プロレスごっこが生んだ悲劇

朝日新聞 昭和39年10月11日(日曜日)朝刊 

プロレス遊びが過ぎて
弟死なせ兄が自殺

 【倉吉=鳥取県】昭和39年10月10日午前7時過ぎ、倉吉市駄径寺、工員K子さん(47)方の居間で、次男の同市上灘小学校5年T君(11)がハリに細ヒモをかけて首をつって死に、隣室の布団の中で三男の同校4年H君(9)が死んでいるのを、外出先から帰った長男のMさん(22)=名古屋市・中央大4年=が見つけ、倉吉署に届けた。
 同署で検視したところ、弟H君は手でしめ殺され、フトンの中に行儀よく寝かされており、死亡時刻は二人とも9日夜8時-10時と推定された。H君のマクラもとには二人でつくったプロレスの「星取表」と「お母さん、ぼくがHちゃんと遊んでいたらHちゃんが・・・。ぼくは悪い子です。おとうさんのところへ行きます」とT君がエンピツで書いた遺書があった。
 同署は家族や近所の人、兄弟の学校友達などの話から、兄弟二人でプロレスごっこをしているうちにT君がH君の首をしめて死なせ、びっくりしたT君が責任を感じて首つり自殺したものとみている。

 遺書の内容を見ると、この兄弟の父親は既に他界しているようですね。また、母親が工員であるということを考えると、女手一つで少なくとも3人の男の子を育てていた事になります。そんな「手塩にかけた」息子を2人同時に失うということは、母親にとってこの上ない悲しみだったことでしょう。
 長男はこのとき既に大学生だったわけですが、学年が1つしか違わない次男と三男はとても仲が良かったに違いありません。いつも一緒に遊び、またケンカも遠慮なく思いきりしていたことでしょう。これは推測ですが、遊びだったはずのプロレスごっこがいつの間にかケンカになり、気がついたら弟が死んでいた。そして責任を感じた兄が・・・といった経緯だったのではないかと思います。「おとうさんのところへ行きます」の一文が涙を誘いますね。

 以上、東京オリンピック開会式の翌日の新聞からでした。

 

 上記新聞記事は、「ちゃぶ〜堂」のちゃぶ〜さんから提供していただきました。記事下のコメントもちゃぶ〜さんの手によるものです。私は、夢中になって弟を組み敷いていた兄が、ふと我に返ると弟が動かなくなっていた、という映像を思い浮かべました。遺書の文面の子供らしいかわいらしさが、かえっていたましさを増幅させています。
 ちゃぶ〜様、お忙しい中貴重な資料をいただきまして、ありがとうございます。

 なお、記事中の氏名は伏せ字にしました。