死なないで欲しいと無理難題を心の中で常に願っている。
戦場で死ぬのが武人の本懐で有るとするならば、女心とは何と男の邪魔をするものだろう。
戦神、そう呼ばれる男を愛するにも拘らず、私の心は男の唯無事を祈るのだ。
戦場で美しく散る事も、多くの敵将の首級を上げる事も、私には大した意味を持たない。
嬉しくないとは言わないが、其の喜びの全てに男の生が無くては意味が無い。



唯一ということ



殿も鼻が高いでしょう」
月英が我が事の様に嬉しそうに話しかけるが、は何の事を言われたのか解らず不思議そうに月英を見詰め返してしまう。
「ご存知無いのですか? 此度の戦での最も戦功を挙げたのは関将軍という話ですよ」
月英は僅かに羨ましさを込めて話す。彼女の夫である諸葛亮は首級を上げて手に入れる戦功とは縁が無い。軍師として戦の全てを仕切っているのだから、勝ち戦全てが彼の誉れであるとも言えるのだが、自らも武人である月英は矢張り夫の名が戦功者の中に上がらない事に一抹の寂しさがあるらしい。
「でも、敵兵に切られた傷が元で数日前まで高熱を出しておりました……」
は、土塀を均一に均す為に丹念に粘土を埋め込んでいた手を止めて月英を見た。月英はの言葉が理解できないらしく、先程のの様に不思議そうな顔をしている。
「黄婦人は戦でも常に御夫君の傍ですからお解かりにならぬでしょうが、私は遠く離れた地で雲長の帰りを待ち侘びております。唯無事であれば良いと、其れだけを祈っています……幾ら雲長が敵将の首級を上げても、私は素直に喜べません。きっと其の将の妻や子は泣いているでしょう……途方に暮れて無き濡れてやつれているでしょう……そう思うと遣り切れません」
「しかし、将とはそういうものなのです。一歩戦場に出れば情など無用の長物!」
月英は自分にも言い聞かせる様に、語気を強めてを見詰めた。
「解っております。黄婦人は武人、雲長も又武人。私は所詮絵師に過ぎませぬ。しかし、だからこそ唯ひたすら無事を祈っているのです。敵も味方も、本当は誰一人死んで欲しくないと、綺麗事を言うのです。黄婦人、私は雲長だけではない……皆の生存を、無傷を、祈らずには要られません」
そう言うとは険しかった表情を一転緩めて月英に微笑んだ。
「黄婦人はご無事で何よりです」
月英は言葉に詰まり、何も言えぬ儘頷くほか無かった。


昼過ぎ、は臥床に横たわって書簡を読んでいる関羽の傍で落ち込んでいた。
「……どうした?」
関羽はが落ち込んでいる理由を何となくは知っていたが、敢えて何も知らぬ素振りで居た。
「私……黄夫人に言わなくても良い事を申しました。武人が人を殺めるのは世の習い。だからこそ農民は勿論、私の様な道楽者も生きていけるので御座います。なのに、綺麗事で黄婦人を傷付けてしまいました。雲長の戦功の事を言われ苛々したのは確かです。でも、言うべきではなかった……」
は苛々していたと言ったが、本当は其れだけではなかった。と関羽の心は繋がっており、だからこそどんなに遠くはなれようとも同じ大地にいる限り常に傍にあり続ける事が出来ると思っている。しかし、それでも時に寂しくなる。月英は武人として常に諸葛亮と共に有る、其れが羨ましくて無意識に嫉妬したのだ。
「綺麗事……世の理と言うものは時に人を傷つける……其れが真実であれば有るほど、傷付く」
其処で関羽は一端言葉を区切ると、足元で俯いていたを傷付いていない腕で器用に抱え上げ、膝の上に座らせた。
「しかし、真実に眼を叛けては生きていけぬ。拙者達は武人であるが故に理から目を叛けてしまう事が多い……だから時にの様な人に触れ、真実の方向を見誤らぬようにしてもらいたいのだ」
は関羽の背に腕を回し、大きな背を幸せそうに抱きしめた。
「御無事で何よりでした……」
関羽は嬉しそうに頷き、抱きしめた腕を緩めなかった。


其の存在は互いに唯一無二なのだと、貴方だけが私に確認させる。








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真実無しでは生きていけぬ。真実だけでも生きてはいけぬ。

2004.10.07 viax
BGM : J.A.シーザー [バーチャルスター発生学]