通りすがりの廊下で、ブライトは不思議なものを見た。
ふわふわと膝を抱えた少年が浮かんでいる。確かにここは無重力だが、靴を床に押しつける様にしていれば身体が浮くことはない。磁力でそうなっている。
少年はそんな状態で、窓を見ていた。
そこは通路の行き当たりで、窓からは外が見えた。
「カミーユ、そこで何をしている」
外は限りない宇宙だ。
現在は作戦宙域へ航行中で、その他には何もない。
「……ブライト艦長? 外を、見てます」
くるりと身を翻し、カミーユは壁を伝って床に降りた。
「……それは分かる。お前は休息中だったと思うが」
「ええ。だから、休息してたんです」
「部屋で少し眠った方がいいんじゃないのか?」
気を使ったブライトに対して、カミーユはにっこりと微笑む。
激しくなっていく戦の中、反比例してカミーユの表情は柔らかくなっていく。何処か虚ろなその顔にブライトは不安を覚えた。
「……宇宙が見えるんです」
「そうだろうな。ここ暫く、俺もそれしか見ていない」
「広いなぁって、思って」
窓によって、顔を付ける。
何を見ているのか、ブライトには分からなかった。
「カミーユ、部屋に戻って休め」
「駄目です。ここにいます」
「何故」
「部屋は嫌いだ。何もないから。……僕が何にも持ってないって事ばかり分かるから」
「…………カミーユ?」
腕を掴む。
全くの無表情で見上げられ、戸惑う。
こんな顔をする子供だっただろうか。もっと、感情の起伏の激しい、小賢しい子供ではなかったか。
「何ですか?」
「い…………いや…………」
表情が消えると、カミーユはこんなに綺麗な顔立ちをしていたのか。
だがあまりにその様が儚くて、不安になる。
「ねえ、艦長…………艦長は、大尉に、何をあげられているんですか?」
「何?」
問いの意味が掴めず、ブライトは間の抜けた表情でカミーユを見た。
カミーユは、変わらず何処か空虚な顔でブライトを見ている。
「何だと……」
「だから、艦長は、クワトロ大尉に何をあげられて居るんだろうって聞いたんです。同じものを、僕にもくれませんか」
ブライトの顔は赤くなり、それから青くなった。
クワトロに求められたことは、幾度かある。
儚く微笑む顔に流され、拒みきれず、ただ求められるままに……主導権だけは常にクワトロが持ちながら、入れたり、入れられたりした。
カミーユがそういうことを言っているのだと分かり、ただ立ち尽くす。
「……宇宙があんまり広くて、綺麗だから怖いんです。あの人みたいで」
「あの人とは……大尉のことか」
「そうです。……綺麗で怖いんです。今この宇宙が戦いを望んでいるみたいに、大尉が戦うのが」
綺麗なのは、この少年だろう。
戦争というものを直接に受け止めすぎて、壊れそうになっている。
壊れ逝くものというのは、何故これ程儚い輝きを持てるのだろう。
ブライトは、カミーユを抱き締めた。
「……俺が、大尉にしてやったのは、これくらいのことだ」
「ああ…………」
大人の腕。
カミーユが知る誰のものより、しっかりと力強く、優しい、大きな腕。
クワトロと同じ様に抱き締められているのだ。
同じ様に、思っていてくれる。
父親の腕こんなだったら……もっと、自分だってクワトロに与えてやれるものがあった筈だと思うのに。
「………………艦長。大尉を、守ってあげて下さい。ここには、アムロさんが居ないから」
「アムロ……? 何でアムロなんだ」
「大尉に残ったただ一人だから。でも、ここには居なくて、大尉を助けてあげられる人は、もう艦長しかいないから」
「…………お前…………」
アムロの名前など久々に聞いた。そして、アムロとクワトロ……シャアの繋がりは、戦いの上でのことしか知らない。
ただ、守ってあげて、という言葉が、重い。
カミーユの様な子供が案じることではない。立場が逆だ。
「お前は、大尉のこと何て気にしなくていいんだぞ」
「あの人は、もう僕に求めないから。僕は、もう、助けてあげられないから」
「止めろ、カミーユ!」
小柄で、ブライトの腕の中にならすっぽりと入る。カミーユを強く抱き締め、髪を撫でる。
他に何が出来るだろう。
儚いのは、求めているのは、助けられたいのは、カミーユの筈だ。
だと言うのに!
「来い、カミーユ」
そのまま艦長室へ連れて行く。自分の部屋に帰りたくないなら、他にない。
「……艦長?」
「ここで寝ろ。人間ってのは、寝ている間に頭の中を整理する生き物なんだそうだ。このところ本当に戦闘が続いていたからな。休め」
「…………いいんですか?」
「部屋に帰りたくないなら、仕方がないだろうが。俺も休息を取る。側にいてやるから」
ベッドへ押し込み、自分はその側に椅子を引っ張って座る。
カミーユはブライトを見上げて首を傾けた。
「……どうしてこんな? 僕は、大尉を助けてあげてって」
「大尉は大人だ。自分でどうにか出来る」
「貴方を抱いてでも!?」
あまりに直接的な言い方に、ブライトは赤くなる。
「…………子供がそういう言い方はどうかと思うな」
「同じ事をしてても、僕じゃ駄目なんです。…………僕は何も持ってない」
「大尉は……お前にも、そんな……その…………」
聞くべき事ではないのかも知れない。だが、聞かざるを得ない。
「…………何でか分からないんです。あの人が欲しいものなんて、何も持ってない。持ってないものは、あげられない」
「うん…………そうか…………」
どうしようもない男だ。
カミーユも、自分と同じ様なのだろう。あの儚くも美しい男に求められて、押し流されて。
「……お前は、優しすぎるんだな……」
「…………そんなんじゃないです。優しいなら、もっと…………あの人にあげられるものがある筈なのに…………」
カミーユはそっと目を閉じた。目の縁が微かに濡れ、長い睫に溜まっていく。
指で拭ってやると、カミーユから腕が伸び、強くブライトに縋り付く。
子供をあやす様に背を叩いてやると、ますます擦り寄り……カミーユの顔が近付くや、唇が触れた。
「っ……カミーユ!」
「僕にも下さい…………貴方みたいな人が……僕だって、欲しい…………っ……」
「……混乱して居るんだ。寝ろ。寝るんだ」
カミーユはそのままで首を横に振る。
ぐいぐいと引き寄せられ、ブライトは仕方なくベッドの上へ上がった。
押しつけられる唇は、子供だと侮ってはいけなかった。クワトロと重なるその手順に、ブライトも本気で困る。
何処か恐る恐る触れるクワトロとは対照的に、本当に愛に飢えた赤子そのままの腕の強さに、ブライトはある程度の覚悟と諦めを覚える。
突き放せるわけがない。
自分より図体の大きな大人の男の甘えですら突き放せないのに、こんな繊細で儚い、全身で欲しいものを訴えてくる子供に邪険に出来よう筈もなかった。
「…………好きにしろ、カミーユ。お前の父親役くらいなら、買って出てやるから」
髪を撫で、額を合わせてやる。
カミーユはえもいわれぬ表情で微笑んだ。
その笑みだけで、今は全てを許してやる気になれた。
続
作 蒼下 綸