きみとぼく


 帝都ザーフィアスは本日も晴天だ。
 青空の中には結界魔導器の光が垣間見え、貴族街から市民街へ柔らかな色彩を放っている。
 フレン・シーフォはその中で、現在進行形で市民街から下町へと歩みを進めていた。帝国の騎士になり早数年、今では城と貴族街にばかり顔を出していたが、自分自身も元は下町の人間なのだ。
 帝都の色は統一されているわけではないが、城と貴族街を象徴する、上品な赤紫色の石が地面には敷かれ、それがだんだん埃と、そして下町の市場に売り出されるトマトや野菜の色に変われば空気もがらりと変わる。
「あー、フレンだー!」
 一番に聞こえてくるのは少年のあどけない声。汚れた帽子に服を纏っているが、その表情は実にあどけない。
 口を開ききったような音色で自分へ手を振り、同じ下町育ちであるというのに騎士として名を上げた自分へ、英雄とばかりに笑顔を向けてくるのだからフレンはくすぐったく思う。
「久しぶりだね。皆は元気かい? ……ああ。ところで、ここ数日ユーリは見なかったかな?」
「ユーリぃ? しらねぇよー。この間また市民街でなんかあったみてぇだけど」
「……そうか。ありがとう」
 下町の人間はフレンに友好的だ。何かを聞けば必ず知っている範囲で答えてくれる。だから、この少年の言っている言葉は嘘ではないだろう。
 ユーリ。ユーリ・ローウェル。自らの幼馴染であり、一度は同じ騎士を目指した彼に言わせれば、全てを信用するのは甘い、の一言に尽きるだろうが、それは普段の行いの違いだと声を大にして言ってやりたい。
(ユーリを捜すのは毎回骨が折れるな。仕方ない、家に寄っておこうか……)
 下町でも古い部類に入る酒場の二階。階段を上がってすぐの所がユーリの部屋だ。
 ユーリの性格、行動は、一言で言えばやりたい放題。下町の古株から言わせれば青年らしいこ憎たらしさで、騎士としての面影はどこへやら、今では大きな子供が下町に住み着いているようなものだった。
 お陰で、貴族街で問題を起こせば騎士が彼を投獄しにやってくるし、脱走をすれば追ってくる。
 ユーリ曰く、正当な権利をもって実力行使を行った。というのが大抵、貴族相手に厄介ごとを起こした時の主張ではあるが、悲しいかな、それが本当であったとしても騎士としてはそれを取り締まる以外に道はない。
「時間が無ければ戻って良い、とは言われたけど、どうしたものかな」
 丁寧にも酒場の主人に挨拶をして、フレンはユーリの住む二階へと上がる。
 当然ながら、ノックをしても誰もおらず、耳をそばだてても誰かが逃げるような音はしない。だから、古びた扉を開け、フレンは懐かしさの染み渡った、ユーリの部屋へ入り、相変わらず物の少ない部屋を見渡すのだ。
(ここで、育ったのか……。時間は早いな……)
 お世辞にも広いとは言えない小さな部屋で、ユーリとフレンは一時共に過ごした事がある。
 壁についた剣痕のような染みに、ベッドの位置ですら変わっていない。
 フレンはユーリを捜すという役割を、彼の部屋で待つという、なるべく効果的な果たし方をしつつ、ふいに昔の思い出に浸るのであった。

 ***

 元々帝都は下町に優しい都市ではなかった。それは多分未来永劫変わる事は無いだろう。そう、下町の住民が考える程度には、結界魔導器の加護はあまり届かず、そもそも魔導器の数すら少ない。
 技術の進歩が少ないわりに、人間はすし詰めのようにごった返し、明日の食料が無ければ隣人へ分け与える。大体はそんな生活が毎日の風景であった。
 それでも、この少ない物資を毎日のように貴族街、ないし市民街に持っていかれる。
 毎日、何人が死ぬかも分からない。そんな日もあった。
 そんな下町でフレンはユーリと出会うのだが、その場所こそ、これから数年、『ユーリ』という青年が世話になる酒場の二階、この一部屋であったのである。
 大人も多ければ子供の数も多いのが下町だ。同い年の同室は当たり前で、とどのつまり部屋割りで一緒になったのが始まりである。
「お前、貴族みてぇな顔してやがるな……」
 この頃から既に二階の部屋の扉はがたつき、フレンが入れば黒髪の少年は不機嫌そうに顔を膨らませてそう言った。
 黒い服が下町独特の汚れを隠している独特の少年で、髪は伸びかけの風変わりな少年である。
「べつに、貴族なんかじゃないよ」
 小さい、それこそ十歳になるかならないかの子供が二人、扉の前で睨みあう。
 この頃から貴族を目の仇にしている所があったユーリは、何をどう見たのか、自分の顔を目元から頬、髪の色までじろじろ眺め、信用できないという風な溜息をついた。
「ゆ、ユーリ……! 僕は貴族なんかじゃ……!」
 信用できない。確かに、下町では犯罪も多発傾向にあるし、仕方なかったが、フレンもフレンで当時から妙な正義感があったように自分でも、思う。
 だから、聞いたばかりの彼の名前を口に出して、精一杯の怒りを顔に出しながら、ベッドを占拠しようとするユーリへ歩み寄った。
「あぁ? なんでお前がオレの名前しってんだ?」
「……酒場の、女将さんから聞いたんだよ」
 二人共手荷物は殆ど無い。
 フレンは父親の形見が少し、鞄の中に入っていたが、ユーリはというと見た限り手作りの木刀らしきものが一つ。あるだけで、子供の体重を軽く受け止めた質の悪いベッドがピシリと嫌な音を立てる。
「ここ、オレんだからな」
「なんでも分け合えって女将さんが言ったじゃないか」
「……だってお前」
 今でも分からないが、この時のユーリはしきりにフレンを眺め、「貴族みてぇな顔だ」と言っていた。
 しかも、幼年期から青年期になるまでよく口にしていた、貴族を憎んだような口調ではなく、少年が始めて少女を見るような視線で、だ。フレンから言わせればわけがわからない。
「そんなわけないじゃないか。僕の着ているものを見てみてくれよ。これのどこが貴族なんだ……」
 小さなフレンは彼と同じく剣呑に、髪が伸びかけの小さなユーリに抵抗した。
 髪は確かに貴族に多いらしい金髪だが、ここの数日洗っていないせいか鈍い茶色にも見える。服も同様、元々緑色だったと思われる上着に黒いズボンだが、どちらも下町のお下がりで、擦り切れ、そしてどこか汚い。
「で、でも。オレの目には狂いはねぇんだっ!」
「……! この、わからずや!」
 フレンはユーリに自らの持ち物と髪、服装、全てを見せた。
 しっかりと見えるように、彼の近くに寄って嫌味のように、じっくりと、である。
 それなのに認めては貰えず、逆に視線を逸らされるのだから男としてのプライドが黙ってはいなかった。
 ベッドに座るユーリへ手をかけたかと思えば、一気に全体重をかけて、このベッドは「二人の」ものだと主張するように、フレンは彼の横へするりと入り込む。
 ついでに、フレンの綺麗な右ストレートも決まり、喧嘩になるまで数秒はかからず。酒場の女将が上にお叱りへ来るまで、一時間を要したのであった。

 酒場の女将曰く、どちらも仲良く出来ないなら出て行ってもらうよ。と、その日のうちにお達しが出てしまった。
 下町の住民にとって住む場所や、やっかいになる場所が無くなる事程怖いものはない。路上で生活できるのは大人の男だけであるし、それでも明日の命があるかないか、分からない程なのだ。住む場所があればなんとかなる。それが、下町での重要事項であったのだ。
「……悪かった」
 そう言って手を出され、ユーリとフレンは握手を交わしたが、これは女将が仲裁に入ったから彼が折れたにすぎないと。最初はそう思っていた。
 が、その予想とは裏腹に、ユーリとの生活をスタートさせれば意外にも、彼は働き者であり、何よりちゃんと約束通り、ベッドは二人の物として、共通に使うとフレンの鞄をベッド上に置いてくれたのだ。
 二人は朝も早くから、ユーリは酒場の手伝いをし、フレンは犬の散歩を任される。
 何故か、フレンは酒場については一切任されなかったが、それでも仕事があるというのは素晴らしい。二人は疲れきるまで働いて、夕方に同室で再会。公衆浴場へ向かい、その後ベッドの上に潜り込もうとする。
「や、やっぱお前が使えよ」
「? なぜだい? ユーリ、別に僕は女の子じゃないんだ、一緒に寝ようよ」
 同室になって二日目の夜。ようやく風呂へ入り、今までの垢を流し終えたフレンへ、ユーリは言いづらそうにベッドの使用権を譲るとも言い出したのだ。
「べつに、オレが床に寝たいからに決まってるだろ。他になんかあんのか?」
「それなら……別にいいけど……」
 そうして綺麗になった少年二人の初めての夜は、フレンがベッド、ユーリが床で過ごした。古い酒場の一室だ、床で寝れば木目は痛いだろうし、下の酒場からは五月蝿い酔っ払いの怒声が聞こえる。
(やっぱり前のこと、気にしてるのかな……)
 貴族のようだと言って同室を、フレンのベッドの使用権を拒否した事を。もしかしたらユーリは気にしているのかもしれない。
 ごろごろと少年らしい身体を床に転がし、時折唸り声を上げるユーリはお世辞にも『床で眠りたかった』とは思えなかったのだ。
 元々、ベッドの所有権すら自分の物にしようとした少年を、フレンは許す事にして明日からは共に眠ろう。
 こうして、二人の距離は地道に、多分この頃から、噛み合うようで噛みあわない方向へ転がっていった。

 同居三日目、二人の距離はある意味急速に縮まっていった。相変わらず仕事は違ったが、昼には同じ時間に休みを貰い、酒場で働くユーリがパンを持ってきて二人で食べる。
 勿論、そんなに量はなかったから半分にして、腹は一杯にはならなかったがお互い両親も家族も居ない身も手伝ってか、会話は弾まなくとも笑顔だけは多かったように思う。
 部屋に続く階段に座り、昼休みの一時間だけを過ごす。これは、とても贅沢な時間だとフレンには思えた。
「仕事の方はどうだい? ユーリ。昨日はあまり眠れていなかったようだったけど」
 同じ階段に座り、あと数十分で終る昼休みにフレンは初めて、ユーリへ友好的な言葉をかける。
 今日はベッドを使ってもらおう、その一心でかけた言葉であったが、どうやらユーリという少年は『下町の少年』の中でも意地っ張りの上位に君臨しているらしい。
「あー? ちゃんとやってるさ。それに、眠れてもい……ふぁ……。あー……」
 仕事はやっていると言って、ベッドについて、もちかけられると思えばすぐに「眠れている」と返す。
 いや、返そうとしてあくびが出たなら、最後の手段とばかりに何かを考えるふりをして、伸びかけの黒髪をなびかせながら、すぐに階段を飛び降りた。
「さっ、て。仕事だ仕事。お前も遅れんじゃねーぞ!」
「え……。ちょっと、ユーリ!」
 まだ昼休みは座って話す程度には残っている筈だ。なのに、気まずそうに去ってしまう彼へ、フレンはどうして良いのか分からず、大きな溜息をつきながら、予定通り犬の散歩の仕事へと向かうのだ。

 下町の公衆浴場は特に子供か、男が入る時は芋を洗うようにして入らされる。
 それはフレンとユーリも同じであり、風呂から上がって服を着て、首を振って髪を乾かそうとしている黒髪の少年を、自分は随分とたしなめたものだ。
「ユーリ、それじゃあ水が飛んで他の人に飛んでしまうよ。ちゃんとタオルで拭くんだ。いいね?」
 タオル。それも子供達の間ではある種の貴重品だ。親の居る子供なら下町でもタオルくらいはあるものだが、ユーリとフレンはそれがなく、タオルも自分が持ってきた鞄の中に入っていた一枚だけ。
 それを惜しげもなくユーリの髪に使い、水気をとってフレンは自分自身の頭は濡らしている。
 一瞬、しまったとフレンは思ったが、髪の長い彼より、短い自分が濡れた方が冷たくなる範囲は狭いだろう。
「な、何、馬鹿なことやってんだお前。……そんな事したら、フレンが濡れるだろ」
 フレンがタオルでユーリの髪を、有無を言わさず拭けば、最初こそ眉を顰め黙っていた彼がふいに口を開く。
 このまま服を着れば確かに、髪についた水滴が自分の衣類を濡らし、眠る時に寒い思いをするだろうが、それよりも驚いた事にユーリが始めて、自分の名前を呼んだのだ。
「……ユーリ。僕の名前覚えてくれたのかい?」
「や。覚えるも何も、初日から挨拶してただろ、お前」
 ユーリの声は少年からしてみれば低い方で、自分の名前を呼ばれた時はすぐに反応できず、一歩遅れてそう言えば、彼からしてみれば至極当たり前のような声で返されてしまった。
「覚えてくれているなら今度から、僕のことはちゃんと名前で呼んでくれないか?」
 お前とか、そういう呼ばれ方はあまり好きではない。
 特に同居している同年代の少年にはそうだ。
 フレンがタオルを持ったまま、強くそう言えば暫くユーリは不満そうな顔をして、肩を竦めながら頷いてはくれた。どうせ、彼なりの反抗心なのだろう、そう思ってこれ以上強くは出なかったが、そうしている間にも濡れた金髪は未発達な身体を濡らし、部屋に帰る頃には大きなくしゃみが下町に響くのである。

「ユーリ、今日はベッド使いなよ。昨日はキミが床で寝ただろう? だから今日は僕が……」
「ばーか、風邪ひきそうなヤツが他人様に気ぃ使ってんじゃねーよ」
 部屋に戻ってすぐ、ベッドを明け渡し、床で寝ようとすれば、ユーリに腕を掴まれ、ベッドへ引き摺られて、今度はフレンが眉を顰め、不満げな顔をした。
「不公平じゃないか、僕ばかりがベッドに寝ていると。ユーリ、キミだって眠たい思いをして働きに出るんだぞ?」
 ランプは油代が勿体無いから灯していない。魔導器はそもそも下町に備わりきる程有り余っているわけではない。
 少年二人は月明かりの下、ベッドの譲り合いという、出会った頃とは別の言い合いで対立していた。
「し、仕方ないだろ。別に、眠りたきゃ眠りゃいーんだ。お前に心配される言われはねーよ」
 言われて、頭に血が上った。
「僕はフレンだ! 名前で呼んでくれ!」
 じゃあフレン。と、大きな声でユーリが言い返してくる。
 フレンの頭は既に乾き、水は全部衣類に染みこんでいる。そんな中で、ベッドにも入らず何も羽織らない状態で、身体は小刻みに震えたが、ユーリに言い返す事はやめられなかったのだ。
「もういい、フレンお前はさっさとベッドで寝ろ」
「だから、僕はユーリがベッドを使わないとねな……」
 酒場の上で大喧嘩は控えたい。また女将の仲裁が入れば住む場所を追われる可能性だってある。
 きっと、ユーリはそんな事を考えて話を切り上げようとしているのだと、フレンは彼に食いかかるようにして一歩、踏み出した。
 が、どうやらユーリはフレンが思っているような事は考えていなかったらしい。
「……? ユーリ」
「おら、一緒に寝るぞー。どうせ寒いんだろ、暖房ほどじゃねぇが、代わりになってやるよ」
 手を掴まれた。ユーリに、腕を引かれて少年二人で丁度、ないしギリギリの、狭いベッドへ連れられ、呆気に取られたままフレンは二人で布団と、そして彼の腕に包まった。
 年齢が年齢だ、特に男女の区別もなく、人間として恥ずかしくもなかったが、それでも久しぶりに感じる人の温もりにフレンの頬は十分に赤くなったのを今でも覚えている。
(なんで、彼はこんなことをするんだ……)
 喧嘩を売ってきたと思えば優しく接してくる。しかも不器用に。だから、同じ人の温もりに慣れていない筈の、ユーリはどうだったか。確認したくとも、それは、彼が自分の背後で眠っていたからよく分からない。
 あれから、何度か風呂上りに同じように眠ったが、ユーリは必ずフレンの後ろを陣取り、髪の露に濡れた背中を抱き締めて眠るから、なんだか一人だけ恥ずかしい思いをしているようで居た堪れなくなった記憶が忘れられないのだ。

 ***

「あの時ラピードが居れば別だったかもしれないね。今日はどうやらユーリと出かけているみたいだから、挨拶の一つも出来なかったけれど」
 思い出深いベッドに座り、ユーリの帰りを待ったがそろそろフレンも騎士として、別の任務に就かなければならない。
 幼馴染をシュバーン隊の面々に任せるのは多少、気が引けたが、騎士団の命令は絶対だ、自分だけならともかく部下達も待っている。
 少年の頃とは違う、重い音を立てて腰を上げると窓辺からは下町の懐かしい風が吹き、フレンは青い瞳を静かに伏せ、そして見知った扉をくぐり、また市民街を通って貴族街、城へと帰っていく。
 思い出の場所、酒場の二階のあの窓辺、その丁度後ろに隠れている幼馴染を今回だけは、見逃して。フレンはまた騎士へと戻っていくのだ。
(貴族みたいだって、あの時のユーリは騎士の僕のことを言っていたのかな)
 城の手前、かつてのユーリが言っていた事を思い出し、まだ騎士の『き』の字も出ていない頃の言葉を考えるが、フレンには矢張り分からない。
 もしかするとあの黒髪の少年が予知めいた感覚で言ったのかもしれないと、勝手な解釈をして任務に戻るが真相は違うのである。
 幼かったあの頃、ユーリの『貴族』の定義は二つ。一つは『威張っている嫌なやつ』と、もう一つは『綺麗なやつ』の二つである事を。
 フレンは矢張り、知らないのであった。


 END

・フレン独白。ミニユーリは最初フレンに恋してたらいい。青年になった今覚えているか分からないけれど。


きみとぼく