「お前が私の配下に新しく加わった兵卒だな」

姜維が随分見下ろした目線の先に、あどけない顔立ちの少女が居た。

全てに困窮する蜀軍とは言え、女子の兵卒は誰の配下になっても厄介者扱いされる。彼女達は非力で戦闘能力に欠けるし、臆病で直ぐ敗走してしまう。優秀ならば月英の配下にも成れるだろうが、諸葛亮の妻である彼女の配下に新参者が配属される事はまず無い。

目の前の少女が姜維の元へ配属されたのは、姜維自身新参者である為、とも言える。しかし、姜維には周囲の悪意を跳ね返すだけの、若さ故の勝ち気さが有る。姜維は、自分と同じ様に望まれながらもやや疎まれて来ただろう少女を、一人前の将兵に育て上げてやろうと勇んで臨んだ。

「はい、です!」

見開かれた丸みの有る目が、小動物の様な可愛らしさを持っている。姜維は、此の少女が好きだ、と刹那の内に気が付いた。

オブジェクト・グラス

「敵将、討ち取ったよ!」

戦場とは不似合いな明るく大きな声が姜維の耳に良く聞こえた。

黄巾の乱はにとって初陣であったが、臆する事無く敵将に挑む其の姿に、姜維は其の無鉄砲さに呆れながらも頼もしさを感じる。

は、次々と敵将を討ち取っていたが、自身は然したる傷も無い様で、寧ろ周囲の兵達を気遣っている。

、私の傍へ」

姜維に呼ばれたは、焦って傍へ掛けてくる。姜維は微笑みながらを幕舎へ招き入れた。

「姜将軍、お呼びでしょうか」

燦々とした眼で見上げるが、訳もなく可愛く見え、姜維は紅潮した頬にそっと手を添えた。

「……将軍?」

「お前の武、とても素晴らしいぞ。お前の様な武人が私の配下である事は、即ち私の誇りでもある」

は、姜維の優しい眼差しに自分が身も心も弛緩していく様な気がした。

「……はい」

夢見心地の儘返事をすると、姜維の唇がの眦に触れた。

「お前は、可愛いな」

は、自分が如何すべきか全く解らなかった。は一兵卒に過ぎないし、姜維が望めば伽役もすべき事は理解している。戦の後、男は異様に性欲が滾り女を欲する物であると言う事も、話には聞いている。だが、姜維とも有ろう人が、こんな衆人と幕一枚隔てただけの空間で、何時誰が訪れるとも解らぬ状況で、其の様な欲望を見せる物なのかが解らない。

は、ただ呆然と自分の主を眺めた。

「どうした? 疲れただろう。良く体を休め癒やすのだぞ」

姜維は、の昇格と其れに従う住居の移転を告げ、幕外にいる姜維の従者に色々教わる様命じられた。

は、平静な儘の姜維に対して、動揺しきっている自分を恥ながら、必死で頷き幕舎の外へ駆け出た。従者の後ろを歩く時も、何度も足が縺れて心配される程だった。

数日後、は新しい住居となった小綺麗な一室で一つの書簡を眺めていた。

残念な事に、其れは文字通りの眺めるだった。は辛うじて自分の名前を書けるが、其れ以外の読み書きは一切出来ない。

、入っても良いか?」

姜維の声に、の心が跳ね上がる。

「は、はい!」

返事と同時に扉が開き、姜維の笑顔が覗く。

は、姜維のこの優しい微笑みが好きだと改めて思う。幼いには、其れが恋愛感情から来る物か否かは判断出来ないが、姜維の微笑みを見ると、彼の配下で良かったと心から感じる事が出来る。

だからこそ、あの口吻は訳が解らなかった。

「おや……里から頼りでも来たのか」

姜維は、の背後に立つと彼女を抱き上げて臥床に座った。余りに自然な行為だったので、は咎める事が出来ず、過日同様されるが儘呆然とした。

「達筆だな」

辺境の山村から届いた書簡にしては宛名が達筆すぎるし、良く見れば書簡に使われている木材も竹ではない。

「あの、あの、昨日の夜突然窓から此が投げ入れられて、私、読めないので、あの……」

眉を顰めた姜維の表情が見慣れず、はまるで自分が罪人にでもなったかの様で上手く話す事が出来ない。

「……そうか。では、私が此を読んでやろう。構わないな」

姜維はに微笑みかけたが、其の眼差しはいつもとは異なり有無を言わさぬ圧力を言外に含んでいた。尤も、が読めぬ以上姜維が読んでくれるのは有り難い事ではあった。

書簡を読み始めた姜維は、其れが曹操からの引き抜きで有る事に気が付くと、無意識の内に舌打ちをした。

、お前は曹孟徳の軍旗に下りたいか?」

姜維の質問に、は勿論首を横に振る。

「そうか、ならば此の書簡は見なかった事にしよう。お前は私の配下で一生を終える、其れで良いな」

姜維の眼差しは優しいが、奥底に燃え盛る焔の様な物を感じさせる。は頷くと同時に、自分が姜維に支配されている様な感覚を覚えた。だが、不思議な事に其れは心地良い物だった。

「……

名前を呼ばれて反射的に顔を上げると、姜維の唇が今度はの唇に触れた。

を片足に乗せて抱いていた姜維は、其の儘臥床にゆっくりとを寝かせる様に押し倒した。小さな頭を姜維の手が掴んで話さず、其れがどれ程長い接吻か、は解らぬ儘必死に姜維の着物を掴んでいた。

「姜将軍、あの、私、御伽役をこなせるか、あの……」

しどろもどろになったに、姜維は優しく笑いながら首を振った。

、お前は伽役では無く、私の恋人になるんだ」

そう言いながら姜維はの髪を縛る紐を解き、臥床に波打つ様に広がった髪を満足そうに掬って眺めた。

「……え、あの、其れって?」

「私はお前が好きだ。お前も私が好きだろう」

姜維の微笑みは相変わらず優しいが、子供をからかう様な雰囲気を醸し出している。

「……好き、ですけど、でも、あの……良く解らない……です」

姜維は、矢張り満足そうな微笑みを浮かべた。

「其れで良い……さあ、唇を少し開きなさい」

僅かに開けた唇に、また姜維の唇が押し当てられる。そして、熱い舌が押し込められる。は、其の熱さに目眩を感じた。

お前の世界は、私の腕が届く範囲。此の世の汚さは、全て此の手で隠してあげよう。

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何れ世界の汚さに惹かれる時が来る。其れを防ぐ事は誰にも出来ないと知りつつ。

2010.02.02 viax

BGM : The Offspring [ All I Want ]