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 最後の煙草をもみ消して立ち上がり背伸びして、戸外で雨足の強まっているのに気づいた。梅雨明けはまだ遠い。雷までついてきたようだ。おかげでドアーチャイムがうるさく鳴いているのにも、だいぶ気づくのが遅れたらしい。
 常時起動PCのネットカメラ窓をのぞいた。新聞屋ではない。顔はよく覚えていないが、たぶん初めて見るのではない少年だ。一人だ。ドアを開けることにする。
 「いた!ラッキー、助かったわもう……」
 つまりは濡れ鼠の少年が、目の前にいる。十歳の小五ってところか。かなり色が白く、濡れて額にはりついた髪も、やや栗色がかってみえた。
 濡れて、また紅潮した頬を見れば、冷蔵庫で水滴をはじくみずみずしい桃のようで、この肌の美しさは、ある意味幼児のようでさえある。
 見立て通りの小五として、かなり小柄な部類。合羽がわりのウィンドブレーカーの上からでは、体格はよくわからないが、極端に痩せても太ってもいない。頬の輪郭からも、それはだいたい読み取れる。肌の美しさをのぞけば、とりたてて言うべきところもない、十人並というところか。
 「まだラッキーかどうかわからんど。俺を便利屋みたいに思てるやつに用はないからな。ほなな」
 俺は少年の反応を待たず、さっとドアを閉めた。
 少しの間のあと、少年の声の中でも俺の大好きな、かすれて高い哀願の声がドア越しに聞こえてきた。
 「……おっちゃん!おっちゃんごめん。……なあ開けて。なあて……」
 次第に切なくなる少年の叫びをそれだけ聞くと、俺はドアをゆっくり開けた。間近な低い位置から、俺を見上げる少年の口元は見る間にほころんで、抜け残った乳歯のまじった白い歯並びがのぞいた。俺は正直なところ、ちょっとドキリとした。
 「おっちゃんひどいわー」
 そのまま、彼は濡れた頭を俺の腹に押しつけた。
 「こらこらこら! 濡れる! わかったからとりあえず中入れ」
 玄関に導き入れ、ドアを閉めた。
 「まず合羽脱いでそこに……あ、荷物も持ってあがらんとそこ置いてくれ。家の中が水浸しなるからな」
 彼は右手に、水滴のたれるかなりくたびれたランドセルをぶらさげていたのだ。つまり、学校から直行ということになる。家の人間は、彼がここに来ていることは知るまい。もしかすると、彼は今日、とてもアンラッキーなのかも知れない。

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