少年の街 ガイドの三木 6

 

 窓側にあるバスルームには、磨りガラスごしに明滅する街の明かりがぼんやりと差し込んでいた。
 壁に手をついて、顔を壁に寄せて、タケオはシャワーの湯を浴びせられている。男の手が、首筋や肩や腰を、ボディソープを伸ばしながら這い回っていた。汗や汚れを流したとしても、この感触が消えるわけではない。
 やがて尻の谷間に男の指が伸びて、襞に触れようとしたとき、タケオはその手を反射的に払いのけて、からだを固くした。からだが震えた。男が怒るかもしれないと怖かった。それでも、今はもうその部分に触れられたくない。
 タケオの顔をのぞき込もうとするかのように、立ち位置を変えるスペンサーに逆らい、タケオはひたすら背中を向ける。男はあきらめたようにしばらく自分のからだを洗い、タケオにシャワーノズルを握らせて、バスルームを出て行った。ノズルを握らせる手つきがほんの少し優しいように思えて、一人でバスルームを出て行く背中が、かすかにさびしげに感じられた。タケオにとって、それは意外だった。

 夜行バスに乗ったあの日。この街より西にあるのに、夏はここより涼しかったように思えるふるさと。夏休みだけに、ふらりと二、三週間帰ってきていた、《面白いお兄ちゃん》。エッチな話と、派手な遊び。足が長くて、顔が小さい、モデルみたいにかっこいいお兄ちゃん。ごたごたした彼の部屋で、初めてズボンを脱がされたのはまだ低学年の頃だった。
 「タケちゃんかわいいな」
 「じっとしてるだけでいいよ。こわくないから」
 ちょっと舐められて、オナニーの仕方教わっただけだけど。

 すごく勉強ができる年子の兄と、とてもかわいがられている歳の離れた妹に挟まれて、家では俺の居場所は、小学校に上がるころから、なかった。幼稚園の頃は、徒競走で一番になれた。親も喜んでくれた。自分に自信もあったと思う。けれど少しずつ、地道に努力し続けるライバルには勝てなくなった。勉強は頭からダメだったけど、運動でも平凡になっていった。だったらがんばればいいじゃないかって、学校の先生とかは言うんだろうけど、がんばれるのも才能のうちだってあの人達にはわからないんだ。あの人達は生まれつき優秀で、俺はダメだから。
 もともと学校ではトラブルメーカーだったけど、友達とけんかして、目の近くにケガさせて、相手の親にボロクソに言われた。目が見えなくなったら殺してやるって。その子とは仲よかったんだよ。なのに遊べなくなった。何で親に言われたからって、俺の顔見ようとしないんだよ。慰謝料だか治療代だか必要で、親に家を出て行くか、知り合いのところで住み込みで働けって言われた。奉公ってやつ。嫌いな親に金を送るために、いたくもないところに縛られて働かされるくらいなら、自由がいいと思った。《兄ちゃん》を頼って、夜行バスでこの街にやってきた。
 けど兄ちゃんは、俺を今の親方に紹介したあと、いなくなった。紹介したときお金もらって、それでどこかに遊びに行ったって。しばらくしたら街に戻ってくるはずが、戻ってこなかった。誰かに刺されて死んだって聞いた。本当か嘘か確かめようもない。新聞にもニュースにも出ないし。今はわかってる。例え戻ってきたとしても、何をしてくれるわけでもないし、俺は兄ちゃんにとって何でもなかったってとが。というより、頼れば頼るほどやっかいなだけだったってことが。
 俺はここでも売れないし、買ってもらっても、それがたまだから、全部お金は親方に取られる。そこから小遣いをもらうだけ。稼ぎがない日が続くと、ごはんがなかったり家に入れてもらえなかったり。寝床がない日は、本当に泣けてくる。

  じくじくするお尻を指で拡げて、シャワーの湯を当てる。きれいにしたい。ああ、気持ちいい……。何でこんなことになってしまったんだろう。
 タケオの両眼から、滝のように涙があふれてきて、もう止まらずに吠えるように泣いた。
 この街には、一人で泣く場所がない。誰にも知られずに泣く場所がない。悲しみや弱みを見せては、生きていけない。ふるさとにはそれがあった。一人部屋はなかったけど、そういうことじゃない。一人で泣く、そういう居場所は確かにあった。俺の居場所。もう戻れない。戻っても、同じふるさとじゃないから。

 シャワーノズルををフックに戻して、熱いお湯で顔を洗った。心の澱をそぎ落としたように、今このわずかな瞬間、爽快な気分だった。また笑えるかもしれない。そう思って鏡を見て、バスタオルをつかむ。