合鍵 第7話

  

 俺圭一、もうすぐ中学生。

 お母さんには絶対知られちゃいけない僕の居場所、それは‘あいつ’の部屋だ。最初に‘あいつ’の部屋に遊びに行ったのは、まだ四年生の頃だった。うちは母子家庭でお金もないし、おもちゃは、弟優先。別にそう言われてるわけじゃないけど、俺はお母さんが何も言う前から、そうしてきた。狭いし、おもちゃもない俺の家に、俺がゆっくりできる場所はない。お母さんは、俺を頼りにしてる。しんどくてもしんどいって顔はできない。弟は僕を信じている。だから嘘や誤魔化しはできない。だから俺だって、息のつける秘密の場所を欲しがったっていいじゃないか。甘えられる人、見つけてもいいじゃないかって思ってた。
  勘違いしないでね。俺はお母さんも弟も大好きなんだ。けど、逃げ場がないと嫌いになってしまいそうだったんだ。

 剣道のスポ少の先輩が、土曜日の練習が終わったあと、銭湯に行くと言い出した。ちゃんとした理由があれば、遅くなっても構わない。四年生に上がって、やっとそういうのに誘ってもらえるようになった。俺は、家に帰るのをなるべく遅くしたかった。
  六年生の先輩が、見知らぬお兄さんに声かけられてた。その先輩は、その人を知ってるみたいだった。それが‘あいつ’だった。四、五人の先輩が、そのまま‘あいつ’の部屋に行くことになって、俺は、無理についていった。六年生の先輩が「他のやつや大人に絶対言うな」と‘口止め’した。俺は、どきどきしながら、うなずいた。
  無法地帯。よく言えば自由? 酒もタバコも、やりたい子はやっていい。けど、無理強いは‘あいつ’がさせなかった。ゲームも、何でもあった。俺はその日、小さくなってた。初めてだし、最年少だしね。一時間ちょいで、一人こそっと帰った。けど、部屋番号も、道も、きっちり暗記した。
  一人で絶対もう一回行こうと思ってた。一人がいい。けど、勇気出して、‘あいつ’の部屋のチャイム押すまでに、一週間近くかかった。

 俺の知らない男の子が、ちょうど玄関先まで出てきたところで、その子は(と言っても当時の俺よりは年上だ)俺を突き飛ばすようにして玄関を出ると、階段の暗がりに消えていった。表情がこわばってて、そのくせ少し赤らんで、息が乱れていた。その時は意味は、わからなかった。ほんの一時間と何十分かあとには、わかっちゃったけどね。
  男の子が行ったすぐあと、‘あいつ’がドアからにゅっと顔を出した。
  「お、この前初めて来た子だね。今日は一人かい?」
  ‘あいつ’はそう言って笑った。俺は顔を覚えててくれたのがちょっと嬉しかった。
  「あ、はい……」
  気後れしてる俺の手を、‘あいつ’はそっと握って、何も言わせず部屋に引っ張り込んだ。暴力を使わない強引さってやつは、一時が万事で、今も変わらない‘あいつ’の特徴だ。
 
  ゲームがいっぱい。大画面のTV。一人で住んでるのに、ものすごく広い部屋。何かうちが貧乏だってあらためて認識してちょっとウツな気分になった。けど楽しかった。あっと言う間に一時間ぐらい経ったと思う。
  何より幸せだったのは、実はゲームでもお菓子でもでかいTVでもなくて、大きなクッションで思い切りだらだらできることだった。ゲームやってたりする間、けっこうバタバタおやつ持ってきたり部屋片付けたりしてた‘あいつ’が、俺が休憩つって丸いクッションに寝ころんでたら、そっと横に座って、俺の髪を触りはじめた。それから頬に。俺はうとうとしてるふりをしてた。空気が変わった。
  何も聞こえない。シャツの上をあいつの手が這い回って、それは明らかに、他人に見せられない風景だ。違法でもなんでもないだろうけどね、ここらへんまでは。
  「ぬいぐるみみたいだな」
  「僕?」
  俺の一人称は‘俺’じゃなかったのか? これ以来‘あいつ’の前では、僕は僕。
  「……あの、さっきの子も一人で来たんですか?」
  「そうだよ」
  僕の聞きたいのはほんとはそんなことじゃない。けど直接的には言えやしない。‘あいつ’も聞きたいことがわかってても、答えない。
  シャツの上を這ってた‘あいつ’の手が、ズボンの中に入ってきた。僕は‘あいつ’の腕を握って、そして間近にある‘あいつ’の顔を見上げたけど、顎しか見えない。絶対目を合わすようなことはしない。
  さっきの子にもこんなことしたの? いや、してるの? どういう関係なの? 
  ‘あいつ’が、ズボン脱がした。パンツも下ろした。勃起してる。恥ずかしい。僕は目を閉じて寝たふりする。あいつの膝はあったかかった。外に出れば寒い。家に帰れば窮屈だった。だらだらしてるとこなんか、お母さんにも弟にも見せられないから。ここにいる間、僕は‘あいつ’のぬいぐるみでいい、おもちゃで構わない。すきなように遊ばれて、だっこされる。

 生温い感触に僕は思わず目を開いた。
  ‘あいつ’の唇が、僕のを包んでいた。僕の知らない世界。やばい世界。俺は、お母さんが全く知らないところで、歳のわりにはけっこうエロかった。いろいろ知ってた。エロ本もたくさん、家でも学校でもない場所に隠して持ってた。けど今から思えば偏った耳年増だったかも。
  ‘あいつ’は舌で僕のの先の、皮めくろうとしてた。四年だもん。まだ皮、きつきつだったし、ちょっとのぞいた先っぽに舌が当たると痛かった。僕は目をきゅっと閉じて、苦しそうな顔をしたと思う。するとあいつはまた、僕の頭を優しくなでた……。

 「僕、帰る……」
  ‘あいつ’が僕のパンツとズボンを戻すと、僕は尖った暗い声で言った。そして、すぐに玄関の方に歩いていった。胸が締めつけられるような、あの大勢の前に立って緊張してる時と同じような具合。
  「また来るよね」
  僕は責めるような目で‘あいつ’を見て、その言葉に答えなかった。けど無愛想なのも返事しないのも、息が詰まるような気分のせいで、怒ってたわけでもないし、二度と来ないとかも思ってない。
 
  ‘あいつ’は、でがけの僕の手に、そっと固く冷たいものを握らせた。‘あいつ’の部屋の、合鍵。