25歳のフリーター青年W氏の経験 その4
牛の糞を食わせられるという昼食の後、今度は運動の時間になる。 運動はいろいろなことをやったな。 思い出に残っているところを幾つか紹介しておこうか。 まず、マラソン。 当然山の中、すっぱだかで走るんだが、最大の特徴は『ゴールが無い』ことだ。 園児達が走る後ろから、保父さんがついてくる。まあ、子供の足だから、保父さんにとってはついていくのは楽なことだろう。 途中、歩いたり、倒れたり、休んだりすると、容赦無く鞭や竹刀でたたかれる。そんなのが数時間も続くんだ。どんなにたたかれても、もう走れないというところまでくると、その子供はやっと開放され、園舎に戻ることが許される。体力がある子供の方が、むしろ責め苦が長く続いたといえるかもしれない。 野球。 といっても、ルールは普通とは違う。 園児が広場に広がる。保父さんがバットでボールを打つ。まあ、そんなにスピードをつけてうつわけじゃない。それを園児が素手で――グローブなんて無かった――取って保父さんに投げ返す。 これをひたすら繰り返すだけだ。誰かが1球取りそこなう度に、全員が鞭で打たれる。これが永遠、5時間も続く。マラソンと違って、たとえ体力が尽きて立ちあがれなくなっても、途中で許されることは無かった。倒れたままボールをとれなければ、そのまま鞭で打たれつづけるだけだ。 鬼ごっこ。 広場と、一部の林のなかで限定して行われた。基本的には普通の鬼ごっことルールは同じだ。鬼が他の子供にタッチすれば、タッチされた子供が鬼になる。 ただし、鬼はその印をつけなければならない。印は5つ。 一つは鬼の角。これは普通のカチューシャにつくりものの角をつけただけだ。 一つは胸の『鬼』とかかれた名札。安全ピンでとめる。 うん? 服を着ていないのに、どうやって安全ピンでとめるかって? そんなわかりきったこと聞くなよ(笑)。 むねに直接針をさすんだよ。 次に尻尾。 え? 鬼に尻尾なんてあるのかって? 知るかよ。あそこの鬼ごっこではそうだったんだ。 トラ模様のシッポのついた棒――当時はそう思っていたが、いま思えばバイブだな。それをケツにいれるんだ。 そして後二つ。 それは良くわからない、飾りだった。なんか、洗濯バサミに黒い毛玉みたいなのがついていた。鬼とどういう関係があるのかは知らんが、とにかくそれを見につけなければならないんだ。身につける場所は決まっている。金玉袋だよ。洗濯バサミで金玉袋をはさむんだ。 角と名札とシッポと妙な飾り、それが鬼のスタイルだ。 最初の鬼役は、年長組の中の誰かが適当に選ばれる。 誰かを捕まえるまで、鬼役はその格好のままみんなを追い掛け回す。とにかく、胸の安全ピンとケツのバイブと、そしてチンコの洗濯バサミが痛くて、もう年少組だろうが容赦無くとっ捕まえようとしていたが、痛みで走ることすら困難だった。 水泳。 近くの川で行う。 どういうわけか、夏は行わず、冬によくやった(笑)。 雪水の中、気絶するまで泳がされたよ。 ドッチボール。 内野は子供たち、外野は保父さん達。 内野はどんなにヒットしても負けにならない。つまり、何度も何度もボールを当てられ続ける。内野はボールを取ったとしても、すぐに外野にかえさなけらばならない。 ちなみに試合時間は4時間。その間、子供たちは限られたコートの中、逃げ惑うことしかできない。 大人が全力で投げたボールを何発もうけ、血反吐を吐いて倒れる子供たちに、さらに容赦無くボールが投げつけられた。 サッカー。 子供たちは、全員キーパーだ。ただし手は後ろで縛られている。ゴールを狙うのは保父さん達。子供達全員でゴールを守る。手が使えないのだから、身体で体当たりするしかない。もし、ゴールを許したら全員ケツ叩き20回だ。 これも、最後はくたくたになってみんな倒れてしまうから、何百回もケツ叩きをくらった。 他にも色々あったが、今考えてみれば、どれも『体力作り』じゃなく『子供をいたぶる』為に行われていたことは明かだったな。 いずれにしても、運動が終って、もはや1歩も動けなくなると、夕食の時間になる。 ん? なんかずいぶんと期待している目だな(苦笑)。 そうだな、話す前に、もう一杯カクテルを貰おうか。 夕食の内容もな、やっぱり糞だ。 うん? なんか気落ちしたような顔をしているな。 昼食と同じじゃ不満か。まあ、これだけひっぱっておいて、昼飯と同じじゃつまらないよな。 同じ、ならな。 そう、同じ糞でも、昼飯とは全くちがった。 なんの糞だったかって? そうだな。 あの保育園のトイレは水洗じゃなくて汲み取り式だった――といえば、もう見当はついたかな。 そう、夕飯の内容。それは自分達や保父さんのだした糞とションベンが混ざった物体だ。毎日年長全員で、夕飯の前にバケツでトイレから汚物をくみ上げる。 そして、それが夕飯の食卓(笑)に直接並んだ。そして、昼食と同じようように後ろ手に縛られ、泣きながら口の周りを糞で汚しつつ、食べさせられたんだ。 ◆ 寒い。 BARから出ると、外は雪が降っていた。 コートを着ていても、とても寒い。 こんな日は、幼かったあの日々を思い出す。 今、BARの中で語ったあの日々を。 BARのある裏街道から出て駅に向かう。 「脇田さん、脇田さんじゃないですか」 その声が聞こえたのそれから10分後。 振り返ると会社のバイト先のがいた。 名前は思い出せない。 脇田は人の名前を覚えるのが苦手だ。小学校のころからずっと、1年間同じ教室で勉学をともにしたクラスメートすら半数くらい覚えなかった。 「めずらしいなぁ、脇田さんがこんなところにいるなんて。お酒、飲めるんですか?」 居酒屋がならぶ道を歩いていたからか、彼がそう尋ねる。 「いや」 脇田は無愛想に答えた。 「そうですか」 実際には飲めないというほどでもない。 ただ、飲み会のような集まりがいやで、下戸だといっているだけである。 「おれ、これからもう一杯やっていこうかとおもっているんですが、脇田さんはどうです?」 「すまんが、用事があるんでな」 何もない。本当は。ただ、人との付き合いが嫌なだけ。 「そうですか。残念です」 さほど残念そうでも無く言う。 「それじゃ、また」 「ああ」 それで二人は分かれた。 脇田ゆうは思う。 結局、自分は社会になじめないと。 それがあの幼児体験のせいなのかどうかはわからない。 彼が卒園して2年後、あの保育園はこの世から無くなった。 彼は卒園しても家には戻れなかった。 父と母と妹の三人はもうこの世にいなかったのだから。 借金苦による一家心中。妹は睡眠薬を飲まされた挙句風呂で溺死し、父と母は工場で首をつったらしい。 彼はその後児童保護施設に行き、生活した。 少なくとも、保育園よりは楽しかった。 彼はしゃべらない子供だった。 保育園では自分勝手にしゃべるだけで体罰の対象になったのだから。 しゃべらず、自己主張せず、そういう子供は施設では疎まれた。 友達を作る方法を知らず、人と話す方法を知らないまま、いま自分はここにいる。 保育園にいたとき、自分では何も考えなかった。 いま、彼は考えなければならない。 それは、もしかするとあの保育園での体験よりも、ずっとずっとつらいことなのかもしれない。 《完》 |