実の息子を調教中〜38歳の父親の手記 その1
初めまして。俺は38歳になる者です。 実は、私には現在、11歳(小6)になる公立小学校に通う息子がおりまして、その実の息子を性奴として調教中なのです。何故このような関係に至ったか?皆様の興味の引くところだと思いますので、その点から述べさせて頂きます。 私は、高校生位から少年にしか興味が持てず、社会人になっても「恐らく一生独身で少年と関わりを持って生きていくのだろうな」という漠然とした不安を抱き生活をしておりました。ところが、たまたま同僚に連れて行かれたスナックの女性に惚れられ、成り行きで、一夜を共にする事となったのです。その時は、お互い酒も入っており避妊をせずにセックスに至ってしまったのです。初めて味わう女性の膣に少年のアナルを重ね合わせ、ついには射精迄いきました。その僅か一回の性交で妊娠してしまったのです。 まさか!と思い、ましてや水商売の女・・。他にもきっと男と関係が・・と疑いを持っておりましたが、相手にそうであると真剣に訴えられれば認めざるを得ないと諦め、猛反対の私の両親とは縁切り状態で、仕方なく入籍しました。 妊娠中は、つわりが激しかったこともあり、家の事は、彼女の母親が来てやってくれていましたが、8ヶ月後に3200gの男の子を出産し、母親が帰省してしまった後は、家事もやらず、ギャンブルにあけくれるとんでもない本性を現したのです。結局、多額の借金を残し、失踪してしまい、後に残された私は、乳飲み子の息子を抱え途方に暮れてしまったのです。 幸いな事に、経済的な面では多少の余裕がありましたので、息子を朝、保育所に預け、夜、引き取る生活を続けました。 ところがバブルが崩壊し、会社の倒産で私が失職したため、小学生4年の息子を抱え、職探しに奔走しました。ところが男やもめを簡単に雇ってくれるような会社は無く、その度に母親に日に日に顔が似てくる息子に対し憎愛の念がこみ上げるのを抑え切れなかったのです。 憎しみが・・とは言っても実の我が子です。自分にも似た所もあり、心底憎い訳ではありません。やはり息子がいなければ自分のしたいことも自由に出来たと言う身勝手な部分もありますし、正直、男の子を自由に引っ張り込めない欲求不満状態もあったと思います。その鉾先が丁度成長過程の自分のターゲットの年頃に成長しつつあり、少年サッカーで程よく筋肉が付き始めた息子の体に向かってしまったと言えると思います。2年前位から、私の理性は抑えが聞かなくなり始めていたのです。実の我が子を自分の慰み物にすると言う罪悪感は、失踪した妻に責任転嫁する事で正当化していたのです。 きっかけは、小4の裕也が、悪ガキの中学生にそそのかされスーパーで万引き事件を起こした事だったのです。警察から呼ばれ事情を聞くと、今回が初犯では無く、数回罪を重ねていた事が分かり、更に悪いことに自分の意志でも実行した事があると判明した事でした。私は、まっとうに育ってくれたと安心していた矢先の出来事にショックは隠し切れませんでした。その日は、家に連れ戻すと同時に、家に入るなり嫌がる息子を全裸にし、お尻を中心に叩きました。兎に角無我夢中で、100発以上は叩いたと思います。泣き叫ぶ息子に股間が熱くなるのを抑え切れなかったのです。丁度2ヶ月前位から、入浴中の息子のブリーフの黄色いシミをチェックしたり、ペニスが触れている部分の少年特有の小便臭い匂いを嗅いだり、時には、それをオカズにオナニーをしたりと言った事までし始めていた私にとって、(ちなみに息子は、鍵っ子だったので、一人で入浴する事に慣れており、あまり私と入浴したがらなかったのです。)久々に見る我が子の欲情をソソルに十分なくらいの全裸に興奮した事も手伝ったのも事実だと思います。更に、小4にし ては大ぶりの包茎のペニスをゴムで二重に縛り、睾丸とペニスをかわるがわる数十回程、直径1センチ位の竹の棒で叩いたのです。泣いて許しを乞う息子の声は、その時の私には興奮を加速させる為のむしろ催淫剤のような物でした。益々エスカレートしていった私は、「裕也が二度と悪いことが出来ないようにとことんお仕置きをするからな」と言いながら、「パパ。許して!僕もう絶対悪いことしないから。約束するから・・。痛いから止めて!お願い!」と叫び、痛がる息子を無視し、包茎のペニスを無理やり2センチ程剥きおろし、中から覗かせた薄ピンクの亀頭の割れ目を標的にしたのです。近くにある綿棒を手に取り、小さな割れ目の穴を目一杯指で開き、中に見えるピンク色の粘膜である尿道に少しずつ、差し込んでいったのです。息子は泣きつかれたのと恐怖で震えていましたが、その時の私は、「お前が悪いことをするからこういう事になったんだ」と唯、うわ言のように繰り返しながら、潜り込ませていったのです。4センチ位入れた所で、少し綿棒を出し入れすると相変わらず痛がりはするものの、ペニスを握られている刺激に対してかどうか分かりませんが、少しずつポークビッツの様なペニスが膨らみ始めたのです。すかさずその様子を見た私は、睾丸を軽く刺激し同時に蟻の門渡りあたりを軽く指でさすり、勃起を促してやったのです。と言うよりは性的快感を味あわせる事に必死だったと言えると思います。痛みに嫌がる顔をしながらも完全にカチンカチンの状態までになり、驚く事に、裕也のペニスは、ポークビッツ大から12センチ位の大きさにまで成長していたのです。 皆さんに裕也の事を少し紹介させて頂きます。現在、小学6年生、身長152センチ、体重42キロ、ペニスは、平常時3.7センチ勃起時11.2センチ、睾丸の大きさは直径(楕円の一番長い部分で)2.7センチ、初精通は小学5年生の夏、胸囲73センチ、胴回り58センチ、お尻周り75センチです。尚、陰毛は小学5年生冬より恥丘下部より産毛が濃くなり始めた為、永久脱毛器を購入し、2週間に一度の手入れをしているので全くの無毛状態を維持、その他の発毛は見られず。以上です。興味を持たれる部分かと思いましたので、先に記載致しました。 続きをお話致します。尿道への綿棒挿入は初体験の彼には恐怖と耐え難い痛みを覚えたようで、(今でも本人は「あの時は怖かった」といっております。)緩和してやるべく、迷わずラッシュ(合法ドラッグの一種で吸入式の気体)を無理やり口を手で押さえつけて鼻から深く2〜3回吸わせ、目が虚ろになり、顔面が赤く変わったのを確認後、更に奥まで挿入し様子を見ました。するとすっかり痛みに慣れたのか痛みが取れたのか、一旦萎えたペニスが再度硬直し始めたのです。こうなればもう思う壺です。綿棒を5センチ位入れたのち一旦引き出し更に又挿入を繰り返したのです。暫く続けると案の定カウパー氏腺からの透明な粘液が溢れ始め、綿棒をぐっしょりと濡らす状態までに至ったのです。今思うに、多分あのまま続けて同時に包皮のピストン運動をしていたら、彼はイっていたのだと確信しています。(ちなみに、尿道責めは今でも私のお気に入りの責めで、裕也は尿道を責めないと射精できにくい体になっています。) 尿道責めはこの位で終了させ、今度はアナルに鉾先を向けたのです。当時の裕也のアナルは、私の小指さえも侵入を拒んだ位狭い口でしたが、さすがに子供の体、アナルにラブオイルをたっぷりと塗りつけ、少しずつ入れていくと数分で難なく飲み込むようになったのです。更に、指を薬指に替え、更に人差し指、中指と替えて行ったのです。この日は、自分のいきり立って収まらないモノを挿入したい気持ちを抑え、終えました。この間も裕也はさかんに「パパ!汚いよ。気持ち悪いよ。ウンチがでちゃいそうだよ。お願い!止めて」と拒否しておりましたが、先程同様にラッシュを深く吸引させ、虚ろな目になったのを確認後、今度は人差し指と中指の2本同時挿入を試み、見事に飲み込んでいたのです。私もさすがに仕置きにこれ以上の時間をかける事は、息子の体の負担を考えと望ましくないと判断、又先々の楽しみを失わない意味でも中止することにしたのです。裕也も私が止めたのを見て、安堵の表情を浮かべ、再度涙ぐんで「もう二度とやらないから許してね。パパ」と誓ったのですが、私は決して首を縦とに振ることはしなかったのです。なぜならこれはほんのプロローグに過ぎないことを確信していたからです。と同時に息子にとっては地獄への第一歩であることなど多分知る由も無かったのだと思います。 |