少年の街 金と昌巳 4

 

 小さなからだからすれば二食分ほどもたいらげて、その後昌巳はこんこんと眠った。
 翌朝、目覚めた時、また金はいなかった。昌巳はもぞもぞと足を動かしてみた。普通に歩けそうだ。若いいのちのエネルギーが、吸い寄せられるように、昌巳のからだに戻りつつあった。
 布団の足もとあたりにあったズボンを穿いて、昌巳は戸外に出る。空気はやはり、自分には冷たい気がした。コンクリートの階段を降り、診療所のドアを叩いた。
 「開いてるよ」
 素っ気ない返事が終わるか終わらないかに、昌巳はドアを開いていた。
 「おう、ちょうどよかったぜ、横になれ」
 「もう大丈夫やて」
 「アホか。医者の俺がまだだめだって言ってるんだよ。黴菌がまた増えだしたら元も子もないし、外側の炎症の具合も、まだみていかにゃならん」
 昌巳は黙って診察台に横になった。金は言葉もかけず無造作に昌巳の下半身を裸にした。消毒液を浸したガーゼを陰部に当てると、昌巳は思わず身を縮める。
 「冷たいわ……」
 昨日は元気がなく、黙って処置されていた昌巳だったが、今日は恥ずかしさもあってかよく喋った。
 「しげしげ見んといてくれ。ちょっとそここそばい……て」
 昌巳は身を捩るが、金は遠慮無く「処置」を続けながら言った。
 「ここに膿が貯まるんだよ。決してエロい意図はない。必ずない。しかし見事にきれいになってるな。外用薬はいらない。風呂かシャワーできれいにするのが一番だ。シャワーは何とかなる、だろ」
 返事はすぐに返ってこない。昌巳の表情にかすかな翳りを見た気がした。金は何か雰囲気を変えるジョークの一つも飛ばそうと思ったが、何も出なかった。沈黙を破り、先に口を開いたのは昌巳だった。
 「しかしホンマ、先生変わっとるな」
 「そう言われたのは初めてじゃないが、なぜだ?」
 「一銭にもならんのに……。普段俺だけ違ごて、誰にもチップ百円でもやったことないやろ。ドケチのおっさんや思てたのに」
 金はガーゼを置いた。
 「勘違いするなよ。俺は慈善事業に興味はねえ。からだで払ってもらうと言ったろ? 仕事なのさ。ちゃんと考えてるぜ。それからチップなんてな。俺はな、ここに暮らしてるんだ。ショートステイの旅行者じゃない。毎日会うガキどもに百円だろうが二百円だろうがいちいちチップをやってたら、俺のジンセイのマネープランが台無しになるじゃねえか」
 興奮した強い調子は、やはり途中からいつもの軽さに戻っていた。
 「マネープランて、そんなもんとっくに狂ってしもたから、こんなとこでこんなボロ病院やってんのとちゃうんかいな」
 まともなことを言おうとすると、どうしても口下手である自分をわかっている昌巳は、それでも思い切ってまじめな話をしようと思っていたのに、また軽くいなされたので、やはりいつもの生意気な悪態をついたのだが、意外にもさっと金の顔がこわばった。
 「……触れてはならない部分に触れたな」
 金はデスクのペン立てのような器具入れから、先の鋭利な医療用の鋏を抜き取った。
 「やはりここは切断することにする」
 下腹部に空いた手を添え、目指すのは昌巳の性器だった。
 「ちょっと、おっさん! アホか! やめろ、ええ加減にせえて!」
 細長い診療台から、昌巳の体が転落した。
 金はその彼を抱え上げるついでにくすぐり、昌巳は身もだえして涙を流しながらげらげらと笑う。

 点滴は初日を含め二日。次の日からは飲み薬に切り替えた。その日の晩、下半身の処置をしたあと、全部脱がせて光をあててチェックした。皮膚炎や膿は、からだのどこにもなくなった。翌朝、二人して飯を食い、金が外出している間に、昌巳はいなくなった。一週間分の薬の袋も、なくなっていた。
 あちこちを探しまくった金だったが、昌巳の姿はこの街自体から消えていた。
 午後、疲れ果てて帰宅した金は、思わず家のボロ壁を蹴った。
 (バカが……途中でやめたら全部台無しになるかもしれないんだぞ)
 薬を持ち出しているのは救いだ。自暴自棄になってるわけではない。治す気はあるんだ、きっと。
 金は、昌巳の寝ていた布団をも蹴飛ばしたが、その動きで起きた風に、敷き布団の下になっていた小さな紙切れが舞った。
 金は、それを拾い上げた。
 白い横罫の紙きれの、上部の連なった穴は破れ、下部の両端は、茶色く変色して、上に反っている。丁寧な鉛筆の文字で、たった三つの単語が並んでいた。

 先生 ありがとう マサミ

  顔立ちはかわいいが、愛想がよくない、口が悪い、性格が悪い、という客の評判だった昌巳。どんな笑みよりも、たった五文字の彼の誠意が心に沁みた。漢字、ひらがな、カタカナ。三語の書き方の違いが、彼の生きてきた世界を、物語る。金は、紙切れをぎゅっと握りしめた。
 冷たい雨もだけど、暖かい太陽の光も、誰にも平等に降り注ぐ。お前だって照らしてくれるはずだ。どこで暮らしても、どこで生きても。
 金は、昌巳の寝ていた布団を敷き直して、どっかと身を横たえ、しばらくまじろぎもせず天井を見つめていた。

少年の街 金と昌巳 完