全ては冷めやらぬまま、突き進んでいく。

 素晴らしい演説だった。
 優れた容姿の男が、優れた血筋と実績を突きつけながら、妙に耳の奥に残る声で切々と訴える。
 初めの一言で、会場の空気の全てを一瞬にして掴んでしまう。
 戦いながらでは全てを聞き取れはしなかったが、十分に、分かった。
 敵……ティターンズの末端まで感化されつつある程に。
 これだけ綺麗な人が、綺麗な言葉を……裏も何一つなく、心に思ったままをぶつけてくるのだ。
 OTだといっても、理解できるだろう。
 これで分からないなら、本当にどうしようもない。
 叩き潰してしまうしかない。そう、思った。

 作戦は、勿論成功に終わる。
 アウドムラの中で、ささやかなパーティーが開かれた。
 その中で本日の主役とアムロが姿を消したことに気が付いたが、どうしようもなかった。
 二人には二人の世界がある。それは分かっていたし、こんな日だからこそ、余計にそういった空間が大切なのだと理解できる。
 望む生活から遠離ってしまったと、あの男は嘆いていることだろう。
 だが、あれ程の求心力を持った人間など他に居ない。血の為せる業とは良く言ったものだ。
 今頃、この成功を褒めて欲しいとアムロに詰め寄ってでもいるのだろう。

 数ヶ月前にはぶつかるしかなかったベルトーチカと、普通に話せるのはとても不思議だった。自分も変わったのだろうが、彼女も変わった。
 アムロと過ごして、変わったのだろう。
 優しくて強い思念に触れていれば、OTでも変われる。
 アムロこそ、宇宙に上がった、まだ目覚められていない人達を導ける存在なのではないかと思う。
 クワトロ程の存在感や威圧感、カリスマ性はないにしても……そんなものがないからこそ、安心して側にいられる人なのだ。
 輪は必ず広がる。
 自分やクワトロの様に短気では、そう上手く事は運ばないかも知れないが。

 それでも、人の多い所や華やかな場所は落ち着かなくて、さり気なく与えられている部屋に戻る。
 大人達は大体酒が入って正体を失くし始めている。カミーユ一人消えた所で、誰も気にも止めない。
 アムロの部屋の前を通っても、その状況を素直に受け入れられた。
 今日は、熱過ぎもしないし、荒々しくもない様だった。
 ただ、包み込む様な優しく大きな力を感じる。プレッシャーと呼ぶにはあまりにも温かくて心地いい。
 お互いが、その繋がりを悦んでいるのが分かる。
 心地いい力に何処か苛っとして、カミーユは軽く壁を蹴った。
 結局、二人にとって自分とは何なのだろう。

 優しくて温かい感覚。アムロならともかく、クワトロにこんな引き出しがあったことに驚く。
 結局相手次第と言うことなのだろう。
 自分では、悔しいがこれ程の感覚を与えてはやれない。逃げるつもりはないが、自分だって愛情に飢えた子供なのだ。それを求められるのは困る。
 アムロだって、親の愛には乏しかったと聞いている。
 何故こんなにも的確に、クワトロの求めているものを与えてやれるのだろう。欲しがるものを、そのままに、全て。
 分かっていて……そして、その事を厭だと思わないのだろう。
 お互いしか知らない感情を知っているからか。
 男だというのに、何もかもを受け入れられる程、その繋がりは強いというのか。
 嫉妬だとかそういうことではない。
 ただ、自分にはそんな人間が居ないということが堪らなく辛い。
 こんなにも温かい力で慰めてくれる人もいない。

 部屋に飛び込んでずるずると床に座る。
 クワトロと何処か感覚がリンクしている様な気がした。
 訳も分からないまま涙が溢れる。
 パーティーでの落ち着いて平和な感覚が遠離っていく。
 アムロは優しい。強い。どうしてアムロが自分のものではないのか、それがただ悔しい。
 クワトロばかりが癒されて、どうして自分は満たされない。
 宇宙へ帰れば、まだマシだというのに。
 今日という日、その演説に対する祝福だと言い聞かせても、やはり納得し切れなかった。
 自分にもどうしようもない状態だった。
 アムロに抱き締められているクワトロが憎い。
 自分だって、こんな温かな腕が欲しいのに。
 宇宙へ帰りたい。アムロはクワトロのもので、そのクワトロはカミーユに対しては求める一方で……もう、カミーユに残されたものはファ一人だ。抱き締められたい。温かな腕。柔らかな……優しい女の腕に、抱き止められたい。
 だが、ファには分かって貰えない。フォウを失った苦しみも、後悔も、伝えることさえ出来ない。
 アムロが欲しい。
 抱き締められたい。何もかも分かってくれる人に。
 これが、クワトロが望んだ形で抱かれてやれなかった罪だとでも言うのだろうか。
 感じたくなどなくても、共鳴してしまう。
「く……そぉ……っ……」
 クワトロばかりが愛されている。

 ああそうだ。愛されているのだ、あの男は。なのに何故、それでも足りない様な顔をする。
 望む様には与えてあげられなくても、自分だってあの男の事は嫌いではなかった。愛などと言うものはカミーユには縁が遠くてよく分からなくても、少なくとも、その孤独を救ってあげたいと心の底から願っていたのは確かなのだ。
 それでも、クワトロはカミーユを求めながらも何処かで冷たく突き離していた。
 求めるものは、アムロただ一人。癒されたいのも、ただアムロからだけ。
 それがクワトロの心情。
 カミーユ自身の感情と入り交じって、そう考えているのがクワトロなのか自分なのか、判別がつかなくなっていく。
 アムロも、とんだ男に見込まれてしまったものだ。
 人は分かり合える、その為に動く、そう分かったばかりのカミーユには、分かり合ったその先の感情まではまだ捉えきれるものではなかった。
 何処までも優しく温かな抱擁。
 肌で感じた気がして、自分の身体を掻き抱く。
 大人達には翻弄されてばかりだ。こんな事なら、喧噪の中に居続ければ良かった。
「ぅ……ふぇ…………」
 また涙が溢れる。辛い……どうして、自分ばかりこんな思いを抱えなくてはならないのだろう。
 宇宙に帰りたい。本気でそう思った。
 ファの居る宇宙に。アムロがまだ出られない宇宙に。
 そこでなら、自分にも存在意義があるのだ。ファから貰って、クワトロに与える。ただそれだけの事でしかないのかも知れないが。
 クワトロを放ってはおけない。クワトロは、自分だ。
 空っぽの心が満たされていく。だが、この温もりは自分のものではない。

 実際の交わりは、そう長い時間ではない様だった。
 主賓が居なければ誰かが気付いて探すだろう。その合間を縫った一瞬の……けれども深い深い交合だった事が分かる。
 手足や顔から血の気が引く様に温かなものが薄れたのを感じて、カミーユはふらふらと立ち上がった。
 明確な意思があるわけではない。
 だが、まだ気配のあるアムロの部屋の前に立つ。
「……アムロさん……」
 ドアを叩く。
 顔を見たい。自分にも、クワトロに接していた様にして欲しい。
「アムロさん、お願いです……アムロさん…………」
 ドアを叩く。
 堪らなくなって、ドアを引っ掻いた。厭な音がする。
「……アムロさん…………」
 まだ泣き止めない。
「アムロさん……」
 クワトロは恐らく、パーティーに戻ったのだろう。気配はない。自分の外面的な役割だけはきっちりと把握している男だ。
「……ねぇ、アムロさん……」
『…………カミーユ……?』
 やっと、小さな声が返ってくる。
「アムロさんに会いたいんです。開けて下さい」
『…………君って子は………………どうしてこんなタイミングでばっかり……』
「クワトロ大尉に言って下さい! お願いです……」
『…………泣いているのか?……仕方ない子だな……』
 ロックが外れる。
 カミーユは部屋に飛び込んだ。
 ドアを閉めロックを掛け直す間ももどかしく、ベッドの上に裸身のまま座っているアムロにそのまま飛びつく。

「カミーユ……」
 アムロはカミーユの髪を撫でた。
「………………ごめん」
「……何を謝ってるんです……」
「また、感じてしまったんだろう? その…………」
「貴方とクワトロ大尉がしてるのは分かりましたけど、違います。…………ただ…………誰かにこうして貰いたくて」
 ぎゅうぎゅうとアムロを抱き締める。
 その様に、カミーユの涙の理由が、アムロにはそれとなく察せられた。
「…………どっちの想いが辛かったのかな…………。初めてだったんだよ、俺も。あんな風に……シャアを愛しいなんて、思ったのは」
 カミーユを抱き返す。抱き締めてくる腕は力強くて痛い程だが、振り払おうという気にはならない。
「……また直ぐに宇宙に戻るんだろう?」
「はい。……あの演説のお陰で、シャトルを使うのも少し楽になりますから。戻らないと……」
「そうだな……」
「アムロさんは……やっぱりまだ、宇宙には上がれないんですか……?」
 一緒に来て欲しい。自分と、それからクワトロの為に。
「今は、ここでの仕事があるからな。随分吹っ切れてきたとは思うけど……カラバのMS隊を一つ任されている事もあるし、直ぐにはね。無理かな」
「そう……ですか……」
 アムロは、カミーユをただ一人にしてくれないのは分かる。だが、カミーユがもう少し楽になる為に、一緒に来て欲しい。
 それと同じくらい、分かる。
 フォウを失って、漸くアムロが宇宙に上がれない理由を知った。
 カミーユも、フォウの遺体を眠らせていなければもうキリマンジャロへなど行きたくない。
 失った者に会えそうで、会えない場所など……辛くて仕方がない。
 時が巡るまで、会えないのだ。それを突きつけられるのが、一層怖い。

「側に……居て欲しいんです。大尉の」
「…………君の、じゃなくて?」
「だって…………貴方は、僕のただ一人じゃない…………クワトロ大尉のただ一人でしょう? それくらい、分かるんです。大尉は、貴方の事しか求めてないって」
「ああ…………ただ一人、か…………」
 アムロの脳裏に浮かぶのは、褐色の肌の少女の姿だ。
「でも、僕の為でもあるんです。大尉が満たされないと……僕が辛い」
「そう…………だろうな…………フォウとララァは、違う子だから……あいつには零か百かしかないんだ。似ているものなんて全部認めないんだから……ほんと、どうしようもないよな」
 呆れた様に微笑む。
 本当に、呆れるしかない男だ。
「……僕は、何であの人に求められているのか分からないんです…………だから、貴方に来て欲しい。僕には、何も出来ないから」
「優しすぎるんだよ、君は。……あんなの、足蹴にして拒み通せばいい」
「出来ませんよ! そんなことしたら、」
「消えていきそう?」
「っ!」
 同じ事を考えている。
 腕を緩めてアムロの顔を凝視した。
 何処か寂しそうで、悲しげな目をしている。
「…………悪いけど、シャアの側には居られないんだよ。ティターンズが壊滅した後の為に」
「………………後?」
「演説、聞いたろう? 見事な演説で……言ってる事もまあ概ね正しくて、たったあれだけで議会を掌握してしまった。厭がっていたけどな。自由がなくなったって。だけど……ティターンズさえ滅ぼせばいいって訳じゃない事も、シャアは知ってる」
「どういう事です」
「今はエゥーゴが自分の理想に近いから協力しているし、他に手がないなら仕方なく自分が音頭を取りもする。能力が優れているのは確かだしな。でも、その後の保証はないって事だ」
「アクシズに戻るとか、そんな事もあり得るって事ですか?」
「……いや、そうじゃない。……ただ…………あいつは、とんでもない理想家だから。俺はこの地上で活動しながら、もう少し、様子を見たいとも思ってる」
 そこまで言って、小さくくしゃみをする。
 思えば、裸のままだ。
 カミーユは慌ててブランケットを手繰り寄せアムロの身体を包んだ。
「ああ、ありがとう」

「……あの人が凄い人なのは、分かります。だけど……それと同じだけ、寂しいだけでも死んじゃいそうで」
「凄いな、君の表現も。……まあね。メガ粒子砲で打ち抜いても死にそうにはないけど、寂しいとか言う理由なら死ぬかも知れないな、あんなの……」
 ブランケットの端を広げ、アムロはカミーユの身体も一緒に包める。
 肩を寄せ合う。さり気なく手が重ねられた。
 温かく深い感覚がカミーユを包む。
「っあ…………ぁ…………」
「シャアより君の方がずっと感覚が鋭いから……多分、僕としては君を選ぶべきなんだろうな…………」
 不思議な感覚がする。
 クワトロと触れ合った時に感じるものとはまるきり違う。
「こんなの、シャアとじゃあり得ないから」
 指が解かれると、感覚も僅かに去っていく。
 カミーユはまた涙を流した。
「……でも、駄目なんでしょう?」
「そうだな。……俺の所為で、寂しいとかいう理由で死なれたら後味が悪いし……シャアの方が先にララァの所に行くのかと思うと腹が立つしね。シャアがこれからどうするつもりなのかを見極めてからでも、俺が宇宙に上がるのは遅くないと思うんだよ。地上にも、まだしなくてはいけない事がいろいろあるし。焦らなくなってるかな。上がれそうな気がすると同時にね。宇宙には友達が居るから、会いたくないわけでもないんだけど」
 よしよしとカミーユの髪を宥める様に撫でる。
 すん、と鼻を啜って、カミーユは何とか涙を収める。
「前ホンコンで言ってた方ですか? 一回だけ、アーガマにいらっしゃいました。コウ・ウラキ大尉って。補給の時に挨拶に見えて。補給艦の護衛をしてるって」
「大尉か。出世したなぁ……。って、俺と同じか。このご時世で補給艦の護衛なんかやるんだから、腕は何となく分かるだろ? 何か言ってた?」
「アムロさんを知ってるって言ったら、もの凄く喜んでました。クワトロ大尉とも仲良かったみたいで」
「シャアは気に入ってたからなぁ、コウの事……コウとか、ブライトとか……世の中ああいう人間ばかりなんだったら、シャアをこんなに警戒しなくてもいいんだと思うんだけど」
「いい人なのは、分かります。コウ大尉も、ブライト艦長も」
 アムロは深く頷いた。
 友達をそう言われて、厭な気のする人間も居ないだろう。

 年の離れた弟にでもする様に、もう一度頭を撫でられる。
「気をつけて、カミーユ。戦いは、まだこれからだ」
「……はい。分かってます」
「Zの設計図と仕様書を見せて貰った。綺麗でいいマシンだな、あれは。正直驚いたよ。こっちでも、あれを元に独自開発させて貰ってる。……その……辛くないか? あれに乗ってて」
「……辛い? 何の事ですか」
 動かし易い機体だとは思う。
 敵の殺気を感じても、対応が早い。Mk-IIとは段違いの反応速度だ。
「いや……あのバイオセンサーっていうのは……君くらい鋭敏だと、怖くなったりしないものかと思って。引き摺られない様に、気をつけてくれ。君がどうにかなったら、シャアが困る」
「大丈夫です。問題ありません。……あの、あまり、知らないんです。その、バイオセンサーって。アナハイムが取り入れてくれたって事は知ってるんですけど」
「サイコミュの一種で、主に機体制御関係の補助を脳波で行うもの。稼働させるにはNT能力が必要で、力が足りなければ起動しない様にリミッターがついてる。それくらいは知ってるよな?」
「はい。だから、操作性が格段に上がっていて、乗り心地は悪くないです」
「だけど……要するには、人食いなんだ。機体と脳波をリンクさせて補助させるってだけなら、NTかOTかなんて事で完全に切り離さなくたっていい筈だろう? ただでさえ戦闘中には脳もフルで動いてるってのに、更にそれを広げる様なものだから……気をつけないと本当に喰われる」
 何を危惧しているのか分からない。
「アムロさんも、乗ったんですか?」
「搭載前の実験には付き合ったよ。俺以外、NTだって分かり切ってる人間は殆どいないし」
「……怖かったんですか?」
「いや……そういうんじゃない。ただ、慣れるまで少し気持ちが悪かった。抵抗があるんだよ。そういう……脳波に干渉されたりするの。過敏になってるから」
「ああ……」
「喰われない様にな」
「はい」
 心配してくれるのが嬉しい。
 何でもないことの様だがファ以外に自分を「心配」してくれる人間は、他にいないと思っていた。
 素直に笑顔で頷く。
 しかし、アムロは何処か不安げな様子を隠さなかった。

「ねえ、アムロさん。もう一回、さっきの出来ますか?」
「そっきの? ええと……これ?」
 手を上げてみせる。
 カミーユは満開の笑みで頷いた。
 その子供の様な表情にアムロも苦笑を返す。
「本当のNT同士の交歓って言うのは、こんなものじゃないんだけどな」
「本当の…………もっと凄いんですか?」
「ああ。だけど……そう簡単にできることでもないんだと思う。シャアじゃ全然無理だし。今の俺達でも無理なんだろう。気が張り詰めて、昂ぶって、そんな時にきっかけを与えられたら……行ける場所なんだと思う」
 何処か焦点の定まらない目を真っ直ぐに向ける。
 懐かしんでいる、そうも見えるが、ただそれだけではなくてもっと複雑そうだった。
「経験……あるんですね」
「一度だけね。……だからシャアは、俺に執着するんだ」
「……クワトロ大尉と?」
「違うよ。厭だよ、あんなのと。……そうじゃなくて、俺とララァがそうなっている所を垣間見てしまったから……羨ましがってるんだ」
 死んでしまった少女が繋ぎ続ける絆。死んでしまったことで、もうどうしようもないのだ。死ぬ前を取り戻そうとしてももう、無理なのだから。
 それでも、アムロにはクワトロが居て、クワトロにはアムロが居る。
「…………いいな。アムロさんも、クワトロ大尉も」
「フォウを分かち合える人が欲しかった? だけど、そんな相手、理解できるまでに何年かかるか分からない。俺だって、もしララァと繋がった人間がシャアじゃなかったら、もっと違っていただろうし……それより、もっと他の意味でちゃんと愛せる人を見つけた方がいい。好きな子がいるって言ってたっけ。その子とは?」
「宇宙で待ってくれてます。結局彼女も、戦う様になってしまって……心配です」
「そういう子がいるなら、心配ないかな。戻ってあげるんだよ」
「はい」
 素直な、いい子だ。
 アムロはカミーユが望んでいた様に手を取った。
 何をするわけでもない。ただ、熱が伝わる様に……シャアが望むのと同じ様に、カミーユが温もりを求めているのは分かる。
 アムロの掌の温もりを感じて、カミーユは滲む様に笑みを浮かべて目を閉じた。


作  蒼下 綸

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