【雪昏】
「……あ」
「どうした? 」
「雪です、孫堅様」
は未だ火照りの残る肢体を毛布に包み、寝台から起き上がって窓の外を覗いた。
うっすらと積もり始めた雪が、枯れ木を白く彩っている。
「随分積もりそうですよ。早くお帰りになりませんと」
そう言っては振り向いたが、孫堅は先程までを掻き抱いていた腕を伸ばして剥き出しの肩を抱き寄せ、後ろから抱き締めた。驚くの耳元から鎖骨へと強く痕をつけながら口付けていく。
「駄目です、孫堅様……」
「この雪では帰れまい。今夜はここに泊めてくれ」
「嘘ばかり……まだ充分に間に合いますでしょ……んんっ」
応と答えないの唇を塞ぎ、毛布に隠された胸を弄る。巧みな愛撫にが艶を帯びた小さな悲鳴とあげると、孫堅は嬉しそうに囁いた。
「それとも、はこの俺に凍え死ねと?」
「そんな事は言っておりません」
意地悪な物言いに頬を膨らませるだが、それさえも孫堅の手の内のような気がしてくる。
孫堅はの頬に口髭を摺り寄せた。
「ともかく今日は城には戻らぬ。もう従者は馬ごと帰してしまった」
その言葉には瞳を見開いた。
「追い出すか?」
「……私が断れない事など、お見通しでしょう」
「そうだな。しかしお前も俺を見通しておるだろう?」
脇腹を擦り、膝を抱え、孫堅はの熱い吐息を掻き出すように耳朶を噛んだ。
「を抱き足りぬ。今夜は泣いて許しを請うても止めぬぞ」
***
その山には鬼が棲んでいて、時折里に下りてきては人の魂を喰らうのだという。
領地の視察の際にそんな噂を聞いて、孫堅は興味本位で山に入った。
果たしてそこにいたのは、ひとりの娘。無愛想で人嫌いの養父に拾われて、山で育ったというだけの、普通の娘だった。
いや、確かに孫堅はその鬼に出会った。
鬼の娘――に、魂を奪われたのだから。
幾度となく孫堅はを訪ね、ふたりは言葉を交わした。山や空の理に精通したの話は孫堅の探究心を大いに満足させ、既に養父は亡く山の庵でひとり暮らすにとっては、話し相手がいる事だけでも嬉しかったが、戦や政治の話も、見知らぬ世界を覗くようで楽しい。
互いが、溶け合うように相手を求めている、そんな不思議な絆を感じた。
男と女の関係になるのも、自然な流れだった。
しかし、
「都には参りません。私はここの暮らしが気に入っているのです」
妃にと請う孫堅の誘いには応じない。
孫堅の愛情を受け取る事は出来たが、大勢の中で人と関わるには、は現世から離れすぎていた。
愛妾と蔑まれ、共に夜を明かす事もなく夕暮れ刻だけの逢瀬であっても、国主の妻として堅苦しく生きるよりは良いのかも知れない、と、孫堅もそれ以上強くは言わなかった。
***
多分、孫堅は雪が降る事を判っていたのだろう。
とて、気付かぬ訳はない。本当に帰り道の心配をするのなら、昼過ぎに孫堅が訊ねてきた時に追い返すべきだったのだ。城で暮らす妃や子ども達を大事にする孫堅の姿は、が自ら望んだものなのだから。
しかし、言い訳を作ってまで夜を過ごそうという愛しい人を、が拒める筈もない。
「あ、はあっ、孫堅、様……」
普段なら孫堅を送り出し、心地よい疲れに眠りにつく頃合に、再び孫堅の愛撫を受けている……。それだけで、どれほど、罪悪感という名の喜びに支配されているか。きっと孫堅は知らないだろう。
「……可愛いぞ……」
先程引き寄せられたままの体勢で、後ろから両の胸を包むように撫でてくる。行き場をなくし中空を彷徨うの腕が揺れるさまを、孫堅は魚のようだと囁いた。
「もっと泳いでみろ」
「あああっ!」
胸の頂を摘み、殊更に激しく揉まれた。痛いくらいの刺激にの全身が悦楽を感じている。
孫堅の手に力が篭められる度に、体の奥から蜜が沁み出してくるのが解る。
「ん……っ」
息を漏らし体を震わせると、何度も身体を重ねた孫堅はその理由を悟り、の下腹部を撫でた。
そこから柔らかな動きでの両脚の隙間を探り、湿った皮膚に指を這わせる。
「ひああん、……っ」
は一際高い悲鳴を上げ、次に両手を口に当て、声を押し殺した。
「孫堅様、駄目……」
「どうした?」
大きく首を逸らせて快楽に耐えるに、孫堅は動きを止めた。浮かぶ涙を唇で拭い、の言葉を待っている。その心配そうな表情を見上げ、は荒い呼吸の合い間に途切れ途切れに答えた。
「声が……声が響く……聞かれちゃう」
しんしんと降る雪の中、先程からの声だけが聞こえている。そもそも孫堅の従者さえいなければ庵の付近に人がいる事もないのだが、普段は風の音や動物の声がふたりの逢瀬を彩っているのだ。それらが総て夜の闇と白銀の使者に吸い込まれ、この世の終わりかと思うほどに静まっている。
針の落ちる音すら遠く呉の都にまで届くのではないか……。そんな見当違いな不安を抱くほどに。
「誰に聞こえるものか。の声も、ここの音も、総て俺だけのものだ」
孫堅はそう言いながらの最奥を責めていた指を浅いところまで引き抜き、大きく音を立てた。
「いや、いやあああっ」
「嫌か?」
「意地悪……はっ、はん」
痺れるような快感。孫堅が触れる部分だけではなく、内臓までもが孫堅の手技に翻弄され、のめりこんでいく感覚。
容赦なく激しい愛撫に、は悲鳴混じりの嬌声を上げた。
いつもならこれほど主導権を握られることはない。しかし今夜は、雪の上を滑る風だけを頼りにするとは違い、孫堅にはまだ余裕があった。最早には、孫堅を翻弄する力は残っていない。
それでも、深いところからやってくる快感は抑えられない。
感じたい。
もっと。
「孫堅様、来て……」
は孫堅を求めた。
「そう急くな……だが、お前の望みとあらば……」
孫堅はの腕を導いて窓枠に這わせ、寝台から腰を浮かせた。
「綺麗だぞ、」
背中に口付けを落としながらの奥から指を引き抜き、昂ぶりを押し当てた。既に今日一度交わったそれは、遠慮なくを侵食する。
「んああああっ」
圧迫感が強い快感をもたらす。何度受け入れても初めてのように自分を押し広げてくる孫堅の勢いに、は自分が彼に抱かれる充足感に深く浸った。
***
深く。
という混沌に、ゆっくりと呑み込まれていく快感に、孫堅は息を漏らした。
「あ……ん、ああぁ……孫堅様……はあっ、あっ、あっ」
窓枠に置かせた手に自分の手を重ね、ゆっくりと腰を動かし始めると、色めいたの声が盃から溢れる美酒の如く零れる。それを彼女の内に留めておく事も自分の内に収める事も出来ないのが勿体無い程の、美しい響きだ。
の指がふるふると緊張している。絶頂へと向かう女の体は手元への集中力など容易に失ってしまうのだろう、やがてずるりと指先の力が抜けて、の上半身は寝台に沈んだ。
「は、はあ、はあ、ううっ……」
片手はの腰に添え、もう片手は惜しげもなく孫堅に捧げられた丸みを撫で、その奥で孫堅と繋がっている部分の少し上、堅い突起に触れた。
「ふあああぁぁんっ」
びくりとは跳ねる。
指先に絡んだ蜜を絡ませながら更にそこを責めると、は寝台に額を押し当て、
「ああっ! いやあっ!」
先程は恥ずかしがっていたというのに、叫ぶほどの嬌声をあげる。
今、どれほど艶めかしい表情をしているのか、見ることが出来ないのが惜しい。いつもは……直前の情交ですら、少し焦らすような、冷静ささえ感じる表情で孫堅に抱かれるが、今は孫堅の思うまま乱れてくれる。男としてこれほど喜ばしい事はない。
もっと貪りたい。
もっと傲慢に。
孫堅は腰の動きを速め、柔らかい内壁に何度も己を突き入れる。
「あ、いや、ああ、あ、もう、いきそう、孫堅、さま、はあっ」
喘ぎ声の合間に懇願を絞り出すに、しかし孫堅は敢えて速度を落とし、を追い詰める。緩んだ運動に縋るように腰を振るが堪らなく愛しい。尚も緩やかに責めると不安に感じたのか、が頭を上げ振り向いた瞬間、孫堅はまた激しく動き出した。
「いやあっ、ああ! やめ……っ」
「許しを請うても止めぬと言っただろう?」
「ああああっ! は、んうっ!」
緩急を繰り返すと、は達する間合いを掴めずに、快楽という名の責め苦に悶絶する。
「ああっ、はあ、はあ、だ……め……」
「。良いぞ、心地良いぞ」
孫堅もの体が繰り返し与える刺激にそろそろ限界に来た。ずん、と最奥に突き挿し、小刻みに腰を震わせると、は絶頂を迎えた。
「や、はああああああああっ」
「……っ!」
きつく搾るの秘壷に、孫堅は猛る情熱を放った。
収縮していく己を、孫堅はから抜き去らずに、自分の送り込んだものとの体から溢れてくる汐が纏わりつく感覚を愉しんだ。
子が欲しかった。
孫堅と、の血を分けた子が。
もそれは望んでいる。
『そうしたら、ここも賑やかになるでしょう?』
はやんわりと笑ってそう言うが、孫堅としては、子ができれば、或いは子に学が必要だと説けば、が都に住んでくれるのでは……という打算があった。の身分と長子の年を考えれば家督争いに巻き込まれる心配もない。安心して実子として名乗らせられるものを。
「」
荒い息遣いで波間を漂う愛しい女を呼ぶ。
「」
腰を擦り、背を撫で、脇を支え抱き起こす。
「」
「……はい」
漸く返事があり、孫堅の手にの手が重ねられた。
「辛いか?」
「いいえ。気持ちよかったです。でも、少し疲れました」
やっと表情を見せてくれる。熱に染まる頬が彩るの顔ははにかんだ微笑みを見せる。
「意地悪な方が私をお抱きになりましたから」
「仕方がないだろう? を前にすると、私は餓えた獣になる」
項に、耳に、頬に口付け、乾いた唇を舐める。もそれに応え、滑り込ませた舌を絡めとって、濃厚な接吻を交わす。
「」
「都には参りません。何度仰られても同じです」
が孫堅の唇から言葉を察知して、先回りする。
「……駄目か」
「孫堅様」
「何だ?」
「私が、都を捨ててこの庵でふたりで暮らして欲しいと申し上げたらどうなさるのですか?」
この言葉に、孫堅は息を呑んだ。
……できない。
長子孫策は武勇に優れ、人望も厚い。次子孫権は目立ちこそしないが堅実な性格で、兄を盛り立てるのに向いているだろう。今孫堅が家督を譲っても、孫家は、呉は安泰だ。しかし、戦乱に明け暮れ、不安定な内情を抱えるこの国を、息子たちに押し付けることは出来ない。この国を、子ども達を、妻達を、そしてやいずれ生まれてきてくれるかもしれないの子を不自由なく暮らせるように国を作るのは、孫堅の課題だ。
「孫堅様が都を離れられないように、私もここを離れられないのです……。こうして一時繋がる事が出来ても、同じものにはなれないのです」
淡々と語るを、凛々しくすら感じる。孫堅が繰り返し都へと誘うのは彼の我侭であって、応と答えないは彼を愛していないからそう答えるのではなく、孫堅もまたへの愛とは別にの申し出に応じる事は出来ない……そんな簡単な事に気付かないほど、孫堅はへの愛に焦っていたのだ。
「そうか……そうだな。済まない。と離れているのが不安なばかりに、無理を言った」
「不安なのは私のほうです。私には孫堅様しかいないけれど、孫堅様は私など忘れてもお困りにならないでしょう」
例えばもしも明日戦が起きれば、孫堅は都を護り、国を護る為に戦いに赴くだろう。その時が孫堅を求める事は出来ないのだ。
山の庵の逢瀬は、平時だから許される事。
一度一度が、これきりになるかもしれない不安と闘いながら。
今という時間だけの、愛。
ならば、許される限り。
「……今一度抱いても良いか?」
「……嫌だと泣いても、止めないのでしょう?」
は眉間に皺を寄せながらくすりと微笑んだ。の秘処に留め置かれたままだった孫堅の写し身は、既に三度目の欲を求めて破裂せんばかりなのだから。
「」
「孫堅様」
「……愛している」
孫堅はゆるゆると腰を使い、の背中に強く口付けながら、愛する女の総てに触れ始めた。
***
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅぎゅ、ぎゅ……。
雪の上を不規則に踏み締める音が聞こえてきた。
従者が雪支度をした馬を引いてこちらへ向かってきている。恐らく孫堅が帰らなかった事で、誰ぞに叱られたであろう。謝ってやらねば。
孫堅は身を起こし、気だるそうに眠るの髪に触れた。明け方まで孫堅の愛を受け続け、乱れ、疲れ果てたのだろう、目を覚ます気配はない。
「」
耳元に唇を寄せ愛しいその名を呼ぶが、やはり反応はない。
最後は眠ろうとするを一方的に抱いたようなものだ。
いつも傍に置いておきたい。
いつでも抱きたい。
に諭されたばかりだというのに、孫堅の心をどうしようもない飢餓感が埋め尽くす。
「。帰るからな」
終わる事のない渇望を耐え、孫堅は眠るに告げた。
「また来る」
その閉じた瞼に甘い口付けを残して。
<完>
「雪昏」の副次著作権は、クラヤミリボンの弐峨よもぎ様に帰属致します。該当作品の一切の無断転載を禁止致します。
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憧れの弐峨よもぎ様から頂いた孫堅夢。弐峨様もパパも大好きです!(笑)
良く「飽きるまで……」と言いますが、飽きる事が無いからこそ(しかし飽きる事が怖いからこそ)真摯な恋は辛さやもどかしさを包括しているのだと思います。
少し切なくて、でもとても甘い大人の恋を感じました。弐峨様本当に素敵な夢を有り難う御座います。
2004.02.01 viax