中にある」
「了解」
示された棚へ寄って、ナッツの袋を幾つか取る。
「動く前に言ってよね。あんた、身体悪いんだからさ」
「……そうか。そうだな。君は優しい」
「当たり前じゃん」
「アムロは動けと言う」
「それだって、多分優しさだろうけど」
「分かるのか?」
「会ったことないから、多分だけど。あんたに早く元通りになって欲しいって事じゃないの?」
袋を広げ、テーブルに置く。シャアが取る前に、ジュドーは何個かを掴み取って口に放り込んだ。
「食事は?」
「食べたよ、一応。直ぐそこの町で」
「大したものはなかっただろう? 取り寄せようか」
「いいよ。そんなに腹は減ってないし」
「そうか。てっきり腹ぺこなのだと思ったよ。掴んでなぞ喰うから」
「悪かったね、行儀悪くて」
べ、と舌を出してみせる様子はまだあまりにも子供だった。
「君は……幾つになったのだったかな」
「二十! 今年で二十一になるけど」
「ふむ…………羨ましいものだな。その、真っ直ぐな心根というのは。今の君の頃には、私はアクシズにいた。そのもっとずっと前から……私は、そんな純粋さを忘れて生きてきた」
「違うよ」
即座に断言したジュドーを、首を傾げて見る。
思いの外真摯に見詰め返され、シャアは苦笑を浮かべた。
「君の純粋さが羨ましいのだよ、私は」
「違うって。あんたは、純粋すぎるんだ。どんなことに対しても。だから……考えすぎて、辛いことになる」
「君は本当に……私を買い被ってくれる」
口を付けたグラスに、もう酒は残っていない。
少し残念そうに眉を顰め、シャアはグラスをテーブルに戻した。
「……泊まっていくのだろう、今日は」
「勿論。こんな時間だもん。いや……………………よし、決めたっ!」
「何を」
問いかけるシャアに、悪戯っ子そのままの顔でにやりと笑う。
「俺、暫くここにいる! どうせ部屋余ってるんだろ? この家、あんたの気配しかしないし」
意気揚々としたジュドーの宣言に、シャアは苦笑しながら嘆息する。
「…………断っても居座りそうだな」
「当然!」
「困った子だな…………私にも都合というものがあるのだがね」
「いいじゃん。プライベートの邪魔はしないって」
ジュドーの態度や目の輝きから、純然たる好意なのだと言うことは、分かる。
しかし、理解が出来なかった。
真に自分を理解したNTは、皆、自分から離れていった。
相容れる存在というものが分からない。それも、たかが二度会っただけだというのに。
理解して、諦めて、相容れてくれた存在はあるが、それにも十四年も掛かってしまったというのに。
分からないが、厭な感覚ではなかった。
「何故、私の側にいてくれようとする。君は、NTなのに」
「NTだったら、居ちゃ駄目なのか?」
「そうではない。しかし…………」
困惑を隠せない。
「何かさー……ほっとけないんだよな。そんな顔されると」
「私はどういう顔をしている?」
「綺麗。めちゃくちゃ。……変わんないなぁ、そういうさ……どうしようもない顔」
手を伸ばして、ぺちぺちと頬を叩く。
どうしようもない、と言われても、シャアにはよく分からない。
ただ、取り繕った仮面が役に立っていないことだけは分かった。NTを相手にするのは、これだから厭だ。作り上げてきたものを簡単に越えてきてしまう。
「でも、前より大分マシなんだよな。血の匂いしないし。凄く穏やかになったって分かる。泣きそうなトコとかはそのまんまなんだけど。……なぁ、前より情けなくなってない?」
「……そう言ってくれるな。私にも、いろいろとあったのだよ」
ジュドーこそ変わりのない明け透けな物言いをする。シャアは苦笑する他なかった。
「泊まるのは構わんが……生憎ベッドがない。物置にあるソファなら、少し埃を叩けば使えるだろうが……ブランケットはあったかな」
「そこに大きなベッドがあるじゃん」
二間続きのこの部屋、ドアの開いた隣にベッドが見える。
「…………遠慮がないな」
「いいじゃん。泊めてよ」
「寝間着がない」
「そんなの面倒だからどうせ着ないし、俺」
「………………君と肌を合わせて寝る気はないのだが」
「意識する方が変。…………えー? そういう人?」
どう答えればよいものか言葉に詰まる。
困惑するシャアに、ジュドーはにっこり笑う。
「あんたくらい綺麗だったら、女も男もほっとかないよな、そりゃあ」
「そう受け取って貰っても困るのだが……まあ、概ね違ってはいない」
「……どっちだよ、その返答って」
「選ぶ権利は私にある、と言うことだ。君はこの椅子ででも休めばいい。ブランケットは私のベッドから持って行けばいいだろう。まだ私には毛布もあるし、問題はない。空調は効いているから、寒くもないだろう」
「ちぇっ……けちー」
口を尖らせるが、それ以上は我が儘を言わない。
この、図体ばかりは大きいがまだ何処か幼い子供が、自分をそう言う目で見ていないことは分かる。シャアは手を伸ばし、ジュドーの頭をくしゃりと撫でた。
「あのベッドで寝たいなら、しっかりシャワーを使って貰いたいな。オープンカーで来たのか? 髪が埃っぽい」
「いいの?」
「仕方がなかろう。この椅子は、どうも少し硬そうだ」
「ありがとう!」
またにこにこと笑う。
不愉快ではないが、シャアにはやはり理解できるものではない。
人から厭な気のしない笑顔を送られたこと自体が、さして記憶になかった。
「シャアさんは、ご飯とかどうしてんの? 自分で作ってるのか? 明日の朝は?」
「通いでね。二日に一度アムロが来て、作って置いておいてくれる。後はそこのレンジで温めるだけだ。今朝来たから……そうか、君の分がないな」
「仲いいんだ」
「私は仲良くしたいのだがね。しかしどうするかな……来客があると言えば来てくれるかも知れないが」
「いいよ、別に。日が昇ったらそこの町で食べる」
「そうだな……。ああ、パンだけは、朝に焼きたてを売りに来る」
「……思うんだけどさー。何であんたの部屋二階なの? その身体だと、一階の方が便利じゃないか?」
「あまり外には出ない。問題はないよ。それに、リハビリを兼ねている」
「まあさー……」
部屋を見回す。
一見してそうとは分からないアンティークな作りになっているが、よく見れば数多くの電化製品が壁に揃っている。シャアが暮らしやすい様に整えられている様だった。
「こういう高そうな家具とかって、あんたの趣味?」
「アムロは厭がるのだけどね。こういったものの方が落ち着くとは思わんか?」
「よく分かんないや。便利だったらそれでいい」
「……アムロと気が合いそうだな」
口を開けばアムロのことばかり。だが、それが何処か微笑ましい。その名が本当に大切なのが、見ていてよく分かる。
「ほんと、アムロさんのこと好きなんだねー」
「ああ。愛している」
さらり、と出てくる一言に、ジュドーの方が焦る。
アムロ・レイは確か男だったと記憶している。
確かに、さっきの自分の問いかけには答えづらいことだったろう。
「俺も会ってみたいな」
「暫くここにいるなら、厭でも会えるさ。だが、アムロに触れてくれるなよ」
「嫉妬?」
「君を殺すかも知れない」
「そりゃあすげぇや」
微笑んではいるが目が笑っていない様にも見える。冗談なのか本気なのか区別が付かない。
非情な面を持っているのは、何となく分かっているのだ。アクシズを地球に落とそうとした程の男なのだから。
ジュドーは軽く首を竦めた。
シャアはもうほんの僅かだけ瓶を傾け、一口分だけグラスに移す。
「明日は、外に行かねばならんだろうな……君の為の家具を買いに行こう。この部屋に居座られても困る」
「いいよ。自分で適当に揃えてくるから。エアマットとか」
「無粋なものを屋敷に入れて欲しくないな」
「妙な所にこだわるなぁ。んで、何処の部屋使っていいの?」
「階段を挟んでこの部屋と対になっている辺りか、もう一階上なら何処でもいい。だが、電気が通っていないからな……明るくなってから選べばいい。アムロを呼べば、一日二日で配線はしてくれるだろう」
「俺でも出来ると思うよ。そういうの得意だから」
「そうか。…………君とアムロを会わせるのは、少し厭な予感がする」
「何で?」
「私を差し置いて仲良くなりそうでな」
「そんなの、みんなで仲良くすりゃあいいだけの事じゃん」
本当に嫉妬深い。もっとスケールの大きな男かと思っていたが、根は案外小さい様だ。
舐める様に酒を口にしている姿からは、とてもネオ・ジオンを率いた総帥閣下には思えない。その時の姿が想像できなかった。
記憶にあるより痩せていることなどもあるだろうが、何処か頼りなく情けない風情が漂っている。
「みんなで仲良くする」程度のことも考えられない、卑小な男なのだろう。だが、それでも嫌ってしまえない。むしろ、可哀想な人だと感じた。
そう顔を見詰めている内に、欠伸が出てくる。噛み殺しながら思う。そう言えば、朝から運転のし通しで疲れているのだ。
「シャワー、借りていい?」
「ああ。アルテイシアの所から来たのなら、疲れたことだろう。タオルなら、向こうの棚にある」
「うん。じゃあ、ちょっと借ります」
グラスの中の酒を飲み干し、ジュドーは立った。
「酔った状態で風呂は良くないと思うが」
「酔ってないし。でも、そろそろ眠い」
ぐっと伸びをして、シャワールームー向かう。
程なく流れ始める水音を聞きながら、シャアは不思議な気分に陥っていた。
これまで知るどのNTとも違う。繊細さはないが、揺るぎのなさはアムロ並み、力強さはそれ以上に感じる。
その上、真っ直ぐ素直だ。そう見えるだけではなく、心の底から裏表がない。ただの人間としても、そう何人もシャアの回りにいたタイプではなかった。数人のOTの顔が浮かぶが、その面々にジュドーは重ならない。
どうにも他人の腹の底を探る癖のあるシャアだが、ジュドーが相手では意味もない。
再び会えて、良かったのだろうと思う。
望むべきNTの姿を、彼は体現している。
アムロと同じ様に。
ゆっくりと立ち上がってグラスを食洗機に放り込み、瓶を片付ける。
シャアは既に、ジュドーが来る前にシャワーを済ませていた。
眠る前に読みたい本があったが、ジュドーが居てはそれもままならないだろう。
ガウンを脱ぎながら主寝室へ向かう。
側の衣装掛けへ脱いだそれを放る様にし、先にベッドへ入った。
ジュドーの分の枕などないが、仕方のないことだろう。
嫌いだとか厭だとかは思わないが、ジュドーが来てからの少しの時間で今日一日めまぐるしく働いたかの様な疲労を覚えてもいた。
ナイトテーブルに手を伸ばし、睡眠導入剤を口に放り込む。
考えすぎる脳を一時的にでも休める手段。効き始める前には、ジュドーも出てくるだろう。
そう言えば、人がシャワーを浴びる音など聞いたのは、どれ程ぶりだろう。
何処か新鮮に感じるのは、大体同衾の相手がシャアの前へ現れる前にシャワーを済ませ、事が終わるとそのまま寝入ってしまうからだろう。
悪くはない気分だった。
寝ているアムロの顔を眺めながら腕に抱いて眠りに就くのが一番幸せなのは言うまでもないが、こんな気分のまま眠れるならジュドーが居ることにも多少の意義はあるのかも知れない。
部屋の照明を僅かに落として、シャワールームの方を見た。
馬鹿馬鹿しいものだ。
ベッドの中で女を待つ様な気分だ。だが出てくるものは、自分より身体の大きな、男。
ぞっとしない話だ。
僅かに眉を顰め、例えば、湯上がりのアムロが出てくると考えてみる。
それは、楽しいかも知れない。男でも。アムロには妙な色香がある。
そんな隙を見せてくれたことはないが、一度拝んでみたいものだ。
アムロのことを考えるだけで、一瞬にして脳内は薔薇色だった。
実におめでたいことだと、我ながら余計に馬鹿馬鹿しくなる。
「何一人で笑ってんの?」
気付けば水音は止んでいた。
まだ頭を軽く拭きながら、ジュドーはトランクスだけを穿いて寝室へ入ってくる。
「ああ……アムロのことを考えていた」
「…………ホントーに、好きだね。このタオル、どうすればいい?」
「その辺りへ適当に。どうせ洗濯は明日だ」
「そ」
本当に言われた通りにその辺り……床へ放り投げて、ジュドーもベッドへ入る。
「こんな広いベッドで一人って、何か落ち着かなくない?」
「そうかな。ベッドは集団生活でもしない限りこんなものだろう?」
「やだね、これだから金持ちは」
ごそごそと寝心地のいい体勢を探しているのが分かる。
「すまんな。こればかりは、自分でもどうしようもない」
返事の代わりに大きな欠伸が一つ。
そして、それきり、ジュドーからの声はなかった。
思わず顔を伺うと、既に寝入っている。
シャアは苦笑とも溜息とも付かない息を吐いた。
「…………羨ましいものだな」
仕方なくシャアも目を閉じる。
人がいる感覚は、嫌いではなかった。
次第に薬が効き始めて来たことを感じながら、シャアも眠りに落ちた。
温かいものに包まれているのがとても幸福で、意識がふわりと上昇しながらもこのまま揺蕩っていたいと瞼は震えるに留まった。
このままで、いいのか。
腕に温もりを抱くことはあっても、その逆は経験がない。
経験はないが、心地いい。
腕に抱くのと同じくらい……気持ちのいい感覚だった。
別に、ぬいぐるみを求める歳でもない。
つい抱き締めてしまったのは、孤独な魂がそれを求めている気がしたからだ。
これだけ綺麗で寂しいものなら、十三も年上だろうが、男だろうが、気になどならない。
手入れのいい髪からは、シャンプーとコロンの混じった香りがする。
自分の知らない、大人の男の香りだった。
「んー…………そろそろ起きようよ」
「起きているよ。君が腕を放してくれない」
「だってさー、そうして欲しいって」
「私が言ったか?」
「言ってない。でも、そんな顔」
「君から見えるのは、私の髪だけだと思うのだがね」
「…………何か鳴ってるよ」
「……来客だな。パン屋だろう」
ジュドーの腕を掴み、軽く捻る様にして抜け出る。手慣れた動作に、ちゃんと訓練を受けている人物だと言うことはよく分かった。
身体が寝ている為だろうか、ふらふらと蹌踉めきながら危なっかしく窓に近寄ろうとする。
ジュドーはその腕を引いて、ベッドの上へシャアを引き倒した。
「見てらんないって。どうすればいい?」
「……枕元のテーブルの引き出しに金が入っている。私はクロワッサンだ。君は、好きなものを頼めばいい。そこにある籠の中に注文票があるから、印を付けて金を入れ、窓から下ろせばいい」
指し示された窓辺を見れば、紐を掛けた籠が見える。
「了解」
言われた通りに窓を開ける。下を見ると、自転車に乗って小さな台車を引いた人物が見えた。
クロワッサンとブリオッシュに印を付けて、書かれた額面の小銭を放り込んで籠を下ろした。電動になっている。
「便利だね、これ。これもアムロさんが作ったのか?」
「ああ。こういう単純な仕掛けを作るのが、楽しいらしい」
「MSの設計とかシステム構築とかもする人だって聞いたことがあるんだけど」
「そう言うのも好きだし得意のようだが……今の私達にはそんなもの、触る機会もないからな」
上がってきたパンを部屋に引き入れて、窓を閉める。この季節、まだ朝は随分肌寒い。
「朝食は向こうの部屋?」
「ああ。冷蔵庫の中に。済まないが、コーヒーを入れて貰えるか」
「はいはい」
シャアは簡単に用意されたハムやチーズ、サラダの朝食を取り、変わらず食器は食洗機に放り込むだけで身支度を始めた。
ジュドーもブリオッシュとコーヒーだけを貰って顔を洗い、服を着る。
シャアの支度はジュドー程簡単にはいかないようで、まずはシャワー。そして、服を着込み更には帽子だのコートだので完全防備だ。それはそうだろう。何せその顔はお尋ね者だ。
目にジュドーから戻ってきたグラスを掛け、手に瀟洒なステッキを持って支度は完成した。
もう早朝という時間ではなく、店も開き始めている。
ジュドーが乗ってきた車に乗り込み最寄りの街まで出て、簡単に服や細々とした食器を買う。
昼前には家具屋も回り、シャアの選ぶアンティーク家具を買い揃えた。
その値段にただひたすらジュドーは萎縮するが、シャアは気にした様子もなくカードを切る。
あまりの無頓着さに、次第にジュドーは腹が立ってきた。
お金持ち様の感覚とやらは、一生理解できそうにない。
不機嫌になっていくのは分かっても、シャアには理由が分からず、軽く首を捻る。
「……何を怒っている」
「別に」
「昼が近い。君は朝をあまり食べていなかったから……何処か店に入るか」
「…………ファストフードなら、行ってもいいけど」
「そうか……ふむ…………ああ、あそこにカフェがあるな。それでいいか?」
「いいよ。何処でも」
「シ……じゃない、エドワウさんさぁ……いつもあんな買い物?」
レストランほど敷居が高そうでもないので同意したが、それでもジュドーには何処か尻の据わりが悪い。
オープンテラスは丁度昼時で活気づいていた。
具の多いスープをスプーンで引っ掻き回しながら口を尖らせる。
値段も見ないで買い物をするなどと言うのは、ジュドーにはとても信じられないことだ。
「あんな、とは?」
嫌みな程に洗練された動作で食事を口に運びながら、首を傾げる。
「値段くらい見ようよ」
「気に入ったなら、それで構わないだろう」
「でもさぁ」
「価格など人が勝手に付けるものだ。ものの質には関わりがない。気に入ったら手に入れるし、そうでなければ必要がない。他に、何か基準があるのか?」
「お金持ち様はいいですねー」
行儀悪くスープを掻き込む。
と一部が気管に入り激しく噎せた。
「……私には、その野性味の方が不思議でならないが」
差し出されたハンカチでごしごしと口を拭いながらも物言いにカチンと来る。
シャアに手を伸ばし、帽子を奪うと綺麗に撫でつけていた髪をめちゃくちゃに掻き混ぜ、再び帽子をぎゅっと被せた。
スープや具が僅かに散る。
「何をする! 癖になるだろう」
「被ってりゃ分かんないじゃん」
してやったり、と笑う。
シャアも、まあ本気で起こる気にはなれない。苦笑する。
口元に、具が散っていた。そのあんまりの様子にジュドーは吹き出す。
「口元汚れてるよ」
「ん、ああ」
ナプキンで拭くが、場所がずれる。
「そこじゃなくて、もうちょい右。あ……ああ、もう、じれったいなぁ」
手を伸ばして指先で拭い、その指をぺろりと舐める。
「……君…………恥ずかしくはないか」
「??? 何が?」
「………………いや」
ジュドーの指が触れた所をもう一度拭い、気を取り直して食事を続ける。
と。
急に、ジュドーの手からスプーンが滑り落ちた。
「どうした?」
「……っ…………」
顔を顰め、こめかみに手を当てる。
その次の瞬間、シャアも感じた。
空気が変わる。重く、圧し掛かる様に。
「くっ…………何だ………………アムロ?」
「すげぇプレッシャー……何処だ?」
重く軋む頭を押さえながら周りを見回す。
このオープンテラスが面している通りの向かい側。
ほっそりとした男の姿が見える。
「…………あの人?」
「……アムロ…………」
「あの人がアムロさん?」
シャアはテーブルに肘を付き、頭を抱え込んでしまう。
ジュドーは立ち上がって、テラスを飛び出した。
「あ、あのっ!」
繋ぎを着ているが、捲り上げた腕がやけに細い。柔和な顔立ちをした、どちらかと言えば優しげに見える男だ。ジュドーよりは少し年上、シャアよりはずっと下だろう。
声を掛ければ、凄まじいプレッシャーが僅かに薄らいだ。
「何?」
プレッシャーの質に反して、声音も柔らかい。
向けられた視線はけっして笑っていなかったが、形だけは取り敢えず微笑んでいる様に見える。
「アムロ……さん、ですか?」
「だったら?」
「あの人が死にかけてるんで、プレッシャー抑えて貰えないかと思って」
「ふぅん…………」
オープンテラスでこちらを伺っている男の方へちらりと視線を向ける。
「君、誰?」
「ジュドー・アーシタ」
「あいつとは、何?」
「何……って……えっと、知り合い?」
「どういう」
「どういう……うーん…………よく分かんないけど、あの人ほっとけなくて」
すっとアムロの目が細められる。安易に触れたら切り刻まれそうだ。
「……怖いなぁ。そんなに心配なら、一緒にいてあげればいいのに」
アムロの手を掴み、引っ張る。咄嗟に振り解こうとしたが、ジュドーの手の方が大きく力も強い。簡単にとはいかないが、それでも引き摺られる。
車を縫って道を渡り、シャアの下へ戻った。
「…………やあ、アムロ」
青褪めた顔で、それでも間近にアムロが来た途端に上機嫌になっている。実におめでたい男だった。
にっこりと微笑みかけられて、また少しアムロの気配が緩んだ。
「貴方が昼間から町を彷徨くなんて思ってなかったよ」
「何を怒っている」
「別に」
「君もどうだ、一緒に昼食でも」
「仕事中だ」
「だが、私を見つけてくれた」
「貴方の気配なら、分からないわけがない」
「嬉しいな」
ジュドーに捕まれていたままの手をシャアが引き取り、包む様に触れる。アムロは振り払いはしないものの酷く剣呑な視線でシャアを睨み付けた。
「で、この子誰」
「ジュドー……ジュドー・アーシタだったか?」
頷く。
アムロはシャアに握られていない方の手を強くテーブルに叩き付ける。
「それはさっき聞いた。だから、誰なんだよ」
「アルテイシアの知り合いだ。それから、カミーユとも知り合いなのだったな?」
「カミーユと?」
「……初めて会ったのは、カミーユの病室だったな」
「うん」
「…………NTだって言うのは、分かる。俺より強い」
目の奥を覗き込まれる。負けずに見詰め返す。
「カミーユを知ってるのか。じゃあ、いろいろ関わってしまった子、なのかな? この馬鹿に」
「ハマーンと戦ったのだそうだよ。勝ち残って、ここにいる」
「貴方の尻拭いをさせられた子か。同情できるな」
ジュドーに改めて手が差し出される。
握手を求められているのだと気付いて、その手を取った。
「うわっ」
アムロのプレッシャーは去りきっていない。発散されている感覚が、ジュドーと一瞬入り交じり合った。
「…………へぇ……」
アムロは微笑んだ。漸く瞳の奥から剣呑なものが消える。
「シャアが気に入ったのが分かる。……セイラさんとカミーユの知り合いなら、まあ仕方ないかな」
プレッシャーが変化する。柔らかく包み込む様でいながら、強大な何か。
凄い人だという事はよく分かった。何より、この元ネオ・ジオン総帥を片手であしらってしまう上に、これだけ強いNTなのだから。
「納得してくれたのなら、この威圧感を何とかして貰いたいのだがね、アムロ」
アムロとジュドーが手を握り合っているのが面白くないのだろう。二人の手を引き離し、アムロの両手を掬う様に包んだ。
「貴方がまた碌でもないことしようとしてるって思ったらね」
「何もせんよ。君が近くにいて、君から会いに来てくれるのだから。いい加減に一緒に住んで貰いたいがね」
「そんな囲い者みたいな生活はごめんだ」
「…………そう言ってくれるな」
触れたアムロの手の甲に口付ける。
「常に君に触れていたい。ただそれだけだ」
「俺じゃなくたって、心地いいNTならそれでいいんだろ」
「何を言う。君を凌ぐ存在など、あろう筈がない」
指先に口付け、そして口に含む。微かに漂う機械オイルの匂いさえ気にならない。
ジュドーはとてつもなく目のやり場に困って顔を背けた。
「離せ。仕事に戻らないと」
軽く指を振るだけで簡単にシャアを解く。
困った様にアムロを見詰めながら、それでもシャアはアムロに触れようと手を伸ばす。辛うじて袖を掴む様が情けない。
「ああ……明日が待ち遠しい。そうか。そうだな……君に仕事を依頼せねばならない。屋敷の配線をね。電気の使える部屋を、一つ二つ増やして貰いたい。この後の仕事とやらが急ぎでなければ、優先して貰いたいのだが」
「仕事なら、いいよ。今日はそんなに忙しくないし」
「ジュドー君が暫く滞在したいのだそうだ。使い易くしてやってくれ」
「…………………………滞在?」
ぴしり、と空気に亀裂が走る音を、ジュドーは聞いた気がした。
脳天気な男は、アムロの声の低さに気が付かない。
「そうだ。その用意もあって今日は街まで出たのだが……君に会えて良かった」
「へぇぇ…………そう……」
ジュドーの方が青褪める。
アムロがどす黒い色に染まっていくのが分かった。しかもそれは何故かジュドーではなく、シャアに向けられていく。
「あ、あの、俺、やっぱり止めようかな。セイラさんの所に妹がいるし」
「いいんだよ、ジュドー君。別に。お目付役の一人くらい常駐してないとねぇ」
にっこりと笑ってくれる顔はシャアとは違った様に綺麗で可愛らしくすらある。が、背筋がぞくっと涼しくなった。
「用意して行くから、さっさと帰って待ってなよ」
「もう買い物は終えた。昼食を終えたら直ぐに戻るよ。ジュドー君、座りたまえ」
とてつもなく微妙な関係である事は、よく分かる。そう言う事にとかく詳しい女の子と長らく付き合っていると、能力は身に付くものらしい。
これは、多分、嫉妬なのだろう。
シャアがアムロのいない所でも、口を開けばアムロの名前しか呼ばない事を、当人だけが知らない様だ。
全てを先んじて悟ってしまいそうな程の力を感じるのに、シャアと同じで何処か天然そうな印象がある。
まあ、これだけの言葉を面と向かって並べ立てられたら、普通は信じるより疑う。
「ジュドー君、こいつ、まだあんまり体調も良くないし、下手に彷徨かせると質が悪いからさ。さっさと連れて帰ってくれよ」
「はい!」
「……アムロも、ジュドー君も、一体私を何だと思っているのだね」
「ここで叫んであげてもいいんだよ? 貴方の肩書きと偽名と、本名」
更ににーっこりとアムロの顔が微笑む。
反対に、シャアの額からは冷や汗が流れていた。
「じゃあ、頼むね。直ぐ行くから」
顔が一瞬だけシャアに近付く。ジュドーには何が起こったのか分からなかったが、瞬く間にシャアの顔に笑みが満ちたのを見て、分かる。
その間に、ひらひらと手を振ってアムロは去ってしまった。
「……可愛い人だなぁ、アムロさんって」
「…………聞き捨てならんな」
「取らないって。あんたの方がほっとけないし」
「私のアムロが可愛いのは当然だからな」
「うわぁ……聞かせてあげたいよ、それ」
「何度言っても信じてくれん」
「大安売りし過ぎなんじゃないの?」
「アムロの顔を見ているだけで次々言葉が勝手に生まれてくるのだよ」
「…………おめでたいなぁ」
「えー………………アムロ、これは一体」
昼下がり、玄関ホールに山積みとなった家具の山。
半分は、買った覚えがある。しかし。
「支度して行くって言ったろ。ジュドー君、そっち持って」
「あ、はいっ」
「ジュドー君、君も疑問に持ちたまえよ」
「えー、どうせ、ここに置いとく方が邪魔じゃん」
「何? シャア、何か文句あるのか?」
「いや、そんなものはないが、しかし急に何故」
「何となく。配線するのに二、三日掛かりそうだから」
「二、三日の為に、引っ越しか?」
「貴方のベッドで寝るのは厭なんだよ」
ステッキ片手でなければ歩くのに手間取るシャアはこの場では邪魔だ。軽く足先で蹴って避けさせ、ジュドーと共に家具を二階へ運んでいく。
「俺の部屋、貴方の向かいでいいだろ?」
「君ならば何処でも構わん」
ご馳走様です、としか言いようがない。
ジュドーは呆れてアムロを見る。
「俺の所為?」
「……別に。でも、あいつが誰かに甘えてるのを見るのは、厭なんだよ」
「それ、やっぱ俺の所為じゃん」
「君の部屋は? あの高価そうなの、あの馬鹿が買ったんだろ?」
「……シャアさんの部屋とは階段挟んで向こうっ側か、上の階ならいいってさ。だからー」
「分かってるよ」
ジュドーと視線を合わせ、微笑む。
宣言した部屋のドアを開け、中に家具の一つを運び込む。
「分かってるって?」
尋ね返すと、アムロは少し困った様に、けれども柔らかな微笑みを滲ませる。
「きっかけが欲しかっただけかもな」
「えー、俺、ダシ?」
「君みたいな若い子にまで甘えるあいつに腹が立つんだよ」
「昨日から散々惚気ばっかり聞かされてさ、さっきもホント、胸焼けしそうなくらいご馳走様って気分なんだけど」
「悪かったよ、巻き込んで」
「いや、ほっとけないって思っちゃったのは確かなんだけどね。俺も。前会った時も思って……やっぱり、根は変わってないなって思う」
アムロの示す場所に家具を下ろし、軽く手を叩く。生活臭の漂う家具は、何処か埃っぽい。
「カミーユの病室って事は、もう結構前だね、初めて会ったのって」
「それでも、昨日で二回目なんだよ」
「……何だ。そんなもの? でも、俺も同じ様なものか。去年までは」
「時間は関係ないかなー。前会った時よりシャアさん優しそうになっててほっとしたんだけど」
「…………やっと、居てやれるから。一緒に」
薄く染まった頬。照れる様子は、何処か可愛い。
と言うより、見ていて気恥ずかしい。
「アムロさんも、シャアさんの事好きなんだ」
「別に。……だけど、ほっとくわけにはいかないだろ、あんなの」
鼻で笑うが、何処か満更でもなさそうだ。
そこへ、
「アムロ、まだか!」
焦れた声が届く。
「…………ほっとけないよなぁ、あんなガキ」
くすくすと楽しげに笑う。
「ネオ・ジオン総帥をガキって言えるの、アムロさんくらいだよ」
「なら、一生言い続けてやるだけさ」
ジュドーの腕を取り、引っ張る。
「ちょっとこうしてて」
「えー」
この状態でシャアの前に行ったらどうなるか、想像に難くない。
少しげんなりしてアムロを見ると、心底楽しそうに笑い返された。
この人の笑顔にも、弱い。
ジュドーは大きく溜息を吐きながら、アムロに逆らわない事にした。
終
作 蒼下 綸