右を見れば首を傾げ、左を向けば眼を見開く。

の許昌での生活は、正に其の様な物であった。

夏侯惇は、其の愛らしさに眼を細めては悦に入っていた。

曹操のからかいも聞こえぬ程、彼女への愛情が募っていた。

夏侯惇の大きな手は、いつもの小さな手を掴んで離さなかった。

懇願

曹操は夏侯惇の婚姻を大いに喜んだが、の幼さは矢張り酒の肴になった。しかし、余りに仲睦まじい為、曹操さえ呆れ果てて直ぐにからかわなくなった。

夏侯惇はをとても愛しており手離す気など無かったが、故郷から遠く離れた地に連れて来た事には多少の後ろめたさを感じていたので、其れと愛情が相まみあって最早猫可愛がりなど通り越して溺愛していた。

も最初は慣れぬ土地に不安や驚きを隠せなかったが、若さ故か早々に馴染んでいった。夏侯惇は安堵する一方、頼られる事の少なさを残念に思った。

「どうだ、暮らしにはもうすっかり慣れたか」

政務から帰った夏侯惇は。に微笑みながら平服へと着替えた。

「うん、もう大分慣れたよ。皆良くしてくれるよ」

着替え終えた夏侯惇の背に抱きつきながら、が笑った。夏侯惇は素直に甘えてくるが好きだった。

「そういえばな、もうすぐ出陣せねばならなくなる。寂しいだろうが、留守居は任せるぞ」

夏侯惇としてみれば、其れは極当たり前の発言だった。しかし、は急に嫌そうな顔をした。

「また戦に行くの……元譲」

驚いて夏侯惇がの顔を見ると、今にも泣きそうだ。

「私の……阿昌の人達は、戦なんてしないよ……元譲は、元譲の仕える人は、如何して直ぐ戦をするの?」

夏侯惇は思わず言葉を詰まらせた。腐敗した漢王朝、宦官の横行、それらを廃し、曹操の望む様に治世を取り戻し、天下を曹操の手中に収める事こそが夏侯惇の望みである。戦を望んでいるわけではないが、時代が夏侯惇や曹操を戦へと誘うのだ。この群雄割拠の時代に、戦無く天下を手に入れることは最早不可能なのだ、。

しかし、幼いにとって戦とは人の死を招くものでしかない。毛嫌いするのも無理は無い。

、俺も孟徳も戦がしたい訳ではない。仕方ないのだ……解ってほしい」

は夏侯惇にしがみ付くと、頭を振って泣き出した。

……俺はお前が好きだ……好きで堪らぬ。しかし、俺は曹孟徳という男も好きなのだ……あの男なら、この乱世を終わらせる事が出来ると信じている。俺達が戦う事で乱世の終焉が見えてくると、信じているのだ」

「でも、だからって……元譲が死ぬのは嫌だよう……私、乱世は元譲が終わらせるって信じてるよ……でも、元譲が死ぬのは嫌なんだよう……! 私、我儘って解ってる。でも、平和と元譲を選ぶ事なんて出来ないよう!」

は遂に大泣きを始めた。

夏侯惇はの心情を知って驚いたが、同時に顔がにやけるのを自覚した。夏侯惇がを愛する様に、も夏侯惇を想ってくれているのだと思うと、不謹慎と解っていても思わず微笑が零れた。

「何だ、そんな事を思っていたのか」

夏侯惇はを抱上げると臥床に腰掛け、優しく頭を撫でた。

は、その優しい手に安心し、しゃくり上げるのを止めて夏侯惇に寄り掛かった。には、こんなに優しい手を持ち、こんなに優しい夏侯惇が戦場で恐れられているという事が不思議だった。の知っている夏侯惇は、確かに隻眼であるという迫力はあったが、其れ以外は極めて温厚な男で怒鳴り声は愚か苛立った声さえ聞いた事も無かった。武将として幾ら強いのだと聞いても、まるでの知らぬ男の話を聞くようだった。くらいの年頃に、師を侮辱した男を殺して暫く各地を放浪していたという話も聞いたが、どこにそんな激情があるのか首を傾げるしかない。

「俺は、死なぬ。愛しい女を残して、死んだりせぬ……解るな?」

夏侯惇の手がの頬に添えられた。見上げると、優しい顔で笑っている。は目を閉じて頷いた。本音を言えば、それでも戦に行く夏侯惇を送り出す事に抵抗は有った。しかし、夏侯惇の中に確かな信念がある以上其れをが邪魔する事は出来ない。

「待ってる……出来るだけ早く帰ってきてね……」

夏侯惇は頷くと、の額に口付けた。は擽ったそうに笑うと、夏侯惇の方を剥いて座りなおし、もう一度接吻した。

あなたが心配で仕方ない。あなたは私の半身の様だ。

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久しぶりの更新。ヒロインの口調が少し幼過ぎるかも。「あなたは私の半身」というのは、聖書と饗宴に影響を受けています。

書いていて重大なミスに気が付きました。此れは191年の設定なのですが、夏侯惇が隻眼になるのは194年なのです……どうしよう……?

2004.10.27 viax

BGM : no doubt [RETURN OF SATURN]