「ああ、兄上、こちらにおいででしたか」
 柔らかな光の降り注ぐ庭に相応しく、穏やかな声がかかる。
 ギレンは小枝の剪定をしていた手を休め、意識だけをそちらへ向ける。
 植物という比較的単純な生き物でさえ、こうして手を掛けてやらねば美しく実らせることは出来ない。
 地球などという大きく複雑なものならば、尚更だろう。害虫は、排除しなければならない。
 この庭は、ギレンにとって世界の縮図だった。手入れには勿論それなりの気を使っている。
「何か用か」
「はい。父上に呼ばれているんですが、お部屋に飾る花を持っていって差し上げたいと思って」
 優しく穏やかな子だ。軍人にはしたくないという父の危惧も、分からぬではない。
 だが、ガルマ自身が望むなら、それは誰が口を出すことでもない。十五も歳が離れていては、父親が二人のようなものである。
 否、年齢を鑑みれば、ギレンが父でデギンが祖父であってもおかしくないのだ。飴と鞭なら鞭である自覚はあるが、だからといってガルマが可愛くないわけでもない。
 剪定ばさみを小さなものに持ち代える。
「どれがいい」
「兄上にお任せします。どれも綺麗だから」
 幾つかの地面から生えている花を幾らか摘み取ってやる。簡単に纏め、紐で結わえた。
 差し出すと柔らかな笑みを浮かべる。
「持って行くがいい。父上には、私からもご機嫌ようと」
「はい。ありがとうございます!」
 ギレン以外の人間にそうするように、ガルマはギレンに甘えたりはしない。ドズルやデギンにするように何処までも子供の様な甘え方でもなく、キシリアに対する時の様に甘えの滲む背伸びをするわけでもない。
 何処か一線を引かれているようにも感じるが、ギレンはそれでいいと思っていた。ただ甘やかすばかりではガルマにいい影響はないだろう。
 ガルマがザビ家の男……軍人や政治家でありたいなら、尚のこと。
 一定の緊張感を持たねばならない相手というものは、重要である。

「兄上もご一緒なさいませんか」
 無邪気なものだ。
 このところ父とは政策論議に於いて決裂しがちで、とても和やかに茶を親しむ関係ではなくなっていた。みなガルマには変わらず接しているから分からないのだろう。そういう辺りは、ひどく鈍い。少し育て方を間違ったかも知れない。
「私にはまだすることがある。父上も、お前と二人の方が宜しかろう」
「そうでしょうか……たまには、みんなで茶会などしたいのですが。姉上や、ドズル兄上も誘って」
「お前が主催すればいい。それなら皆集まるだろう」
 ガルマは鎹なのだろう。ともすれば崩壊しそうな家族を、最も幼く弱いガルマが繋ぎ止めている。物理的な力を持たぬ代わりに、一層得難い特質を持って生まれついたものだ。
 軽く目を細める。
「検討してみます。その折りには、兄上もご参加下さいますか?」
「考えておく。……父上を待たせてはならん。行け」
「はい。では、兄上、ご機嫌よう」

「兄貴!」
 暫く経って、もう一人の弟が駆け込んでくる。
 ガルマと違って物腰の柔らかさや品は持ち合わせていない。粗野とも異なりはするが、ギレンは微かに顔を顰める。
「……何だ。騒々しい」
「すまん。ガルマを見なかったか?」
「ガルマなら父上の所だろう。少し前に、父上のお部屋に飾る花が欲しいと」
「ああ、そうか」
 気のいい男ではある。人望も集めていることは知っている。情に篤く、また部下の信任も厚い。自分とは正反対、そして、違った面からはガルマとも正反対だろう。
「ドズル。あまり粗暴な振る舞いはザビ家の名に傷を付けるものだ。くれぐれも忘れるな」
「分かってるとも。……だから俺は好かんのだ。公国の盾とはなろうが、俺にザビの名は重すぎる」
「お前はその親しみやすさは受けているが、一方で態度に品がない。もう少し落ち着きを持て。……まあ、お前にも優れている部分はある。長所は、一つでもあればいい。ザビ家の者は優れていなくてはならないが、超人を民衆は多く求めはしないものだ。バランスは、よく考えることだな」
「それは兄貴やガルマに任せる。粗野で乱暴で頭の悪い三男で構わないさ俺は。威厳や知性は兄貴のもの、気品や柔らかい物腰はガルマのものだ」
「ふん……よく言う」
 語彙は多くはないが、頭の回転は悪くない。弟の長所短所はよく理解しているつもりだ。慕ってくれていることも分かる。厳しく接していても、伝わるものは伝わるのだ。ジオン・ダイクンの言ったニュータイプなどではなくとも。

「そう言えば、ガルマが茶会をしたいと言っていた。何かあれば手伝ってやれ」
「おう、それは願ってもないな。ガルマが主催なら、兄貴も参加してくれるのだろう?」
「仕方がなかろう。……お前、急いでいるのではなかったか。早く行け」
「ああ。では、また後でな」
「お前は煩くて敵わん。静かに出来ないなら顔を出す必要はない」
「……すまん。兄貴と居ると、つい声が大きくなる。嬉しいからかな」
 ドズルの思考回路はギレンとは大きくずれている。言わんとすることが分からない。
 訝しげな視線を向けると、ドズルは照れたように目を反らせた。
「…………嬉しい? 何がだ」
「兄貴と居ることがだ」
「馬鹿馬鹿しい」
「そう言ってくれるな。……俺は、サスロ兄程の役には立たんが、少しでも兄貴の役に立てるなら嬉しい。それだけだ」
「……下らんな」
「そう言うと思った」
「…………だが、覚えておく」
 無骨な……どちらかと言えば不細工な作りをした顔が明るくなる。決して整ってはいないし不気味な程大きな傷を残してもいるが、その表情は好もしいものだ。
 男兄弟だけでいる限りには、歯車も狂いはしない。そんな安心感があった。
 殊にドズルは、その体躯のお陰もあってかギレンから見ても随分頼りがいだけはあるように見えた。
「茶会の話が纏まったら、ガルマと来よう」
「ああ。……期待はしていないが、アレに不手際を起こさせぬようにな」
「分かっているとも。ガルマはよくやるさ」

 今度こそ、と去りかけた足を止め、ドズルは振り返ってギレンの足元を見た。
「兄貴、俺にも花をくれるか」
「誰に渡す」
「誰でもいいだろう。頼む。部屋に飾れるものがいい」
「……ここは花屋ではないのぞ」
 言いながら、ガルマへ渡したのと同じように切花を作って纏める。
 弟達は、生花というものがコロニーにおいてどれ程貴重なものか、よく理解できていないと見えた。小うるさいと言われようと、後でしっかりと教育を施してやらねばなるまい。こんな些細なことでも、上に立つものの自覚というものは重要だ。
「ああ、綺麗だ。ありがとう」
 受け取った花の束に顔を寄せて匂いを嗅ぐ。ドズルに花は似合わない。だが、そのアンマッチの様が何処か可愛らしく思えた。
 善良な男だ。
 好きな女が出来たか、ガルマにでもやるのだろう。
 心なしか嬉しげな足取りで去っていくドズルを視線で送り、自分の作業へと戻る。邪魔が続き、まだ思うところまで剪定が済んでいない。

 それから暫くして。
 予定の手入れを終え、執務室に戻る。部屋には。慣れぬ香りがしていた。
「何だ」
 控えていた秘書官に問う。常には無表情の女が、微かに口元を綻ばせていた。
「ドズル様がお持ちになりました」
 執務机の上に細身の花瓶が置かれている。そこには、先に手折った花が生けられていた。
「……ふん。下らんことをする」
「お下げしますか」
「……構わん。捨て置け」
「畏まりました」

 その日から数日、花が散り行くまで花瓶は机の上に置かれ、馥郁たる香りを振りまいていた。


作  蒼下 綸

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