「おう、カカシ! 久しぶりだなぁ!」
「ああ、本当ね。会いたくなかったけど」
その日、カカシは任務前の健康診断のために木ノ葉病院を訪れていた。
待合室で診察を待っていると、同じく健康診断を受けに来たマイト・ガイが隣に座った。
そして、間髪入れずに、
「初めて見たな。お前がそんなもん持ってるなんて」
ガイの質問に、カカシは眉をひそめたが、ガイが指差す物を見て、
「ああ、これね」
それは、脱いだジャケットの上に無造作に置かれていた小さな守り袋だった。なんの変哲も無い布を袋状にして、紐を通しただけの簡単なお守りだ。
「なんだ? そういうのが好きな女と付き合ってるのか?」
にやにやと笑うガイを軽く無視して、カカシはお守りを手に取る。
「……ま、たまにはいいでしょ。こういうのに頼るのもさ」
カカシの目にいつもと違う光を見たのか、そうだな、と小さく呟いてガイは黙った。
「…………そういえば、リーもなんだかそんな物を持っていたような」
数分後、ガイは不思議そうに言ったが、カカシは何も答えなかった。
しかし、頭の中では、
(そりゃ、そうだ。だって……)

話は一週間前に遡る。

「カカシ先生、最近、抜け毛増えていません?」
入浴から戻ってきたロック・リーは肩にタオルをかけたまま、カカシに容赦なく言った。リーの髪の毛はまだ濡れていて、漆黒の髪を、より一層艶やかにしていた。
椅子に座って本を読んでいたカカシは、一瞬動きを止め、そしてゆっくりと顔をリーに向ける。
「…………髪」
「はい?」
「髪拭いてあげるから、ちょっとこっち来て」
手招きすると、リーは特に嫌な顔をせず、カカシの前に座りこむ。カカシはリーの肩からタオルを外すと、乱暴に髪を拭き始めた。頭が上下左右に振られているのに、リーはまったく抵抗しない。これも、マイト・ガイとの過酷な鍛練のお陰なのか。カカシはぼんやりと考える。
「…………で? おれの髪がなんだって?」
たっぷり数分の間を空けて、カカシはあえて何でもない風に質問した。
「抜け毛が増えていませんか?」
そしてリーも、何でもない風に答えた。本当に純粋に思ったことを口にする。それが彼の可愛いところなのだが、しかし、
(自分でも思っていたことを、自分よりも髪の毛が多い人間に言われるのって、腹立つなぁ)
目を細めて、自分の前髪を見つめる。細いが変にごわごわとしている自分の髪は、昔から嫌いだった。『ハリネズミ』などと、笑えはしないが、的確な批評を受けたこともある。
抜け毛にしたって、数年前までは気にもしていなかったが、最近、多いなと思うことが増えた。
「ストレスかねぇ。それとも、どっかで変な病でも、もらって来たのかね」
カカシの軽口に、すかざすリーが応える。
「変な病なら、任務帰りの健康診断で分かりそうなものですが。…………ストレスは…………。カカシ先生にストレスなんてあるんですか?」
「リーくんはストレス無さそうだもんね。純粋に」
それには、リーは何も応えなかった。座っている角度と、タオルのおかげで表情がよく見えないが、きっと頬を膨らませ唇を尖らせているのだろう。それを想像するだけで、カカシは満足した。
「はい、おしまい」
リーの髪を適当に整えると、カカシはタオルを床へ放り投げた。まだ、しっとりと濡れているリーの髪は、乱されながらも綺麗な光沢を放っている。
「…………ありがとうございます」
憮然としながらも礼を言うリーが、更に可愛くなって、思わず抱き寄せてしまう。
リーは最初こそ体を強張らせるが、徐々に力を抜いて、カカシに体重を預ける。こうしても嫌がらないようにさせるために、一体どれだけ掛かったか。カカシはリーに聞こえないように苦笑する。
リーの髪を頬に感じる。手で撫でると、吸い付くようだ。同じ撫でるならば、女の方が良いに決まっている。だが、リーの髪は女よりも気持ちが良い。カカシは鼻を近づけ、匂いも嗅ぐ。呼気が耳に当たって、リーが小さな吐息を漏らした。
数分、リーの髪を思う存分いじると、おもむろにカカシは言った。
「ねえ、リーくん。髪の毛くれない?」
「はい?」
「リーくんの髪の毛ちょうだいよ、お守りにするから」
その提案に、リーは暴れることで応えた。もっとも、拳が当たる前に素早く身は引いたが。
「なに言ってるんですか」
硬い声音と鋭い目つきは、彼が怒っていることを如実に表している。だが、その程度の抵抗で引き下がるカカシではない。
「いいじゃん。減るもんじゃなし。代わりにおれの抜け毛あげるからさ。これは貴重だよ、おれの場合、本当に減るもんだもん」
真剣なカカシに、リーは絶句した後、さすがに青ざめた。このままでは、殺されてでも髪を奪われてしまうのでは無いか、というリーの顔にカカシは表情を崩さぬまま、心で笑っていた。
「………………まあ、くれないならいいんだけどさ」
不意にカカシが目を逸らしたので、リーは肩透かしを食らったようだった。だが、いまだ距離を保ったまま、緊張を崩さない。胡散臭そうな視線を、カカシは感じていた。
「………………でもさ、好きな人の好きな部分を、毎日身に着けてたら、すっごい力になると思ったんだけどねぇ……。どうせ、いつ死ぬか分からない身だしさ」
そこまで言って横目でリーを窺うと、今にも泣き出しそうな顔になっている。理屈では分かっていても、死と言うものを真剣に考えてしまうような青年だ。
(さて、上手くいくかな……?)
リーは床に目を落として、自分の考えと葛藤しているようだ。カカシはじっくりと待つ。もし、これで駄目なら無理矢理むしればいいよね、などと本気で思っていた。
「…………少しだけなら…………、いいですよ…………」
根負けしたリーが、小さく言った。カカシはすぐさまリーとの距離を詰め、まずは抱きしめた。
「本当のほんとは骨がいいんだけど。骨になる予定ある?」
「…………それ以上言ったら、本気で抵抗します」



「お守りってのも、いいもんだよね」
二人だけしかいない待合室で、カカシはしみじみとガイに言った。
「どうした、いきなり?」
ガイは目を最大限に開けて、カカシを見る。
「なんかさぁ、相手の思いが詰まってるって考えると、力が出ない?」
目を細め、幸せそうに笑うカカシに、ガイは明らかに狼狽して、
「お、おい、お前早く診察してもらった方がいいぞ」
その裏返った声にも、カカシは笑うだけで、なにも応えなかった。
ただ愛しそうに、お守りを握り締めていた。


2009/03/24〜25・26