〜悲劇の始まり??〜
クォヴレーが今いる場所は、
寮のシャワールームより広いかもしれない。
軍人というものは・・・、
特に位が上がれば上がるほどいい生活をしているというが・・、
はぁ・・と大きなため息をつくとともに、
惨めさがこみ上げてくる。
本来ならば決して縁がなさそうな、
綺麗で豪華でそれでいて高性能なトイレ。
だがクォヴレーは決して用を足すためにトイレにいるわけではないのだ。
扉の向こう側からは相変らず、
コンッコンッとノックが聞こえてきているからだ。
一体全体、何故自分はよりにもよって
こんな鳥篭な場所へ逃げ込んでしまったのか?
と、自分の浅はかさを呪わずにはいられない面持ちだ。
ドアを叩く音が大きくなった。
便器の上に座っているクォヴレーの身体が大きく震える。
「・・・クォヴレー、諦めろ」
扉の向こうの男の声は、先ほどよりも冷たくなった気がした。
「・・・いい加減に出て来い」
「・・・・・・っ」
男の声はどこか愉快気で、笑いを含んだ声をしている。
おそらく扉の向こうで、
「雄」をウズウズさせて待っているのだろう。
「・・・そうやって何時までトイレに閉じ籠っている気だ?」
「・・・・・・っ」
「・・・言っておくが外からでも
その扉を開ける方法などいくらでもあるぞ?」
「!?」
「さぁ・・・、もう諦めて出て来い。
お前がそういう態度に出るならば、
俺もそういう態度にならざるを得ない」
「・・・っ、あっちへ行け!!」
「・・・・・・・」
「・・・と、扉から・・離れていてください・・・。」
「・・・・・・・」
「そしたら出る・・・出ますから・・・」
「・・・いいだろう」
すると扉の向こう側の気配が遠のいていく。
ホッ・・と息をつき、震える手で内側の鍵を「開」へまわし、
恐る恐るトイレの扉をあけ、
およそ3時間ぶりにトイレの外へと出たのであった。
今日もクォヴレーはせっせとカウンター業をこなしていた。
お昼のピーク時がすぎ、
今はアイドルタイムで少しだけ暇をもてあましている店員達。
あるものはトレーを回収したり、
あるものはたまったゴミ袋を交換したりしている。
そんな中クォヴレーはカウンター周りの
ポーションミルクなどの補充をしていた。
ポーションミルクを補充し、
マドラーを補充しているところで
店の自動扉が左右に開き、
その男は入店してきたのである。
「・・・!」
「・・・・・」
春モノのコートに身を包み、
ポケットに片手を突っ込んだ姿で
男は優雅に微笑を向け話しかけてきた。
「・・・クォヴレー・ゴードン君、私を覚えているか?」
「・・・・え・・えぇ・・」
いくらなんでも、昨日の今日で忘れるはずもない。
ましてやあんな印象的な出会いをしていれば尚更だ。
「それはよかった」
長身の男はニッコリと微笑んで、
更にカウンターへと近づいてきた。
「昨日の話・・・考えてくれたか?」
「・・・そ、それは・・・」
「・・・それは?」
男の目が鋭いものへ変る。
スッと目が細められれば、
ロックされれたように動けなくなってしまう。
それほどまでにその男には威圧感があるのだ。
「・・・む・・無理です」
「・・・・無理?」
何故?という風に首を傾げる男。
「昨日も申し上げましたが、オレはただの学生に過ぎません・・。
貴方の・・・イングラム少佐のお力になれるとは思えません」
「・・・それは私が決めることだ。
やりもせずに『無理』と決め付けるのは
軍人を目指すものとしては良くないな」
イングラムはより一層目を細め、
責めるようにクォヴレーを見つめた。
「・・そ、それは・・そうですが・・・」
「君には有利な条件ばかりだと思うが・・・?」
「・・・・」
「聞けば苦学生だというし」
「!?」
クォヴレーは驚いた。
昨日の今日で自分が天涯孤独で奨学金をもとに
生活してることを調べたというのだろうか?
驚きの表情でイングラムを見つめていたらば、
フッと自身ありげな微笑をむけられる。
その目はまるで、
『私の力を侮ってはいけない』
と語っているように感じられた。
「秘書のバイトをすれば今より生活は楽になるし、
なにより君が目指している『軍人』のこともいろいろ学べる。
メリットはあってもデメリットはないと、
理事長も賛成なさってくれたが?」
「・・・・!?」
クォヴレーは再び驚いてしまった。
どうやら、もう理事長にまで話が通っているらしい。
天涯孤独のクォヴレーにとって、理事長はある意味『恩人』だ。
今すんでいるアパートの保証人になってもらっているし、
学費も大分カットしてもらっている。
まぁ、学費カットの理由は成績優良者の特典なので、
クォヴレーの努力によるものなのだが・・・。
「理事長は賛成なさっていたが・・・?」
フフ・・と笑うイングラムの目はまさに勝者の目であった。
どんなに足掻こうとも、
クォヴレーに「断る」という選択肢を与える気はないらしい。
「(・・・この男・・!)」
グッ・・と唇を噛みしめていれば、後から店長の声が・・・。
「・・・しかし、少佐」
「なんだ?」
店長の話しかけに、冷たく返事を返すイングラム。
あまりのプレッシャーに店長は一瞬身体を竦ませるが、
店長にとってもクォヴレーは
「可愛い存在」なので手放したくないのである。
「可愛い」といっても変な意味ではなく、
実の息子のように思っているというのが適切だ。
仕事はテキパキこなすし、
挨拶はきちんとできるうえ、落ち着いていて品もいい。
少し無愛想なところもあるが、
それは育ってきた環境のせいだろうし、
大して気になる部分でもない。
ゴクン・・と咽を鳴らすと、おそるおそる話はじめた。
「確かにクォヴレー君にとってタメになるかもしれませんが、
本人はあまり乗り気ではないようですし・・無理強いは・・・」
助かった!というようにクォヴレーは表情を少しだけ明るくした。
だがそれが気に喰わないのか、
自分に意見してきた店長が気に食わないのか、
「・・・私は彼に聞いているのであって、
お前に聞いているわけではない。
ここで営業を続けたければ余計な口出しはしないことだ」
「なっ!?」
イングラムの視線に怯える店長を横目に
クォヴレーは信じられない気持ちでいっぱいであった。
ギロッと店長を睨んでいた視線をクォヴレーへと戻すと、
うってかわって優しい微笑を向けられた。
だが頭のいいクォヴレーにはわかっていたのである。
余計な口出しをしてきた店長を諌めるフリをして
イングラムは実のところクォヴレーを脅したのだ。
『ここを潰されたくなければ自分の元へ来い』
・・・・と。
クォヴレーは唇を噛みしめる。
本当は生活が苦しくとも誰にも干渉されず静かに暮らしたいのだ。
確かに「秘書」になれば得るものも沢山ある。
採用試験の際も「ひいき」されるというし、
チャンスさえあれば!!
と高級仕官などの「秘書」のバイトを狙っている学生が多いのも確かだ。
だがクォヴレーは自分ひとりの力で立派な「軍人」になりたいのだ。
なのに何故この男は邪魔するのだろうか?
何故ここまでして自分を秘書にしたがるのだろうか?
・・・クォヴレーにはイングラムの心のうちなど知る由もないのであった。
「・・・さぁ?そろそろ君の返事を聞こうか?」
「・・・(この男・・・!
明らかに断れないように道筋を作っておきながらぬけぬけと!!)」
「・・・クォヴレー?」
イングラムは既に「君」をつけて呼びはしなかった。
もうわかっているのだ・・・。
クォヴレーが自分の元へ来る、と。
「・・・さぁ?」
急かすようにもう一度「さぁ?」とイングラムは声を発する。
目を伏せ、悔しそうに唇を噛みしめて、
「・・・・やります」
と、小さく呟くクォヴレーの声が静まり返った店内に響いたのだった。
そしてその答えにイングラムは満足そうに微笑んだ。
「やります」という返事をしたクォヴレーを
問答無用でその店から連行していくイングラム。
「勤務時間が終わるまでは・・・」
という願いを無視され、まるで歌のドナドナのように
店長やバイト仲間を振り返りながら
クォヴレーは強制的に連行されていった・・・。
門を顔パスで通り抜け、
自分の執務室へとクォヴレーを引っ張っていく。
手を引き、備え付けのソファーに強引に座らせると、
先ほどとは打って変わって優しい微笑を向けられる。
「強引な真似をしてすまなかった。早速だが仕事を始めようか?」
「・・・・え?」
連れてこられたばかりだというのに、
もう「仕事」を始めるというのだろうか?
不安な面持ちでソファーの前に立つ彼を見上げれば、
困ったような顔をしていた。
「もちろん、本格的な『仕事』は明日から徐々に教えていく・・・、
とりあえず今日のところは・・・・」
スッ・・と頬に大きな手が添えられる。
そうかと思うと彼の顔が段々近寄ってきて・・・・
「・・????!!!」
唇と唇が一瞬触れた。
何故一瞬しか触れなかったのか?
それは・・・・
「ぐっ・・!!」
「・・・はぁ・・・はぁ・・・」
嫌な気配を感じ取ったクォヴレーは、
唇がきちんと重なり合う前に
ドンッとイングラムを突き飛ばしたのである。
油断していたイングラムは数歩後によろめくが、
直ぐに手を伸ばしてきた。
伸びてきた手にビクンッと身体を揺らし、
一歩二歩と下がっていくクォヴレー。
そして震える身体から声を絞り出した。
「い・・・今・・・キ・・・キ・・・ス・・・???」
青い顔色で必死に声を絞り出すクォヴレーを見下ろし、
イングラムは口端を歪ませて頷いた。
「・・・ああ、それがどうした?」
「・・・!!な・・何故・・??」
「何故、だと?・・・おかしなことを聞く」
「・・・おか・・しい??」
「・・・相手をするのも秘書の立派な仕事だろう?」
「・・・!!?」
当たり前のように「相手をしろ」と命令するイングラムを、
愕然とした顔で見上げる。
咽で笑う声が聞こえたかと思うと、
いつの間にか目の前に彼は来ていた。
そしてゆっくりと魔の手を伸ばしてきたのだ。
「!!!・・う・・わぁぁぁーーー!!」
バシッと手をなぎ払い、出口へと駆け足で急ぐ。
だがドアノブを回したときに絶望がクォヴレーを支配した。
「(・・・開かない!?)」
ガチャガチャ回しても開く気配を見せないドア。
そして背後から低い声が聞こえてきたのだ。
「・・・仮にも『少佐』の執務室だぞ?
中からセキュリティロックが掛けられるのは当たり前だろう?」
「!?」
ククク・・・と、咽で笑う声。
近づいてくる悪魔の気配。
背中に嫌な汗をかきながらも、
クォヴレーは必死に辺りを見渡した。
そして見つけた小さなドアに縋る思い出逃げ込んだのである。
・・・・そう、
逃げ込んだその場所がトイレだったのはもうお分かりであろう。
勢いよくドアを開け、
「閉」の方向へ鍵を回し床にへたり込んだ。
ドアの外からはこの部屋に近づいてくる足音が聞こえてきてはいるが、
鍵をかけたのでとりあえずは安全だろう。
と、その部屋を見渡すが、見渡した瞬間クォヴレーは後悔した。
「(トイレ???しかも窓がない)」
「・・・窓がないトイレからどう逃げる気だ?」
「!?」
扉の向こうから小ばかにしたような声が耳に痛いほど響いてくる。
「不審者進入防止・不審者雲隠れ防止の為、
トイレには窓はつけないことになっている。
そんなものつけずともハイテク機器導入で匂いが立ち込めることはないしな」
広くて豪華なトイレをキョロキョロ見渡し、
クォヴレーは次第に青くなっていく。
天井を見てみても、位置が高いので届きそうもない。
仮に届いたとしても、
素手では到底穴を開けられそうな壁素材ではないようだ。
「(・・・ひょっとしなくてもオレは今、ピンチか???
貞操の危機というやつか???お、男なのにか????)」
コンコンッ、とドアがノックされる。
ノックの音に比例するように竦み上がるクォヴレーの身体。
「・・・クォヴレー、諦めてそこから出てきなさい」
「・・・・・っ」
「クォヴレー、あまり俺の手を煩わせるな・・、出て来い」
「(『俺』??『俺』だと!?さっきまで『私』だったじゃないか!?
だいだい何故オレはこんな目にあっているんだ???)」
コンコン・・・コンコン・・・と
ドアを叩く音が段々乱暴なものへ変っていく。
クォヴレーは青ざめ、
ただ膝を抱えて震えているしかなかったのであった・・・。
有り難うございました。
なんだかイングラムが「黒い」です。
この話にはまだまだ「裏」があります。
そして「裏(エロ)」もあります。
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