守らなくてはいけなかったのに。
絶対に助けると、心に誓った筈なのに。
守られたのは自分で、助けてあげる事すら出来なくて。
ただ、心が引き裂かれて、真っ赤に染まった。
テントの外は雪だ。
僅かに遠離りはしたものの再度の吹雪に遭い、移動は危ないと踏んでもう一晩だけこんな所に泊まる事になってしまった。
連れて帰るのだと言い張ったフォウの身体は、もう冷たい雪の下に埋められてしまった。
せめてもっと美しい所まで連れて帰ってやりたかった。
何も知らない少女に、相応しい場所へ。
温かな南洋の、美しい海辺にでも。
しかし、それは許されない事だった。溶ける事もない雪の下で、彼女は安らぐ事が出来るのだろうか。
寝付く事など出来ない。
ふらりとシュラフを出て、夜の山へ踏み込む。
テントが密集している辺りから、フォウを眠らせた場所まではそう離れていない。
戦闘はもう完全に終わって、空気は冷たく静まり返っていた。
MSや戦闘機の類などが並ぶ辺りを抜け、岩山を少し回った所へ辿り着く。
こんな所では手向けるものもない。ただ、血に濡れたフォウのヘルメットが置かれて場所を示している。
凍える寒さが手足を浸食し、すっかり悴んでしまったが、カミーユはそんな事すら感じられないでいた。
涙を流せば凍り付く程の気温。
「フォウ…………」
助けてあげられなかった。
「…………どうして…………」
フォウが助かるなら、それで良かったのに。
「……ごめんよ……連れて帰ってあげられなくて。どうしても……駄目だって言うんだ…………」
一緒にいられる、そう言ってくれた最期の声を思い出す。
それでも、どうしても……こんな冷たくて寒い所には寝かせておきたくない。
雪を掻く。もう一度顔を見たかった。
もう一度……もう一度だけ、触れたかった。
「何をしてる!」
突然、背後から明かりが射した。
雪にすっかり塗れてしまいながら、カミーユは振り返り、腕で目元に影を作る。
「……カミーユ……!」
「あ………………アムロさん………………」
その後ろに、もう少し大きな人影もある。見えなくても、誰なのだかは分かった。
「……君が出て行くのが分かったから…………」
「…………もう一度だけ、顔を見たかったんです」
「一度じゃ済まなくなる」
「花の一つも手向けてあげられないんですよ!」
「……遺体があるだけ、マシだと思え……そのままじゃ凍傷を起こす。カミーユ、戻るんだ」
アムロはライトを後ろの男に押しつけ、カミーユの側に寄ると腕を引く。
カミーユは、それを強く振り払った。
「マシって何なんです! 何で、フォウが死ななくちゃいけなかったんですか!」
「……今は、連れて帰れない。戦いが終わったら迎えに来てやれ。…………抱き締められる身体があるだけ、いいんだよ。宇宙の藻屑になっていたら、抱き締められさえしなかった」
ララァという少女の事言っているのは分かった。だが、それで納得できる筈もない。
再び、雪を掻く。
濃紺のパイロットスーツが見えた。
顔が見たい。もう明日にはここを去らなければならないのなら、どうでも。
顔を見て、口付けたい。ニューホンコンで、触れ合ったあの時の様に。
あんな他愛もない、年相応のデートをもう一度出来たなら、他には何も望むものなどないとそう思える。
雪に包まれた顔が現れる。
白い肌。もうすっかり硬く冷たくなっている身体。
顔に傷はない。眠っているだけの様に見えた。
「…………カミーユ…………」
それ以上は何も言えなくなって、アムロは口を引き結んだ。その肩を、男が包み込む様に抱く。
「……風邪を引く前には戻れ。カミーユ」
取り敢えず気を使う言葉をかけた男を、カミーユはそれだけで相手を射殺せそうな程強い視線で睨み付ける。
「分かってます! 僕はまだ倒れるわけにはいかない!」
完全にティターンズを叩き潰すまで、立ち止まるわけにはいかない。そうでなければ、フォウが庇ってくれた意味もなくなってしまう。
カミーユの悲鳴が耳だけではなく心まで引き裂く様で、大人二人はただ立ち尽くす。
戦いの中に子供……それも、少女など、引きずり出すものではない。
アムロは痛切にそれを感じていたし、クワトロとて、戦えるものなら仕方のない事だと思いはしても目の前で命を散らされるとどうにもやる方ない気持ちになる。
誰かを庇って、少女が死んでいく必要はない。
「…………もう夜も遅い。気をつけるんだよ」
「分かってます。二人にして下さい」
雪の中から少女を抱き起こす。
「……行こう、アムロ」
「ああ…………」
触れた唇は冷たかった。
たった数ヶ月前の温もりがひどく遠い。
力ない身体。触れても、抱き返してくれない。崩れていきそうだ。フォウの身体も、自分自身も。
「寒いんだよ……フォウ…………」
温めて欲しい。
「フォウ…………」
引き摺られた魂。空虚になっていく心。
初めて知る強烈な喪失感。
ああ、と気付く。
二人の大尉が抱えたものは、これだったのだ。アムロは幾度となく忠告してくれた。理解できなかったのだ。自分が馬鹿で、子供だった為に。
繰り返された過ちに、彼らも衝撃を受けたのだろう。
こんな風に、戦うべきではなかった少女を戦わせ、その為に殺してしまったのなら。
アムロは忠告し自分を引き留め、クワトロは可能性を探せと言った。
二人が分かっているのに分かり合えないのは、そういう部分なのだろう。
分かり切っている事に賭けられないアムロと、それでも夢を見たいクワトロと。
馬鹿な大人達に振り回される、自分はもっと愚かだ。
意地を張らなければ、少なくともまだフォウは生きてくれていたのではないか。生きてさえいてくれたら、また取り戻せると夢くらいは抱けたのに。
「……絶対に、迎えに来るから…………絶対に……絶対…………だから……戦争が終わるまで、ごめん。ここで……待ってて……」
綺麗な子だった。
こんなにも、綺麗なものばかりが散らされていくだけの戦争なんて、一刻も早く終わらせなくてはならない。
自分より、フォウより、もっと綺麗なものを人身御供に差し出してでも、終わらせなくてはいけないのだ。
深く地面を掘り直し、フォウを埋める。
雪のベッドに眠らせる。そんなつもりで、そっと横たえる。
ヘルメットはきっと雪に埋もれて見つからなくなってしまうだろう。それでも、自分はこの場所を決して間違えたりはしない。何があっても。
「……フォウ……」
自分も一緒に埋められてしまえばいい。真っ白い雪の中に二人きりで埋まってしまえば、全てから雪が守ってくれるだろう。
冷たくてどうしようもない大人達に乱される事もなく、ただ二人でこの静謐の中に。
それが出来たらどんなにいい事だろう。
だと言うのに自分は、ここにフォウを置いて、また戦わなくてはいけない。
「……フォウ…………側にいてくれるって、言ったな…………」
もう一度口付ける。
何度触れても冷たく、もう綺麗で艶めいた声で笑ってくれない。
雪が真綿の様であったならいいのに。
そう思いながら、そっと掬って顔を覆っていく。
「寒いけど……我慢してくれよ……」
埋め尽くして、ヘルメットを戻す。
立ち上がると、四肢が冷え切って痛みを覚えているのが分かった。
こんな痛みが何だというのだろう。フォウは、もっとずっと痛かった筈だ。
痛む足を引きずる様にして、カミーユは振り返りながら宿営地へ戻った。
分かってはいたが、厭な熱があるテントから漂っている。
また乱される。
だが、今はそれも仕方がないと思えた。
乱されて、何も考えられなくなりたかった。そうでもなければ、眠れない。
冷え切った手足を温め、少し酒を落とした飲み物を貰う。
それが冷めないうちにシュラフへ再び潜り込んだ。
「……っ…………」
大人二人の激しい後悔と、それを労るのではなく打ち砕く様な荒々しい交わり。
乱すなら、乱せばいい。今はどうにでもなれ。
自分には、この感情をぶつけたり、晴らしたりする相手すらいない。
いっそのこと、乱入してやろうかとさえ思う。だが、身体以上に心が壊されそうで、そしてそれがただの予感ではない事も分かって、踏み出す事など出来はしない。
「ぁ……っ……ぅ……」
ただ、このままでは後が気持ち悪い。
一度シュラフから手を出すと、簡易荷物の中からティッシュを取り出して再び戻る。
馬鹿馬鹿しい。
だが、感じる荒々しいものが、今のカミーユを少しだけ紛らせてくれるのは確かだった。
続
作 蒼下 綸