遺産目当てで引き取った養子を虐待

昭和45年9月6日(日曜日)の朝刊より(この文章は朝日新聞と毎日新聞の記事を元に要約したものです。文章中の人名、住所は新聞記事のままです)

 9月5日、養子として引き取った男の子をせっかんしていたとして、神奈川県川崎市木月1-471、洋ガサ修理販売業、船久保清(40)とその妻かね子(45)が川崎・中原署に傷害の疑いで逮捕された。
 およそ3年間にわたってせっかんを受けていたのは小学6年生のA君(12)。事件が明るみになったきっかけは8月30日、かね子が「寝小便ばかりしていうことをきかない」と、A君の頭を水を張った風呂桶に約1時間も突っ込んだりあげたりした後、夫と二人で顔などに殴る蹴るの暴行を加え1週間のケガを負わせた事件だった。いつもは「ぼくが悪かった」とじっと耐えていたA少年だったが、この時ついに「助けてー」と悲鳴を上げて助けを求めため、近所の主婦数人が慌てて止めに入ったのだ。
 その時のかね子は包丁を持ち、A君を刺してやるとものすごい勢いだったため、主婦4人が9月1日朝、川崎・中原署に届けた。同署が小学校の始業式の後A少年を呼んだところ、全身に火傷の痕や黒いアザなどがあったため、彼を川崎児童相談所に預け、養父母であるかね子と夫の清を調べた。そして9月5日、同署は2人を傷害の疑いで逮捕。

 A君は昭和33年に山梨県の開拓地区で生まれたが、実の母親が家出をしてしまったために、4歳の時に同じ開拓地区に住むかね子の長姉の養子となった。しかし、その長姉が亡くなったために奈良県に住むかね子の次姉のところに引き取られた。だが不幸は重なり、次姉までもが交通事故で亡くなってしまった。このためにA少年は一時、奈良県天理市にある施設「養徳院」に入っていた。

 その後、彼が小学3年生の時の8月中旬に「暖かい家庭の味を・・・」ということで、清とかね子夫婦がA君を養子として引き取った。「幸福になれるね」とA君は喜んだが、夫婦の本当の狙いはA少年が成人したときに相続される、かね子の長姉名義の3,000万円相当の開拓地の土地であった。
 しかし、権利書は開拓組合長が持っており、かね子たちは後見人になれなかった。そのため、その後のA少年に待っていたものは、養父母によるあまりにも残酷な「八つ当たり」のせっかんであった。

●A君が受けたせっかんの数々
・ポットの熱湯をかける=右肩の後ろに直径10cmのケロイド
・蚊取り線香で両足にお灸を据える=両足に数ヶ所の火傷痕
・約20kgの傘置台を日に数回持たせ、重さでA君の手が曲がると「手を伸ばせ」と怒鳴りつける。
・食事の量が家族よりも少ない“差別待遇” 等々

 A君はこれらの虐待をジッと耐えていた。また、せっかんの痕を友達や先生に見られ、「その傷はどうしたの?」と訊かれても、「自転車で転んだ」と答えていたそうだ。

 夫婦は警察の調べに対し、「決してせっかんではない。しつけの手段にすぎない」「スパルタ教育で精神をたたき直すのだ」などといい、悪びれた様子など少しも無いという。


 少年が寝小便ばかりしていたのは養父母のせっかんによる精神的ストレスが原因でしょう。何はともあれ哀れな少年です。おそらく、はじめに育ててくれたかね子の長姉、次姉に義理を立てて、かね子と夫のせっかんを我慢し続けたのでしょう。それにしても次姉の交通事故が、実の妹かね子による偽装殺人のような気すらしてきますね。

 とりあえず、その後A少年や船久保夫妻がどうなったかは分かりませんが、A少年が“災い”の元となった莫大な遺産で、現在幸せに暮らしていることを願わずにはいられません。

 以上、大阪万博閉幕1週間前の新聞からでした。

 

 こちらの文章もちゃぶ〜様よりいただきました。枠内はすべてちゃぶ〜様の手による文章です。

 私好み、というと変ですが、心揺さぶられる事件ですね。まるでフィクションのような養子いじめです。次々と保護者を失った上激しい虐待にさらされ、それでもかたく口を閉ざしていた健気な少年に、いたましさといとおしさを強く感じてしまいます。

 ちゃぶ〜様、お忙しい中、貴重な資料を提供していただき、ありがとうございますm(_ _)m。