「お前の武は素晴らしいな」
優しく微笑む劉備を、は眩しそうに見詰める。
は、呉の小喬の配下兵であったが、周瑜の命により劉備配下へ潜り込んだのだ。
「恐れ多いお言葉です」
ただ、劉備の傍に居ると心が揺らぐ。偽りの主、そう思う事に無理が生じ始めていた。
ウェンネヴァ、ウェアエヴァ
劉備は、の様な下級士官にも優しく篤実だった。
「、おいで。今日はお前に訓練を付けて上げよう」
は、此の軍では余り喋らない事にしている。長沙生まれだが劉備の志に呼応して蜀に出仕した、そういう事にしてあるとは言え、余計な会話から襤褸が出るといけない。
しかし、其の所為で今一つ軍団に馴染みきれないを劉備は気にしている様だった。劉備の細やかな気遣いは、流浪の人生から得た教訓であろうが、君主たる劉備が其の様に下々を気遣うのは矢張り蜀の不思議であった。は、小喬から目を掛けて貰ったとは思うが、君主の孫堅は出陣の際に遠目に見掛けるのが精々だ。
「其処でもう少し深く打ち込むんだ……そう、良い間合いだ。其れを忘れない様にしなさい」
劉備の手がの腕を掴む。其の手の温かさにの心が絆される。此の手を、何の衒いもなく掴む事が出来ればどれ程幸せだろう。其れが出来る蜀将が羨ましく成る。
「お前は、何故蜀に来たのだ」
「……え」
刹那、劉備に埋伏がばれたのかと思ったが、劉備は眉尻を下げて子を見守る様な優しい眼差しを湛えている。
「……約束を守る為です」
は、此の瞬間呉に戻らない覚悟を決めた。
「劉将軍は民の苦しまぬ国を守ると社稷に誓われた。其の約束をお守り頂く為、お傍で僅かなりとも此の身を捧げる為です」
劉備の目が大きく見開かれる。彼は、此の極端に寡黙な副将が此程強い闘志を秘めていた事に驚いていた。同時に、喜びが身体に染み渡っていく様だった。
「、お前が私の傍に居てくれて、私がどれだけ勇気付けられているか、お前には解るまい」
暫し見つめ合い、其の眼が熱を持つ。二人の唇が重なり合ったのは、余りにも自然だった。
内応の合図に応じなかっただが、逆に呉に潜り込んでいた間諜によりが埋伏の毒であった事は知れた。
は、蜀の主立った将の前に引き立てられ申し開きを求められた。しかし、は何も言わなかった。言う事が出来なかったのだ。が蜀を裏切っていたのは紛れもない事実であり、呉に帰らないと決めた後も、劉備に言い出せなかった以上殺されても文句は言えない。
将達は、劉備の様子を窺ったが、余りにも普段と変わらぬ慈悲深い微笑みに戸惑いを隠しきれない。は、劉備直属の配下将であった以上、処罰の決定権は劉備に有る。
「、辛かっただろう」
劉備は、誰の目も気にする事無くに近付き、手枷を外した。
将達は騒然としたが、が泣き崩れた事により、二人の心が既に通い合っていた事を悟ったのだろう。への悪感情を吐き出す様に深い溜息を吐くと、劉備から処分が下されるのを待った。
「は副将の位を剥奪し、兵卒からやり直す様に……其れで良いか?」
将達を劉備が不安そうに見渡すと、皆がやや呆れた様に頷いた。皆、慈悲深い劉備を慕って此処まで付いてきたのだ。其の大徳を汚す事は誰にも出来ない。
「殿、劉玄徳殿の大徳を感じるならば、其の命果てるまで良く従われます様」
諸葛亮の言葉に、は大きく頷いた。
「……お前が埋伏の毒とは、人は思いもよらぬものだ」
を自室に呼んだ劉備は、改めてしげしげとを眺める。
は、波打つ濡れ羽色の髪と白磁の様な肌を持ち、切れ長の美しい眼を持っている。凛とした雰囲気は、劉備さえ一目起きたくなる威厳を持っている。
「、お前が曾て何者であったとしても、最早私の兵だ。私のお前に対する気持ちは、何も変わらない……全て、な」
其の言葉にが顔を上げると、劉備が待ちかまえていた様に接吻をした。
「……呉に残してきた人は、居ないのか」
「何も。私が持っているものは、此の身一つで御座います」
「其れは良かった」
劉備の唇が熱を持つ。呼応する様にの身体が熱を持ち始める。劉備は接吻をした儘、を抱き上げ奥の寝室へ運んだ。
「、私は此からも戦をしなければならないし、お前を兵として連れて行く……覚悟は出来ているか」
一生離れないから、一生放さないで。
+++++
2010.02.05 viax
BGM : Shakira [ Whenever, Wherever ]