ああ、この人なのか。
 会った瞬間に分かる。
 声が頭の中にまでストレートに飛び込んできた。「下がってろ、シャア」。そう。

 ジオンの赤い彗星も地に落ちたものだと鼻で笑いたかったが、掌で受け止めた白い流星の方が実際は余計に地の底で藻掻いていた。
 馬鹿だ、と思う。
 モニター越しで見ればいいのに、わざわざ落下する百式から身を乗り出すなんて。
 それ程までにして会いたかったのだ。その目で、確かめたかったのだ。
 百式とMk-IIが揃って苦戦した相手に、輸送機なんて戦うにも馬鹿馬鹿しい筈の機体をぶつけた人。
 凄い人、なのだろう。きっと。
 そう期待していたのに、ただの暗い目をした大人だった。

 クワトロが詰っている。
 噛み合わない会話。
 それでも感じる微かなシンパシー。
 何なのだろう、これは。
 敵、ライバル、因縁の関係。そう、アングラの雑誌で読んだ。それだと言うなら、この奇妙な絆の様なものは何だというのだろう。

 その名前は何度も雑誌で見たし、アーガマに乗ってからだって幾度も言われた。再来だとか、何だとか。
 顔にも、覚えはある。確かその写真では十五歳だと書いてあった筈だが、記憶と殆ど一致するその姿はたいして変化がない様に見える。
 クワトロとの因縁は、雑誌で見たものとは少し違う様に思えた。
 だからこそ、いろいろと聞いてみたかった。NTのこと、戦いのことをいろいろを。
 それだというのに、アムロは何も応えてはくれない。カツとか言う子供の目など気にするだけで、はぐらかされて。
 もう少し、しっかりとした大人だと思っていた。七年も前、十五なんて歳で戦い抜いて、英雄となった程の男なら。

「くそっ!」
 壁を思い切り殴りつける。四肢を浸食してくる熱が気持ち悪い。
 味は悪くないが、回りにいる人間達の所為で不味くなった夕食を済ませ、部屋に帰るなり、突然の感覚に襲われてベッドに転がる。
 絡みつく熱。男の吐息。知っているからこそ、こんな風に感じてしまうのだ。
 しかしそれ以上に厭でも分かるのは、自分があの何処かほっそりとした一年戦争の英雄の、代理として扱われていたと言うことだった。
 悲しみ、怒り、その他いろいろと、自分には決して現さない全ての感情を、クワトロはアムロに対して吐き出し、叩き付けている。
 切れ切れの悲鳴が聞こえる気がした。
 どちらのものかなどと分からない。
 頭が痛い。
 聞きたくない。こんな……傷を舐め合うよりその先の関係など。だというのに、それを遮断する術も分からなかった。
 アムロもアムロだろう。
 こんなにも荒々しく引き裂かれても、何故クワトロを拒まないのか。
 生気に乏しい目を思い出す。
 一年戦争から七年。
 あの人に何があったというのだろう。同じ男に激情をぶつけられて、それでもただ受け止めて流されて……それが、英雄だというのだろうか。
 分からない。
 ただ、自分が代理を務めた人間が、こんなにも鬱屈しているなんて知りたくなかった。こんな男に負けているのだと、思いたくなかった。

 熱い。
 クワトロの感情に焼け付きそうだ。自分に向けられているものなどではないのに。
 こんな近くにいたくはなかったが、かといって今は追われる身でもある。逃れることも出来ない。
 頼りないくせに……求めさせてもくれないくせに。
 アムロならば受け止められるとでも信じているのだろうか。
 壊れてしまう。自分でなくて良かったと、そうは思えなかった。
 アムロはもう一人の自分。クワトロがそう感じていたのだから、きっとそうなのだろう。クワトロもまた、自分に近い。
 二つに引き裂かれてしまいそうだ。
「……っ…………」
 身体を掻き抱いて蹲る。
 酷くなる頭痛。昂ぶる身体。抑える術もなく、ただ抱えた腕に爪を立てる。
「……く……ぅ……ぁ……」
 ベッドの上でただ悶える。
 クワトロの指の感触が肌を這っている様な気がして、めちゃくちゃに身体を掻く。
 厭だ。厭だ!
 知りたくもない。ただ縋り付くばかりだった男の、真の激情など。自分はあくまで代理。ただ空虚な身体を慰めるだけのもの。アムロは……アムロだけが、クワトロのただ一人。
 別に、嫉妬などではない。
 自分が、誰かのただ一人になることなどないと、これまでの生でだって身を以て知ってきている。
 あんな空っぽの男が欲しかったわけではない。初めから、代理なのは分かっていたし、そんなことで失望しているのではない。ただ、人の手によって翻弄されているだけの自分が、堪らなく厭だ。
 大人なら大人同士……好きにどうにでもしてくれ。
 こんな空虚な子供に、それでもまだ他人に渡せるものがあるなどと教えてて欲しくなかった。

 抗いがたい。
 せめて熱を逃がそうと、股間に手が伸びた。
「っく……」
 ひくり、と腰が引き攣る。
 触れている自分の指が、別の……もっと大人の男の指の様に感じた。
 振り払おうと頭を振ると、一層の頭痛に襲われる。
 どうしようもなくなって、ただ指と別の所から与えられる感覚に任せるしかない。
 それは、カミーユにとって苦痛以外の何者でもなかった。

 熱に浮かされて、意識と無意識の狭間をうろうろとしていたのが、次第に、潮が引く様に感情の波が引いていることに気付く。
 終わった、のだろう。取り敢えず、今は。
 こんなのはもう厭だ。
 どれくらい経っているのか、それは分かりもしなかったし起きあがれる状態かどうかも分からなかったが、それでも一言アムロに行ってやりたくて、部屋を飛び出す。
「アムロさん、構いませんか」
 声をかければ、微かに返事が返る。
『……カミーユ君。…………何か』
 声はひどく掠れていた。その事が却って艶を刷いている。
「少し、構いませんか」
『…………明日にしてくれないか』
 疲れ切った様に返される。扉の接合点にカミーユは口を近づけた。
 小声で囁く。
「…………クワトロ大尉に、抱かれていたんでしょう」
『っっ!』
「話したいんです。開けて下さい」
 ややあって、ロックの外れる音がした。
 身体を滑り込ませ、ドアを閉める。
 アムロはぐったりとベッドに伏していた。
「……すみません。でも、どうしても……聞きたくて」
 カミーユはドアに凭れて、ブランケットも掛けずにただ横たわるアムロの裸身を眺める。
 小さな窓から入る月明かりが、その姿を照らしている。力のない、静かな姿。見える様子では、カミーユより幾分細く見える。筋肉の量が、カミーユの方が多いのだろう。
 妖しい程の姿だった。
 顔立ちを綺麗な人だとは思わなかったが、何処か艶めかしい。
 容姿には幾分かの自信のあるカミーユだが、こういった類の艶は持ち合わせていない事は、自分でも分かっている。
「あ……あの…………」
 どう切り出していいものか分からず、言葉が詰まる。
 アムロは緩慢に顔をカミーユへ向けた。
 月光を受けた瞳が妖しく濡れていた。
「……声、響いてたかな。出来るだけ抑えたつもりだったんだが」
 変わらず掠れている。昼に聞いた声は妙に艶っぽかったのを思い出して、余程に啼かせられたのだと言うことが分かる。
「……よく、分かりません」
「…………じゃあ、何で」
 分かったのか、とそう聞きたいのだろう。
 説明しがたい感覚に戸惑う。
「……熱かった……から、です。クワトロ大尉が……もの凄く。あんなに荒々しいあの人、初めて感じたから」
「ああ……そう……………………」
「大丈夫……ですか?」
「ん……まあね…………子供は出来ないから」
「そういう事じゃないでしょう!」
 思わず怒鳴るとほっそりとした肩のラインが震え始める。
 泣かせてしまっただろうか。慌てる。
「あっ……あのっ」
「……はは……あははははは。大丈夫だよ。あんな男に殺されたりしないから」
「何で笑うんですか!」
 こんなものの言い方ばかり大人だ。
 カミーユはあからさまに不機嫌になってアムロを睨んだ。

「ああ……ごめん。君を嘲ったつもりはないんだ。ただ……いい子だなって思って」
「気に入りませんね。そんな言い方」
「…………そうか。君が……いや。君みたいに綺麗で繊細な子だったら、シャアも仕方ないかな…………」
 気怠げに上げた手で手招きされる。
 引き寄せられる様に、カミーユはその月光の当たるベッドに近寄った。
「…………君があんなのの相手してたのか? 君こそ、大丈夫だった? 壊れなかった?」
 俯せになり、カミーユの顔を見上げる。
 悲しいのか寂しいのか、よくは分からないが苦しげな表情だった。
 クワトロに抱かれたことを悟られている。隠し事をしても仕方がないのだろう。カミーユは、素直に頷いた。
「…………大尉は、冷たいから。貴方に対するみたいに、僕には熱くならないから、大丈夫です」
「ふぅん………………。……ごめん、そこのクーラーから、水取ってくれる?」
「あ、はい」
「自分だけ飲んで、俺には寄越しもしないんだもんな……」
 示されたミニバーから冷えたミネラルウォーターを出して渡す。もう少しだけ身体を起こして二口程飲むと、アムロは再び寝台に伏した。少し身動ぐだけでもやたら辛そうだ。
 ここまでの真似をされたことがないのは、貴重な戦力だからなのか、ただの慰みだからなのか。
 多少疲れはしても身動ぎすら危うい程の消耗というものが今ひとつ理解できず、カミーユは不安に駆られてアムロを見る。
「カミーユ君、君、好きな女の子とか、居る?」
「……居ますよ。だから、エゥーゴのことだけじゃなくて宇宙に帰りたいんです」
「…………だったら……尚更だな。あんな男の好きにならない方がいい。最悪だから、あんな奴」
「出来るものなら……」
「逃げたい?…………いや、そうは……」
 丸まっていたブランケットを足で器用に手繰り寄せ、アムロは膝を抱えると共にブランケットも抱え込んだ。
「…………あいつをそのまま受け止めたら、多分君が壊れる。……その、好きな女の子のことでも思って……あいつに肩入れするのはやめた方がいい」
「それ、嫉妬ですか」
「…………嫉妬、か。そうかもな。あんなになってまで、ララァのことを考え続けてるのかと思うと……本当に厭になる」
「……ララァ……さん?」
 アムロはもう一口だけ水を飲むとボトルを床に落とし、抱えたブランケットに顔を埋めた。
「………………ごめん」
 話が見えない。
 蔑ろにされた気になり、カミーユは腹が立った。
「何なんです、一体!」
「……………………一人にしてくれないか。話は、要するに……そういうことなんだろ、聞きたかったのって」
「分かった気にならないで下さい!」
 ベッドに勢いよく手をつく。弾みで僅かにアムロの身体が跳ねた。
 そうまでされても、アムロはまだ力なく横たわっている。
 起き上がる気力もないのだろう。熱さに当てられ過ぎて。
 カミーユの眉がきりきりと吊り上がる。
「もういいです!
「……カミーユ君!」
「何で貴方がクワトロ大尉に本気で抵抗しないのか聞きたかっただけです! 身体だけじゃない、あんな荒々しくて熱いものを押しつけられて、何で平気かって!」
「……平気なんかじゃないさ。こんな事にでもならなければ、もう二度と会うつもりもなかった。ただ……俺の他の誰が、あんな感情を理解できる。ララァを知らない君では、無理だ」
「誰なんです、その人」
「俺達を繋いでしまった鎹だ!…………本当に…………もう、休ませてくれ…………」
 苦しげに唸り、アムロはカミーユに背を向ける様に寝返りを打った。

 月光に晒される皓い背には無数の掻き傷。肩には血の滲む噛み痕まである。
 そして、横を向いたその腰から太腿にかけての線に思わず目を奪われた。女とは違う、しかし滑らかで張りのいい美しいラインだ。
 カミーユは、思わず手を伸ばした。
「っっ! なっ……」
 そっと触れられ、アムロの肢体が震える。
「……貴方だって、厭なんでしょう?」
「想う相手の居る君が羨ましいよ。俺にはもう、何もないから」
 手が伸び、カミーユの手を掴んで身体から離す。
 触れ合った手が、何処か心地よかった。空虚さは同じ様なのに、クワトロとはまるきり違う。
 嫌いではない。厭でもない。この人は、クワトロとは違った様に優しい。
「…………君を宇宙に帰すまでまだ数日ある。……悪いけど、今は本当に……いろいろ頭も混乱してるし、許して欲しいな。君が熱くて荒々しいって言ったシャアを……受け止めて疲れてるんだ。こういう言い方なら、分かるだろう?」
 微かにカミーユを振り返り視線を送る。
 その目の持つ強烈な印象に、カミーユは身を竦ませた。
 月の光に濡れる瞳。壮絶な……どう表現していいものか分からない、ただ壮絶な何かに、気圧される。
「話す機会は、あるよ」
「…………は……はい…………」
 カミーユは掴まれた手を思わず振り払った。
 触れていた手を自分の胸に押しつける。じわりと温かく柔らかな感覚が広がる様に残っていた。
「……失礼しました。休んで下さい。……辛かったら、言って下さい。痛み止めくらい、貰って来られますから」
「うん……ありがとう。君はいいな。……シャアにはそんな程度の気遣いもない。大丈夫だ。眠れば治る」
「分かりました。……お邪魔しました。お休みなさい」
 部屋を出る。
 すうっと、身体の熱や、怒りが引いているのが分かった。アムロの手が、身のうちに堪ったどろどろとしたものを全てを吸ってくれた様に感じる。
 クワトロ程儚げでも、頼りなくもない。
 自分を圧倒した目を思い出し、アムロがクワトロを受け入れられる理由が、それとなく察せられた。


作  蒼下 綸

戻る