袁紹の誇る将は美丈夫。
拷問で目盲いても、変わらぬ美丈夫。
絹で目を覆い、研ぎ澄まされた感覚を頼りに竹弓を撓らせる。
赤茶に陽に焼けた髪を靡かせ、袁紹への行く手を阻む。
敗北を恐れぬ美しき将。
− 逃走 −
袁紹軍自慢の持ち駒は、智の人田豊、武の人顔良・文醜・張コウである。
しかし、公孫サン撃破後の袁紹軍本陣には、数十人の弩弓兵と大戟を持った兵百余人を残すのみであった。
「公孫殿は見事死んだ様だな」
美丈夫で知られる袁紹の微笑みは、些か傲慢ではあったが周りの者を黙らせる風格を持っていた。田豊も少しは安心した様で、満足そうに頷いた。
「は出番が無くて残念であろう」
袁紹は、気に入りの武将であるの手を掴んで傍へ寄せた。
「おかしな事を……将の出番なぞ無いのが一番で御座います。何れ将など此岸の者ではなくなりましょう」
物怖じしないの言葉に、田豊は袁紹を恐る恐る見たが、意外にも袁紹は笑っていた。
「お前はおかしな女だ。だが強く美しい女もたまには良い。才さえ有れば出自など二の次よ」
袁紹の言葉通り、の出自は良くなかった。奴隷の親を持ち、袁紹の父袁逢に使えていたが、其の賢さが眼を引き袁紹の下に引き取られた。賢いだけでなく、武将としての才もあるを袁紹は大層気に入っていた。
決して手を出すような事はしなかったが、乞われても嫁がせようとしなかった。
−私はお前が可愛い。手放す気など無い。傍で勤めを全うすれば良い。
袁紹は目を細めると、優しいとも恐ろしい共言える笑みでの腕を掴んだ。
−女の幸せは乞われた男に嫁ぐ事だ。だが、お前の幸せは私の傍にいる事だ。
傲慢な、だが反論など出来よう筈もない得も言われぬ美しさに、は諦めた様に頷いた。
惚れた弱み。
其処へ一本の矢が打ち込まれた。その場にいた全員が立ち竦んだ瞬間、二千の騎兵を引き連れた趙雲の奇襲に気が付いた。
本陣に降り注ぐ矢の雨の中、袁紹は青筋を浮かべ屈辱に耐えていた。
「袁本初殿! お命頂戴する!」
趙雲の声に袁紹が刀を抜こうとすると、漆塗りの上関板が事も無げに趙雲の槍を振り払い、末弭で心の臓を押した。思いも寄らぬ強い力に、趙雲は蹌踉めいた。
「私は袁紹軍武将。趙子龍殿、お相手願う」
趙雲の眼前には、漆塗りの弓を構えた全盲の女が居た。女は絹で眼を覆い、全ての光を遮っている様だった。
趙雲は戸惑った。先程、確かにの竹弓は自分の槍裁き事も無げに振り払った。しかし女、しかも全盲の女に趙雲は闘争心を削がれた。
「目盲いた女の相手など出来ぬか?」
その戸惑いを読んだかの様な、僅かに嘲りを含んだ声に趙雲は馬から下りると躊躇無く槍を構えた。
今眼前にたちはだかる者は、女ではなく将。目盲いなどと侮れば負ける。
「常山の趙子龍、お相手致す!」
はその声に満足そうに微笑み、振り返ると田豊と袁紹に逃げる様に言った。
「天命を全うしてこそ漢。此処で犬死にする必要はありません」
袁紹が何か言おうとした時、田豊が袁紹の腕を掴んで走り出した。
「犬死にですか?」
趙雲の声には口角を上げて笑った。
「そう、漢たる者、徒や疎かに死ぬ訳にはいかないでしょう」
−犬死には、一人で充分。
の放った弓が趙雲の頬を掠めた。
「それでも、お役に立ちたい」
本陣を逃げ出した袁紹と田豊は、しかし袁紹の激しい抵抗で戦場に居た。
「殿! どうかひとまず築地にお隠れ下さい!」
田豊の悲鳴も袁紹は一喝した。
「黙れ! 将たる者戦場で死なず何処で死ぬ! 陣中で死ぬるは本望よ!」
袁紹は刀を抜き、周りを囲む敵兵を睨んだ。
「名門袁家の長として、逃げも隠れもせん!」
此処で刀を抜いて戦わなければ、もう顔向けできないから。
数刻後に此の腕に抱くだろう−目盲いた女の亡骸に。
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踏み込んで、加速度で破滅へ向かうくらいなら、何も出来無いまで良いから傍に居て欲しい。其れが臆病な大人の恋心かと。
文章力の無さを補う為、巧い事行間を読んで頂きたい。申し訳ない。
袁紹は史実によると美丈夫なので、余り無双袁紹を思い出さない様にして書きました(笑)。でも性格は多分に無双ベースかと。場面も3猛将伝の袁紹伝辺りを。
2004.04.11 viax