恋など知らなかった私に、恋愛感情という厄介なモノを植え付けた愛しい人よ。
彼方は、私の此の焦がれ狂う様な激情を知らない。
私は、彼方が恋しくて恋しくて恋しくて…此の想いの納め方を知らず苦しんでいるのに。
恋草子
司馬懿は、司馬家に出入りする着物問屋の主人・覇の末娘・に片恋をしていた。
偶然納品の手伝いに付いてきたを見初め、以来満足に生活が送れぬ程恋い焦がれている。
寝ても覚めて思い浮かぶのは、司馬懿にゆっくりと微笑んだの顔。
最早司馬懿は魔性に魅入られたも同然であり、家族は忍びきれぬ司馬懿の初恋に呆れていた。
しかし幾ら司馬懿が焦がれても、覇は嫁入り前の末娘が特に可愛いらしく以後伴って訪れる事はなかった。
会いたいと想いが募る。
一目で構わないから、その姿を今一度この眼に。
居ても経っても居られなくなった司馬懿は、屋敷を抜け街へと馬を走らせた。
覇の店は大店だ。名前は解っているのだから、後は人に聞けば良い。
大通りに面した覇の店へ行くと、が店先で打ち水をしていた。
耳に付けた大きな耳飾りが夕日を浴びて光を放つ。
眩しげに屈折した七色の光を頬に受ける彼女に、再び恋に落ちた。
あの美しい顔に見惚れて過ごしたい。
司馬懿は、に駆け寄ると腕を掴んだ。
「えっ?」
驚いて振り返ったは、司馬懿の姿を認めると安心した様に微笑んだ。
「仲達様、父にご用で御座いますか?」
あの時と変わらぬ、ゆっくりと微笑む顔を見詰める。
「いや…彼方に用事がある。」
「まぁ…何で御座いましょう?」
揺れる耳飾りが、司馬懿の顔にも反射した。
眩しい。
「いや…偶然見かけたのでご挨拶をしようと思っただけだ。」
「それは…お気遣い有り難う存じます。」
はゆっくりと頭を下げた。
それだけの動作なのに、とても優雅に思う。
武家の乙女の様に勇ましくなく、文官の娘の様になよなよしくもない。の仕草は、全てが司馬懿を虜にさせるものだった。
「うむ…また会おう。では。」
司馬懿は、踵を返すと帰り路に付いた。
折角出会ったのに、何も言えない。あの腕を掴んだのに、抱き寄せる事も出来ない。
唯、あのゆっくり微笑む仕草に見惚れるだけ。
殿、揺れる耳飾りの様に彼方は眩しい。私は唯眼を細めてその眩しさを憂う。
は、司馬懿の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見ていた。
顔色の悪い、だがとても美しい男。
あれが司馬懿とは…もっと気むずかしい男とばかり思っていた。
自分を見詰めるあの優しい眼差し、思わず見惚れた。
「司馬仲達様…」
少し掠れる声で思わず呼んだ。余りに愛しいから。
想いを知らぬは二人ばかり
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七月白羽様に捧げる10000踏記念夢。
百人一首五拾壱番目の歌、藤原実方朝臣の片恋を歌う句から。甘くないし、短いし…申し訳ない。
司馬懿夢の外伝的な感じという事でしたので、二人の出会いみたいなモノを書いてみました。
要はお互いに片思いしているじれったい二人なんですが(笑)。
七月様、散々お待たせしてしまいましたが、よろしければ貰ってやって下さいませ。
2004.02.01 viax