初めて結ばれた夜、何時眠りについたのか全く解らなかった。
眩しい太陽に眉を顰めて起きあがると、被さった腕の重さが心地くて思わず笑みが零れた。
見上げた太陽が黄色くて、私は此が大人になるという事など思った。太陽に背いて、夜に秘密を増殖させる。
目覚めたらしい周泰の腕が私の躯に絡み付き、其の心地よい拘束感に私はもう一度目を瞑った。永遠にこの腕の中に捕らわれていたいと、切望した。
周泰は、解っているのかいないのか、ただ至上の微笑みで私を見詰めていた。
夜の下に真夜中の太陽
周泰はを愛しく思っている。それは、もう何時から根付いた感情なのか解らないが、彼がもし孫権に背く事があるとすれば、其れはの為以外に考える事は出来ない。は、周泰にとって唯一の弱点などという生易しい存在では最早無かった。は、周泰の心臓と同じ存在だった。其の存在にもしもの事が有れば、周泰の心臓の鼓動も止まる。其の愛情はともすれば非常に重苦しいものであり、窒息しそうな重圧を感じる類のものでさえあった。周泰という男は、そういう愛し方しか出来ぬ男だった。付かず離れずの適度な、しかし生温い恋愛には彼は全く不向きだった。彼は、己の魂をとして愛せる人とでなければ恋愛出来るとは思えず、故に長い間恋人不在の儘だったのだが、遂に恋に落ちたのだ。
それが、だった。
初めて会ったのは、が六歳になる前だった。は零れ落ちそうな程眼の大きくて、誰もが振り返る事が当たり前な程可愛らしかった。配下武将は身分は高くなかったが、非常に整った顔立ちだったので其れに似たのだろう。
周泰は珍しく眼を細めて幼いに笑いかけた。其れは普通の人から見れば極かすかな微笑みだったが、はきちんと気が付き満面の笑みで応えた。思えばあの時恋に落ちたのかもしれない。
が十歳になった時配下武将が死に、既に母親も他界していたので周泰が引き取った。それからは。もう唯々愛しいだけの日々だった。何処かの点心が美味いと言えば阿呆の様に毎日買い込んで飽きるまで食べさせた。藍色が好きだと言えば藍色の、紅色が好きだと言えば紅色の、着物や装飾品を此も阿呆の様に買った。は何時も恥ずかしそうに、でも嬉しそうにそれらを受け取った。恋人になる前も後も、周泰の態度もの態度も変わらない。出会った頃から二人は恋人同士と何一つ変わらなかった。その内、何時の間にかは独学で兵法を学び始め、周泰は孫子兵法や六韜を買い求める様になった。装飾品の類も相変わらず買ってはいたが、が余り欲しがらないので量は減った。
その代わり周泰自身を惜しみなく与えた。
大人びては居てもは未だ子供で、時に両親を恋しがって泣く事もある。そんな時周泰は登城時間を遅らせる旨を孫権の元に走らせ、が泣きやむまで何時までも抱きしめてその背を撫でていた。周泰は慰める役が自分である事を誇りに思いながら、に慕われているという理由だけで親にさえ軽い嫉妬を覚えた。
しかし、それはも同じである事を周泰は知っていた。
は周泰の為に常に尽くしてくれる、言わば賢婦であるが、もまた孫権に嫉妬を覚えずにはいられなかった。周泰は孫権に忠誠を誓い身を挺して日々守っている。はその事実に嫉妬する。自分が周泰にこれ以上ない程愛されている事は良く解っていたが、其れでもの幼い恋心は独占欲を持ってしまうのだ。其れは仕方のない事であり、だからこそ恋と呼べる。
周泰にとってはを中心に世界は廻っており、にとっては周泰を中心に世界が廻っている。
「幼平……起きている?」
腕枕をした儘眼を閉じている周泰の方へ顔を向けると、傷痕の有る瞼がゆっくりと持ち上がった。
周泰の左の瞼には、未だ赤黒さを残す刀傷がはっきりと頬まで続いている。の記憶の中の周泰には何時もこの傷が有るが、本当は出会った時には無かった筈だ。しかしは周泰のこの傷を見た時も何も思わず、故に何時の間にか記憶が食い違うまでに至ったのだ。初めて会った人が、この傷を恐れるらしい事を、この傷の所為で本来穏やかな顔の凄みが増しているらしい事を知っていたが、其れはには理解できない事だった。其れは、傷がある前も後も、周泰は常に穏やかで優しい人物である事に変わり無いからだ。
「……どうした」
を見詰める周泰の眼差しは、今も昔も限りなく優しく慈愛にも満ちている。は周泰に微笑み返しながら口を開いた。
「小喬様から聞いたけど、遙か西には太陽の沈まない国が有るんだって……」
「……見当も付かぬ話だ」
周泰は寝物語にしては些か突拍子のない話にやや戸惑いながらも、陽の沈まぬ国とやらに産まれなくて良かったと思った。そんな華やかな国に周泰は不似合いだと思っていた。周泰は、自分が表舞台に出るべき男でない事を良く自覚していた。それ故眩しいものに惹かれるのだが、同時に眩しいものに囲まれていると言い表す事の出来ない閉塞感を感じるのだ。主である孫権は一見華やかな人だが、孫堅や孫策の名声に押しつぶされぬ様湖面の下では藻掻いている人であり、そう意味では孫権は周泰と同じ眩しいものに焦がれる人種だったので、周泰は護衛兵長よろしく彼の傍にいる事は苦痛でなかった。
周泰にとって眩しい存在とは、唯一人で十分だった。
「その国の太陽は白いんだって……」
「……まるで月だな」
想像と異なるらしい太陽に安心感を覚えながら、周泰は再び目を瞑るとの髪を気持ちよさげに撫でた。
「まるで、幼平みたいでしょう?」
周泰は驚いて目を見開いた。自分の太陽であるが、自分を太陽であると言った事は、周泰にとって青天の霹靂だった。幾ら白くても太陽は太陽であり、周泰にとっては相見えない存在である。
「……俺は……太陽とは遠い男だ……」
寧ろ照らされる事によって生じる影の様な男だ、と思ったが其れはあえて口にしなかった。周泰にとっては達観であるが、は卑下と取ると思ったからだ。
「そんな事無い……幼平は私の生きている理由だから……幼平が居るからこそ私は私である事が出来て、だから幼平は私の全てで、私の太陽なの」
言い終えた刹那、の視界は周泰の黒髪だけだった。小さな躯を全て包み込まれて、は安心した様に目を瞑った。この腕の中こそが安息の場所だと再認識した。接吻が額と言わず髪と言わず降り注ぎ、幸せの余り眼を開ける事が出来ない。
「俺の太陽はだ……さえいれば、其れが俺の世界の全てだ……」
は恥ずかしそうに微笑むと、小さな手で周泰の頬に触れた。
「そっか……じゃあ私の太陽は幼平で月は私、幼平の太陽は私で月は幼平……私達何処にいても永遠に白夜なんだね……」
「はくや……?」
「うん、太陽が沈まないくて、月もずっと出てる日を白夜って言うんだって……」
は周泰の良く鍛えられた躯に寄り掛かり、窓から覗く黄色い月のぼやけた輪郭を見詰めた。月は孤高の美しさを称えていたが、独りであると言う事は、恐ろしい事だと思わずにはいられなかった。
私は月だけれど、孤独ではない。慈愛に満ちた青白い太陽と共にあるから。
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解り難い話。何時もと少し違う話が書きたかった。
古くは白夜(はくや)と言ったそうです。白夜は、正確には太陽が一日中沈まない事ではないみたいなのですが、其処はご愛敬という事で。題名も単純に night under the midnight sun (白夜)の直訳です。巧い訳が思いつかなくて無知を晒します。
2004.12.29 viax
BGM : Mr.children [Versus]