何でこんな事に。
 …………ああ、本当に、全く何でこんな事になっているのか。
 女の悲鳴の様な音を立てて、強く爪を立てたシーツが切り裂かれていく。支給品はものが悪い。
 思い切り殴るなり、蹴るなりすればこんな見かけ倒しの男、一撃で撃退できる。
 それだというのに、触れてくる手から伝わる思惟が、カミーユから力と気力を奪っていた。

 さらさらと胸の上を這う髪は柔らかく擽ったい。
 細く手触りのいいそれを引っ掴んで、カミーユは引き離そうと試みる。
 大人のくせに。
 そして、レコア・ロンドという恋人もいるくせに。
 こんな子供一人それは簡単に落とせると思っているのだろう。だからといって、流されてやる義理などない。そう、思うのに。
 触れ合う端から伝わるのは、孤独と絶望そして、空虚に枯渇した魂。
 放っておけるわけがない。
 自分も大人になったら、こんな風になるのだろう。その予感が怖かった。

「っ……ぅ…………」
 甘ったるい声が洩れるのが厭で、唇を強く噛む。
 この男が求めているのは自分とは全く別のものだ。もっと、揺るぎないものだ。分かる。
 こんな時だけ、妙に鋭い自分が厭になる。
 愛せないのだろう、誰も。
 愛せるものは、全て失ってしまったのだろう。
 だから、こんな子供すら求める。愛せたものに近しいというだけで。
「……ぁ……ゃ…………ぅっ」
 細く上がる悲鳴は口付けて飲み込んでしまう。
 人の悲鳴なんて、飲み込んでる場合ではないだろう!
 そう叫びたくても声は吸い取られてしまう。
 シーツから手を離し、覆い被さっている身体を抱く。背中を叩いても、離れてはくれない。
 脱ぎもしない相手。肌も触れ合わない。繋がれるのはある一点と、手、そして唇。……ただ、それだけ。
 厭だ、こんなのは。馬鹿げている。

 無理に身を捩り、男の脇腹を蹴り付ける。
「くっ…………カミーユ……その態度はどうにはならないものかな……」
「馬鹿げてるからですよ、こんなの!」
「だが…………いいのだろう?」
「っひ……ぁっ…………」
 昂ぶっていた先端を弾かれ、腰が跳ねる。どうしようもなく厭になって、抱き寄せていた背中を容赦なく引っ掻いた。
「痛いな」
「…………貴方なんて……っ……」
「殺してくれても構わないよ。私は君に酷いことをしている」
 静かな声。静かな瞳。
 嘘ではないのだ。その瞬間では、至って真面目。
 分からない人だ。死ぬのは怖いくせに。
「……酷いって分かってるならっ!」
「どうする?」
 背に回していた手を取られ、男の首筋に押しつけられる。
「君の握力とこの爪があれば、頸動脈を切り裂くことも出来るだろう」
 指先に感じる脈動。確かに、容赦なく爪を立てればそれなりのダメージは与えられるかも知れない。
 微笑んでいる顔と見詰め合う。
 心底楽しんでいた。カミーユが力を込めてしまえば、血に染まるくせに。
 ふと気が付く。
 ……赤い軍服は、そんな血で染めているつもりなのかも知れない。その、心が膿み崩れて流した血で。
 馬鹿な大人だ。生きた分だけ、そんな色に染まって。

「……ごめんですよ、僕は」
 身体は昂ぶっているのに、心は何処までも冷え切っていく。
「貴方なんて、背負えない」
 そんな重いものはごめんだ。
「……君は、優しいな」
「甘えたいんなら、女の人の所にでも行って下さいよ」
「……女ではな…………君の方がいい」
 汗ばんだ額に張り付く髪を払われ、口付けが降りてくる。
 こんな甘え方を許す女もいないというのか。
「……レコアさんとか……っ……どうなんです」
「……重いな。あれは。私には与えるものなど何もないというのに」
「僕だって……貴方に、いろいろ求めているんですけど」
「……だから、君は優しいと言うのだよ」
「訳が分からないです……そんなの」
「分からなくていい。君には綺麗なままで居て欲しいな」
 唇に誤魔化されている気分になる。
 もう綺麗ではない。この男に穢されたから。
 女の子ではない。
 そう突っぱねながらも、こんな目に遭うと……その自分にとっては最重要事項が曖昧になっていく様で余計に腹立たしい。
 微笑んだまま悲しげに泣く様な、そんな表情をするこの男が悪い。
 そんな顔をするくせに、まともに泣けもしないこの男が悪い。
「あ、っ……ぅ……」
「声を聞かせてくれ。君の声は、甘い」
 甘いというなら、何故そんな苦々しげな声を出す。
「君は、綺麗だ」
 何故羨む様な声を出す。
 この男の方が余程綺麗だ。顔も、身体も、心も、何もかも。柔らかくて、握り潰してしまいたくなる。
 首筋に爪を立てる。
 痛みに秀麗な眉を僅かに寄せながら、男は嬉しげに笑った。表情から苦みが消え、まだ泣きそうながら今度は喜んでいる様に微笑む。

「…………背負い切れませんよ。貴方なんて。ほんとに」
 熱い息を吐き出す。
 身体を這い回っていた手が止まり、強く抱き締められた。
 自分と同じ様な強さだ。そう感じた。堪らない。こんな風に飢えている様に抱き締められたら、どうして自分に突き放せるだろう。
 拒絶される怖さを知っている。そんな自分にこの男が求めてくるのは、卑怯だ。
 先手を取られてしまった。この男程素直に表せたなら、それでも自分だってこの男を求めることだって出来ただろうが、今更それも出来ない。
 まあ、この男では、求めると逃げるのだろうが。「重い」と言って。
 傲慢で自己中心的。人として最低だ。だと言うのに突き放せない。余計に質が悪い。こんな、求める様な目で見られては、受け入れてやるしかない。
 柔らかな髪が首筋に触れ、唇が辿る様に触れる。
「はっ……ぁ……」
 求められる感覚は嫌いになれなかった。
 自分にそんなことを求める人間があるなどと、考えたこともなかったから。
 何処からどう見ても大人の色香を漂わせる大人の男なのに、どうしようもなくガキだ。女を求められもしない程。
 確かに本気の抵抗はしていないとはいえ無理矢理に男である自分を組み敷いて、そのくせ妙に大切そうに……壊れ物でも扱う様に触れてきて。
 そのアンバランスさに絆されている自分も、多分女なんかより余程質の悪い生き物なのだろう。

「んっ……ぁ……あ……」
 抱き寄せて背に回っていた手が腰の窪みまで落ち、そこから尻の丸みを撫でられる。
 大きな手だ。それだというのに、触れ方の所為かひどく頼りない。
 狭間を彷徨う指先が息づく窪みに掛かる。
「……痛いのは……厭ですからね」
「分かっているよ」
「っあ、ぁ……ん……」
 するりと前に回された手が昂ぶっているものの先端を弄り、滑りを掬って再び蕾に触れる。
「く、ぅ…………ん……」
 鼻に掛かる様な自分の声に羞恥を煽られ、男から手を離し顔を覆う。手の甲を口に当て、歯を立てる。
 濡れて抵抗なく指が蕾に差し入れられる。指の一本程では、大した苦痛ではない。まだ数度しか抱かれていないのに、随分身体が作り替えられてしまった様にさえ思った。
「はっ……ぁふ……」
 遠慮のない指が蕾を抉る。鉤字に曲げた指の形で襞を弄ばれ、頭が仰け反る。晒された喉元に、男の舌が這った。
「やっ……ぅあ……」
 手慣れている大人に対して、ただ翻弄される。
 本当に、厭な大人だ。
 自分はもうそれ程の子供ではない。勘も悪くない。
 自分は誰の代わりだというのだろう。
 男の自分で代わりの務まる相手。男……それとも、彼に男を求めない女?
 考えたくはないのに、伝わってくる冷たくて熱い想いが、カミーユの頭の中を乱す。
 頭痛がする。
「もっ……ぉ……厭……」
 厭だ。感情なんて、いっそ何一つ分からないままの方がいい。
「もう? まだ、これからだろう?」
 何も分かっていない。
 こんなにも求めているのに、何一つ……自分が枯渇していることも、それを埋めてくれるものを求めていることも、本当に、何一つ分かっていない。

 突き放せない自分も、それにつけ込んで甘えるしかないこんな大人子供も、大嫌いだ。
 表面上優しげな、裏を返せば悲鳴に似た掠れと艶を持つ声をこれ以上聞いていたくなくて、カミーユは掌底で男の整った頤を突き上げた。


作  蒼下 綸

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