ならばこれはどの枝か

 花壇があったならば、その中心に植えられている花がガイだ。
 華美過ぎず、礼儀正しく周りの花を生かして自らも生きる、そんな凛とした花だろう。いや、彼が男性であるという事実を考えのならば葉の美しい植木だろうか。
「君は艶やかだから、その位の方が似合うよ」「俺が盾になるさ」「十分可愛いよ」
 全てティアやナタリア、アニスにかけたガイの言葉だ。女性にどう受けるのか、ルークには分からない。ジェイドは含み笑いをするだけ、そのまま膨れていれば気付いて彼が合いの手を入れてくる。
 ルークは、花壇に生えた植木の摘み取られるべき一枝でしかなかった。ただ、そう言ってしまうとティアが怒ってくれる、彼女の怒りを見た自分の焦りがおさまる、それで大抵は一息つけるのだ。
 とりあえず必要な枝であれると、とりあえず今日は切られないと。
 嬉しさと恐怖に強張った笑みを浮かべ、また花壇へ――皆の元へと戻っていく、ルークにまた声をかけるのもガイだった。
「お前さ……」
 黄金色を身にまとった、男にしても背の高い後ろ姿に近づけばいくらも経たぬうちに空色の瞳がルークに気づく。次には、前向きになれ、大丈夫か? 嬉しくも、聞き飽きた言葉を呟き、大丈夫だと返せば目じりを柔らかく曲げ、安堵してくる。
「なんだ、ルーク。 やっぱりお前、元気無いぞ? ……ま、分からなくもないが、あんまりふさぎ込んでると良い事も逃げちまうしなあ。 そうだ、久しぶりに二人で出かけるか?」
 極力不穏な気配を見せないガイは、こちらの顔を伺って「ご機嫌を直すコース」を提案する。いつもの事だ。
 外殻大地の降下、ルークが尽力した旅は今一つの終焉を迎えたのだ。今までの自分ではなくなった、ティアを筆頭にある程度は皆もその変化に気づいてくれたと思いたい。
「いや、いいよ。 それより、お前の部屋で話さないか? なーんか、でかくなってからガイの部屋も忍び込まなくなったしなぁ」
 ご機嫌を直すコースをあえて選択せずに、あえてガイの部屋を指定する。
「ん……。 あー、音機関だらけだぞ?」
「知ってるっつーの。 いまさらだろ」
 だよなあ。ガイの歯切れの悪さは旅に出るようになってから始まった。
 笑顔ばかりを見てきた使用人の別の顔。暗部や音機関ではしゃぐ姿、口付けをした時に見せる曇った硝子玉を思わせる青い瞳。最後だけ、ありえない関係だと否定の感情も付きまとうが、ルークにとっては新しいガイの姿である。
「だな。 じゃ、夜中待ってる……。 ちゃんと抜け出してこいよ」
 声を濁した後でも、ルークの誘いは断らない。最後には必ず、気をつけてと付け加えるガイは、それでもこの所笑顔に戸惑いを混ぜるようになった。
「おう、ちゃんと待ってろよ」
 手を振って、返した先のガイはまた晴れない笑顔を漏らして、彼の用事、使用人としての事後処理に去ってしまう。
 そうしてから遠くで、ふいに唇に指をやる彼の仕草に、青年期真っ只中のルークは心底、揺れるのだ。今まで使用人ではなくとも、友人と親友の座は預けてきた、その相手の一秒しているか、していないかの姿で彼に触れたくなる。
(わかってねーんだろうなー)
 グランコクマの宿で一方的な口付けを交わした。それから、旅の進展はあってもガイとの距離は縮まるばかりか、奇妙な間が出来ればすぐに彼に修復されてしまう。
 曇った瞳になるのは何も口付けを交わしている時だけではない、困った声色で歯切れの悪い時がガイの「空気修復の合図」なのだ。だからこそルークは、彼に変わってほしいと思う。認めているという顔をして、まだ完全に青年として扱わぬ、ガイのお子様を相手にするという態度を。
「俺のこと、見てねーのは、お前も同じだっつーの……」
 彼の瞳を思わせる青空を眺め、ごちても意味が無い。けれど、本当にただの一度、奇妙な関係に至った時にガイは言ったのだ。
『俺を見ていない』
 と。何処か宙を眺めるような、呆けた顔で口にした。例え親友や幼馴染の枠を超えるとしても、ルークはガイの全てを見たいと望んでいる。

 視界の外で、小さく見えるガイの姿はまた、女中たちに追いかけられ、ペールの後ろに隠れようとしている。
 そうだ、人に囲まれるガイは必要な植木。彼は葉も若々しい、全ての葉に水を運ぶ必要な幹なのだ。こうやって落ち込んだ時、必ず気にかけてくれる彼にとても感謝している。ずっと傍にいて欲しい。親友以上にルークの心を動かす原動力にもなった。心の拠り所でもある反面、あの明るい青空のような瞳が翳る、ホド崩落、一族の死。それらを口にした時、何者にも得がたいルーク自身の居場所を得た気さえもした。
 親友を親友とも呼べず、ガイの全てを欲する。そんな自分はもしや、摘み取られる一枝ではなく、雑草なのではないかと良心がルークを蔑んでいる。
 早く、摘まれてしまえと。



 晴れ渡った空を自室の外で眺める、午後。雲の行方を目の先で追いながら、預言(スコア)の無い日々というものを、ルークは何処か遠くで見つめている。
 自分が師匠という地位で崇めてきたヴァンはもう居ない。もしかしたら、最初から居なかったのかもしれない。ルークが作られたように、あの師匠もそういう自分を作っていただけならば、感情は兎も角納得出来る話だ。
「ルーク。 あんまり寝てばっかりいると、旦那様に叱られるぞ」
「ああ……。 うん、分かってる」
 アブソーブゲートから戻って休む間もなく、今まで共に居た筈の仲間は離れ離れになった。自分達の問題だけではない、国が絡んでいるのだ、ナタリアとジェイド、ティアとアニス。ろくな会話も無しに離れていく仲間だった彼らを見送る、ルークは一人お坊ちゃまと言われた以前と同じ生活を送っている。
「分かってるって言ってお前、昨日もそうやって一日過ごしたじゃないか。 やれる事は全部やったんだ、もっと胸はれよ」
 隣にガイが居て、使用人だからと歳の近い者同士、静かに会い大騒ぎをする毎日。照らし合わせれば、今はあまり騒いでいないと喉に卑屈な笑みが零れた。
「はれない。 結局俺は……」
 アッシュの、被験者の代わりか。或いは同じルークの劣化と、吐息に漏らす。
「……その先は言うな。 今まで俺たちの隣に居たのはお前だし、だからこそしっかりしてくれないと困るだろ?」
 隣に座るガイの重みに、生えた雑草が淡く音を立てるのが分かった。それは、今彼がルークの隣に居るという意思の表れでもある。話す時間を作るという、簡単な合図。
「でも、お前も……ガイも居なくなっちまうだろ」
 今傍に居る、手を伸ばせば届き、そうしたならばガイは相変わらず屈託の無い笑みを浮かべるのだろう。思うからこそ、視線を空へ彷徨わせたまま、ルークは言う。
 脅威であった師匠が消えた瞬間、今までのルークと共に全てが聞こえない程の音を立てて崩れていく気がした。師匠であったヴァン、変わる切欠をくれたティア、喧嘩はしたがよく話したナタリア。幼馴染の、ガイ。
「それは――ルーク。 それは仕方ない事だろう」
 重くのしかかる声が更に重みを増して、ルークに覆いかぶさってくる。
 否定をしないガイは矢張り、今までの主人であった父――ファブレ公爵の言いつけ通りにこの屋敷を出て行くのだろう。出て行くしかないのだ、先の旅で自分を何より公爵に敵意を向けた使用人なのだから。マルクトの、ホドの住民なのだから。
「仕方ないんならどうしょうもないだろ。 ここには誰も居なくなる。 皆帰っちまったし、お前まで、居なくなるなんて……」
 考えられなかった。どこに行っても追いかけてくるガイの居ない生活など。こうして、視界に入れずとも自ずと声をかけてくる彼が消えてしまうなど。考えるだけで世界が逆さまになったようだ。

 暗く淀んだルークの耳の隣からは長いため息と、頭をかく柔らかな音が囁く。
「お前は、さ。 俺に謝らないものができたんだろ」
「――え?」
 ふいに、ガイらしくない、歯切れの悪い。戸惑う声色を聞いて、ルークは視線を空から、彼へと移した。案の定、こちらを見てはいるものの、口元を一本の線にして言葉は続けられる。
「俺に……触りたいって、言っただろ。 実行してたけどな、ったく、好きにしやがって」
 言葉自体ははっきりと紡いでいる。一語一句しっかりとルークの耳に入る声で、時折空と同じ色彩を放つ瞳を困らせて。
「もし、このまま俺がここに居たらお前はその謝らない、ってやつの答えを、ただの勢いのせいだけにしちまうんじゃないか」
 それは、遠巻きな疑問であり肯定であった。
 グランコクマの宿で、カースロットに穢された後の彼を組み敷いた事実を、こともあろうに謝らないと言ったルークへの、肯定とガイ自身の行為への、疑問。
「それって……。 それって、その……」
 ガイから語られる、彼へ触れる事への一時的な許可に思わずルークの身体は飛び起きる。
 同性同士、触れて確認する欲はいけないと言われた筈だ。それを悪い事だと確かに思わなかった自分も居る。それでも、半ば強引に口付けと、欲を押し付けてしまった記憶はもどかしいものとして、頭の隅に追いやっていたのだ。
「ああ、お前なぁ。 いいって言ったわけじゃあないぞ!」
 普段落ち着きを払ったガイが声をどもらせ、慌てさせる場面は珍しい。
「なんか、俺恐怖症。 って感じだな。 俺は触れるけど、なんつーかそわそわしてるトコなんかそっくりだし」
 笑って正面からガイを覗き見ても、今度は彼がルークを見てくれず、兄のような青年を茶化せば怪訝な瞳で睨まれた。
「……人が真面目に話してる時に、ルーク。 お前なぁ……」
「あー、はは。 悪りィ、悪りィ」
 肩を前にして、首を低く構える。そんな状態はガイならではの獣に似た仕草だ。本人は気付いていないだろうが、普段女性を避けているせいか、しなやかかつ、上手い身の運びが身についている。
 頬に触れれば噛み付かれそうな気持ちになる、ガイに軽く指で首筋に触れ、肩を押すと草むらについていた彼の腕の片方が触れに来たルークの手を掴んだ。
「ルーク。 そっちの方が、お前らしい」
 一度は肩を掴んだ手をガイは外し、暖かなカーブを作った瞳を浮かべて、己の心臓付近に遊ばせる。
 僅かに押せば、草むらに黄金色の糸が散った。今度は両腕を自由に横たえ、ルークの方へ腕を伸ばしてくる事は無い。こちらを見る事もせず、ただ横たわった身体は空を仰ぐ。
「お前を待ってるよ」
 ルーク。と、もう一度名を呼んで、ガイの青空はルークの視線と絡まった。
 今しがたガイに触れた筈の手が宙を彷徨い、草むらへ横たわった彼の身体を見つける。身を乗り出し、両腕を重ね合おうとしても思いの外、拒否はされずに、すんなりとルークの腕と少しだけの体重を受け入れてくれる。
「お前もな、ちゃんとあっち行ったら手紙でもくれよ」
 そう言って苦く口を上げれば、草むらはルークという日陰を作り、光りを纏った黄金色はくすんだ黄土色に染まる。覆いかぶさったガイとの距離は近く、額を摺り寄せれば横たわった身体を丸くした後、柔らかな髪が互いに触れた。
「そうだな。 返事をよこしてくれるんならな……」
 明朗な笑顔が甘く歪む。触れた髪を一度上げて、もう一度身を寄せれば自然に唇が重なる。
 唇を合わせる、先で口内との境界線を確認して、離れる作業を繰り返す。一度、二度と触れ、三度目をガイの瞳に強請ればこちらを見る薄い視線は空へと逃げた。
「やっぱ、嫌か?」
 同性からの口付けだ、世間一般で言うガイのような男ならば嫌悪していても不思議ではない。そんな相手でもルークは、自分は、彼に触れたいという感情の答えが胸の奥底から導き出そうとしているのだ。勢いだけではないとそう思いたい、分かっている、喉まで出かかっている感情の形。
 見つめる先へ、本当に謝らないものの正体――ガイへの思いを聞きたいのかと、問いかけた。
「いや、そうじゃない。 俺にはまだ、分からないんだ。 ルーク」
 答えは限りなく不透明な否。明確にルークからの問いを受け取ったガイは、薄く開いた視線でもう一度こちらを見る。
 合わせた手と手は互いに手袋の皮質に阻まれ、完全な体温を知ることはかなわなかったが、ガイからの力を感じる。ルークの手を、指でしっかりと受け入れる彼に心臓が揺れた。
「何が? 何が分からねーんだ? ……今ままでは同じだったじゃねーか。 だべって、寝て、飯食って……旅の時だってあんま変わってなかったじゃねーか」
 自分とガイの関係は込み入ってはいても明確で形を表現するのならば分かりやすいと、そう言いたかった。口付けを交わしても、ルークを擁護しようと最大限譲歩してくれる彼との関係は変わらせようとしても、変わらない。
「変わったさ。 変わっただろ。 それはお前が一番良く知ってる筈だぞ」
「それは、俺の話で……。 ――ガイ、どーして」
 伝わらないのだろう。
 ガイの言う「変わった」はルークが変わったという事だ。少なくともルークにはそう聞こえる。一人の青年よりは一人の子供として見られている、この扱いから逃れたい一心の言葉はいつも容易く回避される。
 悔しいと、言葉にならない声を上げてガイの胸に頭を置けば、矢張り抵抗も無く受け入れてくれる。太陽と、少しの錆くささと、土の香り。この下に息をしている彼の肌があるのかと思えば頬に熱が灯るのが分かった。
「でもさ、ガイ。 お前は分からないってゆーだろ」
 ルークには分からないガイが理解できない。彼の中では何が分からなくて、何が変わっているのか。
「ああ、俺はともかく、お前は他の人にとって我侭なお坊ちゃん位は思われてたんだ、それがいきなり変わって、いきなり反省して」
「うん」
 雨が降るように話す、口ぶりは非常に落ち着いていたが、ルークの耳元で鳴る心臓は心なしか早く脈打っている。
「いきなり、俺に興味を持ち出して」
「……うん」
 どうしていいか分からない、とりあえずガイはそう言いたいのだ。
 背はルークよりも高く、剣術は個人差というものがあり優劣は付けがたい。何より10年や近い年数ならばどうにかできた「生きている経験値の高さ」はレプリカと完全なオリジナルでは埋められない。
「やっぱ、こんな時上手く言えねーのって、ガキ扱いされるよな」
「そんな事は……仕方ないだろう」
 胸に置いた頭を上げ、ガイの目と鼻の先で「ガキじゃない」と言っても、彼の頬が少しばかり赤くなる程度でしょうがない事だと言い切られる。
「分かってる。 ガイはさ、その……偽者とかそんなんじゃなくて、俺ともこういうの望んでないかもしれねーけど」
「おい、だからその偽者ってのはやめろって……」
「うん、でも好きなんだ」
 閉口した。
 レプリカとしての発言に眉を顰め、声を荒げたガイは、ルークの一言でただ口を閉じて影になった空色を大きく開けるのみだ。
 一方、ルークも自分の発言に驚愕していた。勢いは熱を持ち、放たれる。
 形にされる感情、口付けは恋愛感情にある者達だけでのみ、行われるものとは教わった事がない。7年間の記憶としてそういう傾向が強いだとか、そうかもしれないという意識でインプットされているだけだ。だからこそ、分かった気なってはいても、ガイへ口付けた行為そのものを直接的に恋愛感情と括り付ける事も口に出してしまうまで、決定付けられなかったのだ。
 しかし、ルークは「なんとなく」分かった感情を今、確認してしまう。

「すまない、ルーク。 俺はそんなにすぐにお前の全ては受け入れられないよ」

 ガイは分からない、ともう一度告げる。
 人を好きになったのは初めてではない、けれど恋愛として確認したのは初めてだ。ガイはどうなのだろう、彼の恋愛感情はどこにあるのだろう。
「う、ん。 そんなに……すぐにどーしろってモンでもねーし、でも……」
 今までの使用人と主人という関係を変えたいと思う。触れたいと思う時に側に居てほしいし、出来れば受け入れてほしい。子供として扱われたくない。渦を巻く感情に身が震えた。
「分かってるよ。 お前はお前で、頑張ってやってるからな」
 背の高い身体が少し力を入れたと思うと、彼の手を絡めたルークの拘束は外れ、落ちるようにその胸へ全てを預ける。
 もどかしい感情に顔を上げれば明るいガイではなく、優しい彼がいた。
「うん……ありがとう、ガイ」
 吸い寄せられるようにもう一度、交わす口付けに迷いは無い。
 触れ合うだけのそれではあったが、ルークの唇が感じる彼は優しくも脆弱な震えを感じた。ガイは何を怯えたようにするのだろう。探るように、力の入っていた腕を背中に回せば、力の無い腕が自分の背にも回された。
「俺は心配だよ。 ルーク」
 抱きしめ合う体温の中で、ガイは彼の言う通り変わっていた。昔ならば遠慮無く回された力強い腕は変わり果て、顔を近づければ瞳を細くする。
 もうすぐ使用人ではなくなってしまう。変わる前の自分を生かしてくれた水でも、空気のようになくてはならない存在の彼は、ルークの抱擁を受け入れながら、擦れた声でそう口にするのだ。

続き書くつもりでちょっと伏線つけてますが、果たして役に立つのやらorz
ルークがうじうじなのは原作どおりの筈。。。

ならばこれはどの枝か