「ごちそうさまでした」
ここは、木ノ葉通りの大衆食堂。
テンテンは、頼んだとんかつ定食を綺麗にたいらげて、使い捨てのフキンで口元を拭った。
(やっぱり、ここのとんかつ定食が一番よね。里に帰ってくると、真っ先に食べに来ちゃうし・・・)
なんとなく、そのとんかつが収まった胃の部分をを軽く見てから、テンテンはかたわらに置いてあった湯飲みを手に取り、すすった。中身は濃いめのほうじ茶だ。
食堂はだだ広く、奥の方に行くにつれて、人が少なくなる。テンテンは一番奥の十人が並べるテーブルに一人で座っていたのだが、相席になることはなかった。すぐ隣にある窓からは、大木が見え、太陽を適度に遮っていた。
(さてと・・・)
テンテンは腰を浮かせた。だが、次の瞬間に見知った顔がこちらに向かってくるのを認めて、反射的に手を上げていた。
「リー!」
周りに迷惑がかからない程度に声を上げた。数人がテンテンの方を向いたが、誰一人として眉をしかめなかった。
「あ、テンテン」
呼ばれた方、ロック・リーはテンテンを見ると、少しだけ恥ずかしそうに近寄ってきた。
「今から昼食?」
「ええ、まあ・・・。テンテンは、もう食べたんですね」
リーが、彼女の横にある食器を見つけて言った。
「うん。あんたも注文しちゃいなよ」
テンテンが小さなメニュー表を手渡した。青年は、えっと、などと言いながら目でメニューを追い、茶を運んできた若い男性の店員に、
「焼き鳥定食、お願いします。あ、焼き鳥は塩タレで」
はいよ、と若い男性は、妙に親父臭く注文を承った。店員が去ると、二人が座っているテーブル付近は、また静かになる。
「相変わらず、とんかつ定食ですか?」
唐突にリーが聞いてきた。
「まあね。やっぱりここのとんかつ、最高。ロースじゃなくてヒレを使っているのに、安いしね」
テンテンは恥ずかしげもなく答える。青年の前では、女の子を気取らなくてもいい、ということをよく知っているからだ。リーも、気にせずに笑う。
「ぼくはやっぱり、とんかつはロースですね」
「ふうん。ヒレも美味しいけどな・・・」
数秒の静寂。
「・・・里の外で任務だったんですか?」
リーが遠慮がちに質問した。テンテンは、うんまあ、と答える。
「昨日、帰ってきたばかり。任務は大したことなかったんだけど、帰り道でいきなり襲われたのにはびっくりした。急に三人飛び出してきて、木ノ葉の忍びだな、なんて刀を振り上げられて」
「へえ・・・」
「結局、どこの人たちで、なんの目的で襲ってきたのかは分からなかったんだけど・・・」
「単に忍びを狙った強盗だったんでしょうか?」
さあ。テンテンは興味が無いとばかりに、テーブルに突っ伏した。はあ、とため息をつく。
「・・・やっぱり、木ノ葉って最高。ここに帰ってくると、すごく安心するんだよね・・・」
「分かりますよ」
リーが微笑むと、テンテンも微笑み返す。
「・・・だからさ、たまに考えるんだよね。ここを追われて、別の里に行くことになったら、耐えられるかな、って。だってさぁ、この食堂のとんかつ定食より美味しい定食って、ないのよね」
「はあ・・・」
まったく叙情的ではないテンテンの理由に、気の抜けた返事をするしかなかった。
そのまま無言で数分、リーの焼き鳥定食が運ばれてきた。ごゆっくり。先ほど、注文を取りに来た店員が、笑って去った。
「いただきます」
割り箸を取って、律儀に両手を合わせた後、食べ始める。
もぐもぐと、本当に美味しそうに塩タレの焼き鳥を頬張る青年を観察しながら、テンテンが言った。
「ねえ、リー。彼女ができたんだって?」
「はあ? いた!」
素っ頓狂な声が食堂に響いた。店員と客が、怪訝にこちらを振り返った。
テンテンが、なんでもありませんから、と言うように会釈をする。その隣では、リーが口元を押さえながらも、同様に会釈をした。
「・・・・・・口の中、噛んでしまいました・・・」
店員と客の視線がばらけると、恨めしそうに青年が言った。
ごめんごめん。テンテンは笑いながら、フキンを一枚、リーに渡す。
「・・・大体、彼女ってなんですか」
フキンについた血を、恨めしそうに見ながらリーが聞いた。テンテンが肩をすくめる。
「定義は人それぞれでしょ?」
どんぐりのような目をくるりとさせ、白い歯を見せながら笑う。
「じゃあ、絶対に彼女じゃないですよ。それに、そんな話、誰から聞いたんですか」
「中忍の間では、わりと知ってる子いたけど。朝と夕方、二人で歩いているところを見たって」
「ああ・・・」
やはり、見られているものなのか。青年はもう少し、行きと帰りのルートを変えようかと思った。ただ、それでは里を案内するという任務を達成することは出来ない。どうしたものか。
「ねえ、リー? 彼女じゃなくても、女の子と歩いているのは認めるんだ。なんで、どうして、そんなことになったの?」
妙に明るく聞いてくる目の前のテンテンを見て、どうして女の子は根掘り葉掘り知りたがるのだろうか、と不思議に思った。
「どうして、知りたがるんですか?」
「面白いからに決まってるじゃない」
返ってきた身も蓋もない答えに、リーは改めて、テンテンも女性だったということを思い出した。
それから、リーは素直に、こまりのことを話した。ツナデからの任務命令で遂行しないと殺される、というくだりはかなり丁寧に説明した。そして、自分とこまりの顔がそっくりだということは、伏せておいた。
「・・・ということで、納得しましたか?」
話し終わり、湯飲みを手に取り飲み干す。冷たくなったほうじ茶がやけに美味く感じた。気づいてみれば、食堂内には数人しかおらず、店員も暇そうに部屋の隅に立っている。
「ふうん。リーも大変だね」
テンテンはツナデからの任務命令というところに、痛ましそうな顔つきをして頷いていた。彼女もまた、木ノ葉の忍びとして、あの美貌の火影に思うところがあるのだろう。
「ええ、大変ですよ・・・。あ、いえ、こまりさんと会うのが辛いというわけではなくて・・・」
慌てて訂正したリーに、分かってるよ、と彼女は優しく笑った。そして、あんた、女に弱いもんね、とも付け足した。
「でも、あたしも会ってみたいなぁ、こまりちゃん・・・」
「あ、やっぱり、そう来ますか・・・」
ぼそりと呟いた彼女の言葉に、同様にぼそりと返す。
「だって、最近、同年代の女の子と話してないし・・・。話しても忍び同士だから、最後は仕事のグチになっちゃうじゃない? だから、こまりちゃんみたいな子と、久々に話してみたいかなぁ、なんて」
だめ? テンテンが小首を傾げる。こうすると、女の子は全員可愛く見えてしまう。彼女とて、暗器など振り回して任務をしているが、周りから見れば美少女と認識されているわけなので、こんな表情をされてしまうと、男としてはどうにもならなくなる。
「・・・えっと・・・、あの・・・」
しどろもどろになり出したリーを見て、テンテンは最後の一押しといった感じで、もう一度、
「だめ?」
小首を傾げた。さらには、とびきりの笑顔までしてみせた。本当に、女というのは演技する生き物である。
「う、え、うう・・・」
青年は煮え切らない返事というか、煮詰まった鍋の中にいる野菜のような声を出した。
「あの、テンテン・・・。その、彼女のことでなにか他に聞いていませんか?」
「え? なにを?」
リーの質問にテンテンは首を傾げた。
「いえ・・・、あの、彼女の顔のこと、とか・・・」
テンテンは一層、わけが分からないという顔をした。リーもつられて、眉をしかめる。
「別に聞いてないけど? みんな、変な顔して話してくれなかったのよねぇ。でも、総合的に言ってみれば、可愛いってことになってたけど?」
「そ、そうですか・・・」
どうりで。リーはずっと、テンテンがこまりと自分の顔を見比べる素振りをしなかったことを、疑問に思っていたのだ。彼女ならば、その性格上、経緯を説明しなくともすぐに、
「あんたの顔にそっくりの女の子に会いたい!」
と言うところだ。
なのに、テンテンがそこに触れなかったということは、彼女に二人のことを吹き込んだ人間達は何も言わなかったのだろう。その答えは、
「その方が、面白いから」
だろう。
「ねえ、リー。いいから会わせてよ」
「え、ちょっと・・・、待って下さい」
リーは渋った。テンテンがこまりの容姿を知らない以上、ややこしいことになってしまうのではないか。
「・・・リー?」
「・・・はい」
テンテンがにっこりと笑った。しかし、温かい微笑みの裏に、凍える炎が灯ったことに気づいてしまった。彼女は、短気なのである。
「いいでしょ?」
「・・・はい」
リーが言った途端、テンテンはよし、と頷いた。
「あ、でも、こまりさんが病院から出てくるのにはまだ、時間があるので・・・」
「買い物に付き合ってよ」
「・・・はい」
こうして、リーはこまりと会う前の数時間を、テンテンの荷物持ちとして里を駆け回った。

夕方。
テンテンに持たされた大量の荷物を、彼女の家に運び、二人は病院の前に立っていた。
「もうすぐ?」
「ええ、たぶん・・・」
テンテンの言葉に、気乗しない声でリーが答えた。外来の時間が終わった病院の中は、静まり返っているようだった。
わくわくとした気分を隠せないテンテンの横で、リーはため息をついた。
「あ・・・?」
テンテンが、不意に声を出した。ぎくりとして前を見ると、華奢な体が、病院の正面玄関から出てきたのが見えた。
「あ・・・」
リーが言うと、その影は彼を見つけて、軽く会釈し、隣のテンテンを見たのだろう、少しだけ警戒するように、近づいてきた。
「こまりさん、お疲れ様でした」
つい、最近の毎日の習慣でそう言ってしまった。すると、呼ばれた方、こまりは安心したように、歩調を速めた。
「リーさん、お待たせしました。いつも、ありがとうございます」
こまりは、いつものように微笑んだ。本当に、任務とは言え、この笑顔を見ると心がほんわかする。
「あの・・・」
彼女が、視線をリーの向かって右隣へと滑らせた。あ、とリーは思い出し、自分も視線を左へ投げる。
テンテンが、半分口を開けたまま、こまりを凝視していた。
「あ、ええと、こちらはテンテンと言って、ぼくの元班員というか、同じ中忍というか・・・」
「お友達、なんですよね・・・?」
リーの言葉にも微動だにしないテンテンを見て、こまりは困惑した顔をする。だが、視線はあくまでも優しい。
「テンテン、あの、こまり、さんです・・・」
意を決して、青年はこまりを友人に紹介した。
「初めまして、こまり、と言います」
こまりが腰を折る。そこで、ようやくテンテンは何かにぶつかった時のように、体を跳ねさせた。
若干、不審な表情で見てくる二人の顔を、交互に見て、
「ちょっと!! リー!!」
いきなり叫んだ。はい、とリーはさして驚きもせずに答えた。
「なんで? なんでこんなに似てるの? というか、あんた、女の子になると、こんなに可愛いわけ?」
両肩を掴まれて、揺さぶられる。なにか言っているリーの声がぶれた。
あの、とこまりが止めに入ると、テンテンが勢い良く振り返り、彼女を上から下まで眺めた。
「あの・・・」
「・・・かわいい・・・」
「え?」
「いや、なんでもない! 初めまして、リーの友人、テンテンです。よろしくね」
テンテンが笑顔で言った。
「あ、初めまして、こまりと言います。リーさんには、毎日お世話になっています」
「リー、あんた、こまりちゃんに変なこと、してないでしょうね?」
「テンテンまで、そんなこと言うんですか?」
毎度のセリフに、リーは落胆して肩を落した。テンテンはお構い無しに、こまりに近づき、顔を覗きこむ。
「本当にそっくり・・・。うん、みんなが教えてくれなくて良かったかも。教えられたら、楽しみも半減だしね・・・」
ぶつぶつと、妙なことを言っている。その後、数分、へえとかふーんを繰り返しながら、こまりを観察すると、満足げに離れた。その間、こまりは特に嫌そうな顔はしなかったが、これも毎度のことなので慣れてしまったのだろう。悲しいことだが。
「もう、いいですか? テンテン・・・」
げんなりした顔でリーが聞くと、うん、と元気な答えが返ってきた。
「ねえ、三人で夕飯食べに行かない? 迷惑なら、いいんだけど。リーも、こまりちゃんと二人きりになりたいのなら、言ってよね。邪魔するほど、あたしも無粋じゃないし」
彼女は、言動はあけすけなのだが、とりあえず他人のことも考えられる人間だ。今も、顔を見合わせている二人を、乱暴に引っ張って行こうとは、まったく考えていない。
「どうします?」
「・・・私は、リーさんのお友達と、お話したいです」
「こまりさんがそう言うのなら・・・」
リーがテンテンに向き直り、どこに行きましょうか? と訊ねると、彼女は心底嬉しそうに笑った。
「前にみんなで行ったお店でね、完全個室になってるから、丁度いいかなと思って。二人とも、あんまり人目につくところ、嫌でしょ?」
「と、いうか・・・、最近では慣れてきたというか、なんというか・・・」
「・・・そうですね・・・」
二人が遠い目をするのを見て、じゃあそこでいいよね、とテンテンが歩き出した。リーとこまりも、後に続く。こまりを真ん中にして三人で肩を並べると、すぐにテンテンが話し出した。だが、リーに聞いた時のように、根掘り葉掘りではなく、本当に世間話をするに留まった。毎日一緒にいるリーにも、ほとんどこまりの以前の暮らしが分からないということを、先程知ったからだ。おそらくは、話したくないことでもあるのだろうと、聞かないことにしていた。それをテンテンに言ったわけではないが、彼女もその辺は分かっているようだった。
しかし、テンテンは一つだけ、気になっていることがあったらしく、多少言いよどんでから、こまりに聞いた。
「ねえ、その髪留め、珍しい形してるよね?」
「え? これ、ですか?」
こまりが自分の頭に手をやり、桃色の髪留めに手を触れた。眉が少しだけ困ったように下がった。
「あ、詮索する気はないから。可愛いな、と思って。ね、リー?」
「ええ、可愛いと思います」
どうにも、遠回しに褒めるということが出来ないリーは、言ってから急に頬を赤らめた。テンテンが呆れた目で見て、こまりが笑う。
「私も気に入ってるんです」
彼女は言うと、髪留めを外した。そして、テンテンに渡す。
「見ていいの?」
「ええ、どうぞ」
テンテンは大事そうに髪留めを両手で持って、角度を変えて観察する。リーも隣りに立って、一緒に髪留めを観察した。弓なりのそれは、三日月のようにも見える。
「大事な人にもらったんです」
不意の告白。二人は同時に、こまりを見た。一人は好奇心を、もう一人は衝撃を隠せない表情で。
「恋人?」
テンテンが直球に聞く。いいえ、と慌ててこまりが首と手を振った。
「よかった・・・」
というセリフは、無論リーから発せられたものだが、誰にも聞こえなかったようだ。
「恋人じゃなくて、大事な友人から・・・。もちろん、女の人です。私の住んでいたところの、古い風習で、大事な友人に自分の大事なものを渡すというのがあるんです」
「じゃあ、これも誰かの大事なものだったんだ?」
「それを渡してくれた人の話によると、元はおばあさまのもので、形見分けで頂いたそうです。きっと、おばあさまも大事な人からそれを貰ったのではないか、と。だいぶ、古いものですし・・・」
「確かに、古い感じはするね」
「でも、大切にされてきたんですね、この髪留め」
「あんた、分かるの? 大事にされてきたって」
リーの言葉に、テンテンが意地悪そうに返した。青年は唇を尖らせると、髪留めをテンテンから受け取る。
「分かりますよ。温かいものが感じられますから」
「なにそれ?」
半ば、呆れたテンテンの声。けれど、こまりは神妙な顔でかすかに頷いた。
「私も、そう思います・・・」
小さな声で、こまりが言った。

テンテンに案内された店は、話どおり完全個室制で、店に入ってすぐのカウンター席に座っていた、小柄な若い男と店員が二人を見て、かすかに笑ったことを除けば、久々に他人の目を気にしないで夕飯を取ることができた。
店を出た時にはすっかり夜になり、空には月と星が輝いていた。
「じゃあね! こまりちゃん、またゆっくり話そうね!」
「テンテン、本当に送らなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。リーこそ、こまりちゃんをしっかり宿舎まで送り届けなさいよ。寄り道しないで」
「もちろんです。こまりさんは安全に送りますよ」
「じゃなくて、変なところに連れ込まないようにってことだよ」
「・・・・・・テンテン・・・」
さすがに、リーの声音が硬くなったことに気づいて、テンテンは冗談だよ、あはははと、とってつけたように笑った。
「本当に楽しかったです、テンテンさん。・・・また、本当にゆっくりお話したいです」
こまりが、やけにしんみりした声でテンテンに言った。
「うん、今度は二人で、どこかに行こうね! じゃあね、リー、こまりちゃん」
「さようなら! テンテン」
「・・・さようなら」
テンテンの姿が、見えなくなると、なんとはなしに顔を見合わせて、二人は笑った。


(2007/10/20〜11/12・17)