ベッドに入ったらすぐ、ブランケットに潜る。
 手元には好きな音機関一つで、ブランケットがくれる闇の中を丸くなり、当時はまだ影のあった瞳を輝かせながらスイッチを入れたものだ。まだまだ出来の悪い装置が暗い空間に光を放ち、それに一驚し、大きな音を出さないようにと鍛えきっていない身体で覆う。
 小さなガイが小さいながらにも、音機関を作成した、それはもう忘れる程に遠い昔の話である。

 趣味を持ち込み過ぎれば、よく出入りしている白光騎士団の人間に怒られた。
 子供の頃は使用人としても顔がきくわけではない、隠し事もそれ相応に下手だったのだから、大きな音を出せば部屋まで甲冑を着た人間が怒鳴りに来たし、ルークと接触し始めてからはなおの事であった。月日がガイを隠し事の上手い人間に仕立て上げたとでも言おうか。


 星空の隣


「ルーク。 そろそろ辛気臭い顔するのやめろよ」
 時間は着実に進むものである。ルークは以前の彼ではなく、その性格はかなり丸くなった。
 だというのに、淡い青と白いラインが目をひく、この町はルークの部屋の色と似ている。状況が変わり、辺りが一変している。それでも、いつもの存在と見慣れた色彩はガイを、バチカルのファブレ公爵邸に居る気持ちに浸らせた。
 それでもゆるやかに流れる時の中で、見慣れた筈の色彩は、目を凝らせばすぐにグランコクマの宿で用意された一室であると、ファブレ邸で見たあの青より更に淡い色や柔らかな装飾で理解できたし、以前堂々としていたルークの燃えるような赤い髪が短く切りそろえられてしまっている事で、更に現実に引き戻される。
「ああ……、うん。 わかったよ、……ごめん」
 ガイの目の前で床ばかりを眺め、沈んでいるルーク自身も、その短くなった髪と同様に何処か静かで心もとない空気を漂わせている。何度言ってもきかない所は、以前とあまり変わっていないものの一つらしい。だからと言って指摘しようものならばルークはまた、彼なりの精一杯で謝ってしまうから困りものだ。

 アクゼリュス崩落の一件からティアとの約束を経て、ルークは変わると決心したらしい。それは、彼を迎えに行ったガイも同じ科白を聞いている。
 ならばどう変わるのか、それが良い事なのかは実際のルークを見て判断しろとの、本人の弁だ。そうしようと思うし、実際そうしているが、現時点で良いか悪いかと言えばガイにとっては複雑だった。
「また言ってるぞ。 もう謝るなって言ってるだろう」
 そうだった。と言う、ルークの声はまた自分に向かって頭を下げそうに見え、ガイは心の底から重い息を吐く。

 謝るルークを諌めるガイ。この連鎖が起こったのは出会ってから今までを思い出しても、本日が初めてだ。珍しいよりは奇跡のような、全ての発端はホドにある。いや、厳密に言えばカースロットに穢されたガイ自身だろうか。
 復讐の対象とルークを見てきた今までを知る、切欠を与えてしまったのだ。いつかは知れる事と多少の高はくくっていたが、今ルークが一番弱い時に知れなくても良い事だとガイは強く思う。何しろ罪の意識が先行しているのが現状だ。謝罪が無駄とは思わないが、そうして欲しいとも思わなかった。
 寧ろこの一件については、以前の傲慢なまでのルークでも、悪い方向に行く可能性はあれども、はっきりしているという意味ではガイの気はここまで重くならなかったかもしれない。
「悪くもない奴に謝られても困るからな」
 腹の底から来る息に任せて吐いた言葉をどう取ったのだろうか。ルークはそれでまた、謝ろうと頭を起こし、駄目だというガイの視線を受けて、肩を落としてしまう。

 ルークとガイ、二人きりの部屋割りはよく組まれる。
 男部屋にしてもジェイドはわりと一人部屋を上手く攫って行くし、女と男を同部屋にするなどというのはとりあえず、ナタリアと行動を共にしてからは全く無い。
 ついでにガイは女性との相部屋はなんとしてでも避けたい。よって、必然的にルークと同部屋になる確立が高いのだ。
 よく見る顔で組まれたというのに、神妙なルークと寝台に転がり眉を顰めるガイ。二人の行動が今までで一番、互いに見慣れない。
「……ふぅ……」
 いつまでも難しい顔でいるのも疲れがたまるものだ。
「あ……」
 ガイから自然と出る疲労の声ですら、ルークには自分への不満ととれるらしい。不満は不満であろうが、多分彼の考えるものと自分の思うそれとは別だろう。それすら、口に出したくとも出せず、続いているのが現状である。

「なぁ、ルーク。 こっち来いよ」

 傲慢さは消えたが、強気な姿勢まで無くした。そんなルークを眺めているのも忍びなく、だからと言って無視もできない。寝転がった少し固めのベッドの上、ガイは一度視線を天上へ移し、暫しの沈黙の後、思い立ったようにルークへと声をかける。それは、多少作られたものではあったが、嫌悪から来るものでもない、先程まで続いた長く気まずい空気とは違う『今までの』空気を伴ったものだ。
「……? なんだ? なんかあったのか?」
 突然降ってくる柔らかな声に目を丸くしてから、寄せられた眉を元通りにしたルークはおずおずと伺うようにして、ガイに近寄ってくる。
「んー、大したものじゃあないんだがな」
 案外上手く直ったルークの重苦しい症状に口の端を苦く緩ませながら、ガイは自分のベッド端を叩く。
「何もないじゃないか」
「いや、だからここに来いって」
 自分のベッドから離れ、ガイの近くで視線と頭を彷徨わせ、ついにはしゃがんでみたりとするルークは非常に幼く見える。それを楽しんでいたならば気付いたようにこちらを一瞥し、戻ろうとする様も幼い。
「そこ……って、そこの事か……?」
 青年にしては丸さの残る瞳を数回、分かりやすく瞬かせ。理解したように頷いたルークはまだ何か悩む所でもあるのだろうか。言葉も乏しく、首を捻る。
「ルーク、お前なぁ、何回言わせるんだ」
 本当に、昔のルークと比べどうしてこうも煮え切らないのだろう。
 じれったいと笑いながら、それでも理由も言わずにベッドだけ叩くのは矢張り意味が分からないだろうかと、思った以上に躊躇う相手にガイは瞳の動きだけで少し、反省の色を見せる。
 だからとはいえ、矢張り傍に来るまで呼ぶ理由は教えずに、困った顔が治りかけのルークがまた、同じような顔をして自分のベッドに腰をかけるのを確認し、ガイはベッドの上を立ち上がると、壁沿いに掛けられた備え付けの音機関を取り外し始めた。
「おい。 そんな事したら怒られるだろう!」
 慣れた手つきで、夜に光を放つそれを取り外しにかかるガイをルークは彼なりに、外に漏れないよう小声でたしなめる。
「いいって、ちゃんと元通りにしときゃ分からないさ」
 このルークにとって自分とは7年の付き合いになる。例えばアッシュが今のルークだったとすれば別だが、この場合もしもを考えるより、あの高慢な彼がこうしてガイをたしなめるようになったのだから、面白い。
「……慣れてんのな」
「上手いもんだろ? ほら、ブランケット用意してくれよ」
 脚立や椅子といった平面とは違う、スプリングの効いたベッドは足場が悪く、手にした音機関を持ってまた座り込むにはちょっとした注意が必要だ。
 後ろで慣れている、と関心を寄せてくるルークに指示を出せば、これもまた目を丸くしながら彼にしてはゆっくりとベッド先のブランケットを丁寧に敷きにかかる。
(昔ならもっと素直だっただろうになあ)
 何やってるんだ、早くしろよ、とガイが激を飛ばしながらルークを焚きつける。これが髪の長いお坊ちゃんならば、進んで今自分が手にしている物を持ちたがっただろうに。考えると、比べるのも彼に悪いだろうかと、気付かれないように肩を竦めた。

「これで――後は……――?」
「入るぞ。 潜るんだよ」

 ベッドの上へ座ってしまえばもう片手は空いたも同然だ。すぐに狭いベッドで自分の入る場所にブランケットを伸ばし、ガイは身を滑らせる。
「ええッ――狭ッ!!」
「文句言うな」
 言うまま、傍に来て、ブランケットを用意して。彼なりに慌しい心境が終わったのか、『潜る』という単語にまた時間を置いて眉間に皺を寄せ、口をへの字にした後、ようやくルークなりの抗議が来て、思わずガイの唇から笑みが零れた。
「けどよ、このベッドって一人よ……ああ、もう。 ガイ!」
 流石に元・お坊ちゃま、今でも一種のお坊ちゃまではあるが、比較的出会ったばかりの人間には礼儀を考えるようになっている。が、見知った者には一定の言葉を交わすと本来強気な彼自身が出てくるのだろう、ふいに出た声は十分な気の強さを含んでいる。

「狭いからって俺をおっことすなよ!」
 何を戸惑っていたのか知らないが、ガイの笑みに膨れて言い返すあたり、散々考え込んだ様子を笑われたと思ったのだろう。こちらから目を背け、ブランケットに滑り込んでくるルークの頭上に自分の腕を傘代わりとし、ガイは布をドームとした小さな場所へと彼を案内した。
「分かってるさ。 何かあったら俺が落ちるよ」
 子供に戻ったような錯覚に暖かな気持ちを抱きながら、ルークと二人分、頭までブランケットを被ったガイは手元の音機関を探る。
 小さく簡素な装置ではあるが、文句を言う青年の膨れ面を見ながら闇に紛れた為、スイッチの場所が分からなくなってしまった。
「もう少し待ってろよ」
 自分の顔のすぐ横から、おう。と、篭った声が返ってくる。
 狭い狭いと態度や声で表していたルークだが、潜ってしまえば、ガイの考えついた通り。男同士で本当に寝るとなれば別になるだろうが、ほんの数分こうしている分には子供の秘密基地のようなもので、互いが身を寄せ合わなければいけない、その空気が心地よかった。
「まだかよ……」
「せっかちだな」
 ルークは矢張りどこか落ち着き無く、身のやり場に困っている風に、ガイにつけた肩を何度か動かしていたが。こういったやりとりも、そういった秘密基地の雰囲気に拍車をかけられ、楽しい。

「よし! ついた」
 かちり、と鳴るスイッチ音は一昔前の音機関ならば考えられない静けさだ。
「……ん。 おー」
 ガイの声に一歩遅れて、ルークは暗闇の中から出た、星屑に似せた光に小さく驚愕の声を漏らす。
「ブランケットの中で見るにしてはマシな方だろ? 明かりに古い布を掛けただけなんだがな。 見てると――落ち着く」
 黒を映し出す光が、ガイの手元から溢れている。見えなかった顔も、その表情すら見える所でお互い安堵にも似た空気を共有している。
「――お前らしいな」
 強張り、怯えをはらんでいた筈のルークが、淡く笑みを零す。
「おいおい、そんな風に言われるとなんか特殊扱いされてるみたいだぞ」
 うん、と頷いたような、曖昧ではあったが、落ち着いた声を漏らすルークに安心して、ガイはその光のすぐ傍で何も手にしていない腕を枕に頭を横たわらせた。
 光は白より橙色を薄くした色に近い。自分がどう見られているかは知らないが、ルークの髪はいつもより黒みがかった赤に見えたし、その頬も心なしか朱を灯している。
「変な感じだな」
 目元を緩めているルークは数知れず見てきた筈だというのに、今こうしている彼は矢張り何処か違う。
「……何が?」
 赤緑の瞳が水面のように揺れ、ガイを視界の隅に捕らえる仕草をする。
「なんか、今日はずっとお前に真正面から見られてない気がしてな」
 安堵も多く与えられれば懺悔室の如く、真実も出る。ホドの件がルークに知れてから、彼が自分と同室になって謝罪以外には一度も、目を合わせていなかったとガイは口にした。
「はぁ!? 目ぇ合わせてないだけだろ。 なんだ、なんなんだよ、それ……」
 返す言葉に否定も無く、ルークはただ上ずった声を荒げ、思った通りに居心地の悪い空気を吐く。
(だから、正面から見てないって言うんだよ)
 指摘してやるわけでもなく、ガイはただルークを見つめる。
 もごもごと、口の中で何かを言うのが、自分を変えたルークの癖なのだろうか。その行動に嫌悪の色を出さないガイを、ちらちらと盗むように見て、赤色を多く灯す青年は一度、顔をくしゃくしゃにした後、潔くこちらに向かい合った。
「その、さ。 あの……さ」
 言いづらいと視線を合わせたまま、もどかしくなってしまうルークにもそろそろ慣れるべきだろうかとガイは思う。彼なりに変わるというのは良い事と受け取ってやりたいが、如何せん前向きな気持ちというものが失せている。

「前の方が……――」
「……その、」
「よ、」
「さ、触って良いか!?」

 下を向く気持ちのまま、ガイは自分なりの気持ちとしてルークの心に傷を作る言葉を吐こうとしていたのかもしれない。
「だ、だから、触っていいか?」
 だから、今聞こえているルークの言葉は、今まで、ガイが彼に対して従順で言いなりであったという反省を認める心境を、自分の頭が混乱して脳に届けているだけなのだろうと、前の方が良かったなどと口の端にでも乗せたこちらが悪いのだろうと。
「なあってば!? 聞いてるのかっつー……!」
 そうやって、夢から覚めるような大声で叫ばれると、目の前には稲妻が走る。
 前方を確認すれば、散々現実逃避を決めた後のガイを目覚めさせたのは、矢張り大きく口をへの字にしたいつものルークであり、これは現実なのだと思い知らされた。
「……は?」
 片手は音機関へ、もう片方は自分の腕枕へと寛いだ格好のまま、綺麗に固まっている身体をルークがあの無遠慮な手のひらで頬に触れ、「答えろ」だのと言っている。

 触るって、ルーク。お前もう触ってるんじゃないのか?

 ルークがどう考えて出したのか、分からない問いかけに、更にそれが分からないガイの答えが音にもならずに、息として二人の間を行き来している。
「触るって、今お前は俺にその……」
 大袈裟ではあるが、勇気を出して頬に触れているルークの手を指摘しようとする。が。
「!! ッ……そうじゃねー……」
 赤子の柔肌すら思わせる、この非常に触れにくい沈黙をルークは弾かれた様に破り捨て、丸みのある瞳を伏せた。
 青年の身体にしてあどけない精神というのは多感らしい。ここまで気持ちが上がってから下がって、と、一気に突っ走られればガイも困るよりは同情したくなってくる。
 だからと言って笑ってやろうとしても、ガイの頬は、日ごろから剣を持つ無骨な指先が包んでいるのだ。意外としっかりと、外そうという気持ちを持たなければ決して逃がさないとばかりに強く、当惑すら覚える程にルークは自分を安堵させてはくれない。
「ルーク、落ち着いていいぞ。 怒らないから、な?」
 7年間、手に取るように理解出来た筈の幼馴染の行動が分からなかった。
 不思議そうな顔をしているガイを見たのだろう、ルークは申し訳ないと萎縮したように、そうじゃないと言い、伏せった瞳は、今しがた荒げた言葉が自分に伝わりづらいと反省しているのだろうか。
 反省するのは良い、だが自分の中ばかりでされても困るのだと、この機に及んでも言えないガイは突然とはいえ、必死にしがみついてくるルークを受け入れるしかない。
 ガイの自由を奪っている腕は、今の今までベッド上でルークの頬杖になっていたが、現在はしっかりとガイの背を抱き、丁度抱きかかえるような姿勢へと転じていた。

 乱暴な動きに、片手に持った音機関が、力任せに抱き込まれた反動に転倒しそうになる。

「その、やっぱはずいだろ。 今まで一緒に居て当たり前っつーか、ガイが俺を捨てていくなんて考えた事も無かったし。 でも、お前は途中で引き返してきてくれたし、ティアも居てくれたけど、なんつーか……」
 ルークの考えは当然ながら若い。ガイが考えるより何倍も、若さ故に早く、考えなしに口走り、行動した結果がどうやらこれなのだ。
「ああ、そういう事。 ……か」
 氷のように固まった身体の緊張を解き、ガイは小さく口にする。つまり、ルークは人肌が恋しいのだろうと解釈する。
 親のような、けれど本来の自分の親ではない、被験者(オリジナル)の親には甘えられず、手を付けたのがたまたま従者の自分であったと。

「そうだな、言いづらいよな。 分かったよ、ルーク」

 今まで本当に青年だと思っていたのは、まだ7年を生きているだけの少年ルークであった。
 身体だけは既に成長している、状況も普通の大人ですら手におえないものだ。それらに囲まれたからと言って、昨日今日で子供が大人になれるわけがない。
 何事も最初は、真実や気持ちを言葉にするのは恥ずかしいと思って仕方が無いことだと、親のような気持ちでただ、強く首筋に沈んでくるルークの髪を頬で撫でていれば、緑の瞳は丁度絡め合うようにガイの顔を覗き込んだ後、薄く微笑んで淡く口付けをしてくる。

「……? ルーク?」

 口付けをしている。
 年端のいかない少年ではないが、出来すぎた大人になっているつもりもない。頼られて受け入れ、兄弟のような、そんな気持ちでルークを眺め、個人の意思としては分かり合ったのだと安堵していた分、重ねた視線が急に近くなった事。同時に唇に感じる熱い吐息に、ガイの脳はついに沸騰し始めた。
「ルー……ク、これ、は」
 呆然としたまま、身長差で僅かばかり下にあるルークの唇を何度か甘受した。ガイですら、恋愛感情としての口付けなど今までした記憶が無い。ましてや自分は重度の女性恐怖症である。想像すらした記憶の無い行為を、まさか同性の、しかも見知った顔とする羽目になろうとは。

「なんか、こうしてるとガイが凄く、近い」
 ルークはまだ、愛情と友愛の区別も上手く表現出来なかったのか。

 恍惚とした表情で、息をする合間を縫い、そう口にするルークに、心臓の奥底から血が湧き出るような感覚に陥る。温もりを受けた頬が焦げ付くようにもなった。
 昔を遡れば男同士、無遠慮に遊びだと括ってここまではいかずとも、近しい関係であった記憶は多い。考えてみれば、今もティアやナタリアと女性に対して、ルークのずれた遠慮を知らない発言は目立つ。
「で、も。 俺た……、こん、な……ん、……ぅ」
 唇だけの口付けが重なっていく。息はルーク任せで、ガイの言葉など聞いてもくれない暖かさが何度も自分を奪いに来る。
 友達と言うには少し、離れてしまった。親友と言うにはまだ、ガイはルークを見ていない。それでも、譲れない位置があるとすればそれは幼馴染だ。決して恋人ではない、そんな風に見た覚えは自分には無かった、筈だ。
「る……ちょ、……っ、あ!」
 柔らかい口付けが続いたと思えば、次第にルークから労わるような、こちらを伺うような仕草をし、ゆっくりと舌が進入してくる。それを、強く返す事も、噛み切る事すらも出来ぬまま、灯った熱のままに焼きつく思考を蕩けさせ、ガイ自身も唇を開き受ける形で迎えれば腰に回されていく彼の腕がわずかに震える。
「ガイ……ごめん」
 かけられる謝罪は一体何を指しているのだろう。言葉にならない返事は、ガイ自身の腕枕になっていた片方を解き、ルークが頬に伸ばしてくる手を支える事でしか、返せない。

 旅に出る前からガイは彼に合わせる傾向があった。自分でも薄々感じてはいる。
 あまり、直す気はない。

「あや、まる……ん、ぁ――……ああ」
 舌足らずに言葉を刻めば、肺に溜まる酸素が無くなり、重くなる。ガイの舌を奪い唇の端で吸い上げ、放す。これを何度も繰り返されていると、理性が麻痺してしまうようだ。
 口付けを支える手は甘い行為に捕らわれ、ルークの手の平を離す気配はなく、背筋も口付けに合わせて揺れている。深く、唇を割り開いた奥まで暖かなそれが進入してくれば感動にも似た衝撃に瞳を閉じて耐えるしかない。

 お坊ちゃまは傲慢で、力強い。何かと自分に興味を示すのは同性が大きくなったような、親近感と興味なのだと思い、多少の我侭も許してきた。
 現在も、ファブレ邸の使用人ではあるが、多分、きっともう今のルークにガイを拘束出来るものはない。多分、もう彼に自分の意思無しで支配される事などないというのに。
 それも、全て含めて、ルークに甘い自分を直す気はない。

 明日になればきっと、今までのルークが少しでも残っているのならば、これは自分が思っていた通り、同性であるが故の興味だったのだと思い知らされるだろう。奇妙な関係を割り切りたいと感情が言っても、記憶の奥底から割り切れないと悲鳴が聞こえる。
「もう……っ」
 やめろ。と、口では言えずに、ルークを見た。じわりと腰に溜まる熱をどうにかやり過ごし、開いた瞳は緑と交わって、気持ちだけでも伝わった筈だ。

「まだ……ごめ、もうちょっと……」

 言われて、有無を言わさずベッドに身体を縫い付けられ、音機関を持っていた腕も、口付けを支えていた手もシーツの上へと沈まされ。挙句には足の間をルークの腿が割り開きに来て、ガイは冷水を浴びせられたように甘く蕩けた息を止める。
「っ!? ああ――」
 ブランケットはとうに剥がされ、光の中で相手の顔が笑みすら見せずに歪む。今更、まさかも無かったが、ルークから足で服越しに体重をかけられた自らが、熱い。
「も、ちょっと……、じゃ――っあ! ……ない、ッ!」
 口付けだけならばガイも自分を誤魔化し続け、なんとかこの痺れを享受できていたかもしれない。だが、ゆっくりと中心を刺激するような、互いの欲を合わせる擬似性交を思わせたこの状態で親友も幼馴染も無かった。

 今すぐ、ルークを押しのける必要がある。片手に持つ、宿の備え付けである音機関を壊さないように。既に蕩けきった己を正して正面から、拒否しなければならない。
 しかし、割り入れられた相手の足を力で閉じ込めようとしても、逆に強い刺激となってガイ自身の、そしてルーク自身への強い衝撃となって全身を駆け抜けるだけで、現状の完全な否定にはあまりにも難関なだけであった。
「やっぱ俺……ガイに触りたい」
 ルークに灯った色とも、若さ故に流されているともつかぬ浮ついた声が恐ろしい。
 布越しの律動に合わせてため息交じりに言われれば、今までの彼が時折無遠慮に行動したのも、戸惑いの表情を見せたのも、全てがガイにそういう感情を抱いたが故の行動に思えてしまうのだ。
「だ、だめ……だ。 だめ、っ……く」
 身体は慣れない状態に力が抜け、挙句にはルークに合わせて揺れ動く。最早ガイにはすすり泣くより他は無く、けれども男として、最後に残った理性と良心が相手から顔を背け、唇をかみ締めるだけに留まらせる。
「っ……! ガイ」
 体重をかけ、互いの中心に重力を持たせてはまた離れる。まるで自慰にも似た行為ではあったが、ルークはガイを意識して没頭していたようだ。
「そう、だよな。 でも、俺は……」
 何を思い、口を開いたのかは分からなかったが、頭を振り、間に割り込ませた足を退けると、欲求に逆らう仕草を見せたルークは、駄目だと、浮ついた喘ぎの中ガイが放った言葉をしっかりと聞いていたのだろう。
 反省の色を色濃く乗せた顔がガイの首筋に落とされ、そこを何度か吸うように許しを乞われた。

 触りたい。触れたい。交わしたい。交わりたい。

 ぼうっとしたガイの頭には、ルークの言う『触れる』は口付けより甘く響いた。
 甘いのだ。決して嫌悪や吐き気といった負の感情から来る『いけない』ではなく。これは完全に自分の意識が相手へ、まだこうした行為は早いのではないかと感じてしまう、一種の罪悪感。
「今は……、やめとけ」
 胸を浮かせながら至極理性的な対応で、ガイは首筋への謝罪を続けるルークへ放った。
「――、分かった」
 ルークの声色も生理的なものだろう、小さく震えてはいたが、自分が思うより遥かに理性をもった青年は、ガイを縫い付けた腕を解くと、彼の身体の下でまだ微かに吐息を喘がせる幼馴染を名残惜しげに抱きしめようやくベッドから引く。

「ルーク。 これは……こういうのは、だな」
 甘美な空気から発生した口付けも、性急とも思える行為も。ガイの知らないうちにルークは求めるようになってしまった。ショックよりも大きな何かで頭を殴られるように、口をついて出る声は唖然とし、色を纏ったまま空気に混ざる。
 ルークが身を引き、二人で抱き合った服装の乱れを直す、襟を持ち上げすん、と小さく鼻を動かす仕草が生々しく、ガイは口を噤んでしまう。
「いいよ、ちょっと、外出てくるから」
 眺めているだけでどうして良いか分からなくなる行為達を、どうにかガイの中の理性と結合させたいが為にかけた言葉は空しく、ただルークの背中を追いかけるに留まった。
 どうしてこんな行為に及んだのか、本当に口付けの先を求めていたのか。仕方ない事とはいえ熱の抜け切らぬまま、火照った身体を引き剥がされ、そのまま部屋を出て行くしかないルークの後姿に視線だけで語りかければ。
「なんとなく、分かってる。 ……だから、これは、謝らないから」
 振り返らずにルークは言い放った。大きく息を整えながら話そうとしている姿は、彼なりに思考しながら話しているのだという事が理解出来る。それはつまり、幼馴染であり、年上でもあり、同性でもある、ガイに触れたいという事。それは、決して親子供、兄弟のそれでもなければ、友人としてのものでもない。熱をもった身体をどうにかしたいと、つまりは抱きたいという事にも繋がるのだ。
「……。 ……分かった」
 ガイは半ば呆然とした声でしか、ルークへの答えとしては返してやれなかった。何も知らない、子供で未熟なお坊ちゃんがまさか自分に欲求を向けるとは思わなかったのだ。もっとも、そういったルークに対して失礼とも取れる彼への認識があった事実についても考えざるを得ない。
 ドアの閉まる乾いた音を前に、一人になった室内でガイの息はまだ荒く、人肌に慣れない身体はルークを欲していた。生理的な現象は考えるまでもなく、吐き出してしまわなければと身を竦める。そうやって焦る身体と脳内は比例して、現状に至ってしまった過程までもガイを悩ませるのだ。

「まずいな……専門外だ」

 のぼせたような、空を浮く声色でガイは一人、そうごちる。
 ファブレ家への復讐がルークという存在で薄れても、剣や音機関で日々を埋めても、女性といういわば当たり前の恋愛対象を避けてきたガイにとって、本日の出来事は本当に専門外の出来事なのだ。
 火照った身体を丸め、息を吐く。熱い、どうしょうもない身体をどうにかする前に、とりあえずは守り抜いた音機関を元に戻さなければならない。

 ルークは、良くも悪くもまだ発展途上だ。
 そう思っているからこそ、許してきた今までのルークは、案外ガイ自身が作り上げた偶像であって、既にあの赤い髪の青年は自らの気持ちを表す術を知っているのかもしれない。
 かちかち、とスイッチだけで切り替わる光をもう一度、眺めながらサイドテーブルへ置けば、光の反射が視界を遮り、瞼が自然に下がる。浮かぶ、去り際のルークが見せた人間の男らしい仕草が目に付き、ガイは自分が考えている以上に、あの青年を一人前として見ていなかった事実にただ、肩を竦めるだけであった。



 ガイと自分の部屋として宛がわれた部屋の前、木目の暖かな、どこかファブレ邸の自室を思わせる一室の前でルークは暫しの間、その壁に寄りかかり、動こうとはしなかった。まだ、部屋の中ではあの幼馴染が、今しがた起きた出来事についてどうしたか良いか分からないという顔をしているだろう。

 小さな頃は一緒に居るのが当たり前、子供なりに仲が良い方だったと記憶している。だというのに、ベッドで二人横になって、大人になった体温が触れた、それだけでルークにとってはちょっとした大騒動だったのだ。昔と同じだと言い聞かせなんとかしていたものの、流れもあったが結局は戸惑いを見せるガイを本当に思うままにしてしまったと、頭の中はそればかりになっていた。
 目を瞑って、ため息をついて、頭を振って、更には自分の前髪を凝視するように上を向く。
 あるのは、ぶら下がった光が宿の廊下一面を照らしている、というそれだけだ。そこにガイは居なく、これから彼に会うのすら戸惑われる。
「やばい事しちまったかな」
 言ってみても、ガイが言うようにいけないという感情は沸いてこない。
 同性の身体で、自分より背の高い、いつも見ているせいで女性の身体と比較をしても普段の考えでは絶対に見劣りする。多分、ガイの言う正しいはこっちなのだろう。惹かれるものが違う、そう言いかけた青空色の瞳が忘れられなく、だからこそ彼に興味が沸いた。

 天井に吊るした光が潮風に揺れる。ちかちかとしたその光りは、ガイが見せてくれた小さな安い星空の光りにも似て、ルークは自らの手を見るとそのまま、それをポケットの中に仕舞いこむ。

 グランコクマの夜、二人の間から流れる沈黙に、零れ落ちる滝の音が遠くから聞こえてきた。


END

断髪〜カースロット後あたりはどうしてもガイ、短髪ルークに微妙な感じがするです。
なんだかんだ言ってても愛のベクトルはガイ>ルークなのですけれども。


星空の隣