ショートを終えたチビ玉が、ビアバーに戻ってきてママと話している。ママはいい顔はしていない。どうやら引っ張れるはずだったものを、チビ玉が早々に切り上げてきたらしい。
大男を鼻であしらって、お愛想のキスと笑顔だけは忘れずに、忍者のように部屋から逃げ出してくるチビ玉の姿が目に浮かぶようだ。
この街にいると、時の流れはずいぶんとゆったりとするが、それでも二時間は経っていない。ショートというのは男といる正味の時間が二時間ということなんだがな。遠方に出る時以外は。
先ほどと違い、チビ玉は三木の視界に入るようにちらちらと近くを横切っていた。珍しく構って欲しいとでもいうつもりだろうか。いや、こういうのに騙されるんだよな。
「座れよ」
三木は声をかけた。チビ玉は小さく駆け、がさつにイスを引き寄せて浅く座り、ママにコーラを注文した。冷えたやつだ。
「自分で金出せよ」
「どケチジジイ!」
「金持ちはわんさかいるやないかい。どこへでも行けや文句あるなら」
三木もある意味手慣れたもので、にべもない切り返しだ。
「……ええわ自分で出すから、ここ(イス)ええやろ?」
「……冗談や。コーラぐらい出したる。……さっきの客は金払いよかったんか」
少しからかい節に三木は訊いた。
「金はね……。でも重たいねん」
三木はビールを軽く吹いて、口を拭った。
「……そらそうやろな」
「何かひたすらのっかられて全然先に進まへんし、おっさんイカすか俺イカなきりつかへんねんけど……」
「……そのへんでええわ」
うんざりして、安くでいいからと適当に札をもぎとって逃げてきたのだろう。
再び、くぐもったような爆発音が、二発、三発、エコーをともなって轟いた。ホテルの(階の)高い部屋か、川べりに出れば花火が見られるかもしれない。薄もやが冷たく、夏にしては肌寒い。
「ミッキー……」
「ん?」
三木は空になったビール瓶をごとんとテーブルに置く。
「朝まて買うてくれへん?」
……………
「金がないわ。お前の言うとおり俺はビンボーのどケチジジイやさかいな」
「五百で……」
「朝までかい。ママに金渡したら赤ちゃうんかい」
さて、買い叩いたとして、夜彼に振り回されても不快なだけだ。一方で肉欲は求めるものを求める。それよりも三木は、彼の何か子細ありげな、いつもと違う様子に惹かれていた。心配したというのとは、ちょっと違う。
†
ジョージとチビ玉は、名コンビで、傍目にも愛らしい兄弟分だった。ほんの短い間だったが。
二人で客を取り、自分たちでペースを握り、客から金をもぎとって派手に遊ぶ。特に実入りのよかったあとのオフタイムでは、ジョージは神戸の港まで、小さなチビ玉を背に乗せてバイクで疾走した。貨物船の霧笛、ひねもす波音、潮の香り、油の匂い。ジョージがそれらを愛したように、チビ玉もそれらを愛した。
だがそんな「蜜月」は、長くは続かなかった。
一つには、ジョージが、十分に男前で、きれいな肉体を持ちながらも、街が長すぎ、あきられてきていたこと。彼はまた一面不器用で、客に媚びを売ることもうまくはなく、一方でハードなプレイも嫌ったこと。
客は離れつつあり、英語や長年の顔を活かした「仲介」で、実入りの減少を補っていた。
その一方で、街では新顔、特に年齢の幼い者は、少なくとも半年から一年は相当にちやほやされるものである上、チビ玉は愛嬌もので、すぐにジョージの不器用さを補うほどに客扱いもうまくなった。
いつかジョージは、チビ玉にぶら下がっていた。派手な遊びとも手は切れない。兄貴分としての立場も、言葉のやりとりにおいては失わないとしても、チビ玉の気むらに振り回され、辛抱しながら、経済的には彼に頼るようになってしまっていった。
心の奥底に遠慮のあるジョージの軽口や偉そうな言葉は、遠回しにチビ玉を傷つけていた。彼には、本当は保護者が必要だった。さびしさを抱きとめてくれるとともに、わがままをたしなめ、叱ってくれる力強い存在が。
何度目かの口汚い言い争いのあと、二人は完全に離反した。それぞれが勝手に仕事をするようになる。チビ玉の方は、この街に来て一年弱が経っても、絶頂の人気を保っていたので、実入りも仕事の量も、彼自身の匙加減一つだった。だがジョージは、コンビを組んでいた時に比べて大して払いのよくない客にペースを握られるなどかえって凋落ぶりを自覚するはめになって、時にはチビ玉と出会ったことを呪った。
盛夏も過ぎ、夜肌寒い季節だった。
例のビアバーで、この季節にはむしろちょうどよい、ぬるいビールを舐めていた三木のもとに、ガタイのいい無精ヒゲの男が近付いてきた。
「三木さん……」
「おや、金先生。珍しいね」
「あんた今時間あるかい?」
どうも様子が普通でない。切羽詰まっているような、と言ってもいい。
「まあね。夜は誰も買ってない。今のところはね」
「車の運転できますか」
(ですますかよ……)
よく見ると後ろに、金に比べれば小柄な中年男がいる。見覚えがある。
「元々ブンヤですから。バイクでも車でも必要があれば走らせまっせ。……どないしたんです?」
「僕は自動車の免許は取るひまがなくてね。歩きながらで頼みます。一刻の猶予もないんですわ」
三木の後ろにいたのは、Z界隈が管轄の生活安全課の刑事だった。三田村と言って、街に馴染んでここの大人からも子どもからも、比較的好かれている。末端の制服警官が、たいがいは横暴で小金に汚く、蛇蝎のごとく嫌われているのとは大違いである
「ジョージ君が……本名もわからんし、そう呼んどきますが、今強盗殺人の容疑で府警に追われています」
三木は火をつけかけたタバコを、ポケットにしまい直した。
「……そんなアホな……」
彼が時々キレるのは知っている。刃物を持ち歩いているのも知っている。だが、簡単にそれを振るう少年ではない。何年もこの街で大過なく生き抜いてきたのだ。
「ジョージは子ども二人で客の相手してたらしいが、客の財布か金がなくなった。で、疑われて侮辱された。猛烈な口げんかになって、向こうが、悪いことに、バッグに護身用の拳銃を持っていたんですわ。それを出した。揉み合いになって、銃は床に落ちたが、ジョージはおさまらず、客をめった刺しにして、さらにまずいことに、客のピストルを拾って、姿を消したんです……」
多少の興奮は感じられるものの、長年の経験から、要点を損なわないゆっくりとしたしゃべりだった。
「あいにく殺人となると、私の管轄外です。府警の担当者が神部警部だと聞きました」
…………!
『結果が見えてる裁判に金をかけますか。みんなぎりぎりで生活してるんでっせ。裁判にかて金はいる。私は善良な市民の味方ですから』
神部の実際の言葉だ。強盗殺人の現行犯、しかもピストルを持って逃走中。さすがに彼も十四歳の少年を射殺したことはないらしいが、未成年でも容赦はしないという。反撃するように仕向けて『容疑者』を射殺するとも言われている。
金が口を挟んだ。
「チビ玉に話を聞いて、ヤツの行きそうなところに見当をつけた。当たっているかはわからない。しかしとにかく、先に身柄を押さえて、ピストルさえ取り上げれば、命までは取られない」
三木は黙って聞いていた。もちろん三木は彼らに何の義理もない。しかしそれは、金も三田村も、同じことだ。
「これに乗れって言うんですかい?」
三木の目の前には、アイドリング中の八トンダンプが低いうなりと暖気を漏らしていた。
「でかけりゃ速いってもんやないのはご存じで?」
三木は腕組みする金をのぞき見る。
「すまんがこれしか用意できなかった。改造車らしくってリミッターだとか切ってあるそうだ。上り坂以外では一八〇くらいは出ると聞いた」
「俺の免許はフツメンでね。結局無免許と同じことやけど」
「無理ですか」
「いや、運転はできる……っていうかしますよ。止められたらアウトちゅうだけです」
車のドアに、チビ玉がもたれていた。運転席のドアノブは、彼の頭より高い位置にある。
「チビ玉……」
三木にすがりつくチビ玉。その姿は、どこにでもいる、小さな子どもでしかない。泣きじゃくる。
「俺が……俺が悪いねん……俺が……」
「ええからまず乗れ。ジョージに会いに行こう。謝るのは俺とちごて、あいつやろ」
三田村刑事はダンプに乗り込んだ三人に、エンジン音にかき消されがちなので、大声で伝えた。
「私は別ルートで動きます。違反だが神部君の動きも、つかんだら電話しますから、できるだけ携帯を……」
三木はOKサインを出し、ドアを閉めた。
†
「さっさと全部脱いで見せなさいよ!」
「盗ってへんちゅうてるやろが! 誰がお前のしみったっれた財布……」
「乞食のガキが一人前の口きいてんじゃないわよ! この、泥棒ネコ! さっさと四つん這いになりなさい! 調べてあげるわ汚いお尻の穴までね」
「……このクソジジイ、殺したる……!」
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