【日日夜夜】

 目が覚めた時、外はすっかり午後の空気を漂わせていた。

「え……!?」

 は慌てて飛び起きた。

 空が朝の眩しさとは違う、穏やかな青になっている。

 遠くで街のざわめきや馬のいななく声が聞こえたと思いきや、ざざっと風の音がそれを掻き消す。部屋に吹き込んた空気が、渦を巻いて壁飾りの飾り糸を躍らせる。

 ぽかんと外を眺め、次に見慣れない天井と壁を見渡し、漸く思考がはっきりしてくる。

「遼様……?」

 眠る時、隣にいてくれた人の名を呼ぶ。

 返事はない。しかし程なく幼い子どもが顔を覗かせ、すぐに消えたかと思うと侍女が駆けて来た。

様、お目覚めでございますか?」

「え、ええ」

「湯浴みも食事も支度が整っております故、いつでもお申し付け下さい」

 侍女は用件を伝えると、傍にまとわりついている幼な子を連れてすぐに退出した。残されたは今暫くぼんやりし、それからのろのろと起き上がった。

 窓辺に歩み寄る。背の低い木が植えられた中庭は山の頂から森を見下ろしている気分にさせられる。その向こうには宴会などをする為の広間があるらしい。

 何人かの者達が忙しく立ち働いている。

(私も、何かしないといけないよね……)

 は一番の新参者だ。昨日、この家の人間になったばかりなのだから。

 寝すぎで堅くなった体を引き摺って部屋を出ると、すぐさま侍女が飛んで来てあれやこれや世話を申し出る。

「お着替えでしたらすぐに運ばせますが」

「あの、自分で出来ますから。それに、何か私の仕事……」

「いいえ、そういうわけには参りません。様はこの家の奥方様なのですから」

 奥方様。

 そう言われて、は自分の頬が赤くなるのを感じた。

 昨夜、華燭の宴が開かれ、自分は張遼の妻になった。

 しかしまだ、形だけだ。宴会を終え、張遼に導かれ夜更けというより夜明け前にこの家の門をくぐったは、しかし初夜を迎えるべき寝所に着く前に眠ってしまったのだ。まどろんでいたを張遼が抱き上げてくれたまでは覚えているのだが、その腕の中のあまりの心地良さにうっとりしてしまったのがいけない。

「文遠様もじきにお戻りになられます」

「遼様……お出掛けなんですね」

 挙句見送りもできなかった自分に腹を立ててはいまいか、呆れてはいまいか。不安になる。

 この家を去れといわれたら、何処に行こう。

 後ろ向きな想像ばかりが脳裏を横切る。

「とにかく、身支度をなさいませ。様がお綺麗でいらっしゃれば文遠様も喜ばれます」

「あ……はい」

 寝乱れた髪に触れ、は素直に侍女に従った。

 湯を浴び、髪を結い直した頃に、外が賑やかになる。今度こそと意気込んで迎えに出ると、張遼は同行の男と話し込んでいた。

 話し掛けて良いものか迷い立ち竦んでいると、

「……難しいだろう?」

「それならば弓の射程を……おや、殿ではないか」

 に気付き声を掛けたのは隻眼の勇将、夏侯惇であった。

 その言葉に、張遼もに視線を向ける。

「ごきげんよう、夏侯惇様。お帰りなさいませ、遼様」

「うむ」

 張遼はすいっとに近付き、一瞬動きを止めたかと思うと、おもむろにを抱き締めた。

「戻った」

 きつく。

 家人や夏侯惇の目の前で。

 張遼の思わぬ行動に全身が火照る思いで固まるの背後で、家人達が鴨の親子でも見るような微笑ましい笑いを零し、視線の先では夏侯惇が実に面白そうにぷっと吹き出した。

「やせ我慢も限界か。殿、今夜は大変だぞ」

「え……あのっ」

 夏侯惇の揶揄が解らない筈もなく益々赤くなる。

 張遼の抱擁が緩み、今度は肩を抱いた。

「何とでも仰って結構ですよ。本日は有難うございました」

「はいはい、張文遠殿は下賜の品の運搬を手伝った者を持て成す暇もないと。まあ、俺も野暮な真似をする暇はないのでね、失礼するが」

「かたじけない。お気遣い痛み入ります」

 丁寧に礼を述べ、荷物を降ろした馬に乗る夏侯惇を見送る。

 遠ざかる夏侯惇の姿が消えた頃、漸く張遼はがっしりとの肩を掴んでいた手を離した。

「よく眠れたか」

「は、はい、それはもう」

 つい先刻まで寝ていましたとも言えず俯くと、張遼は心配そうにの顔を覗く。

「大丈夫か? 出迎えなど無理にせずとも……」

 優しい気遣いに、は首を振る。

「いいえっ、だって私、お見送りもしなかったのに」

「そのような事は」

「遼様がお出掛けになるのに暢気に眠っていたなんて、恥ずかしいです。せめてお迎えでもしないと、その、遼様の体面にも関わりますし」

 わたわたと言葉を並べるを、じっと張遼は見つめていたが、やがてくすくすと笑い出した。

「遼……様?」

 楽しそうに、髪を撫でる。

「おかしな人だ、。貴女は私が見送りだの出迎えだのをさせる為に妻にしたとでも言うのか?」

「い、いいえ、でも、あの、妻としての務めは」

 更にしどろもどろになるの顔を持ち上げ、唇を塞がんばかりに顔を寄せる。

 少し涙目になってしまった自分が恥ずかしくて懸命に視線を逸らそうとしたが、できなかった。

 そもそも、どうして愛する人の視線から逃げるなどできよう。

「私の傍にいる事」

「え?」

「私を待ってくれる、私だけを思っている、それだけで良い。この家にいつも貴女がいるだけで、私には至高だ」

 周囲の家人など目に入らぬ様子で張遼は囁く。

「傍に、いてくれるのだろう? これからはずっと」

「……はい」

 頷く。

 しかし。

「だが、私を二年と一晩も待たせた罪は深いぞ」

 突如、張遼はを抱き上げた。

「え? あの、遼様」

「食事は後だ」

 張遼は家人に告げると、人一人を抱えているとは思えない軽快な足取りで家に入った。

 一直線に寝所に辿り着くと、をその腕に捉えたまま寝台に座った。

「……はい」

「今すぐ貴女を抱きたい」

 外はまだ夕暮れ寸前である。

「あの、やはり、昨夜の事を怒っていらっしゃるのですか」

 泣きそうな気持ちを抑えてが尋ねると、張遼は困ったように笑う。

「貴女は勘違いをしている。ただを欲するだけならば、眠る貴女を奪う事もできた」

「……遼様」

「ただ一方的に愛する事は容易い。私は、与え合い、感じあう愛が欲しいのだ。この二年、を抱く日を思い過ごしてきたのだ」

 二年。はこの国を離れ荊州に渡っていた。蜀と呉の間の確執は総てこの地で語られるといって良いほど、荊州は重要な都市であった。

 間諜は幾人も送り込まれたが、民草として暮らし民草の生の声を聞く者を曹操は望み、曹一族の遠縁であったが抜擢された。

 当時、張遼とは婚約したばかりだった。間諜が曹操を裏切って蜀や呉に降らぬようにそういった状況下の者を選ぶのは自然な事であったが、その為にふたりの婚儀は引き伸ばされたのだ。

 荊州に戦火が及びそうになりつつある最近に漸く呼び戻されるまで、ただ一度も会う事も出来ぬままに。

「私、も……」

 心が張り裂けそうなほどの寂しさに、ずっと耐えてきた。

 帰還の命を受け、夜通し馬を走らせた。

 だから、報われて良い筈だ。

「遼様に抱き締められる日を、どれだけ待ち侘びたか」

「本当に?」

「ええ」

 でなければ、再会した日の夜に祝宴をと言われ、悩む間もなく是と答える筈がないと、

「それは良かった。独り善がりではないかと心配していたのだ」

 張遼は気付いていないのだろうか、安堵したように微笑み、に口付けた。瞳を閉じはそれに応える。

 長い、長い接吻。

 唇の温かさが同じになるほどに重ね、互いを確かめるように舌を絡ませる。

 張遼の手はの顎を支えていたが、やがて待ちきれないとでもいうように首筋に降りていく。

「ん……」

 緊張し張遼の動きを止めようと差し出したの手を、張遼は掴んで自分の襟足に誘導する。は素直に従い、両手を張遼の首に掛けた。

「んんっ」

 指先がの細いうなじを探る。くすぐったいような感覚に首を竦ませると、張遼はくすり、と意地悪く笑う。

 唇をのそれから離し、こめかみから首筋へ口付けを落としてくる。はふるふるとかぶりを振って拒もうとするが、自分の腕が張遼から離れないのもまた事実だ。

「我侭な方だ」

「いや、そんなに……苛めないで下さ……い」

「苛めているのは貴女だ。そんなに怖がられてはこちらも踏み出すのに相当の勇気が要る」

 そう耳元で囁きながらも、張遼は次々との弱い場所に触れてくる。

 髪を梳き背中を撫でる指が絶え間なくを慈しむ。やんわりと鎖骨を擦った顎が止まると、張遼の手はの襟を開き、ゆっくりと体を横たえた。

「……あ」

 ちょうど夕陽が寝台に差込み、の視界を奪った。沈む炎を背にした張遼が大きく息を吐き、そっとにのしかかった。

「遼様」

 苦しさは感じない。この重みこそが、自分の求めていたもの。

 は張遼の髪に触れた。

「私……」

 嬉しい。

 そう言いたかった。

 しかし張遼の唇が胸の頂に触れた途端、の声は言葉という形を維持できなくなった。

「あ、ああっ!」

 水に落ちた瞬間のような、安寧のない境界線の向こう側に引き込まれる。

「はあっ……や」

「嫌か?」

 張遼はの胸から少しだけ顔を浮かせ上目遣いに尋ねる。「嫌ではないだろう?」とその深い双眸が口を利いた。は何も答えなかったが、それが了承の意である事は伝わった。張遼は今度は薄紅色の突起を深々と口に含み、舌を使ってきた。

「ん……んう……ふあっ」

 溺れそうな感覚に必死にもがくが、張遼の引き締まった筋肉が易々とそれを制する。

「不安か?」

「……はい、少し。遼様が、遠い気がして」

 再び問い掛けた張遼にそう答えると、張遼は頭の位置をに揃え、口付けを与えてくる。

「愛している」

 それからの耳元に口付け、耳朶を噛む。大きな手がの二の腕を擦り、上体全体を抱えるように掴む。

 総ての動作が、を不安にさせ、同時に安心させる。

「正直に言えば」

 張遼はに語りかけながら、腕を掴んでいた手をの胸に移動させる。

が他の男のものになっていたらと、不安で仕方なかった」

「私……が、遼様以外の……人を好き、になるなんて」

 柔らかい愛撫に途切れながらは答える。

 自分は、張遼が誰を娶っていようと構わないと思っていた。独占したい欲望はあるが、愛妾でも傍女でもいい、彼に求められるなら……と。

 しかし女である自分は二人の夫に仕えるわけにはいかない。例えの本意でなくとも強いられる場合もあるし、間諜という立場上女である事を武器にする場合もあるだろう。事実、武将に誘われた事も、危険を感じたこともあった。

 それを、張遼が案じてくれたというだけで、には至高の喜びだ。

「私の、心も、体も、いつでも貴方だけのものだから」

「それは、何とも魅惑的だ」

 張遼はうっとりとした表情でを見詰めた。それに答えるように笑みを返すと、は自分の体を滑っていく張遼を見送った。

 再び突端を吸う張遼の唇を受け容れる。ややあって、唇にその座を譲った張遼の手が、の腰帯を解き、下腹に差し入れられた。

「ん……っ」

 そこから秘された谷間への動きは迅速だった。がそれを理解するより早く、張遼の指先はの中心に差し入れられた。

「いやあ!!」

 思わず小さな叫びが上がる。しかし張遼は強張るの幽室に深く指を押し込んだ。

「遼様……痛……い」

「少しだけ耐えてくれ」

 いつの間にか張遼の頭はの胸を離れ首筋を啄ばんでいた。もう一方の手は腰を擦り、の緊張を和らげようとしている。

「愛している」

「遼……様」

「大丈夫だ、、私に委ねて……」

 の奥に入り込んだ指は動かず、唇が首に、耳に、への愛撫を繰り返す。

「や……はああっ」

……」

 鎖骨から唇へ口付けを受けながら、の意識はただそこに存在しているだけの張遼の指と、それを締め付けている自身へと向いていく。いままで殆ど意識したことのない器官が、ゆっくりと蠢き、張遼を受け入れる準備を始めるのが解る。

「いい子だ、

 全身から汗が吹き出る感触に身震いをし、同じように発汗している張遼の体が押し付けられる。あやされるように囁かれ、何度も名を呼ばれ、胸や背中を撫でられていく内に、軋むほどに乾いていた幽室がじっとりと潤んできた事に気付かされる。

「……あ……」

「そうだ、、それでいい」

 張遼はそう囁くと、唇を下降させた。埋もれた指の根元との皮膚の間に舌を這わせ、指と同時に動かし始める。

「ひ、あああっ!」

 全身が心臓になったかのようにの血は脈打ち、痺れるような感覚が脳天まで突き上げてくる。

 目をきつく閉じ、荒波のように押し寄せる未知の感情に耐えようとするに、張遼の責めは緩急をつけながら続く。

「遼……さ、ま、ああ、もう、お赦し下……さい」

「それは困ったな」

 張遼は漸く舌の動きを止めた。

「まだこれからだぞ」

 そう言うと、舐めあげるように下腹部へ唇をずらし、秘処へは指を増やしてきた。

「あ、はっ、やあっ」

 押し広げられる圧迫感がを襲う。

 しかし、時間をかけて丁寧に扱われ、徐々に恍惚が訪れてきた。

「遼様ぁ……」

。もっと啼いてくれ」

「いや……」

「もっと」

「いや……遼、様……」

「やあああっ!」

 細い絹糸の上で拮抗しあうような対峙に、は堪えきれず悲鳴を上げる。逃げ出したい衝動に駆られる身体を、しかし張遼の片腕ががっしりと掴んだ。

「私はここにいる」

 穏やかに、囁いた。

「いつでも、の傍にいる」

「遼様……」

「だから、何も恐れる事はない」

 そうして張遼はまたに口付ける。の眦に浮かぶ涙を拭い、唇を奪い、耳元で囁く。

「はい」

「大丈夫か?」

「はい」

 は張遼を見上げた。優しい瞳で自分を見つめる張遼の姿。これ以上望むものはないと思っていたのに、今は、もっと触れられたいと願っている。

「遼様、……、……さい」

「いいのか? 私は貪欲だぞ」

 言葉にならない声のの覚悟を削ぐように張遼は笑うが、すぐにその笑顔が曇る。

「私を嫌うか?」

 そんな筈はない。は懸命にかぶりを振る。

 例え求める以上のものが与えられても、それはの心を満たすだけだ。

 張遼は満足の笑みを見せ、の腰に両手を宛がった。

 ゆっくりと押し広げられ、中が満たされていく。寸分の隙間もなく埋め尽くされ、息が詰まりそうなほどの質量が伝わってくる。

 痛いというよりも、激しい。丁寧な愛撫はの入口を充分に和らげ蜜を導いたが、その奥底は例えようのない圧迫感に支配されている。

 だが、その圧迫感が指先や爪先まで行き渡っていくと、次第に充足感へと変わっていく。

 私の中に、居る。

 これで私はこの人のものだ。もう誰も私を汚す事は出来ない。

 それから、何も解らなくなった。

「ん……っ、は、はあ」

「動かすぞ……」

 長い時間、張遼はの中でじっと止まっていたが、の息遣いが落ち着いてきたところで慎重に腰を揺らし始めた。

 始めは小刻みに。そしてだんだんと強く。

「ああっ、はあ、あ、あん、んっ」

 は喘ぐ事しか出来なかった。

「……か?」

「ふぁ、ああっ、はあっ」

「……る……」

 張遼が何かを話し掛けてきたが、言葉の中身を受け止める事は出来ない。

 目を閉じていれば張遼の動きを把握し従うこともできようが、は目を見開いて張遼を見据えた。

 張遼もまたを見詰めていたが、やがて眉を顰め、辛そうな、それでいて心地良さそうな表情になる。

 見たことのない表情。

 きっと自分も今、見せた事のない表情をしている。

「は、あ、りょ……さ……ああああ!!」

 それを感じた時、意識は段々と遠ざかっていった。

 繋いだ手の温もりに意識を取り戻す。

「……」

 また、昼なのかと思った。時間の感覚はなくなっている。

 張遼がそっと髪を撫でてくれる。

「私、眠っちゃったんですね」

「僅かな間だ」

「まだ……夜ですか?」

「ああ。昨日ならばまだ徐晃殿の演武を見物していた頃だな」

 それならばまだ夜更けとも呼べない時間だ。

 あれからまだ一日しか経っていないのか。もう随分前のことのような気がする。

「……っ」

 は起き上がろうとしたが、腰に重い痛みが走って思うように動けない。

「無理をさせたな。いいから横になっていなさい」

「でも」

「何だ?」

「……あの、お腹が空きました」

 真っ赤になりながら告白するに、張遼は思わず口の端を歪ませた。

「体裁が悪い事も隠さずに打ち明けてくれるのだな……本当に、を妻にして良かった。食事の支度をさせて来よう、ここで待っていなさい」

 そう言うが、張遼の手はの手を握ったままだ。

「未だ、離れがたいが」

「ここに、います」

 は反対の手を繋がれた二人の手に添え、張遼の手を包むようにした。

「いつも、遼様のお傍に」

「ああ」

 張遼がの手に口付け、名残惜しそうに離す。

 未だ更けない夜の中、何か可笑しくなってくすりと笑いあった。

<完>

「日日夜夜」の副次著作権は、クラヤミリボンの弐峨よもぎ様に帰属致します。該当作品の一切の無断転載を禁止致します。

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またも憧れの弐峨よもぎ様から夢小説を頂いてきてしまいました。

五萬打記念の配布夢3つの内1番楽しみにしていた張遼夢は、やはり期待を裏切らずとても素敵でした。優しい張遼は良いですね。私は「あまあま」が結局大好きなようです(笑)。

弐峨様本当に素敵な夢を有り難う御座いました。

2004.05.31 viax