ガトーは大層悩んでいた。
 いや、問題自体は大したことではない。ただ、呼び出しブザーを押すか押さないかという、単純な悩みだ。
 希に通りすがる人々の視線が居たたまれない。
 ただでさえ身体が大きいのが、通路をほぼ塞いでうろうろとドアの前を行ったり来たりしているのだから、当然ながら人目は引こうというものである。
 しかしどれだけ邪魔でも声を掛ける者は一人もいなかった。
 彷徨いているうちに目が据わり悪鬼のごとき形相になったガトーに声を掛けられる者など、そうはいなかった。

「ねー、アムロさん、そろそろ何とかしてよー。プル達が怯えてるんだってば」
「ただでさえ通路狭いのに、通りにくいんですよね」
「ウラキ中尉が中にいなかったらどうするのかしら」
「……ガトーも苦労性だな。面白いものだ」
「…………あんなに面白くなっちゃうなんて想定外だよ」
「クワトロ大尉、元同僚なんでしょ? 何とかして下さいよ」
「いやいや、もう少し様子見がいい。器用だな、あれは。あの強面では悪鬼羅刹も裸足で逃げるだろうに、赤くなったり青くなったり」
「どうでもいいけど、そろそろ作戦宙域につくよ。みんな整備終わってる? ガトー大佐達は待機だからいいんだけど。カミーユもジュドーも次は出て貰うよ。ファは連戦で悪いと思うけど。あと、クワトロ大尉、貴方もたまには穴埋めしてよね。コウが居ないと面倒なんだから。GP03乗る?」
「私は今の機体に愛着があるのでね」
「僕は完璧です! クワトロ大尉は未だですよね。ランチャーの微調整が終わってないって、さっきアストナージが探してましたよ」
「ホント? 手が足りないんだから、自分の機体のチェックや調整は出来るだけ自分でやることって言ってるのに」
「い、いや……私は君達程メカニックには強くないのでね」
「だったら、余計にこんな所で無駄に時間を費やすな。さっさとデッキへ行け!」
「くっ……こんな面白可笑しいガトーを見逃すのか私は」
「安心してよ、クワトロ大尉。……じゃーん!」
「おお! それはホロカム! やるな、ジュドー君!」
「エルとルーが気にしてたんだけど、今哨戒中だからさー。頼まれて」
「これで安心して行けるな。というか、早く行けよ」
「ああ、アムロ……私の整備不良まで気に掛けてくれるのだな、君は。……いいだろう。この場は諦めて君達に任せようではないか」
「何偉そうなこと言ってるんです。貴方のはただの出歯亀でしょう? 大尉」
「ほら、もう……後……予定宙域まで五時間しかないよ。シャア」
「…………分かった。だが、アムロ」
「………………ガキだよね、ホント…………っんぅ……」
「ああああああああああ!!」
「カミーユさん、俺も俺もっ、うぉっ!」
「黙れクソガキ。……ファ」
「同じよね、カミーユも大尉と。……ぁ、ン……」
「くぅ〜〜…………ファさんには絶対勝てないじゃん〜〜!! 意地悪!」
「……ふ…………では、仕方なく行くとするか。君達も程々にして待機に移ることだ」
「……貴方にだけは言われたくないな」
「カミーユさん、俺も俺も〜」
「馬鹿かお前。……あぁっ!」

 カミーユが上げた声に、一斉に角に群がりガトーを窺う。
 余程に騒いでいるのに、ガトーは全く気付いていなかった。
 カミーユの上にアムロが乗り、その上へクワトロが重なる。下にはファとジュドーが固唾を飲んでガトーの行動を見守る。
 ガトーはとうとう呼び出しブザーのボタンへと、指を伸ばしていた。
 ひどく、ゆっくりと。
 しかし、やけに力が入ってぷるぷると震えている指が触れる前に、ガトーはがっくりと脱力して床に膝を付いてしまった。
 一同思わず溜息を洩らす。

「根性ないな」
「もうちょっと即決できると思ってたんだけどな……」
「バッテリー持つかな、ホロカム」
「後ろから押しちゃおうかしら」
「…………埒があかないな。私はデッキへ行ってくる」
「未だ行ってなかったのか。暫く膠着してそうだし、ジュドーに任せておけよ」
「ああ、そうしよう」
 ボスッと鈍い音がする。ガトーが思い切り、床を殴りつけていた。
 クワトロは方を軽く竦め、静かにデッキの方へと去って行く。
「あーあ……あれは相当煮詰まってるね」
「クワトロ大尉の軽薄さを少し分けて上げたいですよ、全く」
「貴方の積極性も分けてあげたいわよ、カミーユ」
「……あれ以上の後押しか……コウは俺が貰う! くらい言えばよかったかな」
「駄目ですよ!! アムロさんは僕が貰うんですから!」
「カミーユさんは俺のでしょ!」
「あたしは、貰ってくれないのね、カミーユ」
「や……そういう訳じゃないけど……」
「しっ! また動くよ」

 武道の型の様なものを取り、気合を入れ直したのが分かる。ガトーは立ち上がり、再びブザーと向き合った。
 これはやはり、少しばかり面白過ぎる。
 深く深呼吸をして、再び指先をブザーに近づけていく。
 と。

「…………………………ガトー? 何してるんだ?」

 突然、目の前のドアがスライドした。

「……ガトー?」
 Tシャツにスウェット、頭にタオルを巻いた姿は戦艦に似つかわしくない程普通の青年だった。
 ガトーはいきなりのことにあからさまに狼狽える。
 コウの顔を見て突然赤面したかと思うと、俯き、次第に青褪めていく。
 取り敢えず、自身の痴態の自覚だけははっきりとある様だった。
 それ故に一層居たたまれないのだろう。
「……っ……ウ…………ウラ、キ……いや、コウ……」
 物陰から見守っているアムロ以外の面子は笑いを堪えるのに必死だった。
 表に出ない鉄面皮というものがこれ程面白いとは、本当に見物である。見守っているのは全員NTともなれば、本当にガトーの内心が殆ど筒抜けで、楽しみにより拍車を掛けていた。
 コウは勿論そんな人々にもガトーの様子がかなりおかしいことにもほぼ気がつかず、ただガトーの訪れを悦び顔を見上げて笑う。
「どうかしたのか? 珍しいな、ガトーが俺の部屋に来てくれるなんて。入る? 俺は今から食堂に行って飲み物貰ってくるんだけど。ミニバーの中切れてるの忘れてた」
「……いや、いい。……私も、丁度何か飲みたいと思っていた所だ」
 咳払いを幾度かして、ガトーは何とか踏み止まった。コウにだけは、醜態を見せたくないという自制が働いたのだろう。
 そんなガトーを知ってか知らずか、コウはガトーの腕を取った。
 完全に固まってしまうガトーが気の毒でさえある。
「じゃあ、一緒に行こ」
「ああ…………」
 さり気なくコウの手を外す。コウより前に出て食堂へと歩き始めた。
 その後を懐ききった子犬の様にコウが付いて行く。
 見守り隊はその後を密やかに付けた。

「おー、コ、っうぐっ!」
「しっ、キースさん!」
「何するんだよ、カミーユ」
「あれあれ。邪魔しないでくださいよ」
「ん?…………あー、あれ、か。なるほど」
「なるほどなー」
「うわっ、何でマサキまで!」
「俺もいるぜ! まー、なんだ。ガトーさんもあんな顔して純情なんだな」
「居住区とは違うわよね、さすがに。甲児さんもマサキも大人しくね」
「いやー、ありゃあ凄いな。コウは何でアレで気付かないんだ?」
「もう……みんな、あんまり時間ないって分かってる?」
「アムロさんだって見てるじゃないですか」
「心配なんだよ。コウが」
「いいなぁ、コウさん……僕のことも心配して下さいよ」
「君にはファが居るから大丈夫だろ?」
「俺もいるよ、カミーユさん!」
「コウさんにだってニナさんが居るでしょう」
「それはそうだけどさ」
「何なの、この騒ぎ」
「いやいや、アレだって」
「……あの二人まだくっついてなかったの?」
「ガトー大佐、面白過ぎるわ」
「えー、確かこの前コウが告白してたんじゃなかった?」
「ガトー大佐の答えは分かった、だけだったわね。そういえば」
「ああ、そういうこと。…………若いわね。可愛いものねぇ」
「あのガトーがその様な俗物じみたことを……」
「うわぁ……いつの間にこんなに人が増えてるんだよ」
「それでも気付かない二人が悪い」
「…………みんな、大丈夫なのか? 整備は? そろそろ哨戒の交代時間だぞ。時間もないよ。出撃メンバーはさっき発表した通りだからね」
「すぐに行きますって!」

 コウはミララルウォーターやスポーツドリンクのペットボトルを何本も腕に抱えた。
 食堂には十分な量の在庫が置いてある。それを各人が取り、部屋や待機室などへ確保して置いておく様になっていた。
 欲張って腕いっぱいに抱えたボトルの幾つかをガトーが取る。
「何をしている。落とすだろう」
「ごめん。ありがとう!」
「部屋に運べばいいんだな」
「うん。でも、ガトー、何か飲みたいって」
「いや……いい。一本お前の部屋で貰おう」
「そっか。手伝ってくれて助かるよ。部屋に置いとくの忘れてて」
「お前の管理がなっていないのだ。…………その…………これから、少し構わないだろうか」
「何? いいよ。次は出撃なしだってアムロさんが言ってたし、哨戒もまだだし。暫く待機だって」
「私もだ。…………つまり、だな…………そう…………話だ。話が、ある」
 いつになく歯切れの悪いガトーを見上げる。
 黒い瞳に真っ直ぐに見詰められ、ガトーは思わず目を反らせる。
「話って、何?」
「ここではな。……落ち着いて話せる場所がいい」
「ふぅん。だから俺の部屋?」
「ああ」
「いいよ。難しい話?」
「いや……そうでもない。入りきるのか、この量は」
「入らなかったらトレーニングルームのロッカーに入れるから平気」
「そうか」

 取り敢えず会話は成立しているが、見守っている人間達からすればガトーが全くの上の空であることは分かる。
 話とは何をするつもりなのか……アムロならコウの部屋の盗聴も出来るが、さすがにどれだけ心配でもそれをしないだけの理性はある。
「……二人がコウの部屋に入るまでは許可するけど、終わったらみんな持ち場に戻るんだよ」
「はーい!」
 溜息を吐いて呆れた様に屯している輩を眺める。
 困った様に微笑むと、みな揃ってよい子のお返事を返した。

 立ち去る二人の後を追う人数は、来た時の倍以上に膨れ上がっていた。

 結局部屋に入るまで、二人は大勢に見守られていることに気付かなかった。
 飲み物を運び、ミニバーへ入れ込んでやるとあぶれた分を一本貰う。
 何をしたわけではなくても、喉がからからに乾いていた。一気に煽る。
 部屋のロックは厳重に掛けた。
 コウをベッドへ座らせ、その前に立つ。
 取り敢えず落ち着こうと、大きく深呼吸をした。
 腹を括る。
 このままではクワトロやアムロにコウを取られるかも知れない焦燥感もあった。

「コウ……」
「何?」
 がしっと肩を掴む。
 その迫力にもたじろがず、コウは真っ直ぐにガトーを見上げた。小さく首を傾げる。
「お前は…………その、私に好意を持っているか」
「こうい……? 好きかってこと? 勿論!」
 はっきりと言うが、すぐに不安げな表情になる。
「……この前言ったろ? 信じてくれなかった?」
 ガトーは焦る。どう伝えればいいものか、悩み抜いた割りに明確な結論がない。
「そうではない。……確認したまでのことだ」
「で、話って?」
「お前は…………ああ。お前は、アムロ大尉やクワトロ大尉に、私達の事について何を何処まで話しているのだ」
「何、って……ガトーが優しくしてくれるって。それくらいかな……何か拙いこと言った? あ、ガトーが昔女の人に凄くもててたって話は聞いた!」
「クワトロ大尉だな。下らんことを……」
「ガトーは綺麗だし、格好いいし、男らしいし、何でも出来るし、そりゃあもてるよな」
 羨むと言うより憧憬に充ち満ちた目で見詰められる。
 出来ることなら、そんな軽薄な印象を与える過去など知られたくはなかったが、コウが気にしていないならまあ構わないかとも思う。
「過去は過去だ。……それより、彼らに、私と恋人同士なのかと尋ねられたのではないか?」
「え?……あ。うん。聞かれた。そうだ……何だか大変なことになっちゃったから忘れてたよ! なあ、ガトー。俺達って、恋人同士なのか?」
 答えに窮する。
 そういう話をする為にここへ来たのだと分かっていても、真っ向から忌憚なく尋ねられると躊躇いを隠せなかった。
「俺だけが、そう思ってる? ううん。俺も、ガトーとニナがどう違うのかとか、分かってないんだけど……どっちも恋人じゃ駄目なのかな。駄目なら、どうすればいいのかな。アムロさんには……ニナよりガトーって答えたけど……よく分からないんだ」
「私は男で、彼女は女だ。違うのも然りだろう。お前が女にしか興味がないだとか、男にしか興味がないだとか言わない限りは」
「女の子にしか興味ないと思ってたんだけどな。うん……ガトー以外の男の人にそういう意味で興味なんてないし、それは変わってないと思う。ガトーに対するのと、ニナって、全然違うんだよ。違うのは、分かる。でも、何がどう違うのかが分からない」
「明確にしなくては……厭か?」
「…………誰も、厭な気分にならないなら、今のままでいいのかなって思うけど……ガトーやニナが厭な気持ちになるなら、ちゃんと決着付けなくちゃ駄目だと思う」
「別なら別で……良いのではないか。彼女が厭だと言うなら、お前には結論を出す義務があるだろうが」
「そうだな。……ちゃんと、ニナとも話してみないとな。……ガトーは……ああ……いや、ええと…………うん。聞くって決めたもんな。ガトーは、俺の恋人? そう思ってて……いい?」
 これでは逆だ。
 ガトーは自分の言葉を奪われた気になり、益々後のない気分になる。
 コウは、男として、軍人として、まだまだ未熟だというのにやけに呆気なく言葉でガトーを追い詰めてしまう。一度腹を決めた後の肝の据わり方だけは一人前だった。
 コウに負けている部分があることが苛立たしくもあり、嬉しくもある。
 アムロの言葉が反芻される。これがコウを子供扱いしていると言うことなのだろう。

「話というのは……その事だ」
 コウに負け続けるわけにはいかない。
 何度腹を括り直したことだろう。だが、再び丹田に力を込める。
「私は未だ……お前に重要なことをはっきりと伝えていないと、ある人からお叱りを受けた。私としても、言葉少なくお前を不安にさせていることもあったかと思い、ここへ来た」
 肩を掴んだままの指に力が入る。
 痛みに、コウは微かに眉を顰めた。しかし、払い除けてしまうには、ガトーがあまりに真剣で動く気にならない。
「お前が私を好いているといった時、私は、分かった、と答えたな」
「うん。嬉しかった!」
「分かった、だけでは……お前は不安になったのだろう?」
「うん……。だって」
「私の責任でもあるのだろう。お前が何も知らぬ未熟者であることを失念していた」
「何だよ、未熟者って!」
 ぷうっと頬を膨らませる様は子供そのままだ。
「誰彼構わず触れる程、私は自分を安く売ったりはしない。男を抱く趣味もない。だが……あの時のお前には触れたいと思った。今も未だ……お前に触れたいと思っている」
「触れるって、っ、ぅんんっ」
 急に間近へと顔が迫る。逃れる間もなく唇が押し当てられた。
 噛みつく様に合わせられ、口内へ舌が入り込む。
「ん……ぅ…………」
 コウはガトーの身体へ手を回し、背をぎゅっと掴んだ。
 絡め取られた舌を軽く吸われ、身体から力が抜ける。
 ガトーはそっと、そのままコウをベッドの上へと横たえた。
 一層、コウはガトーへと縋り付く。
 ガトーの部屋と違い至って標準サイズのベッドは、標準を越える身体の男二人の重みに堪えかねて軋んだ。
「ぅ……ぁ……ん」
 唾液すらも全てくらい尽くす勢いで貪られ、コウは思わず指先に触れたガトーの髪を引いた。
「っ、は、ぁ……っ……も……ガトー……いきなりきついよ」
「上辺のものだとも思うが、言わねばお前に伝わらないというのであれば……言葉を尽くそう」
 白い目元が薄紅く染まっているのが分かる。
 コウにもガトーの緊張が移り、ただじっと、その菫色の瞳を見詰めた。色が薄く、コウの姿はぼんやりと映っている。反対に、ガトーの姿はコウの黒瞳にはっきりと映り込んでいた。

「コウ。お前が私に抱いている好意がどの様なものであっても構わない」
 覆い被さる重みが何処か心地いい。柔らかみの欠片もないがっちり筋肉に包まれた身体は硬く、重くて少し痛いが、それさえも厭ではなかった。
 コウは大人しく言葉の続きを待つ。
 ガトーの額が汗ばんでいるのが分かった。この近い距離なら、緊張で唾を飲み込む音まではっきりと聞こえる。
「……ガトー」
「……………………コウ……」
「ガトー、もう一回、キスして」
「……その前に、伝えねばならん」
 指の背でコウの頬を軽く撫でる。コウは目を細めた。
「何? さっきからガトー、難しいことは言うのに全然何も言ってくれないだろ」
「勝手が分からないだけだ。お前程、子供ではないのでな」
 違う。そんなことを言いたいわけではない。
 自分の吐く言葉の棘に、自信で堪え難い。
「話って、結局何なんだ?」
 抱き締められるのも、キスして貰うのも嬉しいが、いい加減ガトーの様子がおかしいことは、さしものコウにも分かっている。
 コウが簡単に言ってしまえることが、ガトーにはひどく難しい。
「俺に触れたい……俺がガトーをどんな風に好きでもいい……それで?」
 促され、ガトーは思わずコウと頬を合わせた。これで顔は見えない。コウの瞳に映った、柄にもなく狼狽えている自分を見なくて済む。
 とにかく落ち着こうと深く息を吐くと、それが耳に掛かったのか、腕の中のコウが頼りなく身体を震わせた。
「っ……耳、厭だ」
「…………ああ…………」
「ガトー、今日、何か変だよ」
「そうだな。……自分でも、そう思う」
「話、また今度の方がいいんじゃないか?」
「いや……延ばせば、更に言いづらい」
「……何か、凄く大変なこと?」
「お前には、そうでもないのだろうな……」
「俺が平気なのに、ガトーが平気じゃないのか? そんなこと、あるの?」
「ある」
 今度は少しだけコウから顔を背けて溜息を吐く。
 ここで言わねば男が廃るというものだろう。

『コウ……お前は、紛れもなく、私の恋人だ。お前を不安にさせていたなら、済まなかったと思う。好きだ、とも未だ伝えていなかったな。…………そういうことだ』

 NTと言うものは、こんな事も繋いでくれるものなのだろうか。
 だとしたら、クワトロが本気で求めたのも分かる。
 たったそれしきのことが何故か口から先へは出て来ない。
 喘ぐ様に口を開閉させるが、声は出なかった。
 不甲斐ない。自分自身に落胆する。
 もう一度吐いた溜息に再びぞくりとした震えを覚えながら、コウは首を傾けてガトーの顔を見た。
 白い顔が、変わらず紅い。
「ガトー…………俺のこと、好き?」
「………………ああ」
「俺も、好きだよ」
 お返しとばかりに、耳元で囁く。甘く何処か品のいい声音に、ガトーはひどく誘われた。
「コウ…………」
 言わせてばかりだ。それで、いい筈がない。これでは本当に、コウに連敗を喫することになる。
 ひたすら先んじられてしまっているが、コウにそんな力はない筈だ。ただ、的確過ぎる言葉に頭の中が真っ白になる。
 とにかく何かを言わねばと口を開く。
 何か……言葉を。

「愛している。……………………っ……」

 予期せず零れ落ちた言葉に、自分自身で狼狽えた。
 顔がひどく熱くなるのが分かる。
 呼吸が詰まる。息苦しい。

「…………話って、それ?」
「……………………ああ」
 コウの声が微かに震えている様に感じた。ガトーはより顔を背ける。
 言ってしまった。感慨に耽るより、次第に手足が冷たくなってきた。
「……ガトー!!」
 コウは、思い切りガトーに抱き付いた。
 ガトーは一層コウの顔を見られないでいる。その頬に、唇を押しつけた。
「……ちゃんと聞くとちょっと恥ずかしいな……でも…………嬉しい!」
「……嬉しい、か」
「うん! 俺ばっかりじゃないんだよな。好きだっていうの」
「当たり前だ。……そうでなければ、触れたいなどと思うものか」
 言ってしまえば、どうと言うことはない。漸くに溜飲が下った心地さえする。
 やっといつもの調子を取り戻した様子のガトーに、コウは満面の笑みを浮かべた。
「ガトー、初めてちゃんと言ってくれたな。ガトーが何を考えてるのか……俺をどう思ってるのか。ちょっとビックリしたけどさ。クワトロ大尉みたいな言い方するから」
「私が?」
 あんな軽薄な男と同じ様な物言いをしたのかと思うと気が滅入る。だが、一度口に上った言葉を取り消す術はない。
「アムロさんは毎日言って貰ってるんだもんなぁ……恥ずかしすぎないのかな。ほんの少しだけ、羨ましいけど」
「言葉がそれ程の意味を持つとは思わん。お前は、上辺だけの美辞麗句に心動かされる様な男でもあるまい。私に求められても不愉快だ」
「ガトーがあんなにいっぱい俺に言ってくれたら……恥ずかしくて死にそうになるよ、きっと。アムロさんもよく堪えられるよな」
「そろそろ付き合いが長い。慣れたのだろう、恐らく」
「俺も慣れたい様な、慣れたくない様な……」
「私は、言わん」
「でも、たまには言って欲しいかな」
「直接的なことは言わん。だが…………」
 コウを抱え直し、ガトーは漸くコウと目を合わせた。
 やはり顔は紅いまま。
 それでもコウの唇を幾度か軽く啄む。
 ガトーらしからぬ、甘やかな行為だった。コウはただ目を細めてそれを受け入れる。
「言葉も、口付けも、触れることも、全ては単体では事足りないものだ。全てが補い合って、初めて全てを伝えることが出来る」
「どれか一つだけでも凄く嬉しいのに……全部一緒だと、どうしたらいいのか分かんないよ」
「……それこそ、慣れればよいのだろう?」
「うぇ!? 慣れる……って」
 覚えている。どれだけ恥ずかしくて、気持ちがよくて、嬉しくて、けれど対処しきれない程の全て。
 コウの顔もさっと赤らんでいく。

「……いいか、コウ」
「………………え、でも」
「私もお前も、次の戦闘が終わるまで任務はない。正式に休息を頂いている」
「っ……アムロさんからちゃんと?」
「そうだ。……問題はないだろう?」
「ないけど…………っ、く」
 身体へと回された手がするりと尻まで降りる。コウは身を竦ませた。
「…………根回し良すぎるよ」
「お前の人徳だ」
「何で俺?」
「いい。……お前は知らなくて」
「俺が、厭なんだけどな、っあぅ」
 自覚などなくていい。
 ガトーはまだ少し不満げなコウを唇を唇で塞いだ。


作  蒼下 綸

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