「母上、出かけて参ります」
ネジは閉められた襖の奥に声をかけた。数秒後、襖が静かに開いた。
顔を出したのは妙齢の女性で、今日は淡い桃色の下地に蝶が飛んでいる着物を纏っていた。
「あら、出かけるの? 雨が降っているのに・・・」
鈴を転がすような声とはよく言ったもので、ネジの母は本当に美しい声の持ち主だ。
目は、ネジの後ろを透かすように見ている。朝から雨空だった。雨脚が強くなるということは無いようだが、着物の裾は確実に濡れるだろう。
「ええ、行って来ます。明日から、また任務続きで里を空けますので」
「そう・・・。じゃあ、行ってらっしゃい」
はい。ネジは静かに言うと、踵(きびす)を返した。後姿を見送っていた母は、そこにネジの父親、自分の夫を重ね合わせていた。

「ネジさま、本当にお出かけになるのですか?」
玄関先で聞いてきたのは、古参の使用人アシアリだった。両手で傘を持ち、靴を履いているネジを見下ろしていた。
「母上にも同じことを言われた」
靴を履き終えたネジは立ち上がる。今度は見下ろされて、アシアリはかすかに笑った。本当に大きくなりましたね、と目が語っていた。
「では、お気をつけて」
「ああ。・・・そうだ。帰って来た時に葛湯が飲みたい。用意しておいてくれるか?」
「もちろんでございます。熱いものを用意しておきましょう」
雨の日に外出をした時は、帰ってくるといつも葛湯を飲まされていた。体が冷えてしまってはいけないという理由らしかったが、当時は葛湯が苦手だった。にも関わらず、最近ではその味が妙に温かくて、懐かしくて。夜中に一人、厨(くりや)で作ることもあった。
「頼む」
ネジは微笑むと、アシアリから傘を受け取った。蛇の目の傘だ。木ノ葉の里でも、日向家くらいしか使わなくなった代物だ。だが、着流しに蛇の目姿のネジは紫陽花(あじさい)のように美しい。
「いってらっしゃいませ」
雨が降っているからいいと言ったのに、アシアリは門の前まで着いて来て頭を下げた。

雨の木ノ葉もそれなりに美しいが、やはり陰気な気持ちも湧き上がる。いつもは路地に出て遊んでいる子供たちも、今日はおとなしく家にいるのだろう。
吐き出す息は白く、空気も冷たい。もう一枚くらい、なにか着ればよかったとネジは今さら、思った。
角をいくつも曲がり、市場を抜けて、さらに歩く。
毎度ながら、待ち合わせの場所を自分の家から遠い所にすることを、道のりの半分まで来て後悔する。
目の前に、公園が見えてきた。数年前に作られ、出来た当初は緑の多い木ノ葉の里に、こんな公園がいるのか、と随分言われたが、今では里の者の憩いの場所になっている。人間とは面白いものだ。
連日、人で賑わっている(この言い方もおかしいが)ここも、今日は静かなものだ。
公園の奥へと進む小道は、不思議なほどに水はけが良く、傘から滴り落ちてくる雨粒の方が、逆に裾を濡らす。
なだらかな坂道を降りると、すぐ左手に大きな池が見える。ネジはそこでしばし、立ち止まった。目を凝らす。
目線の先、池の対岸、東屋が見える。人影があった。よくは見えないのだが、東屋から少しだけ腕を外に差出し、雨粒を手に受けているようだ。
(また、わけの分からないことを・・・)
ネジはふう、とため息をつくと、歩き始めた。目的地まで、もう少し。

東屋の下に入ると、雨の音が弱まったように感じた。柱にたて掛けられていた黒い傘の横に、自分の蛇の目を置いた。
振り返れば、自分の顔を見ている人間がいる。
「・・・久々だな、リー」
「本当に」
公園が出来てすぐに、ネジとリーはここを訪れた。そして、平日でもあまり人の来ないこの場所を見つけて、最初の頃は単に二人の息抜きに、最近では、言い方は古いが逢引きに使っている。
リーは、白い息を吐き出して笑った。いつものガイスーツと、ベスト。それで寒いとは言わないだろうが、軽く手に触れてみると、雨を受けていたのか、別の理由があるのか、自分以上に冷たかった。その答えは後者で、聞く前にリーが口を開いた。
「今日は朝の鍛練をして、そのまま来たものですから・・・」
「・・・何時間待っていたんだ? お前は」
ネジは呆れた声を出すと、東屋に据えられている木の腰掛に座った。すぐにリーが横に来る。
顔を覗き込まれて、居心地の悪さにそっぽを向く。
「ネジ、痩せましたね、また」
そうか? ネジは己の体を見下ろした。自分では違いが分からない。
「お前は・・・、また筋肉がついたのか?」
その視線をリーに流した。腕が、足が、一段と太くなったように見える。それでも、元が華奢なリーのこと、頼りなさげに映るのは否めない。
言われたリーは、満面の笑みを浮かべると、黙って池に顔を向けた。ネジも、同様に池を見る。
細かい雨粒が、複雑な波紋を作っている。雨の音以外は、耳に入らない。
まだ下忍だった頃にはあり得ないほど、ネジとリーは近付いた。力量や技量は、リーはネジには遥かに及ばない。けれど、そんなものは障害にならないほどに、二人は近付いた。
「・・・・・・リー」
はい、と返事をしようとした唇を、塞いだ。くぐもった青年の声が、ネジの舌を伝って、咽喉の奥へ。それを飲み込んでから顔を離す。
「・・・なんだって、きみはそう・・・」
文句の詰まった声だ。人が来たら、どうするんですか。来ないことなど分かっているのに、リーは言った。照れ隠しなのだろう。
「悪かった」
ネジが冷静に言うと、リーは押し黙った。口をとがらせて、何度か顎を上げたり下げたりすると、体重をネジに預ける。動かないままでいると、腕を腰に回して更に密着してくる。首筋に鼻を押し付けて、ふ、と息をついた。
「・・・明日から、また任務続きですね」
「ああ、そうだな」
温かい。リーの体温は、誰よりも高いと思う。体に流れる血を、直に触ればこちらが蒸発してしまいそうだ。
そっと、リーの肩に手を置く。このまま押し倒してもいい、とネジは珍しく思ったのだが、やめておくべきだろう。こんな雨の中、池に放り込まれるのだけは、ごめんだ。
口付けならば、怒りはしないだろう。軽く肩をゆすってみると、察しがついたらしく、リーは少しだけ顎を上げた。
先程よりも長い口付けの後、
「・・・ネジの家に行っても良いですか?」
可愛く微笑まれれば、断る術など持っていない。ネジは無言で立ち上がると、なにを思ったか、リーの傘を手に取った。
「古い傘だな。これなら、差さない方が、ましなんじゃないのか?」
そんなに古くはないし、雨漏りもしていない。リーは眉を寄せたが、すぐにネジの思惑に気づいた。
蛇の目が開く。少し狭いが、風邪は引かないだろう。そんなことより、肩と肩が触れ合う瞬間が欲しかった。
二人は肩を並べて歩き出した。
雨粒が傘からはみ出た体を濡らす。けれど、気にはならない。
ネジは歩きながら、リーの髪に唇を落とした。
家では、アシアリが作ってくれた葛湯が待っている。それを飲んでから、リーを抱きしめても遅くは無いだろう。


(2007/05/27〜6/4.5)






・・・ところで!! サイト初期の「ネジ馬鹿説」ってどこにいったんでしょう!?
彼もサイト登場時はヒドイ扱いを受けていたのにねぇ・・・(遠い目)。
なんだかんだでリーくんに甘いネジくん、という図式が好き。でも強引。
そして、久々にネジのおうちを飛び出した話でしたね。いや、冒頭はまんまネジのおうちですが・・・(^^;)。
「アシアリ」を知らない方は、ネジリーお題の「薔薇の蕾のような唇」をご参照のほど。
この「アシアリ」さんで、もう一個くらいは話を作りたいのだが・・・、オリジナルキャラは諸刃の剣だからなぁ・・・。
そんなこと言ったら、キリがないですけどね。