もう何年も、男の背ばかり見ていた気がする。
男は勇猛果敢な武人であったが、色恋沙汰に弱く何時も尻拭いをさせられた。
其の度、男はすまなそうな素振りを見せたが、決して懲りる事は無かった。
しかし男は何時の間にか一人の女に入れ込み、挙句義父を裏切り亡き者にした。
女は男を受け入れたが、其れは計略の為でもあり憐憫でもあったのだろう。
炎上
義父董卓を殺した呂布は、貂蝉と蜜月を送っていたが其れも長くは続かなかった。
下ヒ城にて魏軍の追撃を受けた呂軍は、最早風前の灯であった。本来ならば良策を授けるべき陳宮は、最早呂布に思う事は無いらしく死期を待つ有様だった。しかし、其れでも呂布は呂布であり其の武は今もって最強であった。
呂布は貂蝉の言葉通り篭城を決め込んでいたが、其れは死を待つも同然だった。
「呂将軍。」
抱き疲れた貂蝉を寝所に寝かせ、中庭で空を見上げていると話し掛けてくる者が居た ― 呂軍武将、。呂布は、この配下武将が不思議でたまらなかった。
一兵卒の頃から呂布に対して忠実なこの女は、何時の間にか呂軍唯一の女性武将になり、陰に日向に呂布を支えた。
常に呂布の傍にいる事から関係を邪推する者も多かったが、意外にも呂布はに恋心は愚か欲望さえ覚えた事は無かった。
は、呂布の眼から見ても決して女としての魅力に欠けてはいなかった。寧ろ剣穂などにも拘る洒落者のは、非常に女らしいと言えた。
しかし、呂布はに触れる事さえ無かった。
この顔立ちの整った配下武将は、その容姿を忘れたかのように気性の荒い戦い方をした。呂布は其れが何時も心配で仕方なかった。
呂軍の最前線で敵部隊を殲滅させ、度々敵方の返り血を浴びて真っ赤になって帰って来た。自分の怪我も解らぬ程血塗れになって帰ってきては、何度となく生死の境を彷徨った。
呂布は、その度にを見舞い自重する様言ったが聞き入れられる事は無かった。
― 何時かお前は死ぬぞ。
― 呂将軍の盾となり死ぬ事が出来れば本望で御座います。
― …少しは自重しろ。
― これは…将軍らしからぬ言葉ですね。
妙に儚い笑い方をする女だと、何時も思った。守ってやらなくてはいけない気がした。
しかし、はまるで戦死する事を望んでいる様な戦いを止めず、呂布も貂蝉の事が気がかりでを守るまでは手が回らなかった。
そうして終ぞ向き合う機会も無いまま時間が流れ、曹操と雌雄を決する時が刻一刻と近付いていた。
「……どうした。」
蒼白い月の光を浴びて微笑むを見て、初めて魅力的な美しさだと思った。
「呂将軍、御願いが御座います。」
真っ直ぐな眼差し、この眼が呂布の気に入りだった。万夫不当の豪傑と名高い呂布の前でも決してその眼は怯える事無く、常に忠実であり、常に高潔であった。
「……何だ。」
「水面に浮かびし御身を如何思われますか?」
魏軍によって止められた水流に残る、僅かばかりの水。その水面に映る呂布は、まるで時代の亡霊であった。
「呂将軍、私は将軍の盾となり刃となり御身を守る立場であり、今でも其の気持ちに変わりはありません。なれど今の将軍は余りに憐れ。この死に行く身を哀れと思ってくださるならば、如何か今一度凛々しきお姿を取り戻して下さいませ。」
の言葉は呂布の心を抉った。
「……どうか御願いで御座います。私や張将軍を哀れと思ってくださるならば、今一度人中の呂布にお戻り下さいませ。この身を賭すに相応しいお方であったと、そう思って死なせて下さいませ!」
の咽喉から血を吐く様な切実な懇願に、呂布は無言で頷いた。
「……部下全員に禁酒を命じよ。」
は嬉しそうに微笑んだ。その満面の笑みは、まるで蓮の花の様に大輪ではあるが儚かった。
「……」
慌てて下がろうとするに、呂布は静かに声をかけた。
「俺の為に死ぬ事、悔いてはいないのか。」
は眼を細めて微笑み、首を横に振った。
「私は呂将軍の駒。お役に立てれば本望で御座います。」
その儚くも高潔な姿を、呂布は貂蝉と重ねずには要られなかった。
女は何故ああも儚いのだろうか。貂蝉は董卓にその身を与える事によって連環の計を謀り、は呂布を守る為にあっさりとその身を棄てる。女である事を利用する貂蝉と、女である事さえも棄てる。しかし呂布からしてみれば、2人とも女としての幸せには程遠く其れがまた哀れを誘った。
― 今一度人中の呂布に……
その言葉に心を動かされた呂布は最期の戦支度を始めたが、部下は魏軍と戦う事に恐れをなして敗走した。
最早下ヒ城は、呂布・貂蝉・張遼・高順、そしてを残すばかりであった。
「呂将軍、敵の動きが奇怪で御座います。何か策が有るのでは…!」
曹操が腹心夏侯惇の軍勢を斬り捨てながら、が馬上の呂布に叫んだ。
「策が如何した。どうせ滅びるこの身なら、策に嵌まって見事死んでやるまでよ!」
は頼もしげにその姿を見詰めた。
その時、下ヒ城の門が一斉に閉まる音がした。貂蝉は門付近にいた為城外へ脱出した様だったが、中程に居た呂布とは間に合わなかった。城外の時の声を聞き、が呂布を守ろうと駆け寄ると同時に城に火が放たれた。
業火の中では呂布に覆い被さり、文字通り炎の盾となった。
「、どけっ!」
呂布はを退け様としたが、は頑として動かなかった。
「私は盾で御座います。将軍を守って死ぬのならば本望。」
の豊かな黒髪に火が付く頃、はやっと苦痛から解き放たれ瞼を閉じた。
同時に門が開き、夏侯惇が呂布の生死を確かめに来るのが見えた。呂布はの亡骸を抱き上げ、夏侯惇を睨み付けた。
「俺は今炎よりも熱く燃えている。この滾り、お前を殺して静めよう。」
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呂布夢は書きたかったのですが、貂蝉がいるので甘夢が書けそうも無く挑戦していませんでした。今回何時も書かない人でお題を達成しようと決めた時、絶対死夢になると思った1人が呂布でした。
非常に微妙な話を書いてしまいましたが、呂布はきっと何処かでヒロインが好きだったのだと思います。
最期の台詞は勿論「呂布逆襲戦」から。この話は正史・演技・無双入り乱れており、一部混乱を招いたかもしれませんが、個人的には達成感を感じております(笑)。
2004.01.03 viax