無意識にも感じていた。
だから、姿を見なくても、声を聞きもしなくても、分かってしまった。
魂が引き合ってしまうから。
彼女を通して。
とても、納得の出来る姿ではなかった。
あの時、燃える様な目で自分を見た少年の姿は何処にもない。サイド6でで会った時の、純粋で愛らしい様もない。ただ、地球という巨大な檻の中で藻掻いている、小鳥だった。
出会うなり詰ってしまったのは大人げなかったとも思う。だが、さした反論もしない様に、より一層苛立ちは募った。
何故この男がまだ戦っているのか、理解できなかった。
詰る様な言葉に、まだ同じものに捕らわれている事を知り、より苛立つ。
もうとうの昔に失ってしまったものなのに、それを理解していない様に振る舞う。射抜く様な瞳が強く、けれども何処か不安定に見え、それがまた自分にも移される様で不快だった。
自分は何も持っていない。
この男が望む様には慣れないし、あの少女に引き合わせてやる事も出来ない。
失ってしまったのは、自分も同じなのだから。
「アムロ君、構わないかな」
嫌みな程に耳障りの良い声が掛けられ、意識だけをそちらへ向けた。
アウドムラの食事は、悲惨ではないものの七年の暮らしの中で舌の肥えてしまったアムロには少々辛い。
簡易食堂の片隅でぽそぽそとしたパンを千切っていた横へ身を滑らせる様にして近寄ってこられ、思わずトレーを避け背を向けた。
先程見てしまった素顔は再び無粋なスクリーングラスに隠されてしまっているが、七年前、三ヶ月を共に過ごした仲間の一人に、やはりとてもよく似ていた。
彼女より、むしろ何処かが余計に美しいかも知れない。
その事がより不愉快だった。
食事を口の中へ押し込み、席を立つ。
しかし、腕を取られて引き戻されてしまった。
口を開くのも視線を合わせるのも厭で、ただ顔を背ける。
「君と時間を持ちたい」
男の手は大きく、アムロの手首を掴んで尚余りある。
「君の部屋へ行く。拒んでも無駄だ」
低く囁かれ、アムロは強く腕を振り払った。堪えられない。こんな男の側にいるのは。
逃げる様に駆け出すアムロの背へ、男の溜息が聞こえた。
厳重にロックを掛け、ベッドへ潜り込む。いろいろあり過ぎて、疲れていた。カラバへ合流するのは主目的だったとしても、あの男がいるとは思っていなかった。
いや…………薄々感じてはいたのだろう。だからこそ余計に厭だった。
可変とはいえMS一機にあれ程手こずるのが、かの赤い彗星だなどと思いたくもない。腕が落ちたのだろうか。それとも、彼も自分と同じ様に、何処か燻ったものを抱えたまま、成長できないでいるのか。
馬鹿馬鹿しい。
あの男は上を見上げすぎている。立ち止まる事など知らないだろう。
……ふと、唯一の友人の顔が脳裏を過ぎった気がした。
そうだ。
顔を思い出せば、その次にしなくてはならない事にも思い至る。枷がなくなった今、もう一度会う事も出来る筈だ。きっと。
がばりと起き上がり、通信機へ手を伸ばす。
「……アムロだけど。ハヤト、出てくれ」
受話器を取り、ブリッジにいるだろう仲間へ呼びかける。
すっかり貫禄が付いてしまった姿を見た時には驚きもしたが、七年経ち、妻帯し、子供もいるともなればそんなものなのかも知れない。あの無駄に赤い男より落ち着いてさえ見えた。
小さなディスプレイに顔が映る。
『……何だ』
「メール送りたいんだけど、何か手段あるか?」
『状況を分かって言ってるんだろうな』
「……分かってるよ。だけど」
『……ブリッジまで来い。ここからなら、送れる』
「ああ。ありがとう」
それに、あんな男に来られたのでは堪ったものではない。
アムロは再び部屋を飛び出した。
「それで誰に送るんだ?」
「友達」
どう書いて良いものか悩む。傍受されても構わない様に書かなくてはならない。
「お前に友達、なぁ…………WBクルー以外にいたのか?」
興味深げにディスプレイを覗き込まれる。アムロも、別に隠しはしなかった。
「ああ。……そもそも、WBのメンバーは……友達じゃない」
「……そうか。そうだな……家族みたいなものだもんな。しかしお前、軟禁されてたんじゃなかったのか?」
「中ダレって言えばいいのかな…………あの戦争が終わって暫くは本当に監禁状態だった。その後少し自由のある時期があって……その後また軟禁。そのちょっとした時期にね」
エンターキーを叩く。
プログラムは組めるが文章を組み立てるのは苦手だ。これ以上考えても仕方ないと思えて、適当なところでけりを付ける。
「お前が信用してるって言うなら、疑わないけどな」
「……いいヤツだよ。俺と話も合うし」
「…………どんなマニアだよ、それ」
「俺と同じ経歴持ちだよ。ニュータイプなんかじゃ、ないけど」
「ガンダム乗り? まさかな。暫くガンダムも作られてたって話は、聞いたが」
「機会があれば分かるさ。それで…………ん」
返信がある。
メールボックスを開いて、アムロの顔に笑みが満ちるのをハヤトは複雑な思いで眺めた。こんな風に笑う姿が記憶にない。それ程仲良くはなかったし、WBにいた頃には喧嘩ばかり……その後もアムロが遠くなっていくのを感じるばかりで、その背を睨む事しかできなかったのだから。
あの時にはそう羨み、憎くも思った筈なのに、結局幸不幸で言えば自分の方が余程幸福で安定しているというのが不思議だった。
「なぁ、ハヤト。一回、何処かで下ろして貰えないかな」
「馬鹿を言うな! 全く状況が分かっていないな、お前」
「分かってるよ。だけど……どうしても会いたい人がいる。上手くすればこちらの戦力にもなる」
「そのメールの相手か」
「ああ。…………現在は、北米オークリーでテストパイロットをしてる筈だ。同い年の、軍人だよ。俺なんかよりずっと戦える」
「ティターンズに抵抗してくれそうなのか?」
「分からない。だけど…………ティターンズには入れなかった人間だ。無理に誘おうとは思ってない。だけど、俺を連れて逃げてくれるって言った。裏のない人間だよ」
「お前が言うなら、確かなんだろうけどな……だが、下ろすのは……」
「自力で追いついてみせる。ホモアビスを一機貸してくれるだけでいい。そうだな…………ここからなら、移動時間も考えて…………シャーロットがいいな。あそこの近郊で。なぁ……頼むよ」
座った体勢から上目遣いに窺われ、ハヤトは困って眉を顰めた。
現在の妻であるフラウ・ボゥがずっと気に掛けていたのが分かる。何処か、庇護欲というものを抱かせる容姿をしているのだ、アムロという男は。
外見が余り変わっていない様なのも、それに拍車を掛ける。多少老けたのは分かっても、むしろ記憶にある当時より痩せて華奢な印象になっていた。
目に全く覇気がないのも、それを助長させている。
「……誰か一人連れて行け。俺は無理だけど……お前一人は危なっかしい」
「酷いな。そんなに頼りないか?」
「日常生活ではな。お前ほどの引き籠もり、他に知らないぞ」
「だって出る用事なかったし。戦争後は用事があっても出して貰えなかったしさ」
一応の了解を得て、メールを再び送信する。
アムロは満足げに息を吐き、微笑んだ。
「変わらないな、お前」
「ハヤトが変わり過ぎなんだよ。すっかりお父さんだ。俺達、まだ二十三だぜ?」
振り返り、軽く腹の辺りを小突く。動じない。手触りが案外硬いのは、付いた貫禄が脂肪ではない事の証なのだろう。
「子供がいれば、変わるさ。……と言いたいけど、子供が出来てもブライトは変わってなかったな」
「連絡取ってたのか?」
「ミライさんとフラウがね。偶に家族ぐるみであったりはしていた。こうなってからは……そう上手くは行かなかったけど、ブライトがエゥーゴに参加したって聞いて安心している」
「そうか。……変わりないのか。まあ、WBの時は、俺達が子供みたいなものだったしな」
顔を思い出す。声も。散々怒鳴らせた記憶に、苦笑が浮かんだ。
思えば、本当に困った子供だった。今の自分があの立場だったとしても、恐らく殴っている。それは、シャイアンで僅かながら後身の指導にも当たったから分かる事なのだろう。
「あの時、ブライトだってまだ十九だったんだぞ。今思い返すと気の毒だったと思うよ」
「そうだな。ま、ブライトもハヤトも、職場結婚の口があって良かったじゃないか」
「お前だって、セイラさんの事忘れてないんだろ」
「…………フラウにも同じ事を言われたよ。素敵な人だったとは思うけどね。そういうんじゃないな、俺は」
綺麗なお姫様。あの人は高嶺の花だった。
しかし思い浮かべた顔が直ぐにその兄の姿へと取って代わられ、顔が自然に険しくなる。
「どうした?」
「いや…………」
「お前に同伴できる人間を見繕っておく。シャーロットなら、三日後辺りだな。速度と高度を落とすから、ちゃんと合流してくれよ」
背中に触れる手が温かい。染みる様だった。
気を許せる人間に会いたかった。触れ合いたかった。……そういったものに飢えていたのが、よく分かる。
鼻の奥につんとした疼きを感じながらハヤトを見上げて微笑む。
「当たり前だろ。俺だって、身の危険は分かってるよ」
ハヤトにまで子供扱いされている気になる。確かに、彼に比べれば随分と浮き世から離れてしまった。頼りなく思うものなのだろう。
むしろそうして、ハヤトに気を使わせるのが申し訳なくもあり、不思議な気分だった。
仲良くはなかった。フラウを挟んで、敵視されている様に思った事もある。
時は確実に、七年も過ぎてしまっていた。アムロ一人取り残されてしまっているだけで。
再度の返信を受け取り、アムロは僅かに目を細めてディスプレイを見詰める。彼に会えたなら、自分の時ももう一度流れ出してくれるかも知れない。
アムロにとってこのディスプレイの向こうの相手はそれ程の推力となりうる人間だった。
「っ……んな……」
ブリッジを出て自室へ戻ろうとしたその時、突然横合いから手首を掴まれた。
抗う間もなく人気のない補助電源室へと連れ込まれる。
「……ハヤト館長と、随分親しそうな事だな」
「シャ、ぁ……っく」
口を塞がれ、壁に押しつけられる。掴まれた手首が軋んで痛んだ。
「部屋へ行くと言っただろう」
何とか口を開けて口に当てられた手に噛みつく。容赦なく歯を立てると、手袋越しとは言えさすがの男も怯んだ。
酷く苛立っているのが分かる。しかし、その理由が分からない。困惑するより怒りが先に立って、アムロは思い切り男の足を踏みつけた。
何だってこんなに全身真っ赤なのか本当に理解できない。正気を疑う。
またその色が、アムロを七年前へと引き戻してしまう。折角、先に進もうという気になりそうなのに。
付き合っていたくない。踏みつけた足の踵でぐりっと踏み躙ってやると、さすがにクワトロも怯んで身を引いた。
「何をするんだ!」
「君が私から逃げるからだ」
「貴方と話す事なんて何もない。用がないんだから、逃げるも何もないだろう!?」
「私にはあるのだ。来たまえ」
「っ……や、離せっ!」
腕を掴み直され引っ張られる。腕力は、あからさまにクワトロの方が上回る。先手を取られては対抗する術が中々ない。
「何処へ!?」
「君の部屋だと言っただろう」
「く、っ……ぃやだ……っ」
「聞き分けがないな」
「うわっ!」
足下を掬われた気がした。一瞬怯んだ隙を突いて、身体が浮く。
「くそぉっ!」
暴れても動じない。肩の上に俵でも担ぐ様に上げられ、がっちりと腰を支えられてしまってはどうしようもない。
アムロはそのまま、自室へ運び込まれてしまった。
部屋へはいるなりロックを掛けられ、荷物を放る様にベッドの上へ投げ落とされる。
その扱いに益々腹が立って殴りかかろうとしたが、その行動は読まれていた。腕を取られ、難なくベッドへ組み伏せられてしまう。
体重を掛けられた背骨が軋んで悲鳴を上げた。
「離せ、シャアっ!」
俯せに、息苦しい程に押さえつけられじわりと目の縁が滲む。
それでも辛うじてクワトロの顔を視界に入れ、出来るだけの視線で睨んだ。
怒りに薄赤く染まり微かに潤んだ目元が妙に艶を刷いて見える。
姿に反したこの大きなプレッシャーは忘れもしない。
クワトロは、自分の血が沸き立つのを感じた。
「ぅ…………くっ……」
「君は……っ!」
「っ……ぃ……たい……離せっ!」
根源的な雄の欲求、とでも言えばいいのだろうか。酷く乱暴な思いがシャアを突き動かす。弱々しく身体の下で藻掻いている様が気に障って仕方がなかった。
この男は、もっと強かった筈だ。
ララァが自分を庇わねばならなかった程。
どれだけ最新鋭の機体を駆り出しても、勝てなかった程。
生身で斬り合っても、勝てなかった相手だ。
それが!!
首根を腕で強く押さえつけると、アムロはそれだけで縫い止められてしまった。
苦しいのだろう。藻掻きはするが次第に四肢から力が失せていくのが分かった。いざ捕らえてしまえば、これ程に弱々しい生き物だったというのか。
翻弄され続けてきた事が滑稽で、馬鹿馬鹿しい。
それでも、アムロは屈しようとはしなかった。苦しみながら、全身でクワトロを拒絶し続ける。
その事が何より憎かった。
今尚、失った少女の一番近くにいる存在だというだけでも許し難いが、拒む力も持たぬこんなものに翻弄され続けている自分に何より腹が立つ。
「君をあの時……無理にでも連れ去っていればよかった」
そうすれば、こうまで情けない姿を見なくて良かった筈だ。
「ララァは君の側にいるのだろう?」
首が小さく振られる。押さえつけられている為にそれ以上は動けない様だった。
「嘘を吐け。彼女が、その他の何処へ行けると言うんだ!」
「……ラ……ァは…………がっ……」
答えを許さないとでも言わんばかりにより自重を掛ける。苦しさに口を閉じる事も出来ず、アムロの唇から唾液が滴った。
シーツに押しつけられた頬が擦れる。
「はっ……ぁ……」
「ララァがいない。私は、彼女に会えもしない!」
「……貴方は……っ!」
力を振り絞り、藻掻く。
両腕を戒められているわけではない。何とか自由になる方の腕を動かし、クワトロの襟を掴もうとする。
手の当たり所が悪く、爪先がクワトロの頤の辺りを強く引っ掻いた。
「くっ、ぅ……」
一瞬腕の力が緩む。
這う様にしてクワトロから逃れ、アムロはベッドヘッドの端まで寄った。
そこで、自分の失敗に気が付く。
逃げる方向を間違えていた。
「くそっ!」
それ以上逃れようにも、当然既にクワトロは体勢を立て直している。
男二人の重さにベッドが軋んでいた。
躙り寄ってくるその目の中に狂気を感じ、アムロは思わず身を竦ませる。
壁に追い詰められていく。最早クワトロに隙はない。
殺されるのか。それ程の狂気とプレッシャーをクワトロから感じる。
ただ、期限が延びただけだったのだろう。七年前の、あの日から。クワトロの額に傷を見つけ、納得する。右の上腕が微かに痛む気がした。
お互いにこの傷がある限り、時が止まったまま流れ始めてくれないのだ。
アムロは覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた。
「……ぅう、っ!?」
再び息が詰まる。
吸う息、吐く息、全てが食らいつくされる。
何をされているのか頭が付いて行かず、アムロはただ身を硬直させた。
歯がかち合い痛みすら覚えたところで、漸く我に返る。
「っ、ふ……く……っ……」
口付けられている。
押し退けようと藻掻くと難なく手を封じられてしまった。そこまで痩せていないと思っていなかったが、片手で両の手首を纏めて封じられてしまう。
蹴り付けようとすると、その瞬間に開いた足の間に身体を差し挟まれてしまう。
罵ろうと口を開く。入り込んで来た舌が絡められ、強く吸い上げられた。
「ふぁ……っ……」
プレッシャーがぶつかり合う。
視界が業火に覆い尽くされた気がした。
飲み込まれる。
焼かれる。
そのイメージが脳裏を乱し、身体の感覚すら犯していく。
熱い。クワトロ……シャアが何を考えているのか分からなかった。ただ、身を焦がされる。
身体が芯から震えた。故の分からない震えが尚のこと恐ろしい。
気が付けば、縋る様にクワトロへ恭順していた。
大人しくなったところで、漸く唇が離れる。
「っな……んで……こんな」
息が整わない。
睨む目にも気迫が込められなかった。ただ酷い失望感と侮蔑が浮かぶ。
この男にそんな趣味があったとは思わなかった。
「君が悪い。そんな姿で、私の前に現れるから!」
「何だよ、それ!」
「君がララァを連れて行ってしまった。私の下にも来なかった。だと言うのに君は、そんな……っ」
もう一度噛みつく様に唇を合わせられる。掴まれた手首が酷く痛んだ。
「っ、はぁ……っ」
口付けの仕方も知らぬ子供ではない。タイミングを見計らって息を継ぐと、尚更深く口腔を犯された。
犯されているのだと、漸く深く理解する。
口の中を這い回る舌をそれでも何故か嫌悪だけではなく受け止めていた。どうでもいいと言えば、どうでもいい。今の自分はただの抜け殻だ。ただ、その事を痛感するだけなのだから。
顔だけは、本当に綺麗だ。かつての憧れの人に似ているから許せるのだろうか。
それともあの少女を通して繋がっているからか。どちらかが欠けたら、お互いにきっと、もっと正気ではいられなかっただろう。
この熱を感じていれば厭でも分かる。彼を正気に保っているのは、まだアムロ自身が生きているからだ。
七年、そんな事ばかりを考えて過ごしてきたのだろう。だからこそ抜け殻になってしまったアムロが許せない、そう思っているのだ。
押さえつけてくる手の力は抗えば抗う程に強まる。アムロは、身体から力を抜いた。
「何故もっと激しく抵抗しない!?」
思うさま嬲っておいて、そんな事で怒られても困る。怒りより、そろそろ困惑が勝ってきていた。
薄い胸を喘がせながら様子を伺う。
クワトロはスクリーングラスを乱暴に床へ放り投げ、ひどく強い視線でアムロを睨んだ。
「…………抵抗したら……やめてくれるのか……?」
力ない。諦めが強く滲んでいる。
クワトロの視線から逃れる様に微かに身を捩る。
手袋越しにも、クワトロの手が熱い。手首が焼け付いてしまいそうだった。
「……好きにしろよ。引き裂きたいなら……殺したいなら…………そうすればいい。今の俺にそこまでの価値があるとも、思えないけど」
「価値がないだと!? 貴様、それがララァを殺した男の言う事か!!」
「だから、殺せと言っている! 貴方の気が、それで済むなら、っ」
漸く手が解放される。しかし、逃れる前に胸倉を掴まれた。顔がひどく近い。
結局逃げられない。このまま締め上げ続けたら、どのみち死んでしまいそうだ。それも、滑稽で良いかもしれない。
唇が微かに微笑む。
簡単な事だ。この男の手に掛かるなら、自分もまた、ララァに会えるかも知れない。
差し出す様に頤を上げる。
諦めの満ちた静かな表情に、クワトロの方が狼狽える。
何故そう簡単に投げ出せるのか理解できない。
それ程全てを諦めきっているというのか。
こんな形骸を自分は憎み、追い求めていたというのか。
「気など済むものか! 貴様は、私の全てを奪ったのだぞ! それを!!」
「…………じゃあ……俺に、その他に何を求めるって言うんだよ…………」
顔を上げもしない。
もう一度口を犯してやりたくなったが、角度が悪い。
それより、もっと直接的な征服欲がクワトロを満たし始めていた。
殺しても気など晴れるわけがない。ずっとこの男を追い求めていたのだ。それが例え、形骸でしかなかったとしても。
もっと残酷な手段で、屈服させたい。引き裂いて、深く己を刻み込んで。
頭の何処かが冷めるのが分かった。
そうすれば簡単な事か。男として、最も嫌悪するべき行為を強いる。
自らの中の雄が昂ぶっているのは分かる。それは、こういう事だったのだろうか。
胸倉は掴んだまま頤を突き上げる様にして顔を上げさせる。もう一度、深く口合した。
そして、アムロのスラックスの前を寛げ中に手を潜り込ませる。
しかし、アムロの抵抗はやはりなかった。
「何故拒まない」
「…………気が済む様にしろよ。同じ事だ。殺されるのも。犯されるのも」
感情のない目が向けられる。
もう、歯止めは利かなかった。
「ちいっ」
全裸に剥いても、アムロはただ顔を背けるばかりで抗わない。
足を割り開かせ、必要のある部分を晒した時だけ微かに震え顔を赤く染めたが、ただそれだけだった。
軽く唾液で濡らした指を潜り込ませてやっても、それでも。
「っ…………」
「……初めてではないな」
答えは返らない。だが、身体は術を知っている様に見えた。余計に苛立って舌打ちをする。
「遠慮は要らないという事か」
にやりと笑った口元には壮絶な色香があった。アムロは表情を完全になくして、ただそれを見る。
下衆な変態。そう唾棄するのは容易い。
ただ、触れてくる手の熱が、そうあっさりと断じてしまうには余りに強かった。
当てられて目眩がする。
この男が、そうまでして何を自分に求めているのか……ララァの事だけではない様に思えた。
自分から触れるのは怖い。アムロはただシーツを握り締める。この熱を受け入れてしまったら、身のうちから崩されてしまうだろう。それに抗うだけの強さは、今の自分にはない。
何も感じたくなかった。感覚を閉ざしてしまえない、それどころか常人よりもずっとダイレクトに感情を感じて引き摺られてしまうこの力が厭わしかった。
「ぁ……あっ」
無遠慮に中を抉られ首を振る。閉ざしてしまえないのは、心の感覚だけではない。身体も……知らぬではない刺激にそう強くはなかった。
「傷つきたくないなら、そのままじっとしている事だ」
自分でも、よくここまで冷たい声が出るものだと思う。滅茶苦茶ににしてしまいたい。抗わざるを得ない程に。
「あ、っぁああっっ」
女程撓やかではないが細い腰を抱え、一気に穿つ。自身がアムロを前にしてこれ程雄としての昂ぶりを覚えるとは意外だった。
アムロの悲鳴が耳に心地良い。
こうしてしまえば良かったのか。根本まで埋め込んでしまうと、溜まらない充足感を覚えた。
「くっ……いいな、アムロ……」
「ぅ……っく……」
支度が足りない。深く男根を捩り込まれて、引き裂かれる様な痛みに身体が引き攣る。シーツを掴む指が色を失くしていた。
知らないわけではなくとも、慣れているとは到底言い難い。頭を打ち振るって感覚から逃れようとするがその仕草はクワトロを煽るだけだった。
「く、ぅあ……っ」
馴染むまで抽送は始めず、小刻みに揺らしてやる。アムロは強く目を瞑って感覚に堪えようとしていた。引き結ぼうとする唇の間から切れ切れに声が零れる。その艶めいた音色にぞくぞくと、熱が溜まっていく。
「あ、っ……ぅぁ……」
「悪くはない様だな」
「ちが……っあぁ!」
シーツがより深く細波を作り出していく。ゆるりと腰を回してやると、それだけで身体は跳ねた。
次第に絡みつく襞の感覚が明確に誘う様になってくる。慣れてきたのを感じて、軽く腰を引いた。
「ぁ、っく……」
引き摺られたのは直腸の感覚だけではない。男に、魂ごと引き摺られていくのが分かる。
シャアも、アムロと同じ程に空っぽなのだ。
せめてもの欠片で埋めてしまいたいのだ。だが、それはアムロも同じ事だった。
傷の舐め合いよりももっと深く、辛い。
アムロは片手をシーツから離し、シャアを抱き寄せた。
その手の感触にシャアは漸くはっきりと動き出した。
動き出してしまえば、後はお互い躊躇いも羞恥もなかった。
炎のイメージは、一度解放されてからは曖昧になり、むしろ包み込む波の様な感覚に取って代わられた。
ララァのイメージ。アムロのイメージ。傍観するだけだったその感覚の中に自分がいる事に、シャアは例えようもない充足を覚える。
打ち付けた心の全てをアムロは拒絶しなかった。受け入れてくれたとも到底思えなかったが、少なくとも否定しなかった。
たったこれだけのものなのだ、自分が望んでいたのは。
充実したまま、アムロを腕の中に抱き込んでどさりとベッドへ伏す。
アムロにはもう、殆ど意識はない様だった。
温もりのある身体は確かに生きている者のものだ。アムロが生きている事に、今更妙な感慨を覚える。
右の上腕に残る傷へ触れ、唇を押し当てる。それと同時に、肘の内側に痣を見つけた。顔を寄せ、それが注射痕である事を知る。眉を顰めた。
他に傷はないかを探す。
髪を掻き分けると、頭皮に幾つか、髪の生えなくなっている部分を見つけた。肘の痣も両側だった。
何をされてきたのか想像に難くない。
思わず苦々しい舌打ちをする。耳元に息が掛かり、反射的にアムロは身を竦ませていた。窘める様に抱き締め背を撫でる。
すっきりした、と言うとアムロに申し訳ないのだろうが、実にそんな気分だった。
この腕の中の触れられる場所にアムロがいると言う事が心地良いのか。その自覚はなかったが、温もりを嫌いにはなれなかった。
やはり、あの時に無理矢理連れて行ってしまえば良かった。そうすれば、少なくともこんな痣を身体や心に刻み込む事はなかっただろうに。
まだアムロを完全に許せるものとは思えない。それでも、先程の混じり合う感覚を自分も感じられた、その事がシャアに安定を齎している。
ベッドから抜け、ミニバーから水の入ったボトルを出して一気に煽った。
汗ばんだ額に張り付く髪を軽く掻き上げ、服装を整える。
「アムロ君。……君に謝罪はしない。だが、君に会えた事を後悔もしない」
薄い肩が震えている。泣いているわけではないだろう。しかし、気に掛かって顔を窺う。
日はすっかり落ち、窓からは月光が差し込むばかりではっきりとした表情までは分からない。ただ、ぼんやりと開けられた瞳だけは見えた気がした。
「………………こんな……ことで……」
「まだ気は済まない。戦えない君など、認められるものではないからな」
「俺は、軍人じゃない」
「だが、カツ君やカミーユの様な子供が戦っている姿をみて何も思わないアムロ・レイではないだろう」
「…………俺は…………」
まだ迷っている。
身体に残る傷の数々を見れば、アムロが何を厭がっているのか大体の想像は付いた。
しかし、それではやはりアムロだけではなく自分自身も救われない。
「三日後に会うとかいう友人にでも託すつもりか」
「……聞いてたのか」
「私が付いて行く。否やは言わせない」
「馬鹿言うな。貴方はここでアウドムラを守らなくてはいけない筈だ。そうでなくても、ここにいるエゥーゴの指揮官は貴方だろう」
酷く声が掠れている。それが却って艶を刷いて聞こえ、シャアは唇を寄せて自らの唾液を注いだ。軽く鼻を摘んでやると仕方なく飲み込む。
「エゥーゴと君なら、私は君を選ばざるを得ないな」
「……正気か」
「ああ。……いいな。必ずだ」
「貴方がハヤトを説得できるならな」
両腕を緩慢に動かして男を突き放し、アムロはその反動を使いながらゆっくりと寝返りを打ち背を向けた。
「もう……出て行けよ…………寝る」
「……君を手放しはしない。館長を説得すれば良いんだな。了解したよ」
髪に触れれば綿毛の様な感触が心地良い。軽く口付けてシャアは今度こそ、アムロから離れた。
「お休み、アムロ君」
アムロからは返事も返らない。軽く肩を竦め、シャアは部屋を出て行った。
外からロックが掛けられる音を聞きながらその周到さに気付く。コードの解析までしているとは、厭な上に少し気持ちが悪くもなる。
まだ何処か熱く凝った息を吐き、目を閉じる。肌の上にまだシャアの感覚が残っている様に不快だったが、起き上がる気力もなかった。
ただ眠りたい。
そう思うのに、何か困ったものが近付いてくるのが分かる。
ややあって、ドアが叩かれた。
『アムロさん、構いませんか』
こんな時に聞きたくない。シャアがララァと自分の代わりにしている少年の声など。
感覚の鋭そうな子だった。何があったのか薄々気付かれているのかも知れない。
もう一度息を吐き、答える。
「……カミーユ君。…………何か」
『少し、構いませんか』
「…………明日にしてくれないか」
答えるのも億劫だ。だが。
『…………クワトロ大尉に、抱かれていたんでしょう』
「っっ!」
『話したいんです。開けて下さい』
そこまで直接に言われるとは想定外だった。開けざるを得ない。
手近なリモコンでロックを解除してやると、綺麗な顔をした少年が飛び込んできた。
少年と言っても、子供という歳でもない。怒っている様な、困惑している様な、そして同情している様な視線が居たたまれない。
振り返る事も出来ず、アムロはただ少年に任せる事にした。
もう、頭で考えるだけの余力はなかった。
終
作 蒼下 綸