「お酒臭いです」
病院で、しかも自分の病室で酒盛りを始める相手に、リーは覚悟を決めて言った。
「火影さまになったんですから、慎むべきです」
続けたが、相手はまったく意に介さないで手酌で酒を注ぎ、豪快にあおる。別の生き物のように動くその喉を、リーは凝視していた。
「いいではないか。酒は飲むものだし、私は酔わないぞ」
笑ってツナデは銚子をベッド脇のテーブルに置いた。
「ぼくの方が、臭いで酔いそうなんです」
リーは思わず鼻をつまんだ。自分が酒乱で酔拳使いだとは聞いたことがあるが、自覚は無い。むしろ、酒は嫌いなほうなのだ。

そもそも、五代目火影がわざわざ一介の下忍の面倒を見ること自体が異常なのだ。ツナデに言わせれば、自分でもめったに使わない手術方法で救った患者を看ることは、後々勉強になるとのことだった。
その好意は嬉しいのだ。木の葉の里がいくら火影との交流を頻繁に図っているとは言え、一人を、ましてや自分なんかに付きっ切りになってくれるのは、本当に光栄だと思っている。
だが、ツナデは純粋な酒好きで連夜リーのベッド脇に座っては、懐から銚子を取り出す。シズネがいる時はこうはいかん、と舌なめずりしているがそれはリーだって同じ気持ちだ。
「駄目です、火影さまはいつでも任務状態なんですから、飲んでは駄目です」
最初は面食らって銚子を取り上げようとしたが、腕を押さえつけられてしまった。あの怪力に敵う者などいないのだ。そして、形の良い唇をリーの耳元に近づけて、
「よいではないか、よいではないか」
と、テレビでしか言われないようなセリフを吐き、豪快に笑う。それで何もかも許したくなってしまうのだから、ツナデの魅力は恐ろしい。実年齢がどうであれ、あの美しい顔に迫られるとなにも言えなくなってしまう。とどのつまり、照れてしまうのだ。そんなリーの表情を肴に飲むのも、ツナデは好きらしい。美人は怖い、とこの時ほど思ったことは無い。
だから、ツナデと眠る前の数時間を同じ部屋で過ごすのは良いのだが、素直に喜べない自分がいるのも確かだった。

「お前にはこれだ」
鼻をつまんでそっぽを向いていたリーをあやすように、ツナデが言った。振り返ると、いつも持ってくるものと、同じ形だが色が違う銚子を取り出していた。
「なんですか?」
まさかとは思うが、自分にも酒を飲ませようなどと思っているのか。ツナデは生憎とリーの酒癖を知らない。どうやってそれを説明しようか、と考えていると、
「甘露だ。昨日やっと届いた」
ツナデは銚子の蓋を開けて、ほら、と鼻に近づけてくる。体に入ってきたその匂いは人を魅了するに十分だった。金木犀のように強いが、ふわりと通り過ぎて後を残さない。思わず、銚子を両手で受け取ってその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「面白い匂いだろう? 希少な花からとれる蜜を酒と同じく発酵させて作る。だが、アルコールは入ってないぞ。お前もそろそろ私にただ付き合うのは退屈だろう」
「わざわざ、ぼくのために取り寄せたんですか?」
言うと、軽く頭を小突かれた。
「ばか者、里のみんなで飲むのだ」
「やっぱりそうですよね」
やはり、火影は火影。里の全員のことを常に頭に置いているのだ。
「だが、これを一番に飲むのはお前だ」
その言葉に、顔を明るくするとツナデも笑って猪口をリーに差し出した。
「一息に飲むと、香りに酔ってしまうぞ。少しずつ飲め」
確かに、この香りでは飲み干す前にむせてしまうだろう。リーは慎重に口をつけた。啄ばむように、舐めるように甘露を舌に乗せる。
その横顔を、ツナデは見守っていた。今度は五代目火影の目を持って、少し伸びた前髪の下の丸い目を覗き込んでいた。手術を受ける前、この目は濁って綺麗だった白目も黄色く、いつも隈を作っていた。それでも、彼は懸命に治療を受けていた。全ては、帰るはずの忍道のためだった。が、その目をさらに薄汚くしてしまったのは、他でもない自分なのだ、とツナデは思った。サクラに言われてリーを診察した時、迷いも無く忍道を諦めろと宣告した。つかみかかってきそうなガイの必死の懇願にも、冷たく首を振った。その時、リーはただ背中を向けていた。その顔を見ることは出来なかった。
今、低い成功率の手術を受けた彼の目には、前のような光が戻ってきている。幸い、彼には毎日病室を訪れてくれる人間がたくさんいた。その人間たちと笑いあって、帰って来いと言われたのがばねになっているのだろう。彼の回復力はすさまじいものだった。
「嫌がられると思ったのだがな」
呟くと、リーが首を傾げてこちらを見た。若干、目がとろんとしてるのは香りに酔ったのだろう。それでも、目の輝きは変わらない。
「なにがですか?」
質問されて、ツナデは、
「お前に付き添うと申し出た時、嫌がられると思ったのだ」
素直に返した。リーは、とんでもない、と首を盛大に振った。
「火影さまに手術をしてもらったのも、今こうして自分に付き添ってくれることも、とても光栄に思ってます」
本当ですよ、と泣きそうな顔で訴えてくるリーに、思わず噴き出してしまう。そして、遠慮なくその丸い頭をばしばしとはたいた。
「お前はかわいいぞ」
思わずついて出た言葉に、リーばかりかツナデ自身も驚いて、口を結んでしまった。ぽかん、としたなんとも間抜けな空気が流れた。なにか言おうとするのだが、すべて言い訳になってしまうだろう。それを分かっているからか、目の前の小さな影は猪口を指で弄んでいる。そして、拗ねるように顔を背けた。
「・・・かわいい、というのは、普通女の子に使うんですよ。サクラさんとか、いのさんとか・・・」
それはいつもなんだかんだと喧嘩をしながら、リーの見舞いに来る女の子の名だった。確かに、みずみずしい肌によく澄んだ瞳をした彼女らはかわいい。が、それはあくまでも女の子として見た場合だ。
「私はお前自身をかわいいと思っているんだ」
少し強い口調で言う。だが、リーは今度はツナデから体を背けさせた。まずい、と思った。患者とこうして長い時間一緒にいると、情をうつされてしまう。これもツナデの悪い癖だった。心配することと、情を抱くことは別物であって、特に後者はずるずると尾を引いてしまうのだ。素直に謝ろうか、とも考えたが果たしてこの丸い頭はそれを許してくれるだろうか。
「・・・・・・火影さまにかわいいと言われたら、ぼくはどうすればいいんですか」
しかし、その算段もリーの一言で無に帰してしまった。次の瞬間には、体が勝手に動いてリーの頭を抱えてしまっていたのだから。

思わぬ展開にリーは硬直した。いや、実際、ツナデのその胸に顔を圧迫されて息が出来なかった。が、力が強かったのも数十秒で、あとは柔らかく抱き直された。
ツナデもツナデで、自分の行動に狼狽していた。しかし、リーから、かすかに漂ってくる甘い香りに平常心を取り戻した。それでも、彼を抱く腕を解くことはなかったが。
(子供や孫がいたらこんな感じだろうか)
と、緊張しながらも自分に身を預けているリーを見下ろす。しかし、自分の血を引く者ならば素直に甘えてくるだろうし、今自分が抱えている感情も母性とは違う。愛しい、にも似ているが、どちらかというと欲情に近いものだった。表現は悪いが確かに、ほんの少しだけツナデはそう感じていた。もし、ここでリーが自分の体に腕を伸ばしたならどうすればいいのだろうか。火影という立場よりも、人間として、それはもっとも避けるべきことだ。
だが、リーの方は静かにツナデに抱かれている。眠ってしまったのかとも思ったが、まだ目は冴え渡っているようだ。彼の息遣いが胸にくすぐったい。
「・・・お前はかわいいぞ」
そう言ってゆっくりと頭を撫でた。少しごわごわしているが、指に心地いいその感触に、思わず唇を近づけた。そして、その髪の一本を口に含もうとした時、
「火影さまは、やっぱり酔ってるんです」
唐突な彼の言葉に、ツナデは自分は酔ってなどいないと言いかけたが、顔を上げたリーの目を見た瞬間に、すべてを理解した。
「ぼくも酔ってるんです。この甘露に」
そこまで言って、リーは今度こそ素直にツナデの胸に顔を埋めた。ツナデもその髪の匂いを嗅いだ。まだ風呂へ入れない体だからあまり好ましくないものなのだが、愛しいことに変わりない。妙だな、と自分でも思う。さっきまでの欲情は嘘のように消え、今はただ愛しい、かわいいという単語しか浮かばない。それは、さっきのリーの言葉のおかげなのだろうと、ツナデは考えた。

「・・・ぼく、こうやって体を触られたことがあるんです」
またしても唐突な告白に、ツナデは腕に力を込めてしまった。それは己の先ほどの感情を読まれたように思えたからだ。が、リーの言葉にはその出来事に対するかすかな怯えがあった。
「どういうことだ?」
穏やかに聞いてやると、リーは睫毛を細かく震わせながら話し始めた。まだ十歳にもなっていなかった頃の出来事だったと言う。
「その人も酔っていたんです。そして、こんな風にぼくを抱きしめてくれたのですが・・・・・・」
言葉は続かなかった。しかし、その後のことはツナデも聞きたくなかった。情景が浮かんでくるような気がして、強く目を瞑った。その人間と私は違う、などと言えなかった。
リーも今の今まで忘れていた。十歳以前の記憶など、普段は思い出しもしないのだ。だが、ツナデに頭を抱え込まれた瞬間に、それが蘇った。自分の体を触った人間の笑った口元さえ頭に浮かんだ。これ以上ないというほどに、その口元は汚く歪んでいた。
けれど、とリーは思う。ツナデの腕は最初こそ強引だったがすぐに優しいものに変わり、穏やかにあやすように自分を包んでくれた。それはもっと幼い頃に両親から受けた愛情そのものだった。リーは喉を湿らすと懸命に告げた。
「・・・・・・だけど、火影さまに抱きしめられるのは気持ちいいです。怖くないんです。酔っていたとしても」
「そうか・・・」
彼女は、自分の方こそ安心したと言うように体を離した。リーが名残惜しそうにその腕を見やると、ツナデは笑って顔を近づけた。
「私は酔っているから、こうするんだぞ」
言って、リーの瞼に唇を落とした。やはり、そこには恐怖は無く、甘露よりも甘いその刺激に、リーは今度こそ酔った。そして酔ったままいつの間にか眠りについていた。

リーが目覚めると、すでにツナデの姿はなく看護士が来ておはよう、と笑った。そして、ベッド脇の机に置いてある銚子を見つけ、中身を少し舐めた。それが芳しい甘露だと分かると驚いたように言った。
「どうしたの? これ。この甘露、すごく有名なものなんだよ」
「お見舞いです。・・・知り合いからの」
「そう。これを取り寄せられる知り合いがいるなんて、すごいね。他では火影さまくらいしか手に入れられないよ」
と看護士は屈託なく笑った。リーはいつ、それをくれたのが当の火影だと言うことがばれるかと、ひやひやした。が、いつまで経ってもそれは知られることはなかった。いつまで経っても、その甘露が里のもの全員に配られる日は来なかった。

傷が癒えて、中忍になったリーは辛いことがあるとツナデの腕とあの甘露の味を思い出す。そして、瞼に落とされた彼女の唇のことも思い出して、ひとり赤面するのだった。




実際、これやっちゃっていいのかな? と思ったツナデさまとリーくんの話。
むしろ、私がツナデさまに撫で撫でされたくて書いたんだけど(おい)。
ツナデさまが感じた「欲情」と言うのは、「抱かれたい」ではなく「抱きたい」ほう。
なんせ、ここリー受けサイトなんで。
リーくんにツナデさまをなんて呼ばせるか迷いましたが・・・、「火影さま」で。
実際にはどっちで呼んでるのか知らないけど。
まさかナルトみたいに「ツナデのばーちゃん」は考えにくいし。
なんか最初に思い描いていたものとまったく違う感じになったな。
追記:
「サクラに言われて」治療したことになってますが、これを書いた時はまだ24巻が手元になく、
またアニメでのその経緯も見ていないのでちょっとおかしいですね、あの部分。まあ、しょうがない。



書き終わり2006年10月31日