小さな手が愛しくて堪らない。

ともすれば娘とも思える様な年齢の少女に翻弄される。

少女の手は、無意識的に夏侯惇の指を弄ぶ。

裁きを待つ罪人様な焦りと、獲物を刈る瞬間の高揚を同時に感じる。

脈打つ心音を煩く感じるにも拘わらず、其れさえも聞こえなくなる様な緊張感。

手中

結局、夏侯惇は三叶簫を巧く奏でる事は出来なかった。曹操の真似でそれらしく吹いてみたが、異文化の所為か笛の音域まで違い、間抜けな音がしただけだった。

は笑ったが、馬鹿にした様な笑いではなく、愛しい者を見詰める微笑みだった。

夏侯惇は、若干赤面しながら三叶簫をに返した。

「すまんな、俺はそういう洒落事には疎くてな……」

曹操の様に女を口説ければ話は簡単なのだろうが、生粋の無骨者である夏侯惇にはそんな事は出来そうもなかった。寧ろ、に微笑みかけるその眼差しの優しさを曹操に見られたならば、祝宴の席の肴になる事は間違いなかった。

「ううん、一生懸命だから良い」

は優しくそう言うと、三叶簫を腰にぶら下げ直した。阿昌族でも三叶簫は本来男が下げておく物だと言うから、は少し変わっているのかも知れないと夏侯惇は思った。

しかし、今はそんな事よりの事が気になった。惚れた女に三叶簫を吹くのならば、吹かれた女はどうするのだろう。

「元譲は、私を連れて帰りたいの?」

の言葉に夏侯惇は唾液を飲み込みながら頷いた。其れは、連れて帰りたいと言うよりは攫ってでもこの手に入れたいという激しい感情だったが、其れはあえて口にしなかった。

「……うん、良いよ」

屈託無い言葉に夏侯惇は戸惑った。はそんな夏侯惇を気にする様子もなく、その大きな手に頬を寄せて幸せそうに微笑んだ。

「許昌に行くのだぞ」

夏侯惇は、其の可愛らしさに眼を細めて些か惚けた様な表情をしたが、直ぐ問題に気が付いた。の父親と夏侯惇の年齢はそう大差ないだろう、ならばそんな年の離れた男に大切な一人娘を嫁がせる様な酔狂な父親が居るだろうか。まして夏侯惇は阿昌族の男ではなく漢民族の男である。異民族の年の離れた隻眼の男に、しかも姦雄と名高い男の従兄弟に、娘を継がせる様な真似は極普通の人間ならば嫌がるだろう。それでも未だ金に困っているのならば頷かせる方法は有る。しかし、の父親は世に名高い戸撒刀の名鍛冶である。金に目が眩むような事は無いだろうと思った。

だからと言ってを諦めるような気持ちにはなれなかった。それどころか、長年に渡り平素抑圧してきた激情が噴出しそうだった。

「許昌でも何処でも良いよ。私、元譲は優しい人だと思うから」

その言葉に夏侯惇は思わずを抱き込んだ。此が運命と言うのならば、其れは魂の共鳴とも言えた。この少女を娶る為に自分は今まで独り身だったのだとさえ思えた。

声にはならない夏侯惇の感情が、それでも確かにには伝わっていた。あやす様に、小さな手が夏侯惇の髪を優しく撫でていた。

の父親は夏侯惇の話を静かに聞いていたが、快とも不快とも感情を表さなかった。の父親だけあって顔立ちの整った人物だったが、感情の起伏は乏しく表情は変わらなかった。逆に母親は凄ぶる美人という事はなかったが、静かに微笑む姿がに似ていた。似合いの夫婦と言うのだろうと、夏侯惇は思った。

父親は何も言わず鍛冶場へ行くと、絢爛に宝石の埋め込まれ銀細工も細かい戸撒刀をに、非常に細かい銀細工のみの如何にも切れ味の良さそうな戸撒刀を夏侯惇に渡した。

「婿殿、私は娘を苦労させぬ事は出来るが、真の幸せを与えてやる事も出来ぬ」

父親の声は低いが聞き取りやすく、その視線は夏侯惇から少しも逸らされる事はなかった。

「娘は僅か話しただけで婿殿を夫に相応しい人物と思った……私が反対する道理が何処にある……連れて行かれるが良い」

父親はの頭を無言で撫で、母親に目配せをした。母親は心得ていた様で、の黒い帽子を静かに脱がし、紺色の頭巾で丁寧に覆った。

「婿殿、私達は会いに行く事も儘なりませぬが、どうか後生ですから娘を大切にしてやって下さいませ」

母親は、夏侯惇にも紺色の頭巾を巻き微笑んだが、頭巾を巻く手が震えていたのは緊張の所為ではないだろう。

「……相解った。確かに御息女を妻として娶らせて頂く」

夏侯惇は二人に深々と頭下げた。横でも頭を下げており、其の姿が嬉しかった。

夏侯惇は眼帯を外すと、何事か書き綴り父親に渡した。

「もし、許昌にいらっしゃる事が有れば此をお持ち下さい。無礼を働く藻が有れば遠慮無く」

漢民族にとって異民族は畏怖か侮蔑の対象でしかない。しかし、夏侯惇の眼帯を見て無礼を働くような度胸の有る者はそうは居ない。

「……確かに受け取った。婿殿……夏侯折衝校尉もお元気で」

夏侯惇はその言葉に刹那息を呑んだ。父親の口振りから夏侯惇が何者かは良く解っている様だった。時勢を見るに長けた人物だと感じた。

「義父上様も義母上様もお元気で」

夏侯惇はもう一度深々と頭を下げた。もう二度と会えないかも知れないと知って、其れでも娘を嫁がせる親の気持ちは夏侯惇には計り知れなかった。ただ擦り切れる程頭を下げる事しかできなかった。

は、そんな夏侯惇と両親を見て泣いていた。何処まで解っているのかは解らないが、別れが辛いのだろう。

お前は俺が守ってやろう。其の小さな躯が悲しみや苦しみで押し潰されてしまわない様に。例え其れが男の思い込みでしかないとしても、守りたいと思う気持ちに偽りはない。

俺の事は、お前が守ってくれるのだろう――愛とはそう言う物ではないだろうかと、柄にもなく考えていた。

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若干史実ベース。曹操の年齢から考えて、夏侯惇は3つ年下と妄想(笑)。191年に34だった事に。

今後は留守を預ける夏侯惇の青臭い葛藤とか書いていきたいです。後3話くらいの予定。相変わらず糖分控えめでゴメンナサイ。

2004.05.30 viax

BGM : PIERROT [PRIVATE ENEMY] Mr.children [シフクノオト]