幾つもの筆が整然と並ぶ横で、女は微妙な匙加減で染料を小皿に溶く。
其の繊細さを裏切り、筆遣いは大胆だ。
迷いのない筆運びが鱗を刻み、今にも此方を睨みそうな迫力を持った龍が完成に近付く。
描く横顔の真剣さに見惚れる。



誘惑



平素は穏やかで口数の少ない落ち着いた娘だが、絵に関しては極めて真剣で故に厳しい。染料の細かい分量や調合法はきちんと書き記してあるのだが、全く違う調合をする使用人には珍しく声を荒げた。
「出来ぬのなら、生返事で適当な調合などせず最初から出来ぬと申されよ!」
使用人は近隣の絵師の弟子が来ているので、皆年齢はと同じくらいか少し上である。怒鳴られた男は苦々しげにを睨んだが、関羽の姿を認めると会釈をして大人しく下がった。
「雲長様……」
はぎこちない微笑みを浮かべると茣蓙の上で染料を調合し直し始めた。
関羽は其の姿を黙ってみていたが、の心の機微が解るので思わず小さく笑った。
は、普段穏やかなのが嘘の様に絵に対して情熱的だ。先程の使用人が、の情熱に出はなく私の姿によって大人しくなったことを不快に思っている」
関羽の言葉には溜息をついて頷いた。
「私は多くの人間を手足の様に使って絵を描くには適さぬ人間です。思う様に描けねば腹立たしくなる……出資者さえ持つべきではない人間です……」
は指で染料を混ぜながら、溜息と共に呟きを漏らした。
「拙者は、それで良いと思うが?」
「……?」
「芸術とは、神の領域だ。神の領域に望む物は、常に真摯でなくてはならない。拙者は、は間違っていないと思う」
はその言葉に嬉しそうに頷いた。にとっては関羽さえ己を理解してくれていれば、何も戸惑うことはないのだ。


神の領域、絶対者が持つ物故強い憧れを感じ、もがきながらも手放す事が出来ない。
神の領域、其れと対峙する姿が余りに気高い故、人は思わず触れたくなる。







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言外に誘惑を語りたかった。
最後のお題なのに凄く短くて申し訳ないです。

2004.11.25 viax

BGM : T.M.Revolution [Seventh Heaven]