中平四年、曹丕は曹操の側室卞婦人の長子として生まれた。建安二年に卞婦人は曹操の正室になり、曹丕は嫡男として周囲に扱われる様になるが、曹操は何時までたっても曹丕を正式な後継者に任じない為家臣の間で後継者問題が起こる。曹丕には同母弟が二人いるが、末弟曹植は曹丕を超える詩才に優れ曹操は其の才を高く評価していた。この為、曹植を持ち上げる家臣が何とか曹丕と対立させ様と画策を始めたのだ。
結局、建安弐拾弐年に太子に任ぜられるが、既に参拾壱才になっていた曹丕にとっては喜びよりも曹操に対する憎悪の方が勝っていた。
武器を持て
曹丕は比較的整った顔立ちをしていたが、其れは話さずとも解る程冷酷さを湛えていた。詩才に長け内政に優れたが、文帝の座に着くと特に色を好む様になった。彼には、甄皇后という当代一の美女が居たにも拘わらず次々若い女を後宮に入れ彼女を冷遇した。
そうして黄初弐年、新たに輿入れさせたのがだった。の父は曹丕の補佐役の文官に当たり、祝宴の際など女官が足りない時に手伝わせていたを曹丕が見初めたのだ。は未だ年若く、美麗と言うよりは可憐というのが当て嵌まる様な子供だった。しかし、曹丕がそんな事を気にする筈もなく、郭貴人など女の野望渦巻く後宮に入内する事となった。
若く後ろ盾を持たないは、後宮で非常に居心地の悪い思いをしていた。父親は高位の文官であるとはいえ、曹操時代に唯才によって出仕の叶った地方公吏の出であるから充てには出来なかった。 其れに父親は多くの人と同じ様に儒教思想が身に付いているから、子が親の為に孝行をする事は当然だと思うだろう。
郭貴人は、曹丕の寵愛を甄皇后から奪い上機嫌の所にが来た事を快く思わず、屡々辛く当たった。しかし、は気丈だったので、人知れず涙を流しながら我慢して生活を送っていた。家にいる頃より贅沢も叶うし身分も良くなった筈だが、此処の生活にはさっぱり馴染む事が出来なかった。曹丕はそれなりにの元を訪れたが、愛情深い様子は欠片も見せず、は其れが殊更応えてとうとう心痛に倒れてしまった。
の看病をしてくれたのは、意外にも甄皇后だった。甄皇后は私邸を与えられており、また後宮には来たくも無いだろうに、新しい貴嬪が倒れたと聞き見舞ってくれたのだ。甄皇后は、戦場に出て曹丕を支えるなど勇敢な面も有ったが、根は真面目で優しい穏やかな人物であり、話し相手といわずの傍で優しい時間を与えてくれた。甲斐有っては直ぐ元気になり、時たま甄皇后の邸を訪ねたり文の遣り取りをする様になった。
甄皇后は、賢婦であると同時に皇后としての素質も持ち合わせており、曹丕が彼女を冷遇する事は実に馬鹿げていた。彼女は、曹操に攫われる筈が曹丕に攫われ妻となった。だからこそ彼女は皇后になり得たのだが、曹操の下側室で居る方がずっと幸せであったのかもしれない。曹操も好色では有ったが、決して心を蔑ろにする様な男ではなかった。
心痛に倒れて以来、病人など疎ましく思ったのか曹丕がの元を訪れる事は無くなったが、そもそも気まぐれで娶られたと思っているので其処まで傷付く事は無く、書を読むなどして落ち着いた日々を送っていた。幸せかと聞かれれば迷う事もあるが、貧困に喘ぐ事もなく金銭の苦労も無いのだから、此を不幸と言えば神罰を食らうだろうと自戒していた。幸せかどうか迷う事が出来る自体、人よりずっと恵まれている事は解っていた。まして、曹丕は皇帝である。
後宮に入って十ヶ月にもなる頃、珍しく甄皇后からの書翰に弱音が綴られていた。――我が君は今年なってから一向に私の元に来られる事もなく、戦で共に戦場に立つ事もなくなった今、最早私は不要の者なのやもしれません。皇后の地位など誰にくれても良いのですが、もう我が君に必要とされていないと思うと、其れだけが唯悲しく……――は甄皇后の心情を察しながらも、この様な文章が人目に付くのは良くないと思い丁寧に仕舞い込んだ。其の所作を女官が見ている事は知っていたが、よもや郭貴人の息の掛かった人間が自分の様な寵愛の欠片も受けていない者の傍にいるとは、まさか思わず気にも止めなかった。
しかし、この書翰が元で甄皇后は自刃申しつけられ、底冷えする冬の日其の生涯に自ら幕を下ろした。僅か参拾九才、壱拾五才の曹叡を残しての死だった。曹叡は嘆き悲しんだが、曹叡の出自を疑い始めた曹丕は顔色一つ変えなかった。
顔色を変え無いどころか、曹丕は郭皇后の口車に乗って死者に鞭打つ真似までしたのだ。美しい髪はざんばらに、口には糠を詰め込まれて、甄皇后の亡骸は葬られた。曹叡の屈辱感が如何ばかりであったかは、とても推し量る事が出来ない。
の後悔もまた想像を絶し、其の深い悲しみには流石の郭貴人も生霊になるのではないかと恐れをなす程であった。は再び心痛に倒れ、しかし今度は甄皇后はいない。一切の食物を受け付けず、日に日に痩せ衰えていくだけだった。
流石に立て続けに二人も妻が死んでは疎ましいと思ったのか、曹丕が半年ぶりにの元を訪れたのは今年も終わろうかという頃だった。年若い娘にも関わらず、体中の骨が浮き、色白だった肌は土気色に様変わりしていた。
「……醜いな……何だ、その有様は」
病人に対す気遣いもなく、周りにいた女官は流石に顔色を変えたが、は微かに鼻で笑っただけだった。曹丕は、人の痛みを理解する気など全く無いのだ。
「あなた様の、お心の醜さには、何ものも叶いませぬ。私は、もうすぐ死ぬでしょう……しかし、あなたの醜い様子も、腐臭漂う後宮ともこれきりと思うと、寧ろ清々しゅう御座います……!」
病人とは思えぬはっきりとした口調でそれだけ言うと、思い切り曹丕を睨み付けた。だが其れで戦く様な曹丕ではない。
「ふん……甄の事を責めているつもりか? 私を呪い殺そうとする様な輩は妻でも何でもない」
「未だっ、そんな事を信じておられるとは、救えませぬ!」
は傍に有った花瓶を投げ付け、其の力はとても病人の者ではなかった。周囲はを叩き殺されるかもしれないと思ったが、歩み寄った曹丕は平手打ちしただけだった。
「死に行く身だ、其れで勘弁してやろう。、お前は何か勘違いしている。無防備に誰かを信用したりする事が愛ではないぞ。人の心は、常に武器を抱えているべきものなのだ。侵入者は容赦なく殺して良い……先日殺したのは甄であったが、明日は郭かもしれぬしお前かもしれぬ。それだけだ」
「甄皇后は、何方の心も傷付けられる様な方では有りません。甄皇后が、あなた様に何をしたと言うのですか?」
既に退出の用意をしていた曹丕は、蛇の様な眼差しでを見つめた。
「私に意見するからだ。私は、女に指図されるなど好まん。女は享楽の道具だ。アレは戦場にも立たせてやったせいか度を弁えなかった。だから死んだのだ」
は言葉を失ったが、曹丕は其の様子に満足したのか薄笑いを浮かべた。最早、の心は曹丕を憎いと思い始めていた。
曹丕とて、それなりに辛い幼少期を送った筈だ。曹沖を可愛がっていた曹操は、其の死に大変嘆き悲しみ曹丕に辛く当たったという。その後も曹操は曹丕では無く曹植を可愛がり、嫡男でありながら何時まで経っても太子に任ぜられないという屈辱を味わった。本来であれば、人の心の機微に一番鋭くて然るべきであるのに、曹丕は自分可愛さに他人の痛みがわからなくなっていた。或いは、自分に意見する物は皆曹操に見えるのかもしれない。理屈っぽい司馬懿が彼に疎まれず重用されるのは、ひな鳥の刷り込みの様に幼い時からの思い出のなせる技である。兎に角、曹丕の心は相当に歪んでしまっていた。
「……子桓様、もし、私が病から立ち直りましたら、どうなさいますか?」
「美しければ寵愛するだろうし、醜ければ後宮を下がらせるだろう。私を不快にさせなければ、な」
不快な思いをさせれば殺すといって居るも同然の言葉を残し、立ち去る曹丕の後ろ姿をは憎悪の炎を燃やしながら見詰めた。同じ死ぬのならば、曹丕に復讐してからにしようと、誰にも言わず誓った。
男が女を道具と思う事は珍しくもない。親でさえ娘を立身出世の道具と思っているし、全ての女が心優しく清廉な夫に嫁げる筈も無い。それでも、道具には道具なりの幸せというものがあり、心が有る以上得心いかない事は有って当然だ。ただ、曹丕は女が心を持つ事さえ許そうとはしない。まるで美しい容器を置く様に、美しく並べられている事しか認める来はないのだと思うと、自分の屈辱感と甄皇后への憐憫での心は張り裂けそうだった。
その日からは無理矢理にでも食事を取る様になり、若さもあって三ヶ月足らずで外見はすっかり元通りになった。寧ろ以前よりも凛々しい雰囲気が出て美しくなったとも言えた。後宮に入内して一年以上、は既に少女ではなかった。やや背が高く痩身だが肉感的な魅力も備え、少しきつめに整った顔立ちで色白、そして楽と書を好む様は正に若かりし甄皇后に生き写しだった。
この頃、甄皇后の忘れ形見曹叡の面倒は郭皇后が見ていたが、曹叡は甄皇后が何故死ななければならなかったのかを解っており、郭皇后に懐く様子は少しもなかった。寧ろ激しい憎しみを必死に押さえている様に見え、は彼を不憫に思うと共に申し訳なく思っていた。曹叡の心にはに対する怒りも初めの内は有ったが、無き母親の為に死の瀬戸際を彷徨う程苦しんだ様子を知り、時たま後宮に顔を出す様になっていた。本来、息子と言えども曹丕の後宮に出入りする事は誤解を生む行為だったが、曹叡の場合郭皇后が継母であったので問題にはならなかった。また、と面会する際に郭皇后の息の掛かった女官が傍にいる事は承知の上だった。
「……母が死んで、半年が経ちました。婦人は、すっかり息災になられたご様子。安心致しました」
「勿体無きお気遣い……甄皇后の様なお優しい方がいなくなり、私の様な毒にも薬にもならぬ人間ばかりが生きながらえる……本当にこの世は侭ならぬ物で御座います」
溜息をつきながら曹叡を眺めたは、彼の顔が随分疲れている事に気が付いた。其れは甄皇后を失った心労だけでなく、父親である曹丕からの心的圧力に参っているからである事は間違いなかった。曹丕は、自分が曹操に否定された事を憎み、其れを息子の曹叡にする事で傷を癒そうとしていた。既に壱拾六になり、温厚で利発で容姿端麗と非の打ち所のない嫡子にもかかわらず一向に皇太子に指名する様子も無い。
「……元仲様、誠差し出がましいながら、私めから訓辞を一つ差し上げても宜しゅう御座いますか?」
は穏やかな笑顔を浮かべていたが、その眼は非常に真剣で少しも笑っていなかった為、曹叡は其の真意を理解し何か大切な言葉が伝えられるのだと身構えた。
「心から誰かを愛するならば、殺されても文句は言えませぬ。殺される事こそが本望という程でなければ、其れは愛情ではなく所詮優しい独占欲に過ぎません。心とは、斯様に容易く信頼できぬ物、だから、心は常に武装している物、不快な侵入者は殺して良いのです」
「…………其れが、理であると?」
「元仲様のお父上、皇帝陛下より頂戴致しましたお言葉で御座います」
その時、曹叡がの真意全て理解したかは定かでない。しかし、言わんとする事は伝わった。以降、曹叡は曹丕からの辛い仕打ちにも決して取り乱さず、必要以上に郭皇后と諍いを起こさなくなった。
「ふ……女は恐ろしいな。其処まで甄瓜二つになるとはな」
曹丕が再びの元へ通う様になったのは、病床で会ってから半年以上経った頃だった。甄皇后に瓜二つと言うのは、何も顔の事ではない。二人は顔の系統こそ似ているが、当然其処まで似通ってはいない。しかし雰囲気や動作など何処かしら、人に与える印象が良く似ていた。甄皇后を自刃に追い込んだ曹丕だが、其の容貌はやはり郭皇后では足元にも及ばぬ美貌であった事は否定の仕様も無い。故に甄皇后の生き写しと評判になっているを寵愛し始めたのだ。
曹丕から見た甄皇后との違い、其れはの方が格段曹丕を想っていないという点に有った。常に曹丕を気遣っていた甄皇后に比べ、はどちらかと言えば曹叡を気に掛け曹丕の来訪も嬉しそうではない。だが、その分幾ら後宮の女を増やしても文句一つ言わないという利点でもあった。
本来、は粉微塵に刻んでやりたい程曹丕を憎んでいたので来訪を喜ぶ筈もないが、復讐の機会を得る為にも後宮から下がるつもりは無い。だから曹丕に会わずにすむのならば、幾ら女が増えても気にならなかった。当然だが、曹丕は其の様な真意を知らない。
「私は甄皇后ではありません」
曹丕はの言葉を比べられた不快感と受け取ったのか、薄く笑いを浮かべると臥床に押し倒した。
「解っている。お前は、甄より物わかりが良い。それに、年増でない」
皮肉めいた薄笑いに口角が僅かに持ち上がる。は、其れを下卑ていると感じ僅かな嘔吐感を催す。しかし気取られぬ様表情は変えない。
の身体を撫でながら興奮してきたらしい曹丕を感じ、の心は益々醒めきっていく。しかし曹丕はそんな事には気が付かない。閨は細かい心の機微が降り積もって快楽をもたらすなど、曹丕には考え及ばないのだ。
が適度な寵愛を受けて三年以上が経った頃、黄初七年遂に曹丕は病に倒れそのまま帰らぬ人となった。郭皇后との間に子供は無い侭で、また此と言った人物も居なかった為、曹叡は誰と争う事も無く皇帝の地位を引き継いだ。
優雅な余生を送るつもりが、自分が殺した人間の息子に命の手綱を握られたも同然の状態になったのだから、郭皇后の心中は察するに余りある。曹叡はからの言葉通り、郭皇后を心の内に迎え入れる事が出来ない不快な侵入者と見なしていた。
曹叡の戴冠式は、一点の曇りの無い良く晴れた日に行われたが、その場に文帝妃の姿は無かった。曹丕への復讐の為だけに病を克服したは、其の無念の死を見届けると再び病に倒れ数日の内に帰らぬ人となった。心痛から病に冒されていた身体は、四年以上生きながらえる事は本来到底無理であった。ただ曹丕への復讐心だけがを生き長らえさせていたのだ。
曹叡は此の死を大変に悼んだが、の死顔は非常に満足げで穏やかな物だった。
+++++
ただ其の死に様を見詰められるという復讐。
曹丕は曹丕で可哀想な人だ。そして彼は為政者としては優秀であった。ただ、彼は英雄ではなかった。
2005.08.18 viax
BGM : U2 [ THE BEST OF 1980-1990 ]