〜生意気猫の黙らせ方〜

通帳を見て東上はため息をついた。
分かってはいたが改めて残高をみると無性に悲しくなるのは仕方ない。
けれど給料日までまだ日数があるのでどうしようかと頭を悩ませていたら、
その能天気な声は聞こえてきたのだった。

「なになに?とーじょー??通帳見てため息なんか・・・って、うわぁ・・」
「・・・・・うわぁ・・じゃねーよ!」

この国鉄!と叫べばヘラヘラした笑顔を浮かべた武蔵野はニンマリと笑った。

「残高が少ないからって八つ当たりはよくねーよ?」
「うるさい!少ないって言うな!そんなの俺が一番よくわかってる!このブセン!!」
「ブセン・・・?」

それは本当に思いつきというか、ただ腹が立って口から出ただけなのだが、
東上はすばらしいアイディアに自分で自分を褒めてやりたくなった。
『ブセン』とはなかなかすばらしいニックネームではないか。

「ブセンってなに??俺のこと??」
「お前以外に誰がいるんだよ?」
「・・・・・そうだけどさぁ・・・。なんでブセンよ?俺、ブスより可愛い子が好きなんだけど?」
「ばーか!ブス専でブセンって言ったわけじゃねーよ!大体!ブス専をブセンなんていうのかよ?」
「言わないねぇ・・・、じゃ、なんで?」
「だってお前、武蔵野線だろ?」
「・・・はぁ?」

確かに武蔵野は武蔵野線だ。それ以外に名前はない。
ま、貨物運送もやっているので、たまに意地の悪いヤツがそっちで呼んだりするが、
武蔵野は武蔵野だ。

「確かに俺は武蔵野だけどねー?」
「ならブセンでいいじゃねーか」
「・・・・・意味わかんねーし?」

武蔵野が頭に『?』を沢山浮かべていると東上はふふんと笑う。
それはまるで勝者の目つきだ。

「武蔵野銀行って知ってるか?」
「ん?まーね・・・」
「あの銀行って通称『武銀(ぶぎん)』なんだぜ?」
「・・それも知ってる・・・って、ま、まさか・・・?」
「お前も武蔵野なら『武線(ぶせん)』でいいじゃねーか!?」

少しだけある身長差をいかし、東上は挑発するように武蔵野を見上げた。
東上の言いようにあっけにとられているのか、
彼は珍しくポカーンとした顔で東上を見下ろしてきていたので、
東上はベェッっと舌を出した。
・・・俗に言うあっかんべーをしたのだ。

「(迂闊に舌とか見せんなよな・・・つーかそれより!)じょ・・・・」
「じょ?」
「冗談じゃねーよ!!あの呼び方は銀行だからサマになっているだけだろーが!
 俺がそんな風に訳されたら可笑しいだろ!?」
「そうか??案外さ、似合ってんじゃねーの?」

東上はあっかんべーに舌だけでなく指先で目の下の皮膚を下ろし目まで付け足した。
これで立派なあっかんべーが完成したのである。

「おい、東上・・・」

武蔵野は遅延した時のように情けない声で名前を呼んでみるも、
当の東上はプイッとそっぽを向き聞く耳を持たない。


「ふん!人の通帳を見て笑うからだ!いい機会だから皆にも言いふらしてやるよ」
「げぇっ!マジで!?そんなあだ名で呼ばれたら俺、死んじゃうよ?」
「あだ名で死んだやつなんかいねーだろーが!」
「いーや!いるね!コレは立派ないじめだ!虐めで自殺する奴だっているのよ??社会問題だぞ?」
「・・・・人の通帳を勝手に見て笑うのは虐めじゃねーのかよ?」
「虐めじゃねーでしょ??見たくて見たわけじゃないし?偶然見えちゃっただけだし?
 東上の残高が少ないのも俺のせいじゃねーし?」

両手を肩の高さまで肩を竦め、尚且つ『ハッ』と笑われたので、
東上のどこかでブチッと言う音がなったのは言うまでもない。
そして直ぐに目に涙を浮かべ武蔵野にくってかかった。

「俺がビンボーなのも俺のせいじゃねーよ!!」
「・・・自己管理が出来てないって事だろー?イヤだね〜、だらしないヤツって」
「!!!!」

もちろん武蔵野は分かって言っている。
東上がビンボーなのは東上のせいではないことを。
東上だけでなく、『東武』の連中はどこもかしこも貧乏に苦しんでいるのだ。

「お、お前に言われたくねーよ!」
「へぇ?」
「お前なんか!ちょっとの雨や風でも遅延!運休じゃねーか!
 それって自己管理がなってないってことだろ!?」
「俺はいーのよ!JRがそれでいいって言ったんだからさぁ」
「なんだと!」
「本当のことだもーん」

腰に手をあて、東上の顔を覗き込むように見下ろした。
ニヤニヤ笑う武蔵野に対し、東上はブルブル身体を震わせ、
握りこぶしを作って武蔵野に向って殴りかかろうとしたが、
急に何かを思い当たったのか、ニヤリと笑って武蔵野を見上げる。

「・・・やっぱ言いふらしてやる」
「は?」
「お前のあだ名は『武線』だって言いふらしてやる!」
「はぁ!?何いってんの!やめろって!」
「うるさい!うるさーい!」

ちょっとからかいが過ぎたか、
と慌ててどこかに立ち去ろうとした東上の肩に両手を置き、
彼が逃げるのを軟弱ながらもなんとか成し遂げた。
東上はというと、バカ、とかアホ、
とか喚きながら腕を振り回しているのでなかなか黙らせることは出来ない。


「と、東上!落ち着けって!俺がからかいすぎたって・・悪かった!」
「うるさい!黙れ!もう遅い!お前なんか・・・お前なんか・・・武線のくせに!」
「・・・あー・・・、うんうん。俺が悪かったって。
 だからその呼び方止めてくれよな?つーか大人しくしような?」
「うっさい!この武線!ブーセンー!!ブセン!ブセン!!」

・・・・あー・・そうだった、コイツ切れると落ち着くまで怒鳴り続けるんだよなぁ・・、
などと呑気に構えながらも、流石になんども「ブセン」を連発されるとイラッとしてしまう。
オマケに耳に近い位置でヒステリーを起こしているわけだから耳鳴りもしてくる始末だ。

「・・・東上」
「!!何だよ!?睨んだって怖くねーぞ?お前なんか一発でノックダウンできるんだからな!」
「ん〜・・・まぁ、ねぇ。そうだろうねぇ・・・。俺、軟弱だし」
「よく分かってんじゃねーか!このブセン!」
「・・・ん〜、でもさぁ・・・、軟弱でもさぁ、東上を黙らせる方法は知っているわけよ?」
「はぁ!?軟弱なヤツにどうやってそんなことできるんだよ!寝言は寝て言え!」
「あ、信じてないんだ?ふーん・・・?」
「当たり前だろ!何かやられる前に蹴ってやる!」
「蹴られるのは勘弁!・・・んじゃ、さくっと黙らせますかー」
「できわけ・・・・・、っ・・・・」


それは一瞬だった。
武蔵野が顔を斜めに傾げたと思ったらチュッという音とともに唇に生暖かいものが触れていた。
オドロキに目を大きく見張る東上と、
してやったりと目を細める武蔵野。
あまりの驚き加減に固まっているのか、東上の身体は石のように硬くなっている。
抵抗されないのをイイコトに武蔵野は更に目を細めて己の舌で東上の唇を軽く舐めてみた。
するとキスされた瞬間よりももっと驚いたのか、
身体の揺れとともに少しだけ開かれた東上の口の中に舌を強引に差し込んで、
驚きで縮こまっている東上の舌を今度は突いてみた。
するとさっきと同じように身体がゆれたかと思うと逃げようと動いた舌を簡単にからめとった。

「んー・・んー・・!・・ふ・・・」

舌で舌を押したり擦りつけたりしてやると、最初は気持ち悪かったのか苦しげだった声も、
次第に気持ちよくなってきたのか鼻にかかった甘えたようなものになる。
武蔵野を殴ろうと振り回していた腕もいつの間にかダランと下がり、
武蔵野が東上の腰に腕を回し抱きしめても抵抗されることはなかった。

「(あー・・なるほどねー、キスが好きなわけねー・・)」

もう少し、珍しく素直な態度になった東上を味わっていたいがそういうわけにもいかない。
キスをやめた後のこの路線がどんな態度をとるのか、それを見てみたいからだ。
黙らせたい相手を黙らす方法。
暴力以外にもこういうのもあるんだぜ?と言ってやったらどんな顔をするのだろうか?
武蔵野は目だけ人の悪い笑みを浮かべ、名残惜しくも東上の唇を開放するのだった。

「東上?」
「・・・・・ん・・・」
「どーしたのよ?さくっと黙っちまって・・・」
「・・・・・・!!?」
「俺には出来ないんじゃなかったけー?」
「・・・ぁ・・・・う・・・・」

ニヤリと笑ってお互いの唇がくっつくくらいの距離で言えば、
東上の顔が瞬時に真っ赤になっていく。

「お、おま・・・お前・・・!」
「んー?」
「ひ、卑怯だぞ!!こ、こんな・・・」
「そー?結構有効な手段じゃねー?キスも出来るわけだしさ」
「どこが有効なんだよ!」
「でも東上おとなしくなったじゃん?」
「そ、それは・・・・!」

顔を離して改めて見下ろせば東上の身体は震えていた。

「(ふぅん?)・・・東上、怖かった?」
「はぁ!?」
「だって震えてんじゃん?かーわーいー!」
「な、ななななっ!そんなわけあるか!怖くなんかねーよ!」
「へぇ?そんなに震えてんのに?」
「これは!・・・そ、その・・・そう!武者震いだ!」
「武者震いねぇ・・・あ!なるほどねぇ」

武蔵野は何を思ったのか、再び東上に顔を近づけ、今度は軽く唇を合わせ直ぐに離した。
大きなチュッと言う音を立てて・・・・。

「!!!!?」
「東上ってば興奮して武者震いしてたんだぁ?そんなに俺とのキスがいいわけ?」
「!!!?ばっか!そんなわけあるかーー!俺は怒りで震えてんだよ!」
「・・・おっと」

東上は怒りに任せ、武蔵野をなぐるべく向ったが震える身体では空振りに終わる。
それどころか急に動いたせいで全身から力が抜け武蔵野に寄りかかる格好になってしまった。

「なになに?なによ?今度は腰砕けってか?かーわーいー!」
「!!!う・・・うぅ・・・・(くそっ)」
「東上ってばとんだ初心だったわけだ?いつものヒステリーはそれを隠す仮面ってか?」
「うぅっ!」

腕の中で真っ赤に染まっている東上を
どこか心地よさ気な笑顔で見下ろしながら武蔵野はもう一度顔を寄せた。
今度はさっきのような強引でもなく、直ぐに離すキスでもなく、
唇と唇を合わせるだけのフレンチなキス。
けれどしばらくの間は唇をくっつけあっていた。
東上は相変らず力が入らないのか、唇が離れても悔しそうに睨みあげるだけだった。

「おまえ・・・、可愛い子が好きなんじゃねーのかよ?」
「ん?そーだけど?」
「ならなんで俺にキスすんだよ?俺、可愛くねーぞ?」
「・・・・・そうかぁ?俺はお前のこと可愛いと思うけど?」
「はぁ?お前、目が腐ってんのか??ダメなのは路線だけにしておけよな」

力の入らない身体で必死に噛み付いてくる。
いつもヒステリックに怒鳴り散らして野良猫のように誰も寄せ付けない。
でもかまってやると直ぐに咽を鳴らしてくる。
これを『可愛い』と感じてしまうのは可笑しいのだろうか?

「いーじゃん、別に。人の価値観なんてそれぞれだろ?
 俺が可愛いと思えば東上は可愛いってことでさ」
「・・・・ぁ・・・ぅ・・・お前がいいらないいけど・・・」
「深く考えんなよ!あ、でもブセンってのは止めろよ?」
「止めない、つったらどうするんだよ?」
「んー??そうねぇ・・・・」

大人しくされるがままに武蔵野に抱きしめられている東上に武蔵野はにんまり笑って、

「もっとすんごいことして黙らせるけど?」

と言った。

「もっと・・・・?」


もっとすごい、がどのくらいすごいのか、東上には想像もつかないが、
武蔵野の楽しそうな笑顔に不穏なものを第五感で感じ取った。
よく分からないがソレはとてもよくない事が身におきそうな気がするのだ。
その証拠にさっきから武蔵野の手が何故か東上の尻を撫でているのだ。

「ま、俺としては万々歳だけどな。なんなら今試してみるか?」
「・・・・・・」

武蔵野は相変らずにんまり笑っているので東上はブンブンと頭を左右に振った。
もっとすごいことが想像つかない今、
平常時なら全力で逃げられるかもしれないが、身体に力の入らない今は無理だ。
東上の反応に「あー、残念」といつものやる気のない口調で言い、
抱きしめていた東上を離すと何故か手を繋いできた。

「武蔵野?」
「越生、向かえに行こうぜ?」
「な、なんで?」
「今夜の夕飯は俺がおごってやるよ」
「・・・・?」
「可愛い東上を見せてもらったお礼。いいものも貰ったしな」
「可愛いっていうな!・・・・つーか、いいもの???」

何もあげてねーぞ?と不振がちに武蔵野を見たけれども、
武蔵野は口端を斜めに上げるだけで何も答えない。
東上はわけが分からないながらもおごってくれるというので、
(お金も少ないことだし)とり合えずおごってもらうことにした。
繋がれた手から伝わってくる体温と、キスされた唇に残された体温、
この二つになぜか胸をドキドキさせながら東上は手を繋いだまま武蔵野と越生を向かえに行った。








・・・・このあと、手を繋いで現れ、
あまつさえ様子の可笑しい東上に激怒した越生に武蔵野は鉄拳を浴びることとなる。



2010/8/1


ありがとうございました。 なんとなく思いついてかいてみました。 ちなみにこの話の武蔵野は東上のこと最初からちゃんと好きですよ? だから通帳をみて落ち込んでいる東上に声をかけたのですよ♪ 戻る