(ぼく、なにかしたでしょうか・・・)
ロック・リーは、木ノ葉病院の待合室で思った。
久々に、リーは右腕に大きなけがをして通院をしていた。技で使うのではない包帯を巻いて、三角巾で吊っていた。
おとといに来た時は、こんな風ではなかった。看護士や患者に笑顔で話しかけられることは、これまで何度かあった。
だが、今はなぜか、看護士や患者から好奇の目を向けられている。誰も理由を話してくれないのだから、逆に不気味だ。
「あ・・・」
今も、目の前を通り過ぎた若い女性患者が、リーの顔を見て、かすかに笑みをこぼした。
(一体、なんなのでしょうか・・・? ぼく、本当になにかしたのでしょうか・・・)
リーはいたたまれなくなって、待合室の長椅子から立ち上がった。
「あ、リーくん! あと十分くらいで診察できますからね」
立ち去ろうとする青年の背中に、顔見知りの看護士(女性)が大声で言った。リーは少し振り返って、恥ずかしそうに会釈をした。

いくつかの病棟を通り過ぎて、中庭に出た。天気は良かったが、人はいなかった。小児病棟の方から、子供達の笑い声が聞こえてくる。
ふう、とリーはため息をついて、長椅子に腰を下ろした。顔を上に向けて、空を見る。雲がゆっくりと流れて、心地の良い風が頬を滑ってゆく。
「・・・いたた・・・」
不意に、右腕が痛んで、前かがみになって左手で抱えるように押さえる。先の任務で、刀で切られた傷は、深く長く、リーの体に残っている。
(また、傷跡が残ってしまいますね・・・)
痛みがおさまり、体を起こす。
ふと、誰かがこちらを見ている気がして、首を動かし気配を追った。
「あ・・・・・・」
中庭西の入り口に、人が立っていた。しかし、リーがこちらを向いたことに気づくと、すぐに立ち去った。ふわりとした身のこなし。おそらくは女性。リーと同い年くらいの女性だった。
「ああ、リーくん、ここにいたの? 診察始めますよ!」
さっき、大声で話しかけてきた看護士が、東側の入り口からまたもや大声でリーを呼びに来た。はい、と長椅子から立ち上がる。
「今日は、ツナデさまの特別診察日だからね、任務での文句も一緒に言ったら?」
廊下を歩き、診療室に向かう最中、看護士は笑って言った。
「ああ、だから今日は患者さんが多いんですね」
「まあ、なんだかんだ言っても、ツナデさまの治療は確実だからね。でも、特別診療時間は終ったから、じっくり診てくれると思うよ? 事務仕事が溜まっているから、執務室に戻りたくないって言ってたし・・・。・・・・・・あ・・・」
急に看護士がなにかを思い出して噴出した。
「どうしたんですか?」
不審な目で、看護士を見下ろす。ごめんごめんと、目元を指で拭いながら、リーの顔を見て、また噴出す。
「ごめん、本当にごめん。そうそう、リーくんにぜひとも会わせてみたい人がいる、ってツナデさまがね・・・」
「新しい看護士さん、ですか・・・?」
「まあ、そんなところ。おとといの夕方にツナデさまが連れて来たの。うん、あたしもリーくんがその人と会うところを見てみたいけど、すぐに戻らないといけなくて・・・、残念だな」
「はあ・・・」
ぼくに会わせたいと言う看護士さん、ですか。もしかして、今日、みんなが変な目で見てくることと、関係があるのでしょうか?
そのリーの疑問と不安は当たっていた。
「ツナデさま、リーくんを連れて来ましたよ」
奥まった場所にある診療室の扉を看護士が叩くと、入れ、とツナデの声がした。どことなしか、楽しそうな声だ。
看護士が扉を開けて、リーを中に入れる。じゃあね、と小さく言って少しだけ名残惜しそうに、そのまま扉を閉めた。
「おお、ロック・リー。任務先で負傷をしたのだったな。ねぎらいの言葉もかけられずに、すまなかったな」
診療室に一人でいたツナデが、小さな椅子に座り、こちらと診療記録書(カルテ)を交互に見ながら言った。
「いえ・・・」
座れ、と促され青年はツナデの目の前にある、患者が座る椅子に腰を下ろした。
「ふむ。深く切ったようだな」
三角巾から腕を取り出し、リーは見せた。包帯の上から触れられると、妙な感覚が全身を這う。
「痛みはあるか?」
「たまに、痛み出します。糸で縫ったのではなく、チャクラで傷を押さえている状態です」
「その方が治りが早いからな。けど、動きによってはチャクラが筋肉と一緒に伸びて、それで痛むんだね・・・。ふむ、もう少し、傷を押さえるチャクラの量を増やすか」
言うと、ツナデはそのまま診療記録書に向き直った。怪訝な目をしているリーに気づくと、
「いつもならば、あたしがすぐにやってしまうんだけどね。今日は別の人間にやらせる。少し待ってろ」
「あの・・・、ぼくに会わせたい人って、その方ですか?」
「なんだ、聞いていたのかい? そうだよ。お前にぜひ会わせてみたい」
言って、先程の看護士と同じような笑い方をする。
はあ、と気の抜けた返事をした時、診療室の扉が叩かれた。
「入っておいで」
静かに、扉が開かれた。そして、後ろを振り返っていたリーは、入ってきた人間とすぐに目を合わせることになった。
「・・・・・・・・・」
双方、しばし声が出なかった。
入ってきたのは、赤い十字に小さな木の葉(里のマークではない)が刺繍されている病院の制服を着ていたが、里の人間で無いことはすぐに分かった。もし、里の人間ならば、小さい頃に好奇心旺盛な人間達によって、引き合わされていたかも知れない。
それほどに、リーと似ている女性だった。
光の具合によっては、緑色に見える美しい黒髪。顎に届く長い前髪を真ん中で分けていた。頭頂部には、桃色の、独特の形状をした髪留めをつけている。つるりとした額と頬。眉毛は女性にしては太い方だが、逆に新鮮に映る。
なによりも、長い睫毛に縁取られた、きらきらと輝く丸い双眸が、彼女の最大の魅力と言えるだろう。その目を、同様に丸くして二人は見つめ合った。
「びっくりしたか?」
「びっくりしました・・・」
ツナデが面白そうに話しかけてきて、二人はぽかんとしたまま、同時に返事をしていた。わははは、とその答えに美貌の火影は、口を大きく開けて笑い出した。
「ツナデさま・・・」
女性が、リーを警戒するように回りこみ、ツナデの隣に立った。
「どうした、リー。一目惚れでもしたか?」
いまだ、呆然と女性を見続けている青年に、火影が聞いた。
「え、いや・・・、その・・・」
「お前が女の子になると、こんなに可愛らしくなることが証明できたな、ロック・リー。今度、宴会の席で女装するか?」
「ツナデさま!!」
顔を真っ赤にして叫ぶと、女性が柔らかく笑った。憧れの、はるのサクラのように満開に咲く花のような笑顔ではなかったが、野にひっそりと咲いて、見つけた人間の心をほぐしてくれるような、そんな笑い方だった。
「この子は、ある里から、あたしが預かっている大事な子だ。医療忍術に多少の心得があると聞いて、木ノ葉病院で手伝いをしてほしいと言ったら、快諾してくれてな」
「お世話になるのですから、いくらかお役に立てれば、と・・・」
恥ずかしそうに女性が返す。
「こう謙虚に言っているがな、医療に関しては正式採用したいほどだ」
「で、あの・・・、どうしてぼくに会わせようと・・・」
「面白いからに決まっているじゃないか」
やっぱり。青年は頭を抱えんばかりにうな垂れる。
「でな、ロック・リー。彼女に、その傷の治療を任せる。通院中は、すべてこの子がお前の面倒を見てくれる。それでいいかい?」
ツナデが彼女に振り返ると、異論はありません、とばかりに微笑んだ。
「お前はどうなんだい、ロック・リー。やっぱり、気が引けるかい?」
同じような顔をした人間と同じ空間にいること。もし、これが男の場合だったら、首を思い切り横に振っていただろう。 しかし目の前にいるのは、自分と同じくらいの、なんというか年頃の娘さんなわけで、自分に似ているとは言え可愛いし、体つきだって、サクラさんには負けるでしょうが、線が細いところがわりと好みだし、こんな子に治療されるのならば・・・、ではなくて。
リーは考えが散漫になってしまうのを、目をきつく閉じて制した。
「・・・はい、あの、お願いします・・・」
小さく答えた。
「よかった」
まず、女性がほっと胸を撫で下ろした。
「よし、じゃあ、そういうことでいいな? 早速、治療をしてやってくれ。アタシはそろそろ執務室に戻らないと、本当にシズネにどやされるから行くが・・・」
美貌の火影は大儀そうに立ち上がり、扉の前まで行くと、振り返った。リーの顔をじっくりと見る。
「な、なんでしょうか・・・?」
「そうか・・・、お前と言う手があるな・・・」
ぼそりと呟いて、ほとんど仁王立ちで青年に宣言した。
「ロック・リー。任務だ。この子が里に滞在中、身の回りの世話をしてやれ!」
「はい?」
「なにぶん、この子は里に来てから、ほとんど病院の中しか知らないからな。もう診療時間も終わりだし、彼女も近くの宿泊施設に戻るだけだ。今日はアタシが寄り道を許すから、里を案内してやれ。明日からは、同じ時間に彼女を迎えに行き、同じ時間に病院に来て、彼女を送ること。これは、お前の任務表にしっかりと書いておくから、給与は出る。ただ、一つの条件は・・・・・・、女性に乱暴はしないこと、いいな?」
「いいな、と言われても・・・、最後の乱暴はするな、というのは・・・」
「お前も男だろう。なにがあるか分からんからな」
「だったら、頼まないで下さいよ!!」
「誰が頼むなどと言った? これは火影命令だ!!」
ぐ、青年は詰まった。火影の命令は絶対だ。なにがなんでも引き受けなくてはならない。しかも、任務表にまでしっかりと書かれて、給与も出ると言うことは、逃げ道なしだ。
「・・・分かりました・・・」
静寂の診療室に、青年の悔しそうな声がはっきりと聞こえた。
よし、とツナデが勝ち誇って頷く。女性の顔を見ると、静かに微笑を浮かべて言った。
「・・・時間が許す限り、楽しめ。いいな?」
「はい」
女性は、ありがとうございます、ツナデさまと頭を下げた。
火影が出て行き、完全に二人きりになった。なにを言っていいのか分からずに、リーは下を向いたままだった。
「じゃあ、見せてください」
女性が、ためらいがちに先程までツナデが座っていたイスに腰を下ろしていた。
「え?」
「傷を」
「ああ、傷ですね・・・」
リーが右腕を上げると、女性がそっと触る。傷に触れられるといつも感じる、妙な違和感は起きなかった。
「さっき・・・、ええと、リーさんのこと、実は見ていたんです」
女性が傷を注意深く見て、触りながら申し訳無さそうに言った。
「え? あ、じゃあ、さっき中庭の入口に立っていたの、やっぱりあなただったんですね」
「ええ、気づかれてしまったので、とっさに逃げてしまったんです。リーさんのことは、ツナデさまや他の看護士さんや患者さんから聞かされていたので・・・。お話どおりの人ですね」
一体、どんなお話をされたのやら。リーは曖昧に声を出して、頷いた。女性が笑う。
「変なお話は聞かされていませんよ。ただ、皆さんが、頻繁に病院を利用するので、そこだけが心配だ、とおっしゃっていました」
「ああ・・・。でも、ぼくは体術しか使えないので、そこは仕方ないかと・・・。あ、体術って分かりますか?」
「はい、なんとなくは。・・・確かに、傷跡が目立ちますね・・・」
不意に、女性が声を落とした。
「分かるんですか?」
「ええ、あの・・・。見えるんです」
最後だけ、相当に小さな声だった。どことなく、恥ずかしげな声音。
「はい?」
「見えるんです。患者さんの体が。こうして触っていると、見えてしまうんです」
女性は、いまだ握っているリーの腕と顔を、交互に見た。
「・・・・・・透視・・・、ですか?」
「たぶん・・・。いえ、あの、実際にリーさんの・・・、裸が見えるというわけでは無いんです。ただ、どこにどんな傷があるのか、または内臓に疾患があるのか、見えると私は言っていますが、どちらかというと、感じるんです」
女性が、リーの心配を汲み取ったかのように説明した。確かに、「見えて」しまうのではあれば、ツナデがわざわざ彼女に傷を見せようとは思わないだろう。いくら患者とは言え。
黙りこくったリーが気分を害していないか、彼女が心配そうに見ている。腕にかけられていた手は、静かに離されていた。
「あ、じゃあ、治療お願いします」
だが、顔を上げた青年は笑顔で言った。女性は、少しだけ面食らった顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「はい。じゃあ、腕を水平に上げてください。あ、痛くない程度で結構ですので・・・」
リーは腕を上げた。持ち上げる瞬間に、またしてもチャクラが筋肉を引っ張り、痛んだのだが、できるだけ水平になるようにした。
「では・・・」
ぶん、と大きな電球が事切れる瞬間のような音が数秒。そして、女性の細い腕、正確には肘の関節から先が、淡い緑色を纏い、光っていた。
ゆっくりと、リーの腕に手をかざして、滑らせるように移動させる。
「痛くないですか?」
「いえ、全然・・・」
言った青年の声が、日なたであくびをする猫のようになっていた。チャクラ治療は、気持ちいいのだ。自分の体に流れるチャクラと、相手のチャクラが混ざる瞬間。例えるならば、寒い日に温かい風呂に入るような、そんな単純な気持ちよさなのだが、チャクラ治療をされている時は、とても心が落ち着く。
余談だが、「だからこそ、人は幻術にかかる」と言った忍びがいた。
「幻術によって、チャクラを他人に支配される時、たとえその幻術が惨いものだとしても、人は心の奥底でチャクラの支配を待っているのだ」
などと、分かるような分からないような理屈だったが、大抵の人間はふむ、と真顔で頷く。
リーはいまだ、幻術をかけられたことはないが、このチャクラ治療を先に経験しているため、これから先幻術をかけられた時、抜け出せるかどうか、今は分からない。師匠のマイト・ガイのように、瞬時に幻術を解けるほどに、強靭な精神があるかどうか、あまり自信が無い。
「リーさん?」
呼ばれて、顔を上げると、女性が心配そうに見ていた。治療が終ったのか、女性の手に淡い緑色のチャクラは無かった。
「あ、すいません。終わりですよね?」
「はい。どうですか? 傷、痛みませんか?」
リーはしばし、手を握ったり閉じたり、肘を曲げたりして確認した。そして、ぱっと明るい顔になる。
「全然、痛みません! 筋肉が引っ張られる感じもしません! 今すぐにでも、包帯が取れそうですよ」
「傷に与えるチャクラの量を増やしましたから。でも、包帯は取ってはいけませんよ?」
くすくすと、女性は笑う。本当に、心がほんわかと温かく笑い方だった。
「でも、それ以上に、あなたの治療がいいんだと思います。ツナデさまが、正式に採用したい、と言った気持ちが分かりました!」
「そうですか・・・? そう言っていただけると・・・、嬉しいです・・・」
女性は恥ずかしがっているのか、顔を逸らして、リーの診療記録書を手に取り、眺める。制服の胸ポケットから、細身のペンを取り出すと、なにか書き込んで、
「今日の診療は終わりです。診療記録書を戻してきますね」
「あ、じゃあ、ぼくは待合室で待っていればいいですか?」
「え・・・?」
「あなたを宿舎まで送らないと・・・。本当にツナデさまに怒られてしまうので」
「え、あれ、冗談じゃなかったんですか?」
女性が、心底びっくりして、丸い目をさらに見開いて、口元に手をやりながら大きな声を出した。
「・・・・・・ツナデさまは嘘は言いません・・・」
だが、リーの切迫した返事に、思い当たることがあるのか黙った。
「そう・・・、ですね。確かに・・・。じゃあ、待合室で待っていてもらってもよろしいですか? すぐに着替えて行きますので」
リーは扉まで行き、開けて女性を先に促した。
「それと、明日はツナデさまの言っていたとおり、宿舎まで迎えに行きます。何時ごろがいいですか?」
「・・・卯の刻(今で言うところの、朝の約七時)でいいですか?」
女性は控えめに申し出て、リーは快諾した。
「あ、あと・・・、あなたの名前を聞いていませんでした。教えてもらってもいいですか」
質問に、女性は小さな花が咲くように笑って言った。

「こまり、と言います」


2007/10/08〜15