華は遠くから愛でて楽しむもの。
手折って其の美しさを独り占めしても、何時かは色褪せてしまうもの。
しかし、あの人は華の様に美しいが、華ではない。
凛とした華
政務室のは、椅子に寄り掛かって午睡にまどろんでいた。少し首を傾がせて眠る様は、とても無防備だ。張遼は、何時もの様に遠慮がちに其の唇に触れた。長い睫毛が僅かに動く。
「様……」
愛していると咽喉まで出掛かって、張遼は寂しそうな顔をした。告げられない思いは、無いも同然なのだ。どんなに心で想っていても其れだけでは伝わるはずも無い。
は夏侯惇付きの文官で、その明晰な頭脳は夏侯惇は言うに及ばず曹操も気に入っている。もう一年もしない内に、結婚の話も出るだろう。曹操の事だから、申し分の無い相手を用意するだろう――もしかすると司馬懿辺りかもしれない。
「……あなたはお美しく育った」
魏に降った時は未だ幼かった。あれから数年を経て、は美しく成長し、何時からか張遼の心を捉えて止まない。この時間に午睡していると知ってからは、こうやってそっと会いに来る事だけが唯一の関りで、もう随分話していない。
「女々しい話だ……」
張遼の指がの手から離れ、代わりに唇が触れた。僅かに触れるだけの接吻で、張遼は自分が泣いている事に気が付いた。そんなに愛しているなら手折ってでも奪えば良いのに、そんな勇気も無い。拒絶される事が恐ろしくて、一歩たりとも前に進む事が出来ないのだ。身分も年齢も嘆くほどの障壁ではない。曹操も婚姻を許さない事は無い様に思えた。其れでも張遼はの心が見えなくて、踏み出す事が出来ない。
涙を拭い深い溜息を吐くと、張遼はから離れ政務室を後にしようとした。
「何方が女々しいので御座いますか」
突然の声に驚いて振り向くと、が頬を染めて、しかしまっすぐと張遼を見詰めていた。
「何時もこの時間に来られて、私に僅かばかり触れて、それで私の心を解ったおつもりなのですか。女々しいと一人ごちて勝手に私に接吻して、それで全てを諦めてしまわれたのですか……私を愛してくださっていると思ったのは、私の独り善がりで御座いますか」
全てを見透かされた様な発言に、張遼は顔から火が出そうになる。
「……私の気持ちは聞いて下さらないのですか」
「……私は戦うしか能の無い人間。様には似合いますまい」
「……私をお嫌いですか」
「いえ……お慕いしております」
張遼は覚悟を決めたようにを見た。
一体何時からは自分の気持ちを知っていたのだろう。何時から目覚めて自分を見ていたのだろう。何故一度も拒まなかったのだろう。期待と不安が入り混じる。
「私は、随分前から文遠様が私の政務室に訪れて下さるのを知っていました。私は子供ですが、そろそろ拾六。婚姻のお話を頂く度、文遠様を思い出して袖を濡らしておりました……」
張遼が傍へ近付くと、も立ち上がって傍へと歩いてきた。
「お慕いしております……」
は、張遼に抱きしめられて苦しかった。しかし、そっと肩に触れて、張遼に触れているのだと思うと苦しい事が嬉しかった。やっと気が付いてくれたのだ。ずっとこの腕に抱きしめられたかった。
張遼を見上げると、僅かに茶色がかった瞳が優しそうにを見詰めていた。は嬉しそうに微笑み、近付いてくる唇を受け入れた。周りの音が聞こえなくなった気がした。
少しずつ近付いて、今やっと交わる感情は、其れこそが美しく芽吹き咲いた華の様だ。
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第十一回目更新「前企画の「張遼夢」の続き」。泣く子も黙る遼来々が泣いて良いのだろうか。
2004.09.20 [14:45]