眼で追う自分を誤魔化して。
想ってなどいないと嘯いて。
必要以上に近づけない事実。
その腕を掴みたいのに、拒絶されたら怖い。
冷たい眼差しで見られたら、きっともう立ち直れない。
隻眼
ある乱で、高官だった親を亡くした娘 ― 。
曹操の元に届けられた彼女は、敵である曹操軍に決して懐かなかった。その余りに攻撃的な態度に、皆音を上げざるを得ない。
幾つかの武将の元を盥回しにされ、やっと落ち着いたのが夏侯惇の屋敷だった。
猛将の誉れ高い夏侯惇も女性は不得手と見えを壊れ物の様に扱い、 居丈高の軍人とは違う夏侯惇にも刃向かうのを止めた様だった。
夏侯惇とて、眉目秀麗・文武両道と音に聞こえし美女に興味が無いとは言えず、確かに恋焦がれる想いを一目見た時からその胸に秘めていたが、色恋には奥手故言い出せぬ侭、小娘の様に想うだけの日々だった。
「乙女か……お前は」
突然の声に振り返ってみれば、曹操が呆れた顔をしていた。
「いやっ! 別に! 俺は!」
「何を動揺しておる。全く……いい年をした軍人が、一回り以上歳の離れた娘相手に翻弄されよって」
「いや、だから、俺は別にっ……!」
夏侯惇は、猛将の名が号泣するほど真っ赤な顔で激しく動揺していた。
「お前の元に預けられているという事は、お前の物と言っても過言でないのだぞ。それが……」
曹操は見る影も無い夏侯惇の姿に、二の句が告げない様子だ。
「そんな……! ただ……俺が好きなだけで……」
夏侯惇は言葉尻を濁す。その様子は、戦場での夏侯惇からは想像する事が出来ない情けない姿だ。
「ふん……はっきり言えばよかろう、娶りたいと」
曹操の言葉に夏侯惇は噎せ返る。
「お前の影として戦に出るのでは無く、妻として影に日向に支えて欲しいと言えば良かろう?」
「そんな恥ずかしい事言えるかっ!」
は女性にしては長身で、武芸にも優れていたので、戦でしばしば夏侯惇の影となって戦っていた。
夏侯惇は其れが心配で堪らず、戦場から帰ってくるを見る度涙が出そうだった。
自分の影となり、傷付く。その傷付いた姿が美しく儚く痛々しい。
「夏侯将軍!」
戦場から帰ってくると女官が慌てて駆け寄ってきた。
「ん? 帰ったぞ」
「大変で御座います! 様が!」
「が? が如何したのだ?!」
夏侯惇は戦疲れも忘れ、女官が指し示したの部屋へと急いだ。
「っ!」
飛び込んだ先には、自分の様に右眼に眼帯をしたがいた。
「……?」
夏侯惇は突然の事に呆然とする。
「様が夏侯惇様の影として戦われている所を、敵兵が眼を射ったのでございます」
傍にいた護衛兵が説明する。
「あなた様の影らしいでは御座いませんか。」
は薄く笑いを浮かべた。
「良い訳なかろう! の美しい顔に傷が付いたのだぞ!」
夏侯惇は余りの出来事に思わず叫ぶ。思いもよらぬ程強い口調に、も少し驚いた様だった。
「眼は……どうしたのだ?!」
「喰らいましたよ」
は当然の様に言った。
「喰らった? 食したのか?」
夏侯惇は唖然とした侭聞き返す。
「彼方様の影ですから」
平然と言い返す。
「……!」
夏侯惇が駆け寄り、を殴るのではないかと周囲は一瞬焦ったが、の細過ぎる身体を抱き締めたので女官達は慌てて眼を反らす。
「もう傷付くような事は止めてくれ……俺の傍にいつも居て欲しいとは言わぬ、せめて少しだけ心を開いてくれ……」
夏侯惇が縋り付いて懇願する。
その姿に、周りの女官も訴える様な眼差しでを見詰めた。
「……彼方様がそう望まれるのならば」
の口から出たのは、何時も通りの素っ気無い台詞。
しかし、その顔は縋りつく夏侯惇に困惑したのか、心無し色付いていた。
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ご多分に漏れずヘタレ夏侯惇。
何か甘くなるまで時間が掛かりそうな2人ですが、よろしくお願い致します。