少年の街 チビ玉とジョージ 8

 

 金がチビ玉のゾウリ履きの両足を平手で持ち上げるようにし、助手席にあげる。三木は暖気の完了した運転席に陣取り、シートとミラーを調節した。バックミラーが異常に汚いが、この際構っていられない。金の横、ギヤボックスのすぐ脇、二人の間に、小さなチビ玉はちょこんと腰掛けさせられた。

 国道までがもどかしかった。いかにわがままな運転をしたところで、信号と物理的につかえた道路に抗する術はない。チビ玉は半ズボンのポケットから、四角い厚紙の紙切れを取りだし、見つめた。


 父親の死をはっきりと認識した彼は、屋台に父親を必死に乗せ、坂道を後ろ歩きに屋台ごと下がっていき、河川敷に下りると、屋台の材木を薄くむしり取って火をつけた。父の悲しいほどに軽い遺骸を引きずり、草葉を乗せ、屋台を壊しては破片をくべて、火を大きくしていく。暖を取りながら、父を一人で火葬した。

 父のレパートリーの紙芝居は、一ダースに満たなかった。古すぎて、破棄したものはもちろんあるが。
 残された紙芝居の中で、ほとんど出番はなくなって、色のくすんだ一本が、チビ玉のお気に入りだった。七匹のネズミが、残忍な大イタチに向かう物語。チビ玉はそんな話の中身も、よく知ってはいなかった。一枚では大きすぎるので、二匹だけのネズミが入った、プリント写真ほどの紙片に切りとり、それをさらに半分に折って、ポケットにしまった。父親のただ一つの形見だった。

 屋台の木や紙芝居の紙切れなどが、全て燃え朽ちるまで、チビ玉は一本また一本と折り取った木ぎれや破った紙片をくべ続けた。涙も出ず、なんの感情もわかない数時間だった。何もかもが灰になったのを見届けると、チビ玉は小雪の舞うのを見た。寒さに震えながら、次第に損なわれる視界に構わず、ただ歩き続け、そして倒れた。

 二匹のネズミは、父と自分のつもりだった。彼にとっての世界は、それだけだったから。そしてやがて、ジョージを、大きな方のネズミに投影した。そして最近、つい握りしめて破ろうとしたために、古びた紙片は、さらに傷んでしまった。それでも、チビ玉はそれを捨てようとはしなかった。

 近眼でもないチビ玉が、十センチもない距離で、紙切れを見つめ続けていた。そして、両眼から涙があふれた。
 金は、彼の肩をそっと抱くと、話しかけた。
 「何があった?」
 とってつけたような優しさは、彼の口調にはない。
 しばらくの間のあと、チビ玉は紙片を見つめたまま、話し始めた。
 「お前なんか泥棒や、たかりやって。俺の金が欲しいからくっついてるだけなんやろって、言うた」
 「…………」
 「めくらのオヤジと、乞食みたいなもんやったお前が、とか言われて。乞食はお前やろ、って言うた」
 それはジョージは、堪えただろう。錆びた刃物で、傷を抉られるようなものだ。だが、チビ玉も責められない。とても責められはしなかった。
 「ごめん……ジョー……ジ……」
 紙片を握る両手に、涙がぼとぼとこぼれた。
 「会うて謝ろう。……な」
 金の手が、チビ玉の短髪を軽く撫でる。
 「リバーサイド(ホテル)の下で、バンパンって音聞いた。それからバイクの音とか、パトカーのサイレンとか。俺、わけもわからんとジョージ探して走り回ってた」
 「…………」
 「ジョージ、人なんか殺さんて。俺があんなひどいこと言うても……言うたから……」
 「もうええから! 会うて謝ろう。そうやで、ジョージは人なんか殺せる子やないから」
 「高速乗るぜ。飛ばすから坊主をがっちり抱えててくれ」
 低い声で三木が割り入った。会話は、何も聞いていなかったかのように。だがもちろん、全て耳に入っていた。

 高速に入った三木は、アクセルをベタ踏みにして、車線を変えまくって飛ばした。近くの車はみんな遠慮して減速する。エンジン音と振動は商用車両ならではの凶暴さで、もう三人か何かしゃべろうにもよほど大声を上げない限り会話は成立しない。

 高速出口まで二十分を切っただろうという頃、金の携帯が鳴った。
 「三田村です。金さん?」
 「はい」
 高速走行中で音質は甚だ悪い。電波が切れないかはらはらしながら、金は携帯を耳に押しつけ、三田村の言葉に耳を傾けた。
 「彼のバイクが、目撃されていてね。あと街の子で余計なことを言ったのがいる。彼は神戸港に間違いないよ。といってもあそこも広いから細かいことはわからんが。私がこれを知っているということは神部君も情報、押さえたってことですよ……」
 「……ありがとうございます」
 金は電話を切った。焦燥に身を切られるようだった。三木にこれ以上飛ばせというのも、無意味だ。彼も鬼相というべき表情で、無謀なまでの高速運転を続けていた。

  †

 特に昼間は、美しいとも言いがたい、錆びた巨大な船体が視界を遮る、商業港が彼のお気に入りだった。
 霧笛や、機械音に混じり、水音が聞こえ、ひしめく船舶に遮られた隙間から、涼しい風が頬を撫でる。人の暮らしのにおいはしないが、人の営みの香りはする。一人きりになれて、独りぼっちではない。そんな気がする場所だった。

 ジョージはチビ玉が好きだった。あとにも先にも、たぶん同性愛的な意味で、ただ一人。それを一人、今確かに自覚していた。
 ジョージは父親を知らない。そして母親は、父親と呼ぼうとも思わない男と短い間暮らしては切れ、その度に住居を変えた。だからほとんど、まともに学校に通えなかった。嫌気がさして家出して、Zに流れ着いた。
 普通に学校に通い、普通に父に甘え母に甘えてみたかったと彼はよく思った。母親が憎かった。それが女々しいと、感じさせてくれたのが、チビ玉だった。
 母を知らず、およそ父親の資格があると思えない男と放浪しながら、誰も憎まず、父を愛し、その死を弔って独りぼっちになったチビ玉。彼が父を愛しているということが、妬ましかった。そして、そんな自分が情けないと思う。

 けれど俺はチビ玉のことが、好きだった、とジョージは思う。もう何も伝えられない。謝ることも、正直な気持ちを言葉にすることもできない。この先、自分がどうなるかはっきりとはわからないけれど、「何もかも終わり」っていうところだ。終わり方が、わからないだけだった。

 船の発する音と違う物音に、ジョージの全身は緊張した。
 タイヤの軋みやエンジン音だ。複数だろうか。ジョージはジャンパーのポケットから、客から奪った護身用の小さなピストルを出し、銃口を見つめた。