風影の屋敷、我愛羅の寝所。リーは大きな寝台の上で舟を漕いでいた。我愛羅はその反対側、これも大きな机の上になにやら書類を広げて、書き物をしていた。
リーは目をつぶったまま、我愛羅が時折投げかける視線を心地よく受け止めていた。寝返りを打つと、黒く細い髪の毛が、さらさらと動く。
「あの時」
不意の我愛羅の言葉に、リーは少しだけ身を硬くした。彼の言う『あの時』とは、まず間違いなく中忍試験のことだからだ。
リーはゆっくりと目を開け、起き上がった。我愛羅が寝台に身を横たえ、動物のように、膝に擦り寄ってくる。
「…………あの時が、どうかしたんですか?」
話を進めずに、胡坐をかいたリーの膝小僧を甘噛みする我愛羅を促した。我愛羅は一瞬、おもちゃを奪われた猫のような顔をした。
「我愛羅くん?」
リーは我愛羅の髪の毛を撫でる。野生の動物のような強い(こわい)感触だ。
「お前の髪の毛が砂の中に混じっていた」
それは初耳だった。リーの驚きを感じ取ったのか、我愛羅が無理な体勢で首を上げる。目が合うが、我愛羅がなにを考えているのか、やはり分からない。
「…………でも、ぼくの髪の毛なんて、どうして分かったんですか?」
静かに問う。我愛羅は、仰向けになってリーの膝に頭を預けた。目は開いているが焦点は合っていないようだ。
リーは、我愛羅が考えている間、思った。我愛羅の砂は今まで何百、何千と万物の血、毛、脂を吸い取ってきたはずだ。
数分後、我愛羅が口を開いた。
「分からない」
簡潔なその答えに肩透かしを喰らったリーは、思わず噴出してしまった。笑いに合わせて体が揺れ、我愛羅も揺れるのだが、どける気はないらしい。
「だが分かった」
矛盾した我愛羅の答えに、リーは文句を言おうとしたが、自分の髪に伸ばされた指に口を噤んだ。軽く引っ張るような仕草だが、いつ力任せに髪を引き抜かれるか、分からない。我愛羅と付き合うのは、野生の動物と暮らしているのと変わらない。
「どうしてだ」
リーは我愛羅の疑問に微笑んだ。微笑んだまま、体を徐々に倒す。
疑問に答えたつもりはなかったが、我愛羅は納得した表情で、リーの唇に噛み付いた。
我愛羅の乱暴な口付けを受けながら、リーは自分の髪はまだ、我愛羅の砂の中にあるだろうかと考えた。願わくは、あってほしいとも思った。だが、どうしてそう思うのかは、
「…………分かりません」
多分、一生分からないだろう。だが、我愛羅は己の砂の中に、自分の髪一本さえ見つけ出すのだろう。それだけで満足だ。
思考が完全に止まる前に、リーはもう一度、微笑んだ。

終(2008/05/03〜25・26)