は、建業の大家に生まれた。

女子ではあるが、幼い頃から師に就き、良く学び良く修めた。しかし、年頃になると結婚を嫌がって呉軍に出仕してしまった。

周囲は此に眉を顰めたが、彼女の父親は笑って許した。彼は、日毎に鋭才を見せるがどれ程の器であるかは見当も付かなかったが、一家に留まる事が彼女の幸せで無い事は解った。

は、黄巾の乱討伐に合わせて呂蒙配下の兵卒になった。

キス・アウェイ 1

「お前がか」

呂蒙の眼に映るは、此と言った印象を与えない少女だ。

平均的、という言葉が正に相応しい。少しだけ日に焼けた肌、穏やかそうな眼差し、育ちの良さは感じるが、軍隊の中で生き残っていける程の覇気を感じる事は出来ない。

「次の戦、お前は余り俺の傍を離れるなよ」

「……はい」

頷いたは、少し恥ずかしそうにはにかんだ。

は、本当に普通な少女だった。

戦果が今一つだった黄巾の乱を経て、は戦場における武の重要性を痛感し、鍛錬に打ち込む様になった。そういう努力家な所も、育ちの良さを感じさせる。は、努力をする事で学問を修めてきたのだろう。

実に普通の少女だ、と思った呂蒙だが、其の直向きさは好ましい物であった為、自然目を掛ける様になった。

呂蒙に目を掛けられた事により、は殊更鍛錬に打ち込む様になった。

は、一つの事に集中すると其れしか見えなくなる性質の様で、戦場でも敵に突っ込んでいって大怪我をする事も珍しくない。

一つ呂蒙の予想と違っていたのは、は戟の扱いが中々巧く、段々と武に走る様になった事だ。

学問の師を持っていたという前情報とは異なり、は戦略らしい戦略を見せる事もなく、兎に角武働きでのみ戦果を見せる様になった。

確かにの戦果は素晴らしく、彼女は最早普通の兵卒ではなかった。什長として呂蒙の軍旗を支えている。しかし、呂蒙はの武働きに不自然な物を感じていた。

「お前は師について学問を修めていたと聞いているが、もう今は好まぬのか」

呂蒙の突然の言葉に、は困った様な表情を見せた。

「孫呉は武を貴ぶ気風、其れに間違いはないが、戦略の才を蔑ろにする訳ではない」

に近付いた呂蒙の指が、腕の傷に触れる。の腕には無数の切り傷が残っている。其れは名誉の傷ではあるが、呂蒙の目には酷く痛々しく映る。

「お前は策を考える事が出来るだけの学問を学んできた筈だ。其れを活かさぬ事を俺は赦せぬ」

の眼差しが揺れる。

呂蒙は、刹那この少女に愛情を感じた。彼女は、普通の儘では呂蒙の役に立たないので、勇敢に武働きをして見せているのだ。其のいじましい程の直向きさに気が付かぬ呂蒙ではない。

、策は良いぞ」

は、不思議そうに呂蒙を見上げた。

呂蒙は愛しげにを見詰め返した。そうする事で、の頬が薔薇色に染まるのは、思う以上に呂蒙の心に甘い気持ちを生じさせた。

「策が成れば、配下を失わずに済む。どうだ、素晴らしかろう」

情の深い眼差しを湛えた呂蒙の微笑みに、は思わず泣きそうになる。

「……策を弄するをお嫌いになりませぬか?」

「お前は俺の可愛い部下だ」

呂蒙は笑いながらの両手を掴み、蟀谷に触れるか触れないかの口吻をした。

「……呂将軍は、部下に此の様な事、為さるのですか?」

震える声と、必死に平静を保とうとする姿に、呂蒙は甘い気持ちが体中に充満していく様な錯覚を覚える。

「此はすまん。一つ訂正させてくれ。お前は、俺の可愛い人でもある」

は何も言わず、ただ呂蒙を見詰めた。そうして、呂蒙が掴んでいた指に口吻すると、何かに耐える様に眉を顰めて僅かに震えた。

貴方の為なら死んでも良い。本当に、そう思ったの。

でも、同時に死にたくないとも思った。貴方の傍に、少しでも長く居たいって、思ってしまった。

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2010.01.30 viax

BGM : 天野月子 [ 聲 ]