郭嘉は若く怜悧で主に恵まれており、品行方正とは言えないが人間的な魅力もある人物だった。

彼は色事に興味が薄く、曹操の忠臣は主に似ず皆そうだったので周りは婚期は遅いと諦めていたが、ある日突然妻を娶ったので丞相府ではちょっとした話題になった。

夜半に帰宅した郭嘉は、家の者から妻の機嫌が悪い事を聞き、思わず笑みをこぼした。

郭嘉の妻であるは、女好きの曹操を持ってしても手に余るとして引き合わされた程なので、その我儘振りは中々の物なのだが、郭嘉は彼女の素直な気質を愛していた。郭嘉の観察力は評判高く、彼もまた自信を持っていたが、と言う人間は曹操とは違う意味で底が読めず、しかし裏表など卑しい所は少しもない。は、ある意味で全くと言って良い程世俗にまみれていなかった。

「これは、これは、我が姫君は御機嫌が宜しくないと見える」

背を向けて出迎えの言葉もないに、郭嘉は愛しそうに抱きしめながら髪を撫でた。

「……陳長文殿が、また朝廷に奉孝様の事を起訴されたとか」

「ん……その様だな。どうもあの方は堅物で困る」

郭嘉は笑いながらを抱きかかえると、臥床の上に腰掛けた。は飄々とした郭嘉の様子が気に入らない様で、視線を合わせようとはしない。

「何だ……何方かに何か言われたのか?」

に甘い郭嘉は、心配そうに頬に手を当てる。郭嘉も色白の方だが、は輪を掛けて白く、郭嘉の手が随分陽に焼けて見えた。

「今日、荀文若様がいらっしゃて、奉孝様の妻は恐妻で、だから奉孝さまは鬱憤が溜まって品行が宜しくないのだと丞相府で噂だと聞きました。私は、恐妻ではありません。なのに奉孝様が私が恐妻だと否定為されないので噂がどんどん広まっているとか!」

「ああ……それか」

郭嘉は思ったより深刻な事態でない事に安心すると、むくれているを愛しそうに見詰めた。

は実際恐妻などでは無かった。曹操も手を焼く程の我儘ではあるが、裕福な家庭に育ち希有な程美しいとくれば、甘やかされていない方が不思議である。我儘では有ったが、は郭嘉が惚れるだけ有って聡い少女だった。許される我儘と許されない我儘は弁えていたし、孫子兵法なども紐解く彼女は郭嘉の良き話し相手でもあった。他の者が眉を顰める様な策も、は決して否定せず、郭嘉は彼女に話す事によって策を客観的に見直す事が出来た。

恐妻の噂を否定しなかったのは、尾ひれの付いた噂を幾ら否定しても徒労に過ぎないからである。しかし荀ケには黙っていてくれる様頼むべきだったと思った。面白半分で荀ケは話したのだろうが、は自分が貶される事も勿論だが、郭嘉が貶される事は極端に嫌った。

「気にする事はない。ただの噂だ。我が姫らしくもない」

郭嘉の文官らしい細い指が、大切そうにの輪郭を撫でた。

「しかし……我が姫君は、恐妻ではなく天女であると明日皆に言っておきましょう」

郭嘉は穏やかな微笑みを浮かべると、の耳に口を寄せた。

「余りに我が姫が美しいので、つい儒を軽んじてのめり込んでしまう……」

穢れ無き乙女、あなたこそ、もう一つの存在理由。

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郭嘉は、曹操を我が君、奥さんを我が姫って読んでると素敵(笑)。

2005.03.18 viax (元ファイル紛失により加筆修正)