私の出会った少年達〜後編

 さて、高校を卒業して某私大に進んだ私ですが、この頃は少年との出会いっていうのはほとんど無かったですね。もし現代のようにネットが発達して十分な知識が私にあったり、出会い系サイトなんかを利用するようにでもなっていれば、積極的に少年との出会いを求めたことでありましょう。一生のうちでもっとも行動に自由がある時期でしょうし、法規制の方は今ほどうるさくなかったですしね。
 そんなことで、当時の私はメディアの少年漁りに没頭していましたね。ゲイ雑誌、少年愛雑誌、ビデオや生写真を大阪や二丁目まで足を伸ばして買い求めました。また、TV番組などで少年の露出があるものをキャプチャして収集などしていましたね、
 生の少年との出会いは、大学卒業して、臨時採用の某教育職(全然隠しになってない 汗)についてからでしょうか。まあ、中学生達と体当たりの付き合いというか、いろいろありました。卒業後に最初に勤めた職場では、まあ、ある種の人気者で、子ども達とのスキンシップも多くて幸せでした。なかでもなついてくれたR.O君は当時中一。その職場を去った後も、たびたび自宅に遊びに来て、カラオケやゲーセンにいったり、枕を並べて寝たり(悪さはしてません 本当)、ああ、幸せだったなあと思います。この子は父親が長距離トラックの運転手で、父性を求めていたのかなあ、と後々感じましたね。
 さんざん採用試験に落ちた後、他府県の試験に三年目にしてようやくパスし、郷里を離れます。そこの中学校で出会った中一の男の子S.T君。色白、太めの愛嬌者の男の子で、一時期休み時間に私にまとわりついて離れないくらいなついていました。私もこの子にはどっぷりとのめり込みましたね。現代っ子らしくない純粋さというか、がんばり屋で素直で明るくて健康で人気者、自分が少年時代に持っていなかったものを全て持っているような子でした。サッカーのキーパーで、泥まみれになりながらボールに食らいつく健気な情熱みたいなものは、見ているだけで心のうずきを抑え切れませんでした。その子が、「おにいちゃーん」なんて行って、私にまとわりついて来るのです。抱きしめてキスをしたい気分に何度なったことか。ちなみにこの子とも何度も釣りに行ったりしています。こっちに悪意があればそれなりのことはできただろうけど、精神的な部分がごくノーマルな成長をしていた彼にそれをすれば、いたく彼を傷つけるようなことになっていたような気がします。でも、この子も父親の姿が家庭に現れない子でした。私の勤めた地域は年に不相応に甘えん坊というか、不自然なまでに人なつっこい子が多かったですね。漁業が主産業で、親の手がかけられていない、特に父性不在の家庭が多く、家庭的に問題のない子の方が少なかったようです。S君のように人なつっこい子、幼児のようにわがままな子、現れ方は様々でしたがね。
 さて、私の事情として二年目以降いろいろなトラブルに見舞われ、仕事は順調ではありませんでした。ともかく、二つ目の勤務地に転勤しましたが、そこでは新たに小学生との出会いも待っていました。出会った当時小学四年生のD.O君、同じく、Y.S君。この二人の愛くるしさは私をノックアウトしましたね。少々不快なことがあってもこの子達の顔を見ていると幸せ、というか。
 D君は、たぶんおおかたの人から見てイモちゃんにあたる外見。何やっても不器用だけど、がんばりやさん。恐竜が好きな男の子らしい男の子。私は、こういうどこかコンプレックスのある子に惹かれるんですよね。自分に自信満々な子はイマイチかなあ。この子はそんなにべたべたしてくる方では無かったんだけど、こちらからしつこくアプローチをかけているうちに、自分からなぶってもらいに来るようになりました。後ろからがばっと捕まえたり、体育館のマットの上で押し倒してくすぐったり、私の欲情した内心を知る由もなかったでしょうな。
 一方Y君。この子は、先のS君と同じぐらい私の印象に残る子になるでしょう。ちょっと太めだけど外見はとてもかわいらしく、大人にも愛嬌をふりまき、いつも道化を演じる男の子です。「いやーん、エッチ」なんて女の子みたいなしぐさをしてみせたりね。しかし慣れ親しんでよく見ていると、ときどきたまらないほど寂しい目をしている時があります。父親は遠洋に出ていてほとんど帰ってきません。母親もほとんど家にいない。洗濯や弟の世話を一生懸命やって、いつもお母さんに自分を見て欲しいと願っている。勉強も運動もできない。ときおり精神的に不安定になって女の子に暴力をふるったりする。それを家庭に報告すれば親の激しい暴力が待っている。一生懸命親の期待にこたえてかまってもらいたいのに、お祭りとかの目立つときだけ着飾らされて、まるでペットかおもちゃみたいな扱いです。この子のことを知るにしたがって、激しくせつない愛情がこみ上げてきます。月並みな言葉だけれど、自分にこの子の「心のすき間」を埋めてやることはできないのだろうかと思ったり。一方で抑えられない欲情に支配されながら彼を抱きしめたり。

 ここに述べた何人かの男の子とは、現在進行中の関係もいくつかあります。いずれにせよ、現代の子ども達のかかえる心の問題、自分たちの常識からすれば年齢不相応な甘えた態度やアンバランスさ、そういうものを持った子はこれからもどんどん増えていくような気がします。そんな子と出会うたびに、人として心を痛め、少年愛者として心を揺さぶられるアンビバレンツな心情に悩まされるわけです。エゴイスティックで悪辣な自分の実体を嫌と言うほど認識させられます。ただしひょっとしたら、病める子ども達の心の本当の受け皿になれるのは、病める私なのかもしれない、と思うこともあります。

2001/06/28 記す