雲行きが怪しい。 色とりどりの提灯の隙間から見える空に、うっすらと雲が掛かってきている。
「なんだか雲が出てきましたねぇ」
ロック・リーはのんびりと、且つ、前をずんずんと歩いて行く人物に聞こえるくらいの声で言った。こちらは先程から雲行きが怪しい。
「そう?」
前を行く人物は、振り向きもせず、吐き捨てるように返事をした。
リーは聞こえないようにため息をついた。
「そろそろ花火の時間なのに……。雨になったらどうしましょうか?」
それでもめげずに、前を行く人物に話しかける。
「知らない。帰れば?」
にべもしゃしゃりも無いとはこの事だ。あくまでも一本調子の、鋼鉄のような言葉。
「……テンテン、こっち向いてくださいよ」
「い・や」
二人は無言になった。それとは反対に、周囲では嬌声が上がっている。老若男女が、蒸し暑い夏の夜を忘れるかのように行き交い、笑いながら時を過ごしている。
「せっかくの夏祭りなんですから、もっと楽しみましょうよ」
リーのその言葉に、テンテンが急に歩みを止めた。
「せっかくの夏祭りに、なんであんたと二人っきりになんなきゃいけないの!!」
周囲の人間が振り返り、意味ありげに笑う。そしてすぐに、各々が楽しむべき祭りに戻って行く。中には、にいちゃん頑張れよ、などと余計な応援をする者までいた。
リーはなんとなく愛想笑いを周囲に振りまき、テンテンの背中を見た。
「しょうがないじゃないですか……。ネジもガイ先生も、他の人も用事が出来て来れないんですから……」
「だからって……、なんであんたと……」
テンテンは消え入るような声で、たらたらと文句を吐く。
「せっかく、浴衣着てきたのに……」
ああ、そういうことですか、とリーは苦笑いをした。
テンテンは、紺地に桃色の大ぶりの牡丹が咲いた浴衣を着ていた。髪も、この日ばかりはいつものお団子ではなく、頭の上部で纏め上げて、浴衣と同じく牡丹の飾りを着けていた。
今から数十分ほど前のこと、最初に待ち合わせ場所に来ていたテンテンに、少し遅れてきたリーが、
「とても似合ってますよ、その浴衣。あ、ネジもガイ先生もみんな用事が出来てしまってこ来られないそうです。だから、ぼくと二人で祭りを見ましょう」
と、言い放った。
ここから、テンテンの雲行きが怪しくなった。一瞬目を見開き、すぐに能面のような表情になった後、急にずんずんと歩き出したのだ。
その後は、なにを言っても無愛想な返事があるばかり。さすがのリーも辟易していた。
「……花火、上がりますかね?」
リーは空を見上げる。薄い雲は、先程よりも広がっているように見えた。周囲の人間も、同様に空を見上げ、同じようなことを言っている。
「雨が降ればいいのに……」
不意にテンテンが言った。先程とは違い、鋭いが小さい言葉。その呟きを、リーは聞き逃さなかった。
「テンテン……。そんなにぼくと二人っきりが嫌ですか?」
さしものリーも、むっとした表情と声になった。それを感じ取り、テンテンの肩がぴくりと震える。
「ぼくには、君がなんで怒ってるのか分かりません。なにが気に食わないんですか?」
テンテンは振り向かない。リーも、無理矢理にその肩を掴んで、振り向かせようとはしない。そこまでは、なんだかしてはいけないような気がしていた。
「……テンテン、こっち向いてくださいよ」
半ば、諦めたように言った。
「やだ……」
返ってきたテンテンの声が震えていたので、リーはしまった言い過ぎた、と思った。
すいません、と言おうとして、口を噤んだ。テンテンの耳がほんのりと赤いことに気づいてしまったからだ。
しばしの無言。その後、
「…………テンテン。もう一度言いますけど、本当に似合ってますよ、浴衣」
リーは優しく言った。テンテンの肩から力がすとんと抜けたのを、リーは見逃さなかった。
「テンテン、こっち向いてくださいよ。お祭り、初めからゆっくり見ましょう」
そっと、テンテンに近づき、一瞬の躊躇の後、その肩に優しく手を置く。
その手を、テンテンが振り払うことはなかった。顔を真っ赤にして、俯くテンテンの顔を覗き見て、リーは素直に可愛いと思った。
「…………花火、上がるかな。あたしも楽しみにしてたのに……」
喧騒の中、リーにだけ聞こえる音量でテンテンが呟いた。
二人で空を見上げてみる。うっすらとあった雲が、どんどんと流れていくのが見えた。小さな星の瞬きも見て取れた。
「この分だと、大丈夫じゃないですか? 花火会場まで行きましょうか?」
「うん……。ううん、まだいい」
どうして? とリーは聞きそうになったが、テンテンの晴れやかな顔を見てやめた。
テンテンは、肩に置かれたリーの手に自分の手を重ねて、にっこりと笑った。今日最高の笑顔に、リーは見とれた。しかし、
「ねえ、あたし、あんまりお金持ってないから、色々おごって?」
テンテンの次の言葉に、顔が強張った。
雲行きは良くなったものの、リーの受難はこれから始まるのだった。
女心は分からない。


2010/07/08〜07/29